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 戦艦「大和」〜蜂の巣甲鈑(1)

 大和の煙路(ボイラ排気路)防御に関しては、 私自身も別記事の中で蜂の巣『甲板』と言う表現をしている。 しかし追記の最後で書いているように、 旧海軍の装甲板は金偏の『鈑』を使った『甲鈑』が正しい表現であり、 一般的に用いられている木偏の『板』を使った『甲板』は間違いである。 今回は手始めに何故『甲板』の文字が多用されているかについて検討してみたい。
 先ず最初に考えられることは、 木偏の『板』が教育漢字で誰にでも馴染みのある文字なのに対し、 日常生活で金偏の『鈑』を目にすることは皆無かと思われる。 パソコンにおける日本語表示でも当然JIS第2水準であり、 「はん」と入力しても漢字変換されることは無い。 更に熟語としても『甲鈑』と言う用語を知っているのは極一部の関係者のみであるのに対し、 『甲板』の場合には特に海事とは無関係な一般人でも知っている者は多い。 戦後『重巡』や『ゼロ戦』が一般化したのと同様、 蜂の巣『甲板』が一般化したとしても何ら不思議ではない。
 日本造船学会編原書房刊「日本海軍艦艇図面集」(以下図面集と略す)に掲載されている 「戦艦大和型防御配置」によれば、 中甲板防御として200u強の範囲に『蜂の巣甲板』が使われていることになる。 同図が戦後作成されたものであることは承知しているが、 造船学会編なので信頼するに足りうる資料であると判断し、別記事に おいては同図を基にして検討を進めた次第である。 そして同図のようにかなりの広範囲に施工されたのであれば、 蜂の巣『甲板』と言う表現をしても大きな誤解を招く恐れは無いと判断したのである。
 戦後『大和』に関する本は数多く出版されているが、 それらの基となっているのは松本喜太郎氏が戦後間もない1952年に再建社から発行した、 『戦艦大和〜その生涯の技術報告』(以下再建社版大和と略す)であると思って良いだろう。 そして同書の中で松本氏は蜂の巣『甲鉄』と言う表現を使っているのだが、 同書には図面集に収録されている「戦艦大和型防御配置」の原型と思われるものが載っている。 そして本文中では『甲鉄』と呼んでいるにも拘らず、 図面の中では『甲板』と言う文字が使われているのである。 図面の作成者は不明であるが当然松本氏も目を通しているはずであり、 何故『甲板』と言う文字が放置されてしまったのかは不明である。 しかし同書が『蜂の巣甲板』と言う表現の根源であることは間違いないと言って良いだろう。
 
 有孔の装甲板(以下蜂の巣甲鈑と記す)を煙路に用いる場合、 その装備方法としては二通りの方法が考えられる。 一つは通常の甲鈑と同様に大きな蜂の巣甲鈑を敷詰め、 その一部を煙路として利用する方法であり、 もう一つは従来艦と同様に通常甲鈑を装備して煙路開口を設け、 煙路の開口部にだけ蜂の巣甲鈑を装備する方法である。 私が別記事を書く上で参考にしたのは前述の図面集であり、 その中の「戦艦大和型防御配置」から前者の方法ではないかと推察したのである。 しかし他の資料から推察すると後者の可能性の方が高いので、 今回改めて記事を書くことにしたのだが、 その前に各々の装備法にどのような利害があるかを比較しておこう。
 先ず前者のように蜂の巣甲鈑を一面に張った場合であるが、 通常の甲鈑と同じ様に適切な形状の大きな甲鈑を張ることが出来るので、 装甲としての効果には高いものを期待することが出来る長所がある。 ただし製造に当たっては穿孔前の重量が問題となるので、 個々の面積は通常の甲鈑よりも小さなものとならざるを得ない。
 欠点としては、一つには重量が増す可能性が考えられる。 詳細は後述するが福田啓二著今日の話題社刊「軍艦基本計画資料」(以下福田資料と略す)によれば、 蜂の巣甲鈑の単位面積当りの重量は通常の甲鈑よりも重くなるようである。 従って蜂の巣甲鈑を煙路区画全面に張った場合には重量が増える可能性もあるが、 従来の方式ではコーミングアーマーの分だけ重量が増すので、 どちらが重くなるかは概略でも良いから図面が無ければ分からない。 なお甲鈑重量が増えれば防御力も増すのは一般的な現象であり、 甲鈑重量が減らなければ蜂の巣甲鈑を採用する意義も薄くなる。
 もう一つ考えられる大きな欠点は、 艦内に大きな熱源を抱え込む可能性があることである。 通常の煙路ならば排煙の熱影響は煙路を構成する薄い外壁からだけであり、 適切な断熱材の使用により艦内の温度上昇を防ぐことが出来る。 しかし蜂の巣甲鈑を敷詰めた場合には巨大な質量の甲鈑が高温となる可能性があり、 防熱工事にも特別の工夫が必要になるものと思われる。 海軍の運用構想では南方での使用は重視されていないが、 日本近海であっても冷房の強化が必要となるかもしれない。
 後者の方法では煙路が甲鈑を貫通する箇所にだけ蜂の巣甲鈑を張れば良いので、 従来の技術を用いるだけで施工が可能となる利点がある。 ただし必要とする煙路面積を蜂の巣甲鈑で確保するためには、 中甲板貫通部の開口を大きなものにしなければならない。 その結果として通常甲鈑が細切れ状態となってしまう恐れがあり、 その場合には本来の性能を発揮出来ないことになる可能性がある。
 原勝洋編KKベストセラーズ刊「戦艦大和建造秘録」(以下建造秘録と略す)によれば、 中甲板甲鈑の煙路貫通部の開口直径は2m弱程度と推定出来る。 この値は同書に掲載されている中甲板の甲鈑取付順序の図面から導き出したものであるが、 同様な図が「再建社版大和」にも掲載されているので、 それなりの信頼性はあるものと思われる。 ただし12区画の缶室に対して開口は10個しか記載されておらず、 恐らく現場での作業計画を立てるための概念図かと思われる。 従って開口等の寸法に関しては正確さを欠いていたとしても、 これは止むを得ないことである。
 
 図面集の「戦艦大和型防御配置」には Fr.135 断面(缶室と機械室間の1つ前)の防御要領も載っているが、 それによれば中甲板の甲鈑は 200mm MNC(通常甲鈑)となっており、 中甲板の防御要領とは矛盾した図面となっている。 また中央部構造切断図として載っているのは Fr.126 付近(第5〜8缶室後部)と思われるが、 やはり中甲板の甲鈑は 200mm MNC(通常甲鈑)となっている。 下甲板には煙路開口が見られるのに中甲板では見られないが、 これは煙路を屈曲させているので上下で開口位置が異なるためである。 従ってこれらの図面から推測すれば、 蜂の巣甲鈑は後者のように中甲板の貫通部だけに設けられたものと思われる。 なお下甲板の煙路貫通部開口は 1.6 m ほどであるが、 蜂の巣甲鈑の煙路開口2mと比較するとかなり大きなものであると言うことが出来る。 水線下に存在する下甲板は恐らく非水密構造になっていると思われるが、 その場合には開口部よりも小さな煙路を通した方が工事は容易なものとなる。
 福田資料によれば円形の通風管の途中に蜂の巣甲鈑を設置し、 蜂の巣甲鈑の大きさを変えて通風実験を行なっている。 実験では蜂の巣孔の面取り方法を各種試したり、 導板の設置による効果を調べたりしているが、 これらの実験からも蜂の巣甲鈑の装備は煙路の中だけである可能性が高い。 なお通風実験とは別に耐弾実験を行なっているが、 実験に用いた甲鈑の開孔部面積の全面積に対する割合(以下開孔率と言う)は 33.8% が最も多い。 この点に関しては次の記事で紹介するが、 通風実験でも同様の開孔率で行なわれたものと思われる。
 建造秘録には重心査定試験の結果が記載されているが、 これによれば煙路及び通風路の甲鈑重量として 299tが計上されている。 蜂の巣甲鈑の板厚は 380mm で間違いないと思われるので、 開孔率を 33.8%と仮定して面積を逆算すれば、 この重量は単純計算で 151uの面積に相当することになる。 ただし煙突前面の暴露部にも甲鈑が張られているので、 中甲板に張られた蜂の巣甲鈑の全面積はこれよりも少ないものと考えられる。 図面集の中甲板防御要領図に記されている『蜂の巣甲板』の面積は 200u強であるから、 同図に記されているような一面に蜂の巣甲鈑を張る方法はあり得ないことになる。
 煙路の貫通部は2mの開口が12箇所としても40uに満たないから、 ボイラ給気や主要防御区画内の給排気系統にも蜂の巣甲鈑が使われているものと思われ、 重心査定試験の重量区分で「煙路及び通風路」と記されていることもこれを裏付けている。 煙路以外の通風路は煙路よりも小さなものになるから、 個々の開口に蜂の巣甲鈑を設けたとすれば正に細切れ状態となり、 十分な防弾効果を発揮できなくなる可能性が発生する。 しかし従来のように開口周辺にコーミングアーマーを用いたり、 開口上部を通常甲鈑で覆う方法を採用したとしても、 それらの甲鈑も計画通りの性能を発揮できるほど大きなものとはなり得ない。 それ故に煙路以外の通風路開口にも蜂の巣甲鈑を用いたものと考えられるが、 蜂の巣甲鈑は製造には工数がかかっても現場での設置は容易であると思われるので、 あるいは工期や建造費の削減に役立っていた可能性も無くはない。
 
 以上の検討によれば蜂の巣甲鈑の装備方法は煙路等の甲鈑貫通部内部のみと考えられるが、 そうなると蜂の巣『甲板』と言う表現は全く的外れなものとなるので、 以後は使用することを禁止すべき用語である言うことが出来よう。 また図面集等に掲載されている「戦艦大和型防御配置」の図に関しても、 側面図と中甲板平面図における『蜂の巣甲板』の記述及び 380mmMNC の使用範囲は、 今後は訂正してから掲載するべきであろう。
 冒頭でも述べているように「戦艦大和型防御配置」の原図は、 松本喜太郎氏の『戦艦大和〜その生涯の技術報告』に源を発しているようである。 まだ戦後間もない頃の発行であり、 松本氏も注意して図面に目を通していれば間違いに気付いたものと思われるが、 今となっては何故この図面が掲載されてしまったのか不明のままである。 意図的に間違いを掲載したとも思えないので、 艦艇設計の経験の無いものが図面を作成し、 検討不十分のまま現在に至っていると言うことであろうか。
 今回の検討で蜂の巣甲鈑の装備方法は絞り込むことが出来たが、 開孔の直径に関しては依然として不明のままである。 松本氏の著書のように 180mm径の孔が穿孔されていたのか、 次回はこの点について検討してみたい。
 
 ≪余談≫
 『甲鈑』の呼び方に関してはルビの付いた資料を目にしていないので断定は出来ないのですが、 そのまま読んで『こうはん』で良いものと思っています。 もしご存知の方がおられましたら是非とも御一報下さるようお願い致します。 なお『甲板』の呼び方は海軍では『かんぱん』ですが、 商船では『こうはん』であることを紹介しておきます。

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