砲戦術が未熟で直接照準に頼っていた頃には、弾丸は水平に近い状態で飛来するので、
艦艇の装甲も舷側部だけを考慮しておけば良かった。
しかし遠距離砲戦術の発達に伴って大落角で飛来する大口径弾が発生し、
甲板にも装甲を施す必要に迫られるようになった。
更に航空機の発達に伴い、
戦艦は直上からの攻撃にも対処しなければならない状況となった。
甲板防御で最大の弱点となるのは、
直接防御することの出来ない煙路であると言って良いだろう。
そこで考え出されたのがコーミングアーマーであるが、
これは上の図のように開口部の周囲をある程度の高さを持った装甲で覆い、
砲弾の侵入を阻止しようと言うものである。
斜めに飛んできた弾丸はコーミングアーマーに阻まれ、
開口部から艦内に侵入することは出来ない。
しかし弾丸の落角が大きくなるに連れて必要なコーミングの高さも増大し、
爆弾のように直上から飛来するものに対しては防ぎようが無いと言う欠点も持っている。
直上からの侵入を防ぐ方法としては、
下図左のようにコーミングを傾けて直上の開口部を無くすか、
下図右のように城門の枡形に倣って煙路を屈曲させる方法とが考えられる。
しかし開口部を覆い隠せるほど傾斜させた場合にはコーミングは長大となり、
装甲重量は増大することになる。
なおコーミングの傾斜と同角度で侵入する弾丸に対しては、
後方に傾斜させればその可能性は無視しうるものとなるが、
後方からの爆撃に対しては侵入の可能性を消すことが出来ない。
枡形にすれば何れの可能性も消すことが出来るが、煙路が幾分か複雑と成り、
装甲重量の増加はより著しいものとなる。
このコーミング方式の欠点を解消するために開発されたのが、
装甲板に直接穴を開けて排煙を通過させる蜂の巣甲板であった。
理論的には開口による強度の低下は板厚を増せば回復できる訳であるが、
実際に製造するとなると、数々の困難があったことと思われる。
蜂の巣甲板の名称が外観に由来するものであることは十分に予想されるが、
実際の形状は「蜂の巣」と言うよりも「蓮根」に近いものとなっている。
しかし「蓮根甲板」では余りにも軍艦のイメージを損なうので、
最終的に「蜂の巣甲板」と命名されたものと思われる。
蜂の巣甲板は名前が知られている割りには、
その実態は全くと言って良いほど知られていないのではないだろうか。
設計図が残されていないのは他の部門と同じで止むを得ないのであるが、
せめて写真でもあればある程度の推測も可能となるのだが。
しかし残念ながら、今のところは1枚も発見されていないものと思われる。
牧野茂・福井静夫編集今日の話題社刊
「海軍造船技術概要」(以下造船概要と略す)によれば、
通風路の甲鈑貫通部は総て径90粍又は120粍の蜂の巣状とし、
缶室・機械室の通風路は径120粍の蜂の巣とした、と記されている。
蜂の巣甲板はボイラ排気用と思っていたのであるが、
実際にはもっと広範囲に使われていたようである。
日本造船学会編原書房刊「日本海軍艦艇図面集」(以下図面集と略す)によれば、
蜂の巣甲板は中甲板缶室中央から後部にかけて用いられており、
その幅は概略で15m強、長さは若干短いようである。
全ての通風管がこの個所を貫通しているとは考えられないが、
他に蜂の巣甲板の記載は見られない。
図面集では蜂の巣甲板に『180holes,δ=0.55』と言う記述が見られる。
開口の数が180個とは思えないが、1列に180個は並ばない。
そこで図のように千鳥配列の2列1群の数量であると推測し、
開口の間隔を50oと仮定して計算すると、
必要な幅は15m強となり、ほぼ図面と一致する。
この場合の開口部の面積は蜂の巣甲板の45%前後となるので、
装甲として有効に働く蜂の巣甲板は全体の55%となる。
図面集では上記『δ』の説明は無いが、恐らくこの値のことではないかと思われる。
更に蜂の巣甲板の板厚380oの55%は209mmであり、周囲の装甲板の板厚とほぼ一致する。
蜂の巣甲板は他に例を見ない特殊なものであるが、
高温の排気ガスに曝される点でも他の装甲板とは大きく異なっている。
高温となった蜂の巣甲板は、当然のことながら常温時に比べて膨脹するので、
船体構造はこの点も考慮して設計されているようである。
また、高温による装甲としての性能低下も考慮されており、
最終的な板厚が決定されたようである。
一般的な煙路の貫通部は、冒頭の図で示すように装甲の開口を煙路が通る構造となっている。
しかし蜂の巣甲板では、これとは逆に煙路を装甲が貫く構造となるのだが、
右図に示すのはその想像図である。
この構造では煙路が蜂の巣甲板によって分断されるので、
接合部の気密性が確実に保たれるよう考慮しておかなければならない。
蜂の巣の開口は前図のように幾何学的に穿孔されていると思われるので、
ある程度煙路の形状を蜂の巣に合わせることになるだろう。
それでも完全に一致することはないから、
かなりの範囲で気密工事が実施されたことと思われる。
蜂の巣甲板の下部には船体構造部材としての中甲板が張られており、
こちらはガーダーと共に煙路用開口を考慮した形状になっているものと思われる。
蜂の巣甲板との具体的な固着状況は不明だが、
排気によって高温となった蜂の巣甲板からの熱伝導を防ぐため、
間に坊熱材を挟みこんで固着されたものと推測される。
蜂の巣甲板の上部も整備点検のための通路が必要なので、
やはり坊熱工事は不可欠だったものと思われる。
また、周囲の普通装甲板にも熱影響がないように、
何らかの対策が施されていたことであろう。
造船概要によればボイラ排気用以外にも蜂の巣甲板が使われていたことになるが、
図面集の大和型防御配置に記されている蜂の巣甲板は、
缶室中央から後部にかけての1箇所のみである。
このことから装備状況を推測すると、全ての通風管が前記蜂の巣甲板に集中しているか、
あるいは小規模のために図面集には記載されていない、と言うことが考えられる。
前者の場合には前後部の通風管は長大なものとなり、
横隔壁は極力貫通させないようにすると言う艤装方針にも反することになる。
更にこの方式の致命的な欠点として、蜂の巣甲板附近に被弾して煙路が破壊された場合、
ボイラ排気が給気に混入してしまうことが上げられる。
当然ボイラの出力は大幅に低下することになるが、
それ以前にボイラ排気を送り込まれる乗員の安否の方が大きな問題である。
船体が無事であっても、
乗員が倒れてしまったのでは軍艦としての用をなさなくなってしまう。
1発の被弾で戦闘不能となってしまうようでは、もはやこれは戦艦ではない。
なお通常の状態でも給気は高温となった蜂の巣甲板を通過してくるので、
熱風が各区画に送り込まれると言う問題点もある。
ただし第9〜12缶室は蜂の巣甲板の下部に位置するので、
これらの区画では利用されていたかもしれない。
主防御区画に通風するための暴露部給気口は何箇所かに分散しており、
通風管はそれぞれ最短経路で艦内に導かれ、
各々の装甲貫通部に蜂の巣甲板が用いられていたというのが、後者の考え方である。
区画通風の主目的は新鮮空気の供給であり、ボイラ給気に比べれば遥に少ない量である。
更に給気の場合には流速を上げることで管径を小さく出来るので、
小規模な蜂の巣甲板でも十分である。
そしてその流量に応じて、
内径の異なる2種類の蜂の巣甲板を使い分けていたものと思われる。
しかしこの蜂の巣甲板の装備位置は不明であり、
その板厚が200oなのか380oなのかも不明のままである。
最後に「武蔵」の戦闘から得られた戦訓を紹介しておく。
蜂の巣甲板は大落角の直撃弾に対しては有効なものであったが、
コーミングアーマーでは発生しなかった欠点が存在した。
中甲板上の水密隔壁は非装甲なので容易に破壊されてしまい、
被弾によって艦が傾斜して中甲板が水に浸かるようになると、
蜂の巣甲板からの浸水を防ぐ術がなくなってしまう。
従来のコーミングアーマーの方式では装甲が開口部を保護しているので、
中甲板が水に浸かっても煙路開口部からの浸水を防ぐことが出来るのである。
煙路及び周辺の隔壁に多少なりとも装甲を施しておけば被害は減少しただろうが、
そのためにはやはりそれなりの重量が必要となってくる。
非防御区画の防水性が問題視されることもあるが、
何れの場合でも重量との兼ね合いが最大の問題であると言えよう。
最善ばかりを追求していったら、排水量は限りなく増加することになるのである。
戦艦との戦闘を主目的とした艦が想定以上の航空攻撃に耐えたのだから、
技術的には成功した艦であったと言って良いだろう。
《追記》(04.11.5)
戦艦「大和」に関する本の中で、
蜂の巣甲板は「直径180o、孔の面積は無孔部の55%」という表記が多く見られる。
牧野茂・古賀繁一著「戦艦武蔵建造記録」には同様の表現に加え、
三菱重工担当者の回想として右図のような図面が掲載されているが、
記憶に頼って再現したものなので不確実であると断っている。
何れの記事もその出典となっているのは、
恐らく松本喜太郎著「戦艦大和・設計と建造」であると思われる。
本文で紹介している造船概要は終戦後半年を経た時点から書き始められているので、
信頼性に関しては最も高いものであると思われる。
ただし同書は船体関係担当者の記述によるものなので、
蜂の巣甲板に関しても通風管あるいは缶室通風路と言う表現を用いており、
煙路(=ボイラ排気路)と言う記述は見られない。
当時も煙路そのものは機関部担当と思われるので、
煙路に関しては船体担当者の纏めた造船概要には載せられていないのかもしれない。
しかし蜂の巣甲板そのものの重量区分は「防御」に含まれると思われるので、
設計及び工事は船体担当者が行っていたものと思われる。
造船概要と松本氏の著書とでは開口の直径が異なっているが、
前記の事情を考慮すればボイラ排気に関しては180o、
その他の給排気路に関しては90mm及び120mmであった可能性もある。
ボイラ排気の場合には煤も含まれているであろうし、
給気の場合のように加圧することも出来ないので、
給気路よりも大口径となるのは当然のことと言えるかも知れない。
なお計画主任だった福田啓二氏は光人社発行「戦艦大和開発物語」の中で、
『煙路通風路の防御としては〜蜂の巣甲鈑(甲鈑に直径100o程度の孔をうがち〜)』
と記述している(初出典は潮書房刊「丸」昭和35年4月号)。
この記述によれば煙路用蜂の巣甲板の孔も90o又は120oであった可能性が高いが、
寸法の記入された図面が無い限り断定することは出来ない。
以下上図も参考としながら、もう少し検討を進めることとする。
上図は排気路1箇所に相当する蜂の巣甲板と思われるが、
孔の間隔を65o、端部と孔の距離を90oと仮定すると、
「孔の面積は無孔部の55%」と言う条件を満たすことになる。
この場合の蜂の巣甲板の寸法は2.32×1.83mとなるが、
これは1枚の装甲板としては余りにも小さ過ぎる。
前述の松本氏の著書に寄れば、
装甲板が有効に働くのは端部から弾丸の直径の2倍半以上離れた位置とされている。
防御対象を40p砲弾とすれば、
端部から1m未満の個所は予定の強度を発揮出来ないこととなり、
上図の蜂の巣甲板では十分な防御性能を得られないと言うことになる。
故に上図は1枚の蜂の巣甲板を示しているのではなく、
もっと大きな蜂の巣甲板の煙路部だけを表示したものと推察される。
周囲の二重線はコーミングアーマーを示しているものと思われ、
「戦艦武蔵建造記録」にはそれらしきスケッチ画が載っているが、
図面ではないので詳細な構造は分からない。
しかし被害を受けて船体が傾斜した時に、
蜂の巣甲板からの浸水を防げるほど高いものとは思われない。
上図では煙路部周辺の様子は描かれていないが、
恐らく煙路・通風路以外の個所も蜂の巣構造となっていたと思われる。
機能的には蜂の巣とする必要はないが、
他の装甲板の2倍近い板厚を有しているので、
やはり蜂の巣構造として重量軽減を図ったものと思われる。
勿論穿孔に要する工数は馬鹿にならないことと思われるが、
船殻では多数の軽目孔を開けて極度に軽量化に努力している状態であるから、
余分な防御重量を削減するのは当然のことであろう。
また、上図では碁盤目状に穿孔されているが、
蜂の巣甲板において最も弱い個所は開口が隣接する部分であるから、
所要の開口部面積を確保した上で相互の距離は大きくとれる配置が好ましい。
そのためには上図のように碁盤目状に配置するのではなく、
本文中段の図に示すような千鳥配列、
即ち開口部で正三角形を形成するように配置した方が効率的である。
正三角形の集合は正六角形となるが、これはより蜂の巣に近い形状でもある。
松本氏の記事で気になるのは、「孔の面積は無孔部の55%」と言う表現である。
開口部の合計面積を記述する場合には、
全体の面積に対する比率で表現するのが一般的である。
設計上必要なのは、蜂の巣甲板全体の面積と開口部の全面積であるからだ。
因みにこの場合の開口部面積は全体の約35%となるが、
『無孔部』が『無孔時』の誤記又は誤植であったとすれば、
その値は55%なので状況は大きく異なってくる。
缶室上部の蜂の巣甲板は約15m四方の大きさであり、
両者の重量の相違は130t余りにもなるのである。
また、開口部面積が35%であった場合、
蜂の巣甲板の1u当たりの重量は2t弱であり、
他の個所の甲板装甲に比べて2割強の増加となる。
本文でも述べているように、
図面集には蜂の巣甲板に『180holes,δ=0.55』と言う表記がある。
ここで『180holes』と言う表現は松本氏の孔の直径と数値が一致しているが、
直径を示す場合には『180Φ』又は『180o』と言う表現が一般的である。
やはり『180holes』と言う複数形からは、
何らかの数量を示している可能性が高いと判断すべきであろう。
『δ=0.55』については何かの係数であることは間違いないのだが、
それが何を意味しているかを断定出来る資料には巡り会っていない。
福田氏に関する記事では原文に従って『蜂の巣甲鈑』と表記したが、
その他の個所では一般的に用いられている『蜂の巣甲板』を使用している。
しかし旧海軍においては、
装甲に関してはこの『鈑』の字を用いるのが正しい表現である。
《追記2》(06.6.11)
蜂の巣甲鈑に関して新しい記事を追加したので、
是非そちらも参照して頂きたい。