今回の旅は、ほとんどがドライブでした。乗用車で1,000kmを超える距離を走りました。そして、どの町でも、バングラデシュの人懐こい、優しい笑顔に出会いました。 |
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12月27日。昼食後、ダッカを出発します。この日は350kmのドライブです。 |
タンガイル郊外のBIROTIレストランで休憩。 |
ンガジョムナ川に架かるジョムナ橋。1998年に完成した4.8kmの多目的橋です。 |
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めったに通らない列車を見ました。この橋は鉄道もあるのです。 |
ボグラに近づく頃にはもう日が沈み始めました。 |
ラングプールの国営のモーテルに宿泊です。 |
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28日。ストがあるため、早朝に出発です。途中何度もピケの群集に車を止められました。怖かった。 |
カントノゴル寺院の前には売店とお茶屋があります。 |
お茶屋さんでお茶を頼みました。カメラを向けるとすぐにカメラ目線になります。 |
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売店の店先。お菓子のビンが並んでいます。 |
ヒリに向かう途中でバス同士の衝突事故があり大渋滞になりました。 |
鉄道の踏切があって、その向こうはインドです。国境の町です。 |
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お菓子屋さんには、インドからの甘いお菓子が売られていました。 |
昼食は、ジョイプールハットの街角のレストランで食べました。 |
パハルプールからボグラへの途中、牛の市で車を止めてくれました。すごい人です。 |
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イードの祭りで生贄にされる牛です。 |
ボグラの国営のモーテルに宿泊です。 |
29日。カラフルなモーテルです。この日は、400kmのドライブです。 |
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モハスタン遺跡の警備の人 |
モハスタン遺跡にいた子供たち |
モハスタン遺跡の一番右の子 |
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モハスタン遺跡で新ジャガを洗っていた人 |
モハスタン遺跡の人 |
昼食は、ナトレ。予定のレストランは臨時休業で、街の定食屋のようなところで食べました。 |
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定食屋の揚げ物係りの人。カメラ目線です。 |
プティアにあったショヒド・ミナールです。言語運動の犠牲者の追悼碑で、記念日は「世界母語デー」になりました。 |
LALON SHAH BRIDGE。2004年に日本が建設したボッダ(ガンジス)川に架かる橋の友好記念碑です。 |
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クルナへの途中のバザールのお茶屋さん。丁寧に紅茶を淹れます。 |
クルナの豪華なホテル キャッスル・サラームに宿泊です。 |
30日。この日はゆっくりと出発です。リキシャのお兄さんもカメラ目線です。 |
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バゲルハットへ向かう途中にまた新しい橋がありました。 |
この橋にも、日本との友好記念碑がありました。 |
バゲルハットの子供たち。左から2番目の子は、シャイト・ゴンブス・モスジットのイマームの息子さんです。 |
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カン・ジャハン廟前のココナツ売りのおじさん。カメラ目線です。 |
昼食は、モングラの国営モーテルで食べました。 |
午後は、船でした。観光船のスイートルームで宿泊です。 |
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31日。昼過ぎにモングラから車です。モングラ郊外の川には、こんな竹で作った一本橋が沢山あります。 |
クルナのマーケットです。 |
マーケットの洋服屋さんです。 |
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ジョソールから飛行機でダッカへ。アジア・パシフィック・ホテルの行きと同じ部屋で宿泊です。 |
1月1日。正月とイードの祭りが重なって、この日はどこもお休みです。午後からショナルガオへ出かけました。イスラム学校の生徒です。 |
ショナルガオの町をぶらぶらしていた子供たち |
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村でもイードの祭りで生贄にした牛をさばいていました。 |
道端にはどこも、イードの祭りで生贄にした牛の皮が積み上げられていました。 |
ダッカ市内ミルプールの子供たち。とびっきりの笑顔です。 |
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疲れましたが、とても楽しいドライブでした。(ハルンさんの家のノクシカタのクッション) |
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