1月6日(木) “新年おめでとうございます 2010年在南米被爆者健診以後を振り返って(1)”

新年おめでとうございます
長い間御無沙汰いたしています。
毎日インターネットを開くたびに、ホームページが画面に出るようにしていますので、それを見ながら何か書かなければと思いなが鬱々とした気分で過ごしています。
どんなに忙しくても毎月一度は書くよう今年は頑張りたいと考えています。

昨年10月、在南米被爆者健診のために広島、長崎から医療健診団がブラジルに来られた後、森田会長と娘さんが訪日して厚生労働省に要請行動を行いました。
森田会長らが帰国後、アメリカから友澤会長が同じく厚生労働省を訪問、そして議員との懇談会も開かれました。
それらの事を踏まえて、昨年、厚労省を訪問される森田会長に託しました「要望書」を以下に公開します。
在ブラジル被爆者に対する今後の援護について、希望することなどを述べています。
………
渡辺淳子様も、1月12日ブラジルを発ち、日本に脊髄の精密検診と、検診の結果次第では、手術をされる為に広島に行かれます。
帰国治療を申請しても許可までに時間がかかりすぎるので自費で行かれます。
もう一人脳腫瘍のある方が検査の為自費で1月に広島に検査に行かれます。
日本に行けば検査も手術も無料でして頂けますが、行けない被爆者はどうすればよいのでしょうか?
ブラジル被爆者平和協会からの要望書
今回私は、第15回南米被爆者健診事業に参加し、ベレン、サンパウロ、クリチーバ、リオ デ ジャネイロと都合4都市でのブラジル被爆者健診の準備と、各被爆者との交流を深めてまいりました。
今回の健診は、日本から医師5名、広島県、広島市、長崎県から係官4名の合計9名の団員により行われました。
2年前の健診時には、松村先生が積極的に健康管理手当の申請が必要な方々の診断をして下さり、日本に書類とか、レントゲン写真などを持ち帰り5名の被爆者の健康管理手当申請の健診をして下さり、その書類をブラジルに送ってもらい、被爆者は申請書を領事館に提出して、健康管理手当が頂けるようになりました。
それ以前の健診事業ではいくらお願いしてもそれが出来なかったのですが、前回はお願いすると先生自ら積極的に協力して下さり、今回も8名の健康管理手当の申請に協力して下さり、その他3名の原爆症認定書類、後2名の癌の疑いのある方々の検査方法など指示して下さり、それによっては帰国治療にするか検討して下さるそうです。
また今回随行して下さった官僚の方々も医療相談に来られた被爆者、一人一人から保健医療助成事業の相談、あるいはブラジルの地でどのような健診、治療、どのような病院、それに要する金額など、きめ細かく聞いて下さり、今後の援護の参考にしようという意気込みが見え、今までと全く違った私たちが望んでいた医療相談の形が出来てきたと喜びはありますが、その反面被爆者は高齢になり、8月に申し込みながらこの健診までに1人死亡、5名の方が申し込みをし、事前検診をしながら出席出来ませんでした(その理由は一人は心臓手術、その他体調不良、遠方の為天候不順で)その他にも4名の方から体調が悪くて健診できないとの事前に連絡を受けています。
そして今回の健康相談には本来なら92名健診の予定が、82名の被爆者しか出席できませんでした。
このように老齢になっているために、事前健診、健康相談に来られた方々も、70%の方々に付き添いが必要で、クリチーバ会場では9名全員が家族の方々についてきてもらっていました。
そういうわけでこの次2年先の健診にはこのうち30%前後の方々がもう来られないのではないかと感じました。
というわけで今回の松村団長と医師団、随行の官僚の方々と健診がおわった後、今後ブラジルの被爆者の医療援護は何が出来るか、どうすればよいかひざを交えて話し合いを致しました。
まず第一は被爆者援護法に則った援護を求めることが根本ですが、それには時間がかかりすぎるのではないか、もっと現実的に、厚生労働省が呑める条件の要請をすべきではないかという意見に絞ろうと言う事で次のような提案がなされました。
一、 在南米被爆者健診を、前回行ってから二年経過しているのだが、この間癌の手術を受けた方が2名いて、一人は手術して快方に向かっているが、一人は発見が遅れて手術をしたが余命が一年といわれている。また今回の健診で1名の方に癌が見つかり手術を受けることに決まりました(自費払い)、その他、二名の方に癌の疑いが出ていて癌の検査を大至急受けることになりました(これも自費払い)、こういうようにがんの発症率が非常に多くなっていること、ほかの病気も増えていることなどを考慮して、老齢に達している被爆者の救済をして下さる心があるのなら、被爆者健診を隔年でなく毎年無料で行って頂くよう要望する。(韓国では毎年健診が行われている)
二、帰国治療を見直して頂き、帰国治療申請書は今までのように広島県、長崎県に提出して、審査が終わった時点で、日本に帰国して病気を治療することが老齢と、日本までの長距離の旅行に耐える事が出来ないのだから、日本の病院で治療をするのではなくて、広島県などが、ブラジル現地の病院に治療を委託して、現地で治療に専念する。(理由は、日本へ治療に行くには本人に負担がかかりすぎるので、ある程度元気な人でないと日本に行けない、本当に病気の人は行けない、現地の家族も安心出来る、往復旅費などの経費を現地治療に回せる) このような方法で今まで捨て置かれた、南米在住の被爆者に対する治療を現地で行っていただくよう要望する。 |
上記2点をブラジル被爆者平和協会から今回要望する事項としたいと考えています。
広島県医師会としてもこのような方針で帰国報告をされますのでよろしくお願い致します。
そして、もし厚生労働省等に要請書などを提出される場合、上記の件は南米だけの問題となりますので、ブラジル被爆者平和協会単独での要請書として頂くようお願い致します。
以上、今回検診団に同行しましてブラジルの4か所で私が感じましたことを書きましたが、移住して50数年、日本語から離れた生活をしている移住者は、いろいろな書類とかを読むこと、書くことが難しくなってきていますし、例えば領事館に行って在留証明書など取ることも1日、2日がかりの方もいます。そういう事に配慮してもっと簡単に出来るようにして頂きたい。日本に住んでいる被爆者はそういう心配は全然ないのですから。
そしてブラジルに移住している被爆者は、国の移住政策で移住したという根本の事をもう一度再考し、被爆者援護法に則った援護をすべきで、差別行政は憲法違反だと考えます。
一日も早く現地治療ができるよう援護策をもう一度見直して頂きたい。
このような事を今度の健診を通じて感じました。
よろしく御検討下さい。
盆子原 国彦
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(盆子原 国彦)

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