6月13日(日) “4月19日〜5月10日 ニューヨーク訪問での出来事”





《右・写真》 ブロードウエイで写しました


 嘗て、ヴェネズエラの教会で出遭った御老人が

「偶然はありえない!すべては必然である」

と言われた言葉が実感としてこの身に感じた今回のニューヨーク滞在でした。





《左・写真》 同時多発テロで崩壊した残骸の一部です


 あの沢山の人が集まったNYで、私達二人はすべての出遭いがいろんな事で繋がっている現実にそら恐ろしい感さえ覚えました。


 森田隆会長が、常に仰っている

「私は生かされて居るのです」

と言われる言葉に、私はその言葉じたいが今一度飲み込めない思いを常に抱いていました。


 そもそも、今回のNY訪問のきっかけになったのは!

 2008年、第63回ピースボート「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に乗船する為、成田に向かう飛行機の中で、ある若い女性と同席に乗り合わせ、日本が近づいた頃、話をして名詞を交換し別れました。

 テムラク歩美さん!

 ニューヨーク滞在のPeace Actionのメンバーで平和活動をしておられます、その人からの招待でした。


《右・写真》 ブルックリンのBOTANIC GARDEN 内の桜の木の下で、テムラク歩美さん、ミリアンさんと


 4月20日からの10日間は、ラルフ・ナザレさんと言うインド人宅にホームステイしました。

 ラルフさんは、2年前に奥様を亡くされ娘さんとの二人暮しで、相手は英語で我々は日本語ですので、殆ど言葉でのコミュニケーションは出来ませんでした。
 しかし、言葉はなくても心のつながりは持てるものだと確信を持ちました。

《左・写真》 最初に森田さんと二人でホームステイした、インド人のラルフさんと


 残りの10日間はキャサリン・サリバンさん宅にホームステイしました。

 原爆乙女でアメリカ在住の笹森恵子さん他、絶えず何人かの合宿状態で、田中稔子さん(ピースボート第63回クルーズの仲間)との懐かしい再会も有って、忙しくもありましたが楽しい思い出ともなりました。

《右・写真》 キャサリンさん主催の被爆者セレモニーで。下平作江さんと


 バンギムン国連事務総長、ヒラリー・クリントンさんのスピーチ、を聞き、

 秋葉広島市長、田上長崎市長、福山外務副大臣、川崎哲さん、とお逢いし、

《左・写真》 秋葉広島市長と


 田辺正明さんの原爆投下前の広島をグラフィックデザインによって再現したドキュメンタリーの観賞、

 長崎の被爆マリア様を拝顔し、


 ロックフェラー財団の農場(現在は世界中の若者が勉強する農業学校になっています)での桜の植樹、

《右・写真》 ロックフェラー農場での桜の植樹です


 高校、大学、教会での被爆証言、などなど・・・・・


 そして、ヨーコ・オノ・レノン様からの心温まるメッセージと寄付を頂き、今回のNY訪問の経費にもつながりました。


《左・写真》 街角での反核デモで

 真珠湾攻撃の仕返し、戦争を早く終わらせる為の原爆投下を正当化している国で、被爆証言をする初めての訪問です。
 私にとってはいろんな意味での期待と不安の入り混じったものでした。
 が、沢山のアメリカ国民の心にふれ誰もが平和と争いのない世界を望んで居る事が解りました。



《右・写真》 学校での被爆証言の様子です@




 次の文章はスタッタンアイランドの大学で被爆証言をした時、通訳をして下さった方からのメールです。

  森田さん、淳子さん、無事サンパウロに着かれましたでしょうか?
 強行軍の中、いつも笑顔を絶やさないお二人でしたが、本当にお疲れ様でした。

 森田さん、直接のお話はスタッタンアイランドでしか聞くことが出来ませんでしたが、質疑応答の時の森田さんのお答えは学ぶことがいっぱいでした。
 真珠湾攻撃のことを問われ、それをきちんと受け止めたうえで、戦争の悲惨さを訴えるなど、誰を攻めることなく、アメリカ人の人にも受け取りやすいようにお話が出来るのは森田さんのお人柄ならではと思います。




《右・写真》 学校での被爆証言の様子ですA

  淳子さん、やはりスタッタンアイランドでのことですが、ベトナム戦争にいかれた男性を覚えていらっしゃいますか?
 “ごめんなさいと何百回も言わせてください”とおっしゃった彼です。
 2校目のセントジョーンズを去る時、淳子さんが彼に近づいて、あなたがごめんなさいと何百回も言わせてくださいと言ったあの言葉は本当に胸に響きました。でもあなたのせいじゃないのよ。誰のせいでもないの。戦争なのよ。と彼の腕に手を当てておっしゃった時、彼は目を赤くして“ベトナムのことも考えていたのかもしれません”と言ったのです。そして、彼も泣き、淳子さんも涙され、私も勿論泣いてしまっていました。
 このお話、もう何人の人に話したでしょう。
 二つの全く違う戦争で傷ついた者同士がお互いの言葉で癒される姿を目にすることが出来て、本当に光栄でした。
 核をなくすという大きな目的以外にも、こんな個人レベルでの光景を目にできて、本当に参加させていただいてよかったです。


《右・写真》 学校での被爆証言の様子ですB



 私達は、今まで殆どの被爆証言後、質疑応答を行っています。
 NYの大学で、とても印象に残った質疑がありました。

「もし、原爆投下がなかったら貴方達は、どの様にしたら 戦争が終わったと思いますか?」


《左・写真》 学校での被爆証言の様子ですC


 国連に入る許可を得る為に、例え何者であろうとも一列に並んで順番を待つ炎天下での6時間はとても辛く大変でその日の予定が狂ってしまいました。


《右・写真》 国連内で


《左・写真》 スタンフォードの教会で、ピースウォークを続けて居られた人達の前で証言した時です


 世界中の人達が、いろんな地区から何日もかけて歩き、5月3日には目的地、国連前で一同に会する平和を願っての「ピースウオーク」・・・・・・・

 それは壮大ななもので、世界中の力の結集を眼の前にして私達自身にも大きなエネルギーを受けファイトが湧いてきました。
 そして、世界に眼をむけ、森田会長と共に歩んでいる自分にとって、一つ一つに教えられる事に感動しています。

《右・写真》 5月3日、ピースウォーク最終ゴールの国連前で


 !! 貴方達は神から選ばれて活動をしている、何故ならば、貴方達はそれを耐え抜くだけの強さがあるから!!

 ある方が仰ったその言葉が今もはっきりと胸に残っています。


 何よりも増して、私の証言の中で忘れてはならないことは佐々木貞子さん!

 彼女の事はしっかり真実を知らなければならないと思い続けて来ました。
 その貞子さんのお兄さんと甥子さんにお逢いして僅かな時間でしたがお話を聞く事が出来た事は、

「偶然では無く、必然である」

と言う言葉に驚きを禁じえません。

《写真》 佐々木禎子さんのお兄さんとその息子さんと
                            

2010年6月13日

渡辺淳子




《右・写真》 ピカドンプロジェクトの平和音楽祭です



《左・写真》 平和活動家でもある、アメリカインディアンのシナラ・ドークさんと一緒です



《右・写真》 劣化ウラン弾の影響で小児ガンで亡くなった女の子が書いた絵を元に、賛同者からの絵やメッセージをキルトに刺繍して旅を続けている高橋伸枝さんの平和のキルトを前にして

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