11月9日(月) “メールを頂きました:「在外被爆者を支援する集会」に参加して”

お元気ですか。
先週までブラジルのパウリスタ医師会会長が広島を訪問される件で忙しくしていましたが、廣島での仕事も成功裡に終わりました。
森田会長は11日に平野博文内閣官房長官にお会いされて、12日には東京です。
ブラジルには15日成田発のJAL便で帰伯されます。

8日夜に廣島で開かれた「在外被爆者を支援する集会」の講演会について、私の友人の西廣信之氏から次のようなメールを頂きました。
当日の内容が詳しく報告されていますので、紹介させて頂きます。
盆 子 原 さ ん
先日はメール有り難うございました。
昨8日(日)に予定どおり「在外被爆者を支援する集会」 に参加させて頂きました。
集会は私の感じでは50人程度の参加者により会場がほぼ満席状態でした。
在外被爆者の援護に関する直接的支援者の他、市民で同じ考えを持つ人々も多く参加されていたものと思います。
集会は予定どおり田村和之裁判支援代表世話人、足立修一弁護士、平野伸人韓国被爆者救援市民の会長崎支部長、森田隆会長、金龍吉韓国被爆者協会長の順で5人がそれぞれ現況報告及び問題点等の説明、今後の国(厚生労働省)等への対応等についてそれぞれ話がありました。
何れも私に取りましては非常に参考になることばかりで、これまでの私の認識の上に改めて新たな問題点等を承知することができました。
いつもメール等で書かせてもらっていますが、世界で初めて原爆の投下を受けた「広島」及び「長崎」の被爆者に対する国の援護等の不充分さ、中でも在外被爆者に対する援護策の不充分さ、実施の遅れ等は、一人の広島県人として本当に恥ずかしいことで、ご苦労をかけている被爆後に国外で活躍なさっている方々や日本を去って行かれた方々に対して何故国内と同様な援護がなされないのか、その解決がなぜ早急に出来ないのかその怠慢さに対して理解が出来ません。
私は被爆者に対して誠に申し訳ないことだと思っています。
でも、支援者の方々の地道な努力と長い年月を経て少しずつでは有りますが、前進していることを説明や資料等で知ることが出来、中心になって支援しておられる方々に頭が下がります。
森田会長様のお話しを私は初めてお聞きしましたが、温厚なお人柄と素晴らしい熱意、実行力をお持ちの方であると拝察させて頂きました。
お話中も在ブラジル被爆者の援護のために共に活躍され今年の7月に亡くなられた最愛の奥様の事にも触れられましたが、やはり大きな寂しさをお持ちのように感じました。
しかしそのお言葉の中にこの悲しみを乗り越えてさらに一層の援護が得られるよう頑張って行くと言う熱意を感じさせて頂きました。
本当に素晴らしい方でブラジルにおいて活躍してくださっていることに私は貴方の活躍と共に一人の日本人、広島県人として誇りに思います。
森田会長様は、お話の中で
「在ブラジル広島・長崎被爆者名簿登録者が現在120人であり、高齢化により多くの方が病と闘っておられ、ブラジル現地での治療等の医療が今最も求められており、これからも日本政府(役人)に強く訴えて行く。」
と熱く語っておられました。
さらに
「現在、私はまだ85歳なので110歳までは頑張りたい。」
「あと10年位は大丈夫だろう・・・・・。」
と笑いの中にも強い熱意を語っておられました。
私はかつて共に活躍された奥様の姿と一体になられてこれからも在ブラジル被爆者の援護に活躍されることを確信しました。
昨年の「ピ-スボート世界一周」に参加された時のメンバーの方々とも再会を喜びながらお話しをされている姿を後方の席から拝見させて頂きました。
講演の中でピースボート参加が大きな勉強になったとも語っておられました。
集会終了後、皆様方との挨拶、お話しが終った後に失礼かと思いましたが森田様と娘さんにご挨拶させて頂きました。
短い会話だけでしたが素晴らしいお人柄と、在外被爆者援護に対する熱意を直接感じさせて頂く事が出来ました。
帰国されましたら貴方からも突然ご無礼なご挨拶のお詫び方々よろしくお伝えくださいませ。
以上駄文の連続で充分意を尽くせませんが、この度の集会参加が私に取りましても、昨年12月の裁判傍聴に続いて多くの新たな勉強になりました
そして在外被爆者の方々に対する援護が一日も早く日本国内と同様なものとなることを願わずにはおれませんでした。
私も色々な面から直接的には何らお役に立てることは有りませんが、貴方との状況連絡やお話し等により共に考えさせて頂きたく思っておりますので今後共よろしくお願いいたします。
お身体の方くれぐれもお気をつけられます様に・・・・・・・。
次のメールまでサヨウナラ。
(以 上)
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(盆子原 国彦)

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