6月30日(火) 「被爆県」だから、「慎重」に「慎重」にやってきたわけです…『長崎新聞』を読み、思う

  

 長崎新聞のホームページを開いたらこの記事が掲載されていました。

 県、控訴取り下げ 在韓被爆者健康手帳訴訟、謝罪は否定
(「長崎新聞ホームページ」6月30日付から全文抜粋)

 来日しないことを理由に被爆者健康手帳の交付申請を県が却下したのは違法として、韓国人被爆者の鄭南壽(チョン・ナムスウ)さん=5月に89歳で死去=が処分取り消しなどを求めた訴訟について、金子知事は29日、県庁で会見。「鄭さんも亡くなった。これ以上訴訟を続け判断を長引かせるべきではない」とし、控訴取り下げを表明した。県が敗訴した一審判決が確定する。健康管理手当(月額3万3800円)についても、昨年5月の手当申請にさかのぼって遺族に支給する方針という。

 一方で、旧法での却下処分そのものについては「法に基づいてやった。正しいと思うから控訴した」と正当性を主張。遺族に弔意を表したいとしたが、謝罪については「(処分が)間違っていた(と認める)ことになる」と否定した。

 取り下げ理由について知事は、▽鄭さんの死去▽同種訴訟が争われた広島、長崎、大阪の3地裁すべてで自治体の処分を取り消す判決が出た▽昨年12月に改正被爆者援護法が施行され海外からも手帳申請が可能になった−と説明。大阪府の橋下知事が24日、先に控訴断念を表明したが「大阪府は関係ない。その前に事務方には(国との協議を)指示した」「(取り下げを了としない)国との話し合いは決着しなかった」と、あくまで自主的判断だったことを強調した。

 報道陣から、「被爆県としてもっと早く決断すべきではなかったか」と問われると、「(援護施策を国に要望している)被爆県だから慎重にならざるを得ない。被爆県でないところ(大阪府)はしがらみがない」と「被爆県の立場」を繰り返した。

 鄭さんは広島で被爆。寝たきり状態で渡日できず、本県の支援者の手助けで2006年8月、県に郵送で申請したが、来日しないことを理由に却下された。長崎地裁は昨年11月、県に手帳交付を命じた。鄭さんらの提訴が相次ぐ中、「来日要件」を撤廃した改正法が昨年、議員立法で成立、施行。鄭さんも改正法に基づき、手帳を取得した。

 「被爆県だから慎重にならざるを得ない」。
 今までも「慎重」に、「慎重」にやってこられたわけです。

 これが官僚の答えです。

 彼らには被爆者の苦しみは分かっていません。

 広島県には2日の3時に在ブラジル・アメリカの支援の会の方々が行かれるそうです。

 解説/長引いた決着、責任重く
(「長崎新聞ホームページ」6月30日付から全文抜粋)

 被爆者健康手帳交付申請の「来日要件」の是非を争った在外被爆者訴訟で、大阪府の控訴断念に続き、本県の金子知事も控訴取り下げを表明した。しかし、一審判決を受け「却下処分は違法だった」と認めた大阪府とは、根本的に異なる。

 昨年11月に控訴した際、県は「鄭さんの年齢や健康状態を考慮した人道的判断ができないかと考えたが、厚生労働省から控訴の強い要請があった」「手帳交付は法定受託事務であり、国の意向は尊重せざるを得ない」と「苦渋の決断」であることを強調した。だが、一方の厚労省は「あくまでも要請」とし、判断するのは自治体だと言う。では、ここまで決着が長引いた責任の所在はどこにあるのか。互いが相手にげたを預ける中で、鄭さんは判決確定を見届けることなく逝った。その事実は重い。

 金子知事は会見で「国とけんかして、お願いしていることができなくなったら大変なこと」「(今回は国の意に反しても)今後にあまり影響を及ぼさないと思った」と、被爆者援護で厚労省に陳情する県の弱い立場を繰り返した。あまのじゃく的な見方をすれば、厚労省への重要な要望案件を抱えていれば、控訴取り下げもなかったということになる。

 処分が違法だったと認めることなく表向き取り繕った体裁は、ほころびる。国も県も、被爆者援護法の立法精神に立ち返らなければ、高齢化した被爆者の真の救済は心もとない。そのことを教えてくれたのは国でも被爆県でもなく、「しがらみがない」(金子知事)大阪府だった。(報道部・下釜智)

 今後国がどう云うか、聞いてみたいと思います。

(盆子原 国彦)

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