11月22日(金) “私の人生に 又ひとつ 大きな栄養を 〜 渡辺理事、帰国報告”

 渡辺です、その後お元気でしょうか。
 皆さまにはいつもお世話になり有難うございます。

 ブラジルに帰ってからもずっと忙しくしていまして、帰国報告 遅くなりました。

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帰国報告

1) 10月17−18日・東京 国会でロビー活動

 厚生労働省は原爆症裁判で連敗し、「原爆症認定のあり方を見直す」との表明に、各政党も始動し始めました。
 そして、与党(自民党と公明党)による原爆被爆者対策に関するプロジェクトチームが活動を始め、原爆症認定のありかただけでなく 被爆者対策全般の検討を行なう為、在外の被爆者から直接話しが聞きたいとして、急きょ 韓国(前会長、郭貴勲、 現会長、朴栄杓)、アメリカ(遠藤篤会長)、ブラジル(渡辺淳子)の各代表が訪日して、10月17日、18日、東京で国会ロビー活動を行いました。

・ 枡添厚生労働大臣との面談

・ 超党派議員懇談会の会合(厚生労働省より岡部課長、宮治室長、同席)でのアピール

・ 与党原爆被爆者対策に関するプロジェクトチームでの会合(労働省より岡部課長、宮治室長、法務省、同席)でのアピール

そして、

・ 自民党、民主党、社民党、共産党など各党の衆議院議員、参議院議員、
 各先生方とお会いし在外の被爆者の現状をお話して来ました。

 皆様お忙しい中、貴重な時間をさいて私達の話を聞いて下さいました。

 この様な大役がつつがなく行えた事も、これもひとえに、大阪、東京、長崎、広島の支援の会の方々のおかげと、心よりお礼申し上げます。
 この事が、これからの在外被爆者援助に少しでも役に立つことを願っています。

2) 広島市、広島県にあいさつ

・ 広島市原爆被害対策部、広島県被爆者対策室へ挨拶に伺いこれからの事をお願いして来ました。

3) 11月1日−2日・東京 最高裁「三菱広島元徴用工被爆者訴訟」判決を傍聴

・ 11月1日、三菱広島元徴用工被爆者裁判、最高裁判決の報に急きょ1日早く東京に出て勝訴判決を傍聴し、身の引き締まる思いでした。

 その日、韓国から来られた原告4人から当時の強制労働、被爆の様子など伺い 私達以上の もっと悲しい出来事があったことを知りました。

 そして、判決まで12年の月日が経ち生存者は15人と言う現実は口惜しいばかりです。

・ 11月2日、原告の方と東京三菱重工業本社へ御一緒しました。
 原告の方達がその立派な本社をじっと眺めておられた時、私は、その心中はいかばかりかと胸が痛くなりました。

 その後、社民党の阿部知子衆議院議員様達とお会いし、私は皆様と別れて、ブラジルに帰る為 成田に向かい、11月3日にブラジルに無事 帰り着きました。

 今回の訪日は、私の人生に 又ひとつ 大きな栄養をあたえてもらったと、皆様に心より感謝致します。

有難うございました。

2007年11月22日

渡辺 淳子

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