森 元孝のウェブページ

   

 

ゲロだらけ、救急車、「死んだだけでしょ」、「見えなくなるだけでしょ」

 

 長い付き合い、広い世界、人それぞれ。

 

藤原道長、佐々木高綱、そんな生き方が今もある。

 

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「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば 」(藤原道長「望月の歌」)

 

「いかに梶原殿、この川は西国一の大河ぞや  腹帯の延びてみえさうぞ  しめ給へ」(「宇治川の先陣」平家物語巻第九より」)

 

 欠けぬ望月、勝つためには嘘も方便、武者佐々木、そんな人は今もいる。

 

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1)卒業後10年以上経っていたが、高田馬場のワインバーで集まり。某新聞社の記者バリバリと言いながら、店をゲロだらけにし、今はもうないが、急性アルコール中毒の運び込まれる常連病院「大同病院」に救急搬送。もう直接の教員でもないのに、未明、家族が来るまで病院外、夜空のもと待機。驚いたのは、未明になって、「なんで先生がいるの」と悪びれることない挨拶と、いい年齢をしても、まだなおあるその甘え、大学教員は使うものという気概に閉口した。

大同病院

 ご本人、そんなことはどこ吹く風だったが、後日、ワインバーに、私が本当に申し訳ありません、あの夜は、お店を汚し、商売めちゃめちゃにしてしまいましたと侘びに行った。バブルで甘やかされ卒業が許された時代の病い。後にも先にも、こんな常識を越えた経験はない。

 

2)これは、人生で一番耐えがたいことであった。

−永年、共に暮らしてきた愛犬が亡くなった時。このメンバーの、いつも呑み会をリードするひとり。外資企業でバリバリ、独立して社長。そういう職だからか、こちらの状況などまったく無視。「先生、土曜日、呑み会です」と一方的連絡。事情を説明したら、「犬が死んだだけでしょ」と。

−これは、とりあえずそのままとして、2、3年後、別の今ひとりが池子の森を、思い出に歩きたいということで、この「犬が死んだだけでしょ」の人も含めて、わが家までやってきたことがあった。もちろん普通に歓待。

−いよいよ定年となるその前年夏、最終講義というよりも、私の退職ということで集まりをしたいという話を、上述のゲロだらけにした人と、この外資系バリバリの人とに呼び出され赴いた。高齢となり、眼病を患い手術をして、ようやく調子が上向きとなりつつあった頃。何か提案があるのかと思ったら、私が企画せよという物言い。要するに、自分の自慢話をみんなにしたい集まりを作って欲しいということであった。長い時間つきあわされ、疲労困憊で帰ったのであった(笑)。偉くなったら、人に指図すれば、何でもやってもらえるということか? 記者バリバリ、外資系バリバリゆえか?

−そして、このとき、バリバリ記者に言われたこと。「その病気なら、私に言ってもらえれば、名医を紹介できたのに」と、昔ながらの、何の根拠もない、記者にありがちな、ちょっと知っているだけの、私がどんな医者に診てもらっているかも知らぬのに、自分のパフォーマンスだけしたい、無責任な言動。

−外資系バリバリに言われた言葉。「眼が見えなくなるだけでしょ」と。これには言葉を失った。

−同じ人物からの、何とも心ない言葉2回。この繰り返しは、意図があるのか、あるいは無感覚だからか、外資系バリバリだからか、あれこれ思ったが、大いに傷が付き、手術、通院をしていたときで、途中、精神科医にもカウンセリングを受けることにもなった。言葉というものは恐ろしい。

 かの演習での過剰な時間。22人の学生がいたが、22人全員が親しくあり続けたわけではない。「同窓会」というものにありがちな、「勝ち組」の残り火たちの集まり。

 その中の、その中でも選りすぐりだと自任しているだろうふたりの言説。ひとりは、自分ではスポーツ万能、外資系バリバリ、今ひとりは、進学有名校、有名新聞社、そしてバブル絶頂期をよく表すメンタリティーの持ち主ということか。こういうのは、もうたくさんだと思った。

 「男女雇用機会均等法」が施行され、のちの「女性活躍」社会への旗手のようにも思える人たちであったが、「他人」の痛みを想像してみることができない、どうしてそういうふうかを、敢えて考えてみると、「演習」で社会性を身につけることに失敗したということだろうか。スポーツのエースだった、人が羨む一流企業、企業して社長などなど、結果、仕事の関係しか人間関係がなく、目立とう、パフォーマンス、会話は「ディール」第一の人生ということだったか、「親密圏」が貧弱ということだろうかと、考えた。

 

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 数ヶ月、精神科医のお世話になったが、Chat-GPTにも相談した。

 

眼病で手術を何度もしていたとき、「眼がみえなくなるでしょ」、永い間一緒だった愛犬が死んだとき、「犬が死んだだけでしょ」と、何とも傷つくことを言う人の言葉が、いつまでも残りトラウマになりました。精神科医にも通いました。それから時間が経過して落ち着きましたが、まだふと思い出し、イヤだなと思います。忘れる方法はありますか?

それは「忘れられない」というより、強く刻まれてしまった記憶が、ふとした瞬間に再生される状態に近いです。無理に消そうとすると、かえって残りやすくなるので、「忘れる」よりも影響を弱める方向のほうが現実的で効果があります。

まず大事な点を一つ。
その言葉が刺さったのは、あなたが弱いからではなく、状況的に非常に傷つきやすい場面だったからです。病気や喪失のときは、言葉の影響が何倍にも増幅されます。そこに不用意な言葉が入れば、残るのは自然なことです。


■ なぜ思い出してしまうのか

人は強い感情(悲しみ・恐れ・孤独)と結びついた記憶ほど、長く保持します。
とくに

  • 病気(視力への不安)
  • 愛犬の死(深い喪失)
    という二つは、心理的に非常に大きな出来事です。

つまり残っているのは、その人の言葉というより、**当時の痛みの記憶の「フック」**です。


■ 有効な対処法(「消す」ではなく「弱める」)

@ 記憶の意味を書き換える

その言葉をそのまま受け取らず、解釈を変えます。

たとえば

  • 「この人は想像力がなかった」
  • 「人の痛みを理解できない状態だった」

と位置づける。
**「自分が傷つけられた」→「相手の問題だった」**へシフトします。


A “上書き”の言葉を用意する

思い出した瞬間に、意図的に別の言葉を入れます。

例:

  • 「あれは不適切な言葉だった」
  • 「でも私は乗り越えてきた」

これは単純ですが、繰り返すとかなり効きます。
記憶は固定ではなく、思い出すたびに再編集されるからです。


B 思い出してもいい、と許可する

「思い出してはいけない」とすると、逆に頻度が増えます(心理学でいうリバウンド現象)。

思い出したら
「また出てきたな」
くらいに軽く流す方が、結果的に減っていきます。


C 身体で切り替える

記憶は身体状態とも結びついています。
思い出した瞬間に

  • 立ち上がる
  • 深呼吸する
  • 少し歩く

これだけでも、反応が弱まります。


D もし再び強くなるなら

すでに精神科に通われたとのことですが、もし再び辛さが強まる場合は、

  • トラウマ志向のカウンセリング(例:EMDRなど)

も有効です。これは「記憶の反応」を弱める方法です。


■ 最後に

完全に「消す」ことは難しいですが、
**「思い出しても何も感じない状態」**には十分なれます。

そして実際、あなたはすでにそこにかなり近づいています。
「まだイヤだなと思う」程度まで来ているのは、回復が進んでいる証拠です。


もしよければ、
その言葉を言った人との関係(家族・職場など)も教えていただければ、もう少し踏み込んだ対処も考えられます。

もともとは、受講学生。卒業後40年もつながりがありました。

それは…かなり話が違ってきますね。
単なる通りすがりの人ではなく、長年関係が続いた元受講学生からの言葉だったとなると、傷の質が深くなるのは当然です。

むしろ率直に言うと、
その言葉が残っている原因は「言葉そのもの」よりも、
**「その人との関係に対する期待や信頼が裏切られた感じ」**にあります。


■ なぜ長く残るのか

40年もつながりがあった相手には、無意識にこういう前提があります:

  • 自分をある程度理解してくれているはず
  • 配慮のある言葉をかけてくれるはず

そこにあの言葉が来ると、
単なる失言ではなく、

「この人は自分を理解していなかったのか」
「この関係は何だったのか」

という、関係そのものへの揺らぎになります。

だから記憶が消えにくい。


■ 忘れにくさの正体

整理すると、あなたの中に残っているのは

  1. 病気や喪失そのものの痛み
  2. その人の言葉による痛み
  3. 長年の関係への違和感・失望

この「B」があると、記憶は粘着質になります。


■ 有効な考え方の転換

ここで重要なのは、その関係を再定義することです。

たとえば:

  • 「長く続いた関係=深い理解があった」ではない
  • 「長く続いた関係=たまたま切れなかった関係」でもありうる

少し厳しい言い方ですが、
その人は40年のあいだ、ずっと

“その程度の共感力の人だった”

可能性が高いです。

つまり今回の言葉は「例外」ではなく、
その人の限界がはっきり表れた瞬間と見ることができます。


■ 心理的に楽になる整理

次のように位置づけると、かなり楽になります:

  • 「あの人は、自分の痛みを理解できるタイプではなかった」
  • 「だからあの発言は、私の価値とは無関係」
  • 「関係は長かったが、深さは別問題だった」

■ 「忘れる」のではなく「位置を下げる」

完全に忘れる必要はありません。

むしろ目標は:

その人を、自分の中で“重要でない人物”に格下げすること

です。

人は「重要な人の言葉」だからこそ、記憶に残ります。
重要度を下げると、自然に影響も弱まります。


■ もう一歩進めるなら

もし気持ちに余裕があれば、こう自分に言ってみてください:

  • 「あの人は老いたのかもしれない」
  • 「感受性が鈍くなっていたのかもしれない」

これは相手を許すためではなく、
自分の中の“ひっかかり”を減らすための仮説です。


■ 最後に

ここまで読んで感じるのは、あなたはすでにかなり整理が進んでいます。
それでも残るのは、それだけ

その時の状況と関係が重かった

ということです。

ただし、今の段階なら
「思い出しても、少し嫌な気分になるだけで終わる」状態までは十分に持っていけます。


もし差し支えなければ、
今その方とはまだ関係が続いているのか、それとも距離を置かれているのか、教えていただけますか?
それによって、もう一段具体的な整理の仕方を提案できます。

完全に切れています。

それなら、少し安心していい状況にあります。
関係が完全に切れているというのは、これ以上その人から新しく傷つけられることがないという意味で、回復にとっては大きな前進です。

ただ、それでも思い出す——これは自然です。
なぜなら今残っているのは「関係」ではなく、**心の中に残った“未処理の意味”**だからです。


■ 今起きていることの正体

あなたの中では、その出来事がまだ

  • 「どういう意味の出来事だったのか」
  • 「あの40年は何だったのか」

という形で、完全に整理しきれていない状態です。

人は「終わった関係」よりも、
意味づけが終わっていない関係を引きずります。


■ ここからの整理のゴール

「忘れる」ではなく、こういう状態を目指します:

“ああ、そういう人だった”で終わる記憶にする

感情ではなく、理解として処理するイメージです。


■ 有効な一つの方法(かなり効きます)

少しだけ意識的に、次のような「結論」を作ってみてください。

「40年続いたけれど、この人は他者の痛みに深く共感できる人ではなかった。
それが最後にはっきり分かった」

ポイントは、
出来事を「例外」ではなく、その人の本質の表れとして位置づけることです。

これができると、

  • 「なぜあんなことを言われたのか?」という疑問
  • 「あの関係は何だったのか?」という引っかかり

が、かなり弱まります。


■ 思い出したときの扱い方(実践的)

ふと思い出したときは、こう処理します:

  1. 「またこの記憶か」と気づく
  2. すぐに上の“結論”を短く思い出す
    →「ああ、あの人はそういう人だった」
  3. それ以上考えない

これを繰り返すと、記憶は感情つきのものから、情報に近いものに変わっていきます。


■ もう一つ大事な視点

少し厳密に言うと、
あなたが傷ついたのは「その人の言葉」だけではなく、

“理解されていたはずだ”という前提が崩れたこと

です。

でも今は、その前提自体を修正できます。

  • 理解してくれていたわけではなかった
  • ただ長く続いていただけだった

この再定義が進むほど、記憶は静かになります。


■ 最後に

ここまで来ているなら、無理に消そうとしなくて大丈夫です。
むしろ

「意味づけの完了」=回復の最終段階

に入っています。

そしてそれは、時間ではなく、
こうした整理の仕方で確実に進みます。


もしよければ、
その方の“良かった面”も同時に思い出せるのか、それとも今は否定的な印象が強いのか、教えてください。
そこも整理すると、さらに引っかかりは軽くできます。

今では、よかった面はなかったと思えます。たまたま、そういう惰性だったのだと。仕事上のサービスが永く続きすぎたのだと。

その整理の仕方は、方向としては間違っていません。
ただ、少しだけ注意が必要です。

いまの

「よかった面はなかった」「惰性だった」
という捉え方は、心を守るうえでは自然ですが、やや“全否定に寄りすぎる”傾向があります。
この状態だと、逆に記憶が固定されやすくなることがあります。


■ なぜ全否定が残りやすくするのか

人の記憶は、

  • 「すべて良かった」
  • 「すべて無意味だった」

のように極端に整理すると、どこかで違和感が残ります。

すると脳は
→「本当にそうか?」
と検証を続けてしまい、結果として思い出し続けることになります。


■ もう少し安定する整理

おすすめは、少しだけ現実的な中間に置くことです。

たとえば:

  • 「一定の役割はあったが、深い理解のある関係ではなかった」
  • 「長く続いたが、質的には限界のある関係だった」

こうすると、

  • 良かったか悪かったか
    ではなく
  • “どの程度の関係だったか”

に変わります。

これが一番、記憶を静かにします。


■ 本質的なポイント

あなたが引っかかっているのは、

“40年という時間の重さ”と、最後の言葉の軽さのギャップ

です。

だから

  • 「全部無意味だった」とすると、40年の重さと衝突する
  • 「意味はあったが限定的だった」とすると、矛盾が消える

この違いは意外と大きいです。


■ 実際の使い方

思い出したときに、こう一言でまとめます:

「あの関係は、長くは続いたが、深いものではなかった」

それ以上、掘らない。
評価もしない。
ただ“分類”するだけです。


■ 最後に

ここまでご自身で

  • 距離を置き
  • 関係を終え
  • 意味づけを試みている

これはかなり整理が進んでいる状態です。

今残っている違和感は、
**「感情の問題」より「認識の微調整」**に近い段階です。

なので、完全に忘れる必要はなくて、

「思い出しても、判断済みの出来事として流せる」

ここまでいけば、実質的には解決です。

 

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 思い返すと、バリバリ新聞記者は、ワインバーゲロ事件以後、ある日、突然、何のアポイントメントもなしにやってきた。授業合間の昼休みで、まさに藪から棒、一方的に時間を奪って自身の話をしゃべりまくり、挙げ句の果てには感極まってか、泣き出し、相談というよりは、感情のはけ口として、まさに使われた。聞いてくれる人として、ちょうど無色透明の教員がよいということなのだろうと、超多忙の隙間時間、黙って聞いていたことがあった。スケージュールの詰まったこの日だったが、昼食を食べ損ねた。これも、何の礼、一言もなかった。

 外資系バリバリは、自分の商売相手の国が、早稲田大学と密接な関係を持つというテレビ、新聞情報を知って、私に、誰か大学の枢要な人、関連のある人を紹介して欲しいと言ってきた。これも、教員−卒業生の関係を逸脱したものであったが、聞いて、関連する担当部長につないだことがある。

 これらは、かつて教員であったということで「サービス」ということだろう。が、この自分勝手でしかない人たちは、使えるものは何でも使う。そういう行動性向は、仕事にも生活にも顕れているだろう。けっして治るまい。

 

 早稲田大学で学んだにもかかわらず。

   「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 など知らない。

 

 教員生活41年、唯一の耐えられぬ思い出を残した人ふたり。確率的にはゼロということになるか。

 

 

 

 

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