狩勝信号場


根室本線 明治40年開業:昭和41年新線建設による路線変更のため消滅





大畑、姨捨と並んで、日本三大車窓風景と呼ばれた、狩勝峠。 昭和41年10月1日に新線に切り替わったが、 旧線末期には、D51、C57、C58の牽引する列車が、D51の後部補機と共に、 最小半径179mのカーブと25パーミルの勾配が連なるこの難所に挑んだ。 なお、よく写真で見られるΩカーブ連続の狩勝旧線風景は、狩勝トンネルの東側(新内側)であるが、 信号場はトンネルの反対側出口(落合側)に位置した。 すでに廃止から30年以上経過しているが、 スイッチバック構内は、今も痕跡をしっかり留めているようである。
*写真は、すべて杉江弘氏(昭和40年冬〜41年夏に撮影)である。 キハ82系の「おおぞら」などに交じって、 その後、日本最後の旅客列車を牽いたことで有名になったC57135号機の姿も見られる。 それにしても、なんとまあ、悠々たるスイッチバックであろうか。 何もない山合いに、鉄道に携わる人々が一大集落を作り暮らしている光景は、 改めて、この峠が、石狩と十勝を結ぶ交通の要衝であったことを思い知らさせる。



*「江田」「岩波」等、貴重なSL時代のスイッチバックの姿を、数多く記録された 大矢真吉氏から、当信号場の写真が届いたので、ここで紹介させていただく。
信号場を出発し、狩勝トンネルに進入する 下り釧路行き各停列車(本務機=C57、後補機=D51)。
撮影時期は、昭和41年2月1日、杉江氏と同じく、同信号場最晩年の姿である。


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