Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years' Sprint

七年目(4)



 リハーサル終了から二日おいて、ついにツアーが再開した。最初の一ヵ月は調整期間ということで、中断前の全米公演ペースである、四連続の後一日休み、そのあと三連続で、また一日休みという、九日間で七回をいきなりやるのではなく、九日を一サイクルとして、最初のサイクルは四回の公演、それから一回ずつ増やしていくという日程が取られていたし、最初の十八日間はランニングリストから一曲落として、インストのみの時間を少し長くとっている。
 復帰ツアーの最初を飾ったのは、地元トロントのスタジアム。ここで二晩、ただ連続ではなく、一日間を置いてある。それからカナダ中心に二週間ほど回った後、アメリカへ南下する。スタジアムは定員五万、二日で十万人入るのだが、今回はそれでもチケット入手が困難で、アリーナ席前方には相当なプレミアがついたという話もきいていた。初日はライヴビューイングで、世界各地に中継される予定でもあった。おかげでバックステージにまでカメラが入りこんではりつかれ、僕も含め、みなは結構緊張した面持ちだった。
 ただいつものごとく、いちばん復帰が注目されているはずのエアリィが、いちばん緊張していないように見える。普段のステージ前とほぼ同じように振舞い、再びステージに立てること、それも以前と変わらぬ、いや、それ以上の期待と熱気を持って迎えられているという事実に、その思いを聞かれた時も、いつものようにちょっと笑って「ありがと。僕もここに戻って来れて、本当によかった」と、それだけ答えた。美辞麗句は必要ない。それが彼の偽らぬ気持ちであろうし、また僕らみんなの思いでもあるのだろうから。
 前作のツアー後半から、僕らはサポートアクトを置いていない。途中休憩を挟んで二部構成でやる、An Evening with――単独形式だ。僕個人の感想を言うなら、その方がずっと気楽だった。サポートバンドのメンバーやスタッフに気を使わなくてすむし、いくら排他的と言われても、やっぱりツアーの同行者は、みな顔見知りという環境の方が快適だ。オープニングにはローレンスさんのバンド、Swifterの曲を使い、CGを使った導入ビデオを流す。それが終わったら、いよいよ僕らの出番だ。
 まだ客席のライトが消えないうちから、BGMを打ち消すように、とどろくような大歓声がバックステージまで聞こえてきていた。やがて激しいバンド名の連呼が始まる。いや、待て。バンド名だけでなく、個人コールも相当入り混じっている。響きが似ているから、何がなんだかわからないくらい渾然一体として聞こえるが。だが、どっちがどっちだってかまいはしない。
 楽屋で待機している僕たちは、すでに全員ステージに上がる準備ができていた。復活コンサート最初の衣装、ステージマネージャーのフォーリー女史とも協議して決めたものは、『Scarlet Mission』の音楽ビデオで着たコスチューム。黒と銀、白と金のあの衣装だ。休憩後の二部では、別の衣装に着替えるが。
 僕の服は黒のベルベットで出来ていて、適度な緩みを持ったシルエットだ。襟ぐりはラウンドネックで、七部袖。襟と袖に銀色のライン飾りがかなり派手に入り、胸にも銀色のスパンコールが飛んでいる。ボトムスも黒のベルベット、ストレートシルエットで、裾にやはり銀のライン飾りが入っている。夏には暑そうなので遠慮したいが、この気温にはちょうどいい。ライトの熱があるから、そのうちに暑くなることは覚悟しないといけないが。ロビンも黒地で銀のふち飾りが入った服だが、素材はウールジャージで、デザインも僕よりさらにストレートのラインを強調した、シンプルなものだ。ジョージは半袖のジャンプスーツ、素材はウールジャガード。襟と袖口、裾に銀のモール飾りが入っている。ミックもふちに銀色が入った、ベロアでできた黒いブラウスに、サージの幅広ズボン姿だ。
 四人が黒一色。銀色のアクセントは入るにせよ、これはステージのヴィジュアルを考えると、ちょっと冒険かもしれない。インパクトは強いだろうが。その中で、白一色のエアリィはやっぱり目立つ。ベロア系の生地でできた純白のオーバーブラウスは、ふわりとしたシルエットで、太ももまでの丈がある。金色のライン飾りがVカットの襟元と、広がった袖口、裾についている。ボトムスはストレッチ素材で、サテン系の生地だ。レギンスといっていいほど細く、僕は腕を通してちょうどいいくらい、ジョージやミックはなにをかいわんや、というほどの代物である。ボトムスはライン飾りでなく、裾に金のボタンがついている。
「その衣装に羽根をつけて、本当に天使ルックで現れてもいいかもしれないわね。復活にふさわしく」などと、ステージマネージャーのレイチェル・フォーリー女史が微笑みながら、冗談のような意見も口にした。
「えー、やだ、それ、すごく恥ずかしい、っていうか、狙いすぎ! まるでホントに死んだみたいな感じだし」と、エアリィは笑って首を振っていたが。
 そう、そんな派手なギミックを、僕らは本来歓迎しない。フォーリー女史も軽い冗談だったのだろう。だが、死の淵から奇跡の生還を遂げた彼には、たとえそんな演出をかけなくとも、会場中の人たちが見えざる翼をその背中に見るかもしれない、そんな気もする。

 会場のライトが消えた。歓声がドーム内に反響し、耳を揺るがす轟音となって会場中を包み込んでいく。ステージ上方にある三枚のスクリーンに、一分半のCGを使ったオープニングビデオが流れる。その中、まだ暗いステージ上にインストの四人がスタンバイする。暗い中に黒い衣装で、まるで闇夜のからすだ──そんな思いを感じて苦笑しながら、僕は合図を待った。僕らは今ではすっかり主流になった、インナーイヤー形のモニターは使わない。昔ながらのモニタースピーカーで、お互いの音を聞いている。自分の音も、みなの音も、そして客席の歓声も渾然一体となった、その空間が好きだから。それでも自分の音を見失うことはない。歌詞モニターも使わない。エアリィには歌詞を忘れるなど、ありえないことだから。時々アドリブを入れることがあるが。セットリスト表は一応ジョージのドラムセット脇と、ミックのキーボード上に置いてあるが、ほとんど見ることはない。
 オープニングビデオが終わり、音響、照明、ヴィジュアル、モニター、四部門のエンジニアたちがヘッドフォンマイクを通じて、お互いにスタンバイを確認した後、ステージのそでに待機したフォーリー女史が(彼女の姿は暗くともかすかに見える)、ステージ上の僕らに合図を送る。同時に僕は右腕を振り上げ、ギターをグラインドさせた。頭の上に、ピンスポットが落ちてくる。観客たちは一瞬の沈黙の後、歓声のヴォリュームを上げる。僕はひとしきり激しくギターをかき鳴らし、ステージのライトが、ぱっといっせいについた。ますます高まる歓声の中、軽いインストのジャミングをはさんでオープニング曲──『Vanishing Illusions』の一曲目、『Turning the Scale』へと続く。
 この作品はこのままの形、十二曲揃ってのメッセージがあるゆえに、アルバム完全再演という形にならざるをえない。そして本来は、VI完全再演は第二部の頭から始める。前年の北米やヨーロッパはそうだったし、今後もそれは変わらない。ただ、復活第一夜の今夜だけは、あえて第一部、オープニングから持ってくることにしていた。衣装に合わせて、とも言えるが、問題作ゆえの中断だったので、あえてこういう形で復活にした、という意味合いも込めている。本来の第一部頭からの十二曲は、今夜だけは第二部になる。ちょうど一部と二部の頭の十二曲を交換した形だ。
 オープニング曲のイントロが終わりに近付くと同時に、エアリィがステージの左サイドから中央に走り出て、下に置かれたマイクを拾い上げ、同時にイントロが終わる。完璧なタイミングだ。
 やっと戻ってきたんだ、この場所に──彼は戻ってきた。僕らも戻ってこられた。深い感慨が走り抜けた。もうこの時は来ないかもしれないと、この冬いくたび暗い気持ちで思ったことだろう。だがアーディス・レインは帰ってきた。以前と同じ、いや、さらにパワーアップした稀代のスーパーシンガー、完璧なコミュニケーター、導師として。恐ろしいほどの力、しかしそれでも、決して負の方向には持っていかない。まるで竜巻に巻き込まれたように、強烈な陶酔へといざなっていく。
 曲は『Fallin'』『One Night Stand』と、アルバムの順番どおりに続き、最初のMCの前に一瞬できた沈黙、その静寂が数秒続いた後、まるで会場中が爆発したように、我にかえった観客たちが歓声を上げた。ドームの屋根がふっとびそうなほど、すさまじい響き。すべての音をかき消してしまうようなヴォリュームだ。それに続いて、歓声が言葉に変わった。それは最初バンドの名前かと思ったが、違う。エアレースではなく、エアリィだ。男ファンたちが呼んでいる通称『AR』エーアーと聞こえる響きも入り混じって。それがさらに変わっていった。アーディス・レイン――彼の名前が連呼されるのは別に珍しい光景ではないが、これだけの音量の凄まじい個人コールも初めてだ。叫びながら、観客はみな泣いているようだった。復活への歓喜、この冬悩み続けた不安――僕らが感じた思いは、ファンたちの思いでもあったことを、改めて感じた。
 オープニングMCを始めようとしていたエアリィは、この響きと感情の大きな波に、一瞬圧倒されてしまったかのようだった。マイクスタンドに片手をかけたまま、少し驚いたような表情で観客たちを見ている。僕はつかつかとそこまで行って、肩を叩いた。
「エアリィ、早く何か言えよ。みんな、おまえの復帰第一声を待ってるんだからさ」
「あ……ああ、うん……」
 彼は少々躊躇したような顔だったが、すぐ頷き、大きく息を吸い込んでから、片手を上げた。明瞭な声が観客の激しい歓声を突き抜けて、力強く響いていく。
「ありがとう、みんな! 心配かけてごめん! そして、たくさんの祈りをありがとう! 僕はここに、みんなと一緒に戻ってこられて、本当に嬉しい! これからもずっと、みんなと一緒に行けたら良いな!」
 それに対する観客たちの返事は、幾重にもダブり、膨れ上がって、個々の言葉は聞き取れない。歓喜のうねり――津波のような。その歓声が少し落ち着いたころあいを見計らって、エアリィは少しトーンを落として言葉を継いだ。
「みんな気づいてると思うけど、今日だけ『Vanishing Illusions』の再演を、最初に持ってくることにしたんだ。このアルバムゆえの中断だったから。でも僕たちは、この作品に誇りを持ってる。だから、これが僕たちの答えなんだ。次の曲は『Secret Desire』」
 以前にも増して返って来た激しい歓声の中、僕たちは次の曲を弾き出した。アルバム四曲目へ。演奏中は、歓声はかなりヴォリュームダウンする。エアリィが歌い出すと、観客たちはもはや叫ばない。共有し、共感し、巻きこまれる。観客たちは身体を揺らし、リズムを取り、ステップを踏み、腕を振り上げ、その場でジャンプし、時には一緒に歌っている。泣きながら、笑いながら、陶酔した表情で。そう、かつてある雑誌のレビュワーが書いたように、その観客たちの動きは会場中で一致している。定番の動作ではなく、練習したわけでもない。同じ曲でも、その時によって変わる部分もあるから。会場中、誰もその場を離れず、みながいっせいに同じ動作をしているようだ。それをそのレビュワーは『巨大な集団マリオネット』と書いたが、それは違う。それはシンクロニシティ――意識スペースの共有なのだろうと、僕は思う。そして曲が終了すると、それは激しい歓声へと変わる。ドームをふっ飛ばしそうなほどに。
 コンサートは進行していった。そのまま『Talk to the Nature』まで最新アルバムを完全演奏したあと、五分間のギターソロと、十二分のインストブレイク。激流はいったん穏やかになり、この間に観客たちのテンションもいくぶん落ち着いてくる。シンクロニシティは途切れ、普通の盛り上がったコンサート的なノリになる。スマートフォンを取り出している人も、ちらほら現われる。しかし五人に戻ると、再び別次元に飛んでいく。
 二十分の休憩を挟み、第二部は本来の第一部から、十二曲。前作『Eureka』アルバムの一曲目、『One on the Action』から始まり、九曲終わったところで、また十二分ほどインストブレイク。それから残り三曲、さらに終盤に向けて、熱気は最高潮に達する。そして、アンコール。
「今夜は来てくれて本当にありがとう! 楽しんでくれたら嬉しいな! おやすみ! 気をつけて帰って! いつかまた会おうね!!」と、エアリィが観客たちに告げ──これは終演を宣言するMCだ──その間に、みんな最高!とかホントに素晴らしかったよ! 力をくれてありがとう! などの、観客たちへの言葉が入る。バリエーションはあるが、それはいつも超肯定的な感謝の言葉になる。翌日が平日の場合は、明日に響かないようにね、とも言ったりする。
 僕らがステージから去り、客席に再び照明がついて明るくなっても、観客たちはなお叫び続けていた。激しいコールに送られて楽屋へ引き揚げながら、僕もまた深い陶酔と歓びに浸っていた。この瞬間が再び味わえたこと、そしてこれからも、ずっと繰り返されていくだろうという予感に。それはきっと、全員の思いだっただろう。

 この夜を皮切りに、ツアーは再び進んでいった。調整期間が無事終わると、五月上旬からはフル可動となる。同じ月の下旬にシカゴを訪れた時、二日連続公演の初日に、僕は約束通りホッブス兄妹との再会を果たした。ジョン、ローラ、チャーリー、アニー、それに彼らの友人九人がそろってバックステージを訪れ、開演前、僕はプレスの取材用に用意されている小部屋の一つで、彼らに会ったのだった。
 彼らは一月に会った通りの印象だが、服装は精一杯おしゃれをしてきた、ということが一目見ただけでわかる。ローラはそばかすを塗りつぶすくらいの勢いで、ばっちりお化粧をし、髪の毛も美容院でセットしたてという感じで、新調したらしい、クリーム色の地に小花模様を散らしたワンピースを着込んでいる。チャールズもバンドTシャツの上にアクセサリーを一杯つけたジーパンとベスト、髪の毛もきっちり固めた感じだ。ジョンさえもが、チャーリーと同じような服装をしている。アニーもおしろいと口紅をつけ、水玉模様の赤いワンピースを着込み、髪も巻いてセットしてある。友人たちは初対面だが、ジョンの女友達ケリーと親友ピーターは、服装はしっかり決めているが、二人とも落ちついた印象を受けたこと、ローラの三人の友達は彼女と同じくらい、お化粧も服装も気合が入っていて、いかにもティーンエイジャーの女の子らしい活気を発散していたこと、チャーリーのバンドメイトたちはみんな髪を伸ばし、ミュージシャンのたまごという雰囲気を漂わせていたこと。バンドの紅一点フィーナもバンドTシャツの上にレースのジャケット、ペンダントを三つくらいさげ、ジーンズ姿で、頭に大きなリボンをつけ、かなりしっかりとお化粧をしている。そしてチャーリーに「あれー? フィーナ、今日はコスプレしないのか?」と聞かれると、一オクターブくらい跳ね上がった声で、「だって本人に会うのよ?! 無理! あー、でも信じられない!! どうしよう!」と、ぴょんぴょん跳びはねながら、顔を赤くして答えていた。そうか。この子は僕たちのトリビュートバンドでヴォーカルをしているというから、ステージではエアリィに近いスタイルなのかもしれない、だからコスプレ――なりきり仮装か。さすがに本人の前では抵抗があるのだろうな、と納得しつつ、彼らのあまりの気合の入れようと興奮ぶりに、こっちまで面映くなってしまいそうだ。 みな口をそろえて、「今日は朝から興奮して、何も食べられない。でも、ぜんぜんお腹がすかない」と言ってさえいる。コンサートが終わって帰るころに、全員空腹で倒れなければ良いが。
 僕は彼らとひとしきり握手と言葉を交わし、サインを書いた後、彼らの要望にこたえて、エアリィにも部屋に来て会ってもらった。僕ら二人が同時に行くのではなく、時間差になったわけは、彼には大手新聞社からの取材が入っていたからだ。
「へえ、マイクの弟妹? 僕も会いにいくの? うん、いいよ。わかった」と快く承知してくれていたが、実際会った時の相手の反応は見物だった。
「すっげぇ、オーラがやばい! ホントに桁はずれだぁ!!」と、チャールズは素っ頓狂な声で叫び、女の子たちはぽかーんと見つめた後、異常なくらいキャーキャーとはしゃぎ出す。いっせいにしゃべりだすので、何がなんだか、個々の言葉は聞き取れないくらいだ。なんとか僕にもわかったのが、「復活おめでとうございます! ホントに良かった!!」「三月まで本当に、眠れないくらい心配しました!」「本当に、本当に、本当に!!」「触らせてください!!」――あとはもう、本当に言葉になっていない。ローラの友達の一人とフィーナは、実際卒倒しかけたほどだ。マイクの方がたまりかねて、「いいかげんに、そういう恥ずかしい反応はやめてくれ!」と叫んだほどだった。
 エアリィは相手の反応に少しびっくりしている感じではあったが、慣れてもいるのだろう。「ありがとう」と少し肩をすくめて、ちょっと照れたように言った後、ずらっと目の前に並んだ十三人の男女に向かって、右端から一人ずつ話しかけ始めた。名前を聞いて、「初めまして、よろしくね」と言い、一言二言しゃべって握手をし、サインを書く。僕らはやったことはないが、そのさまはMeet&Greetさながらだ。
 相手の方はがちがちに緊張しているのが丸見えで、女性陣など、今にも失神しそうな気配だ。アニーでさえ、本当に嬉しそうににっこりと笑い、手を伸ばして彼の頬に触れ、そして小さな声を上げた。「はい……ありがとう。うれしい」と。彼女の声を聞いたのは初めてだったが、兄弟たちさえそうだったらしい。ジョン、ローラ、チャーリー、そしてマイクまでもが「アニーがしゃべった!」と声を上げていたから。それはほんの少し低いトーンの、柔らかい声だった。後で聞いた話では、彼女が口をきいたのは、この時だけだったらしい。
 エアリィが部屋に入ってくる前の、僕の目の前での、女の子たちの興奮しきったおしゃべり――「ねーねー、あたし、おかしくない? 変じゃない? 髪の毛乱れてない?」「私もお化粧崩れてない? ねえねえ」「あー、もうちょっと決めたかったあ!」――などから察するに、彼女たちが気合を入れておしゃれをしてきたのは、もちろん僕も入っているには違いないが、メインは彼に会う時、恥ずかしくないためになのだと知った。もっともエアリィの方は相手がぼさぼさ頭ですっぴんの普段着だろうが、ばっちり衣装もメイクも決めていようが、たいして気にはしていないだろうが。実際、僕もそうだ。そんな彼ら彼女らの様子に、(僕の時とは、テンションが二段階くらい違うな)とは思ったが、不思議と気分は波立たなかった。以前はかすかに心の奥底で、チクっとしたものだが。ただ、エアリィの取材が終わった時点で一緒に行くという選択肢を僕が選ばなかったのは、僕ら二人が同時に行ったら、自分の影が薄くなりそうだな、と思ったせいもあるだろう。僕もまだ、完全には虚栄心を捨てられないようだ。
 彼ら彼女らの反応を見ているうちに、ふとニコレットが言っていた言葉を思い出した。
『エアリィは偶像なんですよね。アーディス・レインというアイコン。会っても、まともに話せるかどうか、自信ないですし』
 だが当の本人は絶対に、このアイコン扱いは嫌だろうな、とも思えた。膨らみすぎたイメージは、生身の人間としての自然なコンタクトを妨げるかもしれない。僕も多かれ少なかれ、そういう虚像を持たれているとは思うが、ここまで極端ではないだろうことが、かえって少しありがたく感じたりもした。
 彼らは僕ら二人とともに、みなで写真を撮った後ゲストシートへ戻り、僕らは楽屋に帰った。背後で、女の子たち――ローラとその友達にフィーナ、さらにケリーまでが加わった六人の、がやがやしたおしゃべりが聞こえてくる。
「あー、すごく舞い上がって、何も話せなかったぁ! 残念! でも、うれしーい!」「本当、サインももらえたし握手したし、話しかけてくれたし。もうあたし、明日死んでも悔いないわ!」「実物、やっぱりすごく美しかったぁ!」「本当、見とれちゃった〜」「宝物よね。サインと写真」「あたし、もう手は洗わないわ」――それに男の子たちの声が混ざるが、言葉は聞き取れない。ただ、しきりに感嘆しているようなトーンだけはわかる。そしてあとは渾然一体となった音の塊となり、遠ざかって消えていった。
 マイク・ホッブスは後ろを振り返り、「おい、まだ聞こえてる! もうちょっと離れてから話してくれ。お二人に失礼だ」と言った後(彼女たちには、まったく届いていなかったが)、「すみません、お二人とも、本当にお騒がせしました。本当にありがとうございました!」を連発しながら、僕らのあとについてきた。そしてエアリィと一緒に来たセキュリティ仲間のジャクソンに、「大変だな、お兄ちゃん!」などと、からかわれていた。それは全米ツアーの、小さな間奏曲だった。

 夏になるころには南北アメリカが終わり、十日間のオフを挟んで、のびのびになっていたアジア・オセアニアツアーが始まった。どこへ行っても以前と変わらぬ、いやそれ以上の熱気と歓迎の中、日々は過ぎていく。妨害や嫌がらせもあいかわらずあるが、前半と比べれば中断後の後半は、減っているようだ。会場警備は恐ろしく厳重であることは変わりないし、ホテルの警備も同様になっていて、常に警察が、不審人物がまわりにいないかどうかチェックしている。会場の敷地内には、ぐるっと広く境界ロープが張られ、駐車場内も含めて、数箇所に作った出入り口でチケットを確認される。チケットのない人は、そこで門前払いとなり、ロープの内側には入れない。ファンたちも結束し、自衛団的なものさえ作られていると聞く。大きな事件がないのは、そういった積み重ねが功を奏しているのかもしれない。
 今度のアルバムが巻き起こした一連の大騒ぎ、とどめは世界中をうならせた『Green Aid21』から十日もたたないうちに起きた、暗殺未遂事件。それがバンドの知名度をさらに引き上げ、一般報道番組までが、それに関連して僕らの音楽をバックに流したため、結果として思わぬことが起きた。今までの僕らのメインファン層は十代から二十代で、その上の世代もいないわけではなかったが、全体の一割半弱――そういう認識だったのだが、この半年余りの間に三十代以上のファンがかなり増加したという。ファンたちが親世代と反発ではなく対話しようという姿勢になって、その過程で僕らの音楽を聞かせる、ということもあったらしい。その結果、対大人として個人レベルで対立していたものが、徐々に解消されていったらしい。親世代も、こちら側にくることによって。そんな現象が起きてしまったのだ。だが僕らにとっては、対立の一部解消はたしかにほっとしたが、これ以上の飛躍はまったく望んでいなかっただけに、戸惑いも大きいのも事実だ。ことに、エアリィはその最たるものだろう。バンドの、と書いたが、その中心は常に彼であったことは言うまでもないことだから。世代を超えて響く、強力な音楽の力に加え、かなり上の世代たちにとっての『ステア様』――祖父である映画俳優アリステア・ローゼンスタイナーのファン地盤を、かなり引き継いだこともあるのだろう。エアリィがその孫であることも、報道加熱するうちにファンたちの親世代(その全盛期を知っている人たち)にも、普通に知られるようになったらしいからだ。
 でも僕の気持ちはもう波立たない。エアリィのステータスや僕の評価がどうであろうと、バンドとしてみんなが協力して成り立っているのだという意識が、僕ら五人の心にあるかぎり、バンドの成功は僕ら全員の成功だ。それは降伏でも妬みでもない、一種の同化意識なのだろう。僕らは一つの共同体なのだという確固とした認識を持ち、その中で僕は自分自身のベストを尽くすことに、心から歓びと興奮を感じることができる。その幸福感は何物にも代え難いほど大きい。
(光と影、陽と陰、それを字面の印象だけで、受け取らないでください。それは紙の裏表、もしくは男と女のように、それぞれの役割において必要不可欠な対なのですから)
 あの幻影の言葉を、僕はふと思い出した。そしてやっと、心から同意できた。思えばバンドが大成功して以来、この意識に完全にたどりつくまでの四、五年間。僕にとって、長い道程だったような気がする。

 八月の終わりに、僕らは最終公演地ロンドンにやってきた。突然の事件でキャンセルされた最終公演。それは十ヶ月近く遅れて、やっと実現されることになった。せっかくロンドンまで来たのだから、一回きりではもったいないというプロモーターの熱心な説得のせいで、結局スタジアムで四日続けてやることになってしまったが。
 その最終日に、僕はフロア最前列の上手、僕の立ち位置の前にいるニコレット・リースと再会したのだった。ゲスト席はステージから十数メートル離れているので、彼女の姿があまりよく見えない。それで僕は主催者に頼んで、特別にこの位置の二席を押さえてもらったのだ。
 ニコレットは去年の十二月に別れた時よりも、落ちついた印象を受けた。長い黒髪を編み上げ、白い花飾りで押さえて、白いブラウスにラメの入った黒のスカート姿だ。きらきら光る大きな黒っぽい瞳は変わらないが、頬紅の差し方や口紅の色が、以前よりかなり洗練された雰囲気を漂わせている。隣には二二、三才くらいの実直そうな青年が立っていた。寄り添って一緒にステージを見上げている。彼女の恋人だろうか。
 ほっと安堵のため息が漏れた。僕の愚かさから、傷つけてしまった乙女。彼女は今、新たな恋を得て、旅立とうとしているのか。僕は思わず言葉をかけたくなった。『久しぶりだね。幸せそうで良かった』と。しかし、もちろんそんなことはできないし、言ったとしてもこの中では聞こえないだろう。僕の気持ちを言葉に出さず、二人にしかわからない方法で、伝え得ることはできないだろうか。
 一部と二部の間の休憩時間に、僕はみなに頼んだ。彼女の思い出の『Cascade』と、それに僕たちの思い出と今の気持ちにふさわしい、最新アルバムからの曲『One Night Stand』を特別に演奏したいと。その理由も簡単に話した。だが、最新アルバムはまとめて十二曲の完全演奏だから、そこに他の曲を入れるわけにはいかない。
「じゃ、セカンドアンコールでやる? 『One Night〜』二回やることになっちゃうけど」
 エアリィは一瞬考えるような沈黙の後、そう提案してきた。
「そうだな。それが一番良い位置かも」僕は頷いた。
「なんか言った方がいい? それともジャスティンが言う?」
「言わないよ! おまえも、余計なことは言わないでくれ。まあ、唐突のセカンドアンコールでその選曲だと、他のお客が違和感抱きそうだから……そうだな、僕の要望だ、とだけは言ってもかまわないが」
「ジャスティンの特別な誰かに捧げますって?」
「おい、余計なことは言うなって、言ったじゃないか。それじゃ、あからさま過ぎるだろ! 『ジャスティンの要望で、特別にセカンドアンコールをやることにしました』くらいにしておいてくれよ」
「わかった。初めにそう言っとけば良いか。それで演奏スタート、と」
「まあ、それはそれで憶測を呼びそうだけどな。でもまあ、奥さんはネット見ていないなら、ばれないか。それにしても、『Cascade』は今回やってないからなあ。その前のツアーでも前半はやらなかったし、後半はオルタネートだからな。ちとブランクあるぜ。せめてリハの時に言ってくれれば、練習できたがな」
 ジョージは少し不安げに首をひねっている。
「ごめん、そうだね」僕も後悔したが、もう遅い。
 みなの了承を得てから、僕はスタッフルームに行き、その旨を伝えた。
 ショウの本編が終わり、アンコールへ。本来これで終わりなのだが、今夜だけはセカンド・アンコールを行う。最初は『Cascade』――二年ぶりの演奏だったが、ブランクは関係ない出来だ。一度最初のフレーズを弾いたあとは、身体が覚えている。ジョージやミック、ロビンも幸い同じだったようだ。
 そして曲は今日二回目の演奏となる、『One Night Stand』へ。僕はギターを弾きながら、じっと彼女を見つめていた。ニコレットも、自分のためにこの二曲が演奏されたのだということを――このセカンドアンコール自体が、彼女だけに捧げたものであることを、知ったのだろう。大きな目を見開いて僕の方をじっと見たまま、両手をしっかり握り締めて、身じろぎもせずに立っている。

 君と僕の出会いは、束の間の夢だったね
 君は僕に幻想を投影し
 僕は君にやすらぎを求めた
 あのひとときは真実
 たしかにそう言えるけれど
 二つの流れが一瞬交差しただけ
 お互いに行く先は違うから

 さよなら 一夜の恋人
 すべては夢、そして幻
 ゆっくりと薄れていく陽炎
 さよなら 束の間のファンタシー
 僕たちはその時愛し合い
 また違う道を行く
 時の流れに消えていく記憶のかけら

 そんなこともあったねと
 いつか懐かしく思うだろうか
 瞬間の煌き
 一夜の熱狂
 流れすぎていく思い

 バイバイ、一夜の恋人
 楽しい思い出をありがとう
 また僕たちの道は交わることもあるかもしれないけれど
 もう会えないかもしれないね
 でも、君に出会えてよかった
 さようなら、元気でね

 これは、一見行き刷りの恋を歌ったものだが、本来は『Scarlet Mission』と同じ、ラブソングの形をとった隠れテーマの曲だ。『一夜の恋人』は、流行、もしくはファッションを意味する。一回目、第二部のアルバム完全再演中は、その意味だけで伝わってきた。しかし、二回目は明らかに違う。文字通りの意味――僕の思いを反映したかのように。
 僕たちの場合は一夜の付き合いではないけれど、やっぱり束の間の夢だった。僕は彼女にありきたりの『今でも愛してる』というフレーズは言えない。どんなに非難されても、それはやはり真実ではないし、かえって彼女を過去に縛り付けてしまう結果になってしまうだろう。だから僕はこの曲をニコレットに贈った。今の僕の気持ち――やさしい思い出に対する感謝と、少しばかりのほろ苦さ。そして束の間の夢を忘れて、早く真実の愛に目覚めてほしいという思いをこめて。その思いの中、ギターを弾いた。彼女との思い出。ホテルでの出会い、公園での再会、彼女の部屋で暮らした十日間。情景と感情がカレイドスコープのように心に展開し、僕の感情を煽り立て、胸を締めつける。ニコレットの半生や、彼女の思い、それさえもが心に飛び込み、揺さぶってくる。
(わたしはあなたを愛したことを、これっぽっちも後悔していない。貴重な思い出をありがとう。あなたはわたしの大事な人、そう、今でも。でもわたしは、この人を愛しているの、今では。彼は職場の先輩で、前からわたしを見守っていてくれたらしいわ。名前はカーティス・ロバートソン。わたしはカートと呼んでいるの……)
 えっ? 僕は一瞬びくっとして頭を上げた。ギターを弾く手は止まらないが、はっと軽い衝撃に見まわれたのだ。なんなんだ、今のは? どうして、そんなことまでわかる? 今、たしかにニコレットの声が聞こえたような気がした。同時に彼女のほうもはっとしたような表情になり、僕を見ている。一瞬、目が合った。
((ありがとう……))
 僕らの心の声が重なって響き合ったような気がした。
 曲は後半の間奏へと進む。ギターソロだ。僕はステージセンターに進み出、同時にエアリィがドラムセットの前まで後退しながら、僕に向かってちょっと笑い、指を軽く振った。(気持ち、ちゃんと伝わった? お互いに)――そんなニュアンスが感じられる。
 ああ、そうか――あれは彼が開いたマジック、歌を通じてのステージと観客席との感情のキャッチボール、シンクロナイズ、その一バリエーションとして、ニコレットと僕の間に一瞬、感情回路がつながったのだろう。そして僕は改めて気づいた。最後のスタンザ――これは、アルバム本来の歌詞じゃない。まるで僕の気持ちそのもの、それを言葉にして歌ったようなものだ。これは完全に僕のための『One Night Stand ver.2』とでも言うべきものなのだ。それゆえに、僕とニコレットの心がつながった――。
「ありがとう!」僕は声に出して言うと、もう一度ニコレットの方に向き直った。彼女は胸の前に両手を組み合わせ、まるで祈るように僕を凝視している。僕は自分の思いをすべてぶつけて、ソロを弾いた。
(ごめん。僕のやったことを許して欲しい。君がそれをただの思い出に替えて……あまり苦くないことを祈るけれど、今の新しい恋を、真実の恋を大事にして欲しい。来てくれてありがとう)
 僕は“共感”のマジックは使えない。僕は未踏の領域へは達し得ない人間だから。でもこの思いだけは伝わったと信じている。ニコレットただ一人にだけは。
 ステージライトの残照の中、ニコレットの目に涙が光っているのが見えた。彼女は僕を見、かすかに頷き、そっと手を振り、小さく微笑した。
(ありがとう……さようなら)
 声は聞こえないが、その表情は明らかにそう語っている。
 僕は彼女に向かって微笑んだ。同じ言葉を心の中で繰り返しながら。
 それ以降、ロンドンのコンサートでニコレットの姿を見かけることはなかった。ホテルやコンサート会場、空港に群がるギャラリーたちの中にも、もう彼女はいない。でも僕はそれからもロンドンに来るたびに、ニコレットの姿を探している自分に気づく。たとえ目には見えなくとも、僕は彼女の存在を感じる。なんとなく彼女はそっと遠くから見ているような気がしてしまう。僕の心の片隅にいつも佇んでいるように。

 最終公演が終わった。本来の予定から五ヵ月も遅れて、三回目のワールドツアーも終わりを迎えた。思わぬ中断で二回に分かれてしまったため、アルバムが出てから、もう一年と四ヵ月近くがたっていた。その間にかの問題作は空前のレコードセールスを記録し、ロンドンからトロントへ帰ってきた時も、空港にたくさんの出迎えがきている。その大騒ぎの中、僕らは再び家路に着いた。
 夏の名残の、よく晴れた暑い日だった。車から降り我が家の門をくぐると、小走りに出てくる息子と、その後ろから笑いかける妻の笑顔が迎えてくれた。僕の願っていた、最高の出迎え。待ちのぞんでいた我が家。ホームだ。これから二ヵ月間あまりは、またここにいられる。愛する家族と一緒に。




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