Part 1 of the Sacred Mother's Ring - The New World

第二章   異邦人(3)




 得体の知れない深い衝撃を感じて、僕は目覚めた。クリーム色の天井が近くにある。同じ色の壁と、ベッドの横にかけられた茶色のカーテンが見えた。最初は何の感情も起きなかった。自分がどこで寝ているのかすら、思い出せない。どこかのホテル? いや――。
 僕はゆっくりと起き上がった。ぐっすりと寝たせいだろう、疲労感は消えている。天井にくっつきそうなほど大きく伸びをしてから、僕はじっと眺めた。このベッドは──静かにカーテンを開け、小さなハシゴをつたって、床におりてみる。この部屋は──記憶がよみがえり、つながった。僕はまだここにいる。
「まだ、夢が終わっていないのか……」
 ソファにどんと座りながら、そんな呟きが漏れた。失望と苛立ちを感じた。いつになったら、目が覚めるのだろう。これだけ寝ても、まだ夢が覚めないなんて。考えたくはないけれど、もしかしたら本当に、これが現実なのだろうか――。
「ジャスティン……」
 小さな声がして、ロビンが僕の下段のベッドから出てきた。
「まだ起床時間より前だよ。君も早く目が覚めたの?」
「ああ、まだ七時半か」
 僕は時計に目をやって、頷いた。
 長い寝間着を着て近づいてくるロビンの姿を見ると、一瞬今の状況を忘れて、思わず吹き出しそうになる。でも、僕の隣に腰掛けて振り向いた彼の顔は、悲壮なほど真剣な表情をしていた。
「夢じゃなかったんだね」
 ロビンは小さくつぶやいた。
「まだわからないさ」
 自分の声は、どこかうつろに響いた。僕は首を振り、付け加えた。
「でも残念ながら、夢じゃないって言う可能性が、ずいぶん高くなったな」
「うん。すごくがっかりしたよ」
「僕もさ。でも、夢じゃないとしたら、ここはいったいどこなんだろう?」
「ニューヨークじゃないの?」
「それはわかってるよ。でも、どこの世界のニューヨークなんだろうな」
「パラレルワールドかな?」
 ロビンは首を傾げた。
「僕の読んだSF小説にも、そんなのがあったよ。自分たちが生きているのとは、違う世界が存在するって。別のタイムラインにある世界……平行世界が」
「これもその一種か? だけど、仮にそうだとしても、どこで分岐しているんだろう。今の僕たちの地球と同じ年代にしては、科学が発達しすぎている気がするし」
「平行世界じゃないとしたら、ここは未来世界なのかもね」
 ロビンはしばらく考えるように黙ったあと、天井に目をやった。
「僕、朝早くに目がさめて、まだここにいるってわかってから、ずっと考えていたんだ。これが夢じゃないのなら、この世界はなんなんだろうって。そう思ったら、未来だっていうのが、一番妥当な考えに思えてきたんだ。平行世界の未来かもしれないけれど、少なくとも、ここは僕たちがいた世界じゃない。それだけはたしかだし」
「そうだな……」
「でも……この世界は……とても恐ろしい未来世界かもしれない。そうも思えてきたんだ。ほら、ここに来る途中、ずっとすごい草原ばかりだったでしょう。それに、昨日くれた検査の紙……この日付の年号……紀元が違ってる。考えているうちに、恐ろしい仮定が出てきちゃたんだ。ひょっとしてこの世界は、過去になんらかの形で世界が滅びたあとに、できたんじゃないか。この新しい紀元は、その時を起点としているんじゃないかって」
「ええ? おまえ、それって、考えすぎじゃないか? SFの読みすぎだ……」
 僕は言葉を飲み込んだ。言われてみれば、たしかにそういう可能性も否定できない。あの大草原、断崖絶壁の海、クレバスのような川、巨大なバッタ、アトランタもフィラデルフィアも、ワシントンDCさえも存在しないアメリカ。人口一万人そこそこの小さなニューヨーク――たしかにありえる。そう思ったとたん、身体が冷たくなった。
「そんなバカな! 仮にそれが本当だったとしても、今はいったい、いつなんだよ。それに一回滅びるって言うのは、いったい、いつのことなんだ!?」
「そんなことは、わからないよ。本当に、僕の考えすぎかもしれないし。それに僕らの世界の延長上の未来かどうかも、わからないし。でも、もしここに長くいることになったら、きっとだんだんわかってくるよ」
「冗談じゃない。長くなんて、いてたまるか! 帰らなきゃ。ニューヨークのステージは、どうするんだよ! MSGは!」
 大声を上げてしまってから、はっと我にかえった。そんなことを言っても仕方がない。
「ごめんな、怒鳴ったりして」
「ううん。いいんだよ、ジャスティン。僕らみんな、まだ混乱しているんだよね」
 ロビンは首を振り、僕たちはしばらく黙った。

 ドアがすうっと音もなく開き、昨日見た(たぶん同じだろうと思う)マネキンのようなメイドロボットが入ってきた。片手に抱えた青いバスケット(スーパーにあるものと同じ感じだが、二回りくらい大きい)の中から洋服の束と、ビニールらしいものでパックされた六つの包みを取り出し、テーブルの上に置いている。
「お目覚めでしたか。おはようございます。着替えを持って参りました。それと一緒に、昨日皆様からお預かりしましたものを、お返しいたします」
「はい。おはようございます」
 相手はロボットでも、やっぱり習慣なんだろう。僕は挨拶を、しかもつい丁寧に返した。
 彼女は品物を出し終えたバスケットを床に置いた。そしてもう一つの手に持っていた青い板のようなものを広げた。こちらも同じようなカゴになった。
「あなたがたの持っておられる衣服をすべて、この中に入れておいてください。朝食を持ってくる際に、回収しますから。他の皆様にも、そうお伝えください」
「あの……全部ですか?」僕は聞いた。
「はい、そうです」
「ここでは、僕らは自分の服を着てはいけないんですか?」
「こちらの服装に着替えてください。ここに持ってまいりましたので。シンプソン様からのご命令です。ご了承ください」
「……わかりました」
 ロボット相手に議論をしても、しかたがない。僕はため息をつき、肩をすくめた。メイドロボットは、僕に目を向けた。カメラの目が、その姿をチェックしたようだ。
「あなたのその服も、脱いでこのカゴの中に入れてください。今夜からは、昨日用意しました就寝着でお休みください」
「わかりました」
 僕はなんとなく叱られたような気分になり、微かに肩をすくめながら答えた。
「じゃあ着替えますから、その前にシャワーを浴びたいんです。できますか?」
「シャワー室は洗面所の左側にあります。使い方はわかりますか?」
「いいえ」
「では、ご案内します。こちらへ」
 洗面所の左側の壁は、シャワー室のドアだったのか。洗面所のドアと違い、壁と同じ色だったので気づかなかったが、良く見ると、右側に小さな銀色のボタンがついている。メイドがそこを押すと、ドアが開いた。中はクリーム色のタイルを敷きつめた、普通のバスルームより、かなり狭い部屋だ。手前に薄い緑のプラスティックで出来た四角いかごが置いてあって、その向こうにクリーム色のバスタブらしきものが、縦に壁にはまっている。
「入る前に、この調整パネルを確認してください。湯温と強弱、洗浄剤の量、シャンプーをするかどうかを設定します。シャンプーをしない場合は、この下にヘッドカバーが入っていますから、それを被ってください。それが終わりましたら、服をすべて脱いでこの中に入り、こちらの赤いボタンを押してください。洗浄中は、目を開けないように注意してください。ヘッドカバーを使った場合は、元に戻してください」
 まさに機械的な口調で、彼女はそう説明した。僕は調整パネルに触れ、もう一度教えてくれるように頼み、ようやく納得した次第だった。

 アンドロイドのメイドが部屋から出ていってしまうと、ロビンと僕は顔を見合わせた。
「じゃあ、とりあえず、シャワーを浴びよう。助かったよ。昨日川を渡ってから、身体がべとべとして仕方がなかったんだ。髪もごわごわになったし」
「塩水だったものね。僕もそうだよ。でも、どの服に着替えたらいいのかな?」
 僕らはテーブルの上に置かれたものを見た。六個の包みは、僕らも知っている、透明なジップ付きビニール袋のようなものだ。袋には名前が書いてあったので、僕は自分のものを取り、中身を改めた。下着類と靴、それにズボンが入っていた。昨日シンプソン女史に渡した免許証やパスポートも、小さなジップ付き袋の中に入っている。トランクスとブリーフの中間のようなデザインの下着と、白いアンダーシャツ、靴下は二組ずつ用意されていた。それに、濃い灰色の細いズボン。上着の方はそれとは別に、束になっておかれている。全部同じサイズで、色はグレーが濃いのと薄いのと二着、茶色系が同じく濃淡で二色、灰色がかった青、くすんだ緑。地味な色ばかりだ。どれも無地で、襟もないし縁飾りもついていない。サイズは均一なので、好きに選んでくれということなのだろうか。そうなると早い者勝ちだ。僕はモスグリーン、ロビンはベージュを選び、交替でシャワーを浴びた。
「君から先にどうぞ」と言われたので、僕が最初にバスルームに行ったけれど、これも奇妙な体験だった。パネルで温度と勢い、洗剤量を調整し――お湯の温度は摂氏で設定、勢いは弱から強まで五段階ほどあり、洗剤量もゼロから多めまで六段階ほどある。僕はすべて標準に設定し、髪も洗いたかったので、シャンプーはありにした。服を脱いで、立てたバスタブの中に入り、内壁についている赤いボタンを押すと、すうっと板がおりてきて前がふさがった。と同時に、いきなりなま暖かい液体が四方八方から、かなりの勢いでぶあっと吹き付けてくる。『目を開けないように』と言われたことを思い出して、あわてて目を閉じた。でも、少々遅かったようだ。少し目に入ってしまったらしい。痛い。でもこの中は狭すぎて、手で目を拭うことすらできなかった。
 やがてシリコンのような柔らかいもので、頭皮を揉まれる感じがした。それが終わると、細かいブラシのようなものが頭をなでていく。両脇にやわらかいボールのようなものが当たる感触がして、身体に当たる水流も強弱をつけて、ぐるぐると渦を巻いているような感じがした。その間、僕は目の痛みを我慢するしかなかった。やがて頭に何も触れなくなり、両脇のボールも引っ込んだ。水流も普通の感じになった。いちかばちか、僕はそこで目を開けてみた。いや、まだ少し早かった。洗剤を含んだ成分が、頭から流れ落ちてくる。僕はあわててまた目を閉じ、しばらく待ってから、もう一度あけた。ようやく普通のお湯を感じた。やっと、しみるのが治った。やがてお湯が止まり、ふあっと暖かい、乾燥した空気が吹き付けられてくる。これも頭の部分は強めで、そのほかはふわりとしたやわらかい気流だ。身体がすっかり乾いたところで自動的に止まり、透明板が開いて終了。時間にして全部で五分くらい。髪の毛から爪先まで、すっかりきれいになったらしい。たしかにさっぱりした。でも、なんだか自分が洗濯物にでもなったような気分だ。
 脱衣室で、パックごと持ち込んだ新しい洋服に着替えた。ランニング型のシャツやハーフトランクス、靴下とボトムスは寝間着と同じような素材で、着心地はなかなか良いし、サイズもまるであつらえたようにぴったりしている。上着は少し光沢のあるしっかりした生地で、ラグラン袖になっていた。でも引っ繰り返してみても、縫い目がない。切り替え線が表にあるのに、どうなっているのだろう。そういえばここの服は下着も寝間着も、縫い目がなかった。襟はなく、ラウンドネックで、胸の辺りまで切込みがある。そこから頭を通してかぶり、袖を通す。胸の切込みから下着が見えるけれど、まあ、仕方がない。袖は少し短めで、胴回りはかなりゆるく、丈はお尻の真ん中くらいだ。
 緑は僕の好きな色だし、僕の目の色でもある。髪や肌の色との調和も悪くはない。でも、どうせならエメラルドかペールグリーンが良い。ミントグリーンでも悪くはない。こんなくすんだ色は、あまり好きじゃない。でも、文句も言えない。靴はここの人たちが履いている、白いバレーシューズのようなやつだった。
「標準で、頭を洗うんだったら、設定は変えなくていいぞ。それからボタンを押したら、すぐ目を閉じろよ」と、注意を与えて、ロビンと交替した。

 ソファに腰を下ろしてまもなく、キャビネットの中に置かれたディスプレイのライトが点灯し、アラーム音が部屋中に響いた。八時だ。それは耳障りではない柔らかいトーンで、リンゴーン、リンゴーンと鐘が鳴るような響きだけれど、目覚ましには十分効果があるらしい。他の四人も、それで目を覚ましたようだった。
 最初にベッドから降りてきたのはエアリィで、僕を見ると苦笑してちょっと肩をすくめ、首を振った。
「すっごく良く寝た感じだけど、起きた時、一瞬えっ、て思った。まだ、ここなんだね」
「ああ……」僕も苦笑して頷いた。
 続いて起きてきたロブは、困惑しきった表情でため息を一つつき、「まだなのか……」と呟いていた。ジョージはむっとしたような顔で何も言わず、ミックも失望したように肩をすくめただけだった。
 朝食時間までに、全員のシャワーと着替えが終わった。上着はロブが濃いグレーでジョージが明るい灰色、ミックが濃い茶色でエアリィが青灰色だ。まあみんな、地味だけど似合う色に落ち着いたと思う。ただ寝間着もそうだけれど、六人とも体型がバラバラなのに上着が均一サイズというのは、結構滑稽な結果になる。僕には横幅が少し大きく、長さは少々短い。つまり、身長百八十センチ前後、体重は八十キロくらい(ここはメートル法採用のようだし)くらいの人を標準として作られた服のようだ。だから僕は、一番違和感がなく着られるほうかもしれない。でも小柄な二人にはかなり丈が長くなってしまうし、身幅もあまる。ロビンよりも幅がなく、今のところはまだ身長もないエアリィに至ってはフレアが出てしまい、しかもワンピースのような丈で、「これじゃ、本当に女の子だ!」と、全員にからかわれる始末だ。まだラグラン袖だから救いだが、かなり肩も落ちてしまうし、袖も二回ほど折り返さないと手が出ない。本人も元々ゆったりした服は好きらしいが(大きめのトップスに少しタイトなボトムスは、彼の定番ファッションだ)、さすがにここまで来るとたぶだぶ過ぎて、大きいお下がりを無理やり着せられた女の子のようにしか見えない。逆に身長は合っていても標準以上に横幅のあるミックは、まるでTシャツを着ているようだし、筋肉質のジョージもかなり身体にフィットしていた。
 一通り全員の身仕度が終わった頃、朝食が運ばれてきた。白いトレーの上に、ロールパンが二つ、四角い形に焼いたオムレツ、砂糖のパックが別についた暖かいミルクコーヒー、ドレッシングのかかったレタスとトマトのサラダが、ナイフとフォークと一緒にのっている。おかわり用のパンが入ったカゴと、バターとジャム、マーマレードの壷までついていた。昨日の乾パンと豆は特別食だと言っていたから、これがきっと普通の食事なのだろう。少しほっとした。前から食べていたものと、ほとんど同じだ。
 九時十五分ごろ、同じメイドさんが(どのロボットも服の胸のところに白いタグが縫い付けられていて、そこに番号が入っている。このメイドさんの場合は、NYA0122だ。そのことに朝気づいた僕は、もう一度見て確認していた)お盆を下げにきて告げた。
「十一時三十分から、アンダーソン市長が、みなさんにお会いになるそうです。五分前に面会室までお連れしますから、それまでここでお待ちください」と。
 ああ、今日も一日、どうなるのだろう。また検査だの尋問だのを受けるのだろうか。この世界のことが、少しはわかるのだろうか――。

「なかなか、夢が覚めないな」
 ジョージがソファに身を投げ出しながら、いらだったように口を開いた。
「そういえば昔の中国の話に、こんなのがあるんだ」
 ミックが考えこむような口調で話している。
「ある哲人が、自分が蝶になった夢を見たんだ。その夢があまりにリアルだったから、目が覚めて、はたして今のは夢だったのか、それとも本当は、自分は蝶で、今人間としている夢を見ているんだろうかと悩むんだ。なんだか今の僕らは、それに似ている気がしてね。今僕らは夢を見ているのか、もしこれが現実なら、今までのことが夢だったのか……」
「これが現実だなんて、思いたくないな……」
 僕は頭を振り、ため息をついた。
「でも、これが現実だったとしたら、今までのことのほうが夢なのか……僕もそんな気がしてるんだ。でも、それを認めたくない」
「そうだね、ジャスティン。僕も同感だ。ここに来て、自分の認識に疑問を持つようになったよ。これが現実でないなら、これまでの自分たちも、ひょっとして現実ではなかったのかもしれない。僕もなんだか、わからなくなってきているんだ」
 ミックは見えない出口を探すように、壁に目をやっていた。
「もしこれが夢なら、あの窓から飛び出したら、空飛べるかな」
 エアリィは窓の方を見ながら、あっさりとそんなことを言う。
「本当にやるなよ! 夢じゃなかったら、確実に死ぬからな」
 僕は思わずけん制した。ジョージも同じように思ったらしく、ほぼ同じことを同時に言っている。
「言っただけだし。やるつもりはないけど。やばそうだし」
「あたりまえだろ!」
 そう言う僕たちを見、エアリィは小さく肩をすくめた。
「ってか、どうして二択になるのか、僕にはわかんないんだけど。今までの僕らも現実だし、これも現実っていうのも、ありなんじゃない? 現実の中にちょっと超常現象が入っちゃったのか、結局夢オチになるのか、今のとこはわかんないけど。でも、僕らの今の感覚はリアルだから。だからって、今までがリアルじゃなくなるっていうの、わからないな」
「まあ、それはそうだが……そうじゃないんだ。今までの僕らも、たしかにリアルだったかもしれないけれど、ここから元の僕らの“現実”に戻れると思うか? もしこれが本当に、今の現実だったら。そういう点で、今までのことがリアルじゃなくなるっていうんだよ。これが現実だと認めてしまったら」
 僕は首を振るしかない。
「でも否定したって、結果は変わんないと思うな」
「それはそうだがな……」
 でも心境的には、なかなか思い切れないんだよ。そう僕は心の中で付け足した。僕らの“現実”を、今は受け入れるしかないと、わかってはいても。
 昨夜と同じように、ドアは中から開けることができないので、僕たちはただそこにいるしかなかった。キャビネットの中に置いてあるパソコンのような機器に触ってみる気も起こらず(いつものごとく、エアリィだけは触ってみていたが、「あー、これIDとパスないと、全然動かない! ここでハッキングはやばいし……無理か」と、あきらめていたようだ)、この状況では、いつものようなおしゃべりは期待すべくもなく、時間が流れていく。窓から見える空は灰色がかり、妙な具合に見えた。霧状の透明なものが、はるか上空をちらちらと光って流れ落ちている。
「もしかしたら、これは……」僕はつぶやきかけ、
「うん、雨だよ。街の外じゃ、雨が降ってんだ、きっと」
 エアリィが空を見上げながら、言葉を引き取るように言う。
「ああ……」
 僕は驚きを含んで頷き、じっと空を見上げた。ここは本当にどんな世界なんだ?

 やがて、ドアがすっと開き、再びメイドさんが入ってきた。十一時二五分だ。
「みなさま、ご案内いたしますから、こちらへどうぞ」
 僕らは無言で、彼女の後について部屋を出た。外にはもう一人別のアンドロイドがいて、(こっちは銀色の金属製で、緑の服の胸にNYB0198というタグが付いている)僕らの後ろからくっついてくる。逃げられないようにいうことだろうか。でも抗う気なんて、元からありはしなかった。
 エレベータで二五階に上がり、渡り廊下を通って、隣のひときわ高い白亜のビルへ行き、さらに三五階まで上がる。鈍い光沢を放つ大きな銀色のドアが開くと、中は広い応接室のような部屋になっていた。壁や天井は光沢のあるベージュ色で、毛足の長い金茶色の絨毯が敷かれ、モスグリーンのビーズクッションのようなものが八つくらい、ガラス張りの丸テーブルのまわりに置かれている。向かい側には木製の大きな机と、肘掛のついた大きな椅子があり、長さが一フィートほどで、高さはその半分くらいの銀色のボックスが、机の上に乗せてあった。壁の一方は大きな窓で、金茶色の濃淡模様のカーテンがかけてある。透明な窓ガラスの向こうに、町の風景が見えていた。背の高いビルがいくつか、その向こうに公園らしい緑が広がり、その後ろにはクリーム色の集合住宅のような建物が整然と並んでいる。
 座っていいものかどうかわからなかったので、そのままそこに立っていた。アンドロイドたちも、僕らの両脇に立ったままだ。

 まもなくドアが開いて、男の人が入ってきた。五十代後半くらいの年配で、五インチほどの長さにそろえられた茶色の髪には、かなり白いものが交じっている。背の高い、均整のとれた体つき。眉がかなり太く、ちょっと鼻が大きいが、彫りの深い整った顔立ちで、若い頃は結構ハンサムだったのではと思われる顔だ。その人は白い上着に、深い紺色のズボンをはいている。上着やズボンの裾には、金色のラインが一本入っていた。彼の後ろには、男性と女性が一人ずつ付き従っていた。男性は三十代半ばくらい、女性はもう少し若く、二人とも紺色の上着と黒のズボン姿だ。秘書だろうか。
 最初の男性は僕らの前で立ち止まり、一瞬じっとこちらを見た。その表情は、昨日会った人たち、シンプソンさんや検査室の女性の視線に、どこか似ている。次の瞬間、表情がふっと緩んだ。
「やあ。そこの椅子に座りたまえ」
 その人は気さくな調子で言うと、自分は机の前の大きな椅子に腰かけ、連れの二人も、その両側のスツールに腰を下ろした。僕は緑の丸いクッションの上に、いくぶんおずおずと腰を下ろした。たしかに椅子だ。しかもかなり座り心地がいい。当たりは柔らかく、身体はしっかり支えてくれる。
 僕たちがみな腰を下ろすのを見てから、その人は二人のアンドロイドをドア際に下がらせた。
「大丈夫だ。いくぶん不自由な思いをさせたかもしれないが、私たちも君たちの正体がわからなかったし、君たちがどう言う行動に出るのかも予測できなかったので、軟禁状態のようにしてしまった。すまなかったね」
 その言葉に込められた誠意を感じ、僕の心は少しほぐれていった。
「私はジャーヴィス・アンダーソン。ニューヨーク市長だ」
 えっ、ニューヨーク市長は、そんな名前の人だっただろうか。一瞬そう思いかけ、ああ、そうか、と次の瞬間、納得した。ここは少なくとも僕らの世界じゃないんだ、と。
「とはいっても、君たちの時代では違うニューヨーク市長がいるんだね。君たちは市民ではなかったそうだが」
 相手はこちらの心中を見透かしたように、にやっと笑った。
「あ……はぁ」
 僕たちは顔を見合わせ、間の抜けた返事をした。
「君たちも混乱していることだろうね。不安にも思っているだろう」
 アンダーソン氏は青灰色の目に同情の色を覗かせながら、僕たちを見た。
「無理もないだろう。ここは君たち旧世界人から見れば、きわめて異質の世界だ。我が新世界は」
「えっ?」
 旧世界? 新世界? ここは新世界? どういう意味だ? 僕らの北アメリカ圏もヨーロッパと対比して、新世界と呼ばれたことがある。でも、ここは――?
「でも、驚いたのは、君たちだけではないよ。科学検査部が決定的な証拠を私たちに突きつけるまで、実際のところ我々も半信半疑だった。不思議だね。不思議なことだ。そうとしか、言いようがない」
「あの……どういうことなのでしょうか」
 ロブが少し掠れ気味の声で問い返している。
「君たちは、我々の時代には属していない。それが、治安維持本部が各都市のセンターに問い合わせて、出した結論だった。君たちの指紋やDNAパターンを世界中の人たちと照合してみても、該当がなかったからね。君たちは二一世紀初頭に生きていると言っていた。科学検査の結果、その言葉に嘘はないことが証明された。時代知識も正確だ。もちろん文献を調べれば、わかる知識もあるだろうが、少なくとも一般の人たちが知ることの出来る知識以上に、君たちは知っていた。君たちは誰も、嘘は言っていない。精神分析の結果も、どこにも異常は見当たらない。みんな、ごく健全で正常な若者たちだ。君たちのDNAパターンには、みんな共通して、この世界にはない特徴がある。さらに今朝回収された君たちの乗り物も、旧世界のものだということが確認できた。君たちの風俗にしてもね。私たちは朝一番で緊急会議を開き、こう結論したのだ。どうしてそうなったのかはわからないが、君たちは私たちの時代にやってきた、過去からの訪問者なのだとね」
「過去からの訪問者……?」
 僕は、呆然とした口調でそう反復した。それ以上、何も言えなかった。
「もしそれがホントだったら、今は……いつなんでしょうか?」
 エアリィがいつもの彼より少し緊張しているようなトーンで、そう尋ねていた。無理もないだろう。そして、これは僕も知りたかったが、怖くて口に出せなかった質問だった。
 アンダーソン市長は少し黙った後、静かに口を開いた。
「今は新生紀元の二四八年。と言っても、君たちにはピンとこないだろうね。世紀数で言ったほうがわかりやすいな。今は二四世紀だ。君たちの時代より、ちょうど三三〇年先の未来になるわけだよ」
「二四世紀……三三〇年先の未来?」
 僕は呆然と(おそらく僕らの誰もが)、言われた言葉を反復した。それは最初、何の意味も持たない不思議な言葉のように響いた。次に繰り返した時、やっとその意味が、じわっと胸にしみ込んできた。
 三百年以上もの未来! あの光のトンネルは、タイムホールだったとでもいうのだろうか? 僕たちは時間を超えてしまったのか。現実には起こるはずもないと思っていた、不思議な力で。こんなことがありえるのか? それともこれはやっぱり、とんでもない夢なのか。でも、いつまでも夢が覚めなかったら、これが本当に現実なら、僕たちはいったいどうなるんだ? もとの世界に帰れる見込みはあるんだろうか? それとも、このままここに留まらなければならないのか? この世界で暮らすことになるのか? 残りの人生を――いやだ! 絶対に嫌だ! こんな世界に、いつまでもいるものか! ここには僕たちが馴れ親しんだものは、何一つない。一緒に来た五人の仲間以外に、知っている人も誰一人いない。僕らの家族も恋人も、夢も、この世界には存在しない。
 べったり座りこんで泣きたかった。頭を床に打ち付けて、叫びたかった。目が覚めろ! この忌まわしい現実よ、去れ! 僕をもとの世界に連れ戻してくれ! この期に及んでも働いている自制心さえなかったら、僕は本当にとり乱して、暴れていたに違いない。でも実際にしたことは、椅子に座ったまま、骨が白く浮き出るぐらいぎゅっと手を組み合わせ、身体の震えを止めようとしただけだった。他の五人の反応を見る余裕はなかったが、たぶんみんな同じだろう。
「君たちにとっては、とんでもない現実だろうね」
 アンダーソン氏は僕たちをじっと見守っていたようだったが、やがて穏やかな口調で口を開いた。
「しかし、現実は現実だ。目をつぶることはできないよ。受け入れなければね。もっとも、私たちがその事実を受け入れるのと、君たちがそうするのとでは、心理的な抵抗に大きな差があるだろう。君たちには、失うものが多いだろうからね。少なくとも、今の段階では。だがどんなに辛くとも、ただ否定するだけでは、何も進歩はしない。たとえそれがどんなに受け入れがたいものでも、現実は現実として認めなければならない。君たちは今、二四世紀の未来世界にいる。夢ではなく、現実に。そう認めることだ。そこから、すべてが始まるのだからね」
 そうだ。とにかく現状をはっきり認識しなければ、認めなければ、先へは進めない。辛いけれど、たしかにアンダーソンさんの仰っていることは、本当だ。僕たちは自分の世界から、ほとんどすべてのものから切り離されて、遠い未来にいる。それを認めた今、これから僕たちがすべきことは、なんだろう――? 
 沈黙を破って、エアリィが小さく首を振りながら、再び質問を発した。
「すみません。それを認めて……次に考えることは、僕たちはこれから、どうなっちゃうのかなってことなんですが……二択には、なれるんですか? ここにずっといるのか、それとも元の時代に戻れるのか」
「うーん、それは今のところわからないとしか、答えようがないね。たぶん選択肢はないのだろうと言った方が、無難なのかもしれないが」
 市長は少し肩をすくめてから、穏やかに微笑して答えた。
「この世界にも、いわゆるタイムマシンはないからね。宇宙や時空間を研究している科学者たちはいるけれど、たぶんその分野においては、君たちの時代から、ほとんど進歩はしていないだろう。と言うより、今の技術力では、それ以上の検証は困難なのだ。だから、残念ながら私たちには、君たちを確実にもとの時代へ帰してあげられる方法はないんだよ。時空科学者たちは、君たちに面接してみたいと言っているがね。どういうメカニズムで、時間旅行などという禁断の扉が開いたのか、彼らは興味津々なのだ。無理もないことだが。主任教授のパストレル君は、こんな奇跡が起こりえるなら、何かこの禁断の領域についての手掛かりが得られるのではないかと言っていたが。だがそれは起こった事象の検証であって、それ以上にはならないだろう。しかし、心配はしなくともいい。諸手続きと科学者たちの面接がすべて終わったら、君たちをこの世界の市民として登録し、生活の保障をしてあげるよ。君たちが望むなら、勉学に励んでもいいし、職業についてもいい。ここで新しい人生を開くんだ。それも、決して悪い道ではないよ。この世界は君らの時代より、はるかに住みやすいからね。我々は喜んで、君たちを受け入れる準備がある。きっと、ここで幸福になれるさ」
 たとえいくら住みやすくとも、その答えはまったく嬉しくない。市長さんは僕らに対し、好意的だ。この世界も――なんとなく、それは感じる。それに受け入れ体制が整っているなら、安心とは言えるのだろう。でも、ここでずっと残りの人生を――六十年近くも過ごすのだけは、絶対にごめんだ。そんな思いしか感じられなかった。
「お気遣い、ありがとうございます。それで……閣下、一つ気になることがあるのですが、質問してよろしいでしょうか?」
 ミックが沈黙の後、口を開いた。
 アンダーソン氏が頷くと、問いが発せられた。これも聞きたかった質問だ。
「小さなことかもしれませんが、なぜ、この世界は西暦ではなく、NAという新生紀元を使うのですか? 世紀だけは通暦で、紀元が新しいのは、なぜなのでしょうか?」
「いや、小さなことではないよ。鋭いところをついたね」
 市長は苦笑に近い笑みを浮かべた。
「でも、それを知ることは、君たちにとってショックではないかな……いや、もしここに長く暮らすことになれば、どうせ知らなければならないことだね。教えてあげよう。私たちは、この世界を新世界と呼び、君らの時代を旧世界と称している。ある時点で古い世界が終わり、新しい世界が始まったからだ。君らの文明は終わり、新しい世界が再生した。その時、私たちの先祖は昔からの西暦をやめ、新生紀元を採用したんだ。新しい文明、新しい世界の旅立ちを記念してね。ただ、以前からの脈絡を失わないために、世紀だけは通暦を使うことにしたのだよ。新生紀元元年は、西暦では二〇九二年にあたる」
「僕らの文明が終わった……?」
 僕は再び茫然と反復した。何人かが、同じようにしているようだ。
「君たちは現在地球上の総人口が何人か、知っているかね?」
「いいえ……」
「そうだろうな。教えてあげよう。だいたい二万二千人だ。この広い地球に、それだけの人間しか住んでいないんだよ。このニューヨーク市が一番大きくて、九千人ほどいる。百年ほど前に、首都移転をした結果だ。最初に百体の建築用ロボットを送り、約三十年かけて、まっさらの土地の上に一から、この都市を築いた。そして百人乗りの大型シャトルを三台作り、十数回往復して、四千人ほどがオタワからここまで来た。それから百年の間に子孫が増え、新たに移住してくる人も増えて、今の規模になったんだ」
「オタワから?」
「ああ、新世界最初の都市は、オタワ市なんだ。我々の先祖たちは、そこに二百年ほど住んでいた。今も、あそこには五千人あまりの人が住んでいる。そして五十年ほど前にトロント市を復興させ、今は三千五百人前後の人がいる。モントリオール市は三十年前に復興され、今の人口は二千四百人ほど。そして十年前に、ボストン市が復興された。あそこはまだ、千五百人にも満たない小さな町だが。あとは、すべて人のいない荒野だ。ロボットの調査でも、それは証明されている。地球上のこのエリアにしか、人間はいないんだ。君たちの時代には二百以上の国家があって、七十億人以上の人間がぎっしり住んでいたという。歴史の文献も、そうなっているね。だが現在はこんな状態なのだ。これが何を意味するか、わかるかね?」
 身体中の血が、さあっと引いていくような気がした。そうだ、今朝ロビンが言っていたことが答えなのでは。人類がなんらかの災害で一度滅びかけ、そこから再生した世界が、ここなのだと。それにしても、世界人口が二万二千人――この広い地球上に、ドーム球場の定員たった半分足らずの人しか、いないなんて。新紀元の年数から察すれば、再生してから二五〇年近くたっているというのに。いったい、生き残ったのは何人なのだろう? その災害、災厄はどういう種類のもので、いつ起きたのだろう。新生紀元元年という、二〇九二年なのだろうか? そうだとすれば、僕らの生きていた時代から、八十年以上先の未来。寿命予測だと、僕はもうその時には、死んでいる。
「詳しいことは、歴史学者のゴールドマン君から聞くといい。彼は君たちにとても興味をもち、ぜひインタビューをしたいと言ってきたんだ。無理もないね。彼にとっては、君たちは旧世界の生き証人なのだから。明日から三日間アポイントをとってあるから、研究が終われば、詳しい事実を説明してもらえるだろう」
 アンダーソン氏の声で、僕は我に返って頭を上げた。
「では、君たちにはこれから昼食をとって、一休みしたら、午後いっぱい、機能テストを受けてもらうとしよう。生理学者たちも興味をもっていてね。君たちも何かしていたほうが、気がまぎれるだろう」

 面接室を出た僕たちは、二人のアンドロイドたちに導かれ、再びもとの部屋に帰った。まもなく、昼食が運ばれてきた。パスタとサラダ、野菜と鶏肉のケチャップ煮のようなものと、ミルクティーというメニューだ。昼食タイムが一時間ほどあって、その後、再び迎えがくる。今度はこの同じビルの地階にある、広いジムのような場所に連れていかれ、一人ずつ別々の部屋で、運動能力と知能テストが待っていた。それぞれ生理科学者が二、三人ずつ付き添っているようだ。機械を使って科学的正確さで行われるという以外、やっていることは僕たちの時代のものと、あまり変わりはない。次から次へと知的な、もしくは体力的な課題を科せられて、それをどんどんこなしていくことは、さっき聞いた話から僕たちの注意をそらせ、ことの深刻さをあまり考えないですむのに役に立った。
 でも夕食後は何も予定がなく、その時間がひどく重く感じた。何かやっていたい。たとえ検査でも面接でもいいから。ここにじっと座っていると、事実の重みにつぶされそうになってしまう。僕たちは夜八時半まではソファに座り、ポツリポツリと断続的に会話を交わしていたが、それからすぐに自分たちのベッドに引き取った。
 僕はここで支給された寝間着に着替え、寝転んでじっと天井を見た。何も考えられない。涙が出そうになって、慌てて枕に顔をうずめた。昨日と違って、まだ時間が早すぎるせいか、なかなか眠れない。部屋の時計が小さく九時のチャイムを鳴らし、やがて十時が鳴った。その音を聞いてまもなく、ようやく眠れたようだった。

 翌日は朝食の後、九時から面接が始まった。行き先は同じ隣の白亜のビルだが、市長さんと面会した部屋とは別のところだ。そこで、僕たちはこの時代の首席歴史学者である、ラリー・ゴールドマン氏と会った。
 ゴールドマン博士は四十代終わりくらいの年配で、ミックのような堂々たる体格の持ち主だった。銀色のラインが二本入った白い上着とズボンが、なおさら大きく見せている。顔は少し赤ら顔で半分禿げあがった額は広く、残り少ないブロンドの髪を、きちんと後ろに撫で付けている。飛び出したような目は薄い灰緑色で、少し鉤鼻だ。
「やあ、はじめまして。君たちに会うのを楽しみにしていたよ。ここにはもう慣れたかい?」
 ゴールドマン氏は手を差し出しながら、気さくな調子で話しかけてきた。
「いいえ、まだ慣れたとは言えませんが……」
 ミックが僕らを代表して、そう答えた。それが正直なところだ。
「そうか。まあ、来たばかりだからね。最初は少し違和感があるだろうが、そのうちに慣れるさ。では、さっそくで悪いが、これから私たちの研究に、ちょっと協力してもらいたいんだ。いいかね?」
「はい」
「ありがとう。では歴史班のメンバーが来てから、本格的にはじめるとしよう。君たちにやってもらいたいことは、簡単だ。これからスクリーンに、いろいろな画像を表示させる。みんな旧世界に属しているもので、私たちは文献を通してしか知ることができないものがほとんどだ。それについて、コメントをしてくれ。君たちにはぜひ、生の情報を提供してほしいんだ。どんな細かいことでも、くだらないと思えることでもいい。ともかく思いついたことを何でも、話してくれないか」
「わかりました」僕たちは一斉に頷いた。
 やがて、何人かの男女が部屋に入ってきた。
「では、ジャンル別にアルファベット順でやっていこう。最初は哺乳動物だ」
 ゴールドマン博士は機械の操作を始めた。あとから入ってきた数人の男女たちは、一緒に持ってきた銀色の箱をめいめいの膝の上に乗せ、椅子に座って、始まるのを待っている。
 最初に浮かび上がったのは、猿(ape)の写真だ。
「図鑑的な説明はいい。そういう資料は持っているから。君たちの感想とか、それに関わりのあることとか、そういうものを聞かせてくれ」
「猿……ですか?」
 急に言われても、言葉につまる。
「人間の次に賢いって言われていた動物ですね」と、ミックが口火を切る。
「進化的には人間により近いもので、apeという言葉は、monkeyより広義の猿をさすんです。ピグミー・マーモセットのような小さいものから、マンドリルやひひのたぐいまで」
 それを受けて、僕らは話しはじめた。
「チンパンジーは芸をするのもいるよね。字の読めるのもいるし」
「だけど、大きくなると凶暴化しがちだから、小さいうちだけだね」
「そもそもサルをペット化しようっていうのが、間違いだと思うな。あいつらは基本野生だ。犬や猫とは違う」
「リスザルとか、赤ちゃんを取るために親を殺したりするしね」
「乱獲で、絶滅しそうなものも結構あるらしいね」
「猿の惑星と言う映画もあったな。あれも未来世界で、人間が滅びてサルが進化して」
「人間とチンパンジーのDNAは90パーセント以上同じらしいからね」
「でも、人間に対してサルっていうと、侮蔑の意味だね」
「軽蔑的なニュアンスがあるからね。猿真似とか、猿知恵とか」
「黄色人種に対する蔑称として使われることもあるね」
「それは、モンキーじゃないか? 意味は似てるけれど」
「ああ。でも、なんでそう言うのかな?」
「そうだなあ。感じが似てるからじゃないのか?」
「それは差別発言だ! アジア系から叩かれるぞ」
「俺がそう思ってるわけじゃない。あくまで言葉としてさ」
「そうだね。たしかに悲しいことだけれど、そう言う見方は存在するからね」
「もう一つ、モンキー・ビジネスって言うと、汚い商売って意味になるな」
「今はエイプなんじゃないかい? モンキーじゃない」
「だから、サルの惑星(Planet of Apes)だろ?」
「そんなSFが成り立つほど、人間に近い可能性を持っているということだね」
 そんなとりとめのない、おしゃべりに近い話を、相手は逐一記録しているようだ。と言っても、キーを使って文字を打ち込んでいるわけではなく、後で聞いた話では、僕たちが話した言葉が音声認識されて、彼らの持っている端末にテキストとして入力されているらしい。その画面を見ながら適当なところで段落わけをし、ファイルに記録しているようだ。
 ひとしきり猿についての話が尽きてしまうと、次はbearになり、最後のzebraまで、昼食をはさんで二時半ごろまで、哺乳動物編は続いた。それからは爬虫類、次に昆虫、魚類と、夕食を挟んで、夜の九時まで続く。翌日は植物編、それから風俗、日をまたいで社会と続いた。三日間ずっと、絵や写真を見て、それからの連想や感想を話すという、同じような作業だ。途中二度の食事と、身体機能テストによって作成されたという健康維持体操プログラムで中断されるだけで、朝九時から夜の九時まで(ここは二四時間制だから、二一時だ)、歴史班への研究協力が続いた。作業自体は、ただしゃべっているだけだから、疲れることはない。でも、僕らの世界で馴染みのものばかり見ていると、帰りたいという思いは、ますますつのってきてしまう。
 夜九時になって作業から開放されると、いつも強烈なホームシックに襲われた。帰りたい――帰りたい。こんなところに、いつまでもいたくない。このまま帰れなかったら、ずっとここにいることになったら――それだけはどうしても避けたい考えだけれど、意志に反して、いつもそんな思いが浮かんできてしまう。たとえ未来に世界の崩壊が訪れようとも、僕らは自分の時代に帰りたい。僕らの居場所――夢も希望も生きがいも、すべてあの世界にあるのだから。その思いは僕だけではなく、六人全員の、共通の願いであることは明らかだ。毎晩そんな思いと戦い、それに耐えきれなくなると、寝支度もそこそこに、ベッドに潜ってしまう。もう長い夢を見ているだけだとは、誰も言わなくなっていた。眠ることで、現実を忘れるしかない。眠って起きたら、夢から覚められるかもしれないという期待は、時がたつにつれますます薄くなっていくけれど、その思いもまた、消しがたくあった。朝、再び現実に直面することになろうとも。

「協力、ありがとう。三日間もつきあってくれて。ずいぶん参考になったよ」
 歴史班との面接最終日は、いつもより二時間早い、七時ごろに終わった。助手の人たちはロボットの助けを借りて、研究用具の撤収にかかっている。博士は言葉を継いだ。
「これから夕食だね。もし差し支えなければ、私も一緒にとっていいかな? まだもう少し君たちと話したいこともあるんだ」
「ええ」
「では、引き続き、この部屋にいてくれたまえ。夕食はここへ運ばせよう」
 やがて、食事が運ばれてきた。ローストビーフとシーザーサラダ、マッシュポテト、パンとコーヒー、ブロッコリーのクリームスープだ。デザートに小さなケーキもついてきた。僕らの間には穏やかで快活な気分が、少しだけ戻ってきていた。ある程度日がたって、少しずつ気持ちが落ち着いてきたのか、それとも、おいしい食事をたっぷりとったせいかもしれない。
 夕食のあと、コーヒーを飲んでいる時、博士はきいてきた。
「ところでね、君たち。ここをどう思うかい?」と。
 僕たちはお互いに顔を見合わせ、ロブが代表して答えた。
「ええ、ここは、とてもいい所ですね。整然として気持ちのいい町ですし、みなさんにもとても、親切にしていただいていますし」
「でも僕たち、来てからずっとここにいて、外を見ていないし、一般の人にも会ってないから、本当はよくわからないですけど」
 エアリィがそう付け加えた。それはたしかにそうだが、正直すぎる。ロブの社交辞令も台無しじゃないか。
 しかし博士は二人の返答に満足したようで、にこにこしながら頷いていた。
「まあ、そうだろうね。だが、すべての面接がすんだら、外へ出る機会があるだろう。それに、これから長くここにいることになるだろうから、この時代の人たちとも十分知り合いになれるよ」
 好意で言ってくれているのだろうが、ここに落ち着くという考えは、ありがたくない。ゴールドマン博士はどうやら敏感な人らしい。微かに肩をすくめている。
「ずっとここにはいたくないという顔をしているね、君たちは。無理もない。君たちは自分たちの時代で、十数年から二十年以上、生きてきたわけだからね。君たちは今まで暮らしてきた、あの時代が好きかい?」
「ええ」
 答えは一瞬のためらいもなく、口から出てきた。何人かがまるでこだまするように、同じ答えを返す。
「そうか……」
 博士はテーブルの上で両手を組み合わせ、じっと僕らを見ていた。
「まあ、おもしろそうな時代だったことは、私にもわかる。しかし君たちの時代は、本当にそんなに良かったのかい?」
 ええ、もちろん――そう答えようとして、僕ははたと返事につまってしまい、他の五人の顔を見た。みなも同じように感じているようで、少し当惑した表情をしている。
 僕らの世界は病んでいる。良識ある人たちは、誰もがそう感じているだろう。社会の退廃は深刻さを増していき、世界規模で頻発するテロ、内乱、ひどく汚染された地球環境。深刻化していく異常気象。政治スキャンダルも日常茶飯事、経済は全世界的に低空飛行状態で、デフォルトの危機に瀕している国もある。都市にはホームレスがあふれ、殺人、暴力、犯罪が横行し、人の弱みに付け込んだエセ宗教や、悪徳商売や詐欺が幅を聞かせている。現実でもインターネットの世界でも、常に悪意と危険が潜んだ世界――こんな時代が、はたして未来世界の人たちに『良い時代だった』と、胸を張って言えるだろうか?
「自信を持って、そうとは言えないようだね」
 ゴールドマン氏は微笑を浮かべた。
「私も文献で、旧世界末期の様子は、ある程度知っている。戦いと犯罪、暴力、汚染の巣だったありさまをね。それに比べて、私たちの世界は平和だよ。国家はここ一つしかないから、戦争なんか、起きるわけもない。都市はお互いにある程度独立しているが、全体として一つにまとまっているから、変に対抗意識を燃やすこともないしね。新世界がスタートしてから今までの二五〇年近くの間、犯罪は数えるほどしか起きていない。とくにここ百年あまり、ずっとゼロを記録しているんだ。その理由がわかるかい? 私たちの社会には、貧富の差がほとんどない。欲しいものは求めさえすれば手に入るし、またさほど貪欲にならなくとも、満足できる心をもっている。君たちの時代は、商業ベースの競争社会、そんな印象を受ける。常に新しい商品を作り出し、メディアを通してそれを欲しがるように仕向ける。そして経済が回る。その結果、人々はもっともっと多くのものを欲しがるようになり、それが環境破壊の遠因の一つにもなった。そういう分析を踏まえ、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、こういう社会システムが作られたのだよ。同じ毒に染まらぬように。そう、精神だ。新世界でもっとも重点をおかれてきたものは、科学と同時に、精神の教育なんだよ。他者に対して寛容であれ、労力を惜しむな、貪欲になるな、尊厳を持ち、穏やかな心で常にいられるように、憎しみや怒りなどを抱かぬように。この教育が徹底しているおかげで、ここ一世紀ほど、犯罪ゼロを達成できたわけだ」
「そうなんですか……」
 ミックとロブが僕らを代表して、頷いていた。
「さらに私たちの生産システムは、決して地球環境を汚しはしない。もっともこれだけ人が減ってしまっては、たとえ君たちの時代のような無造作な消費をやったとしても、たいして深刻な汚染や環境破壊など、起きないだろうがね。しかし私たちはもっと未来的な展望に立って、これからもっと人が増えていき、消費規模が増大しても環境に影響がないように、最大限のリサイクルを行っているんだ。電力は今のところ百パーセント太陽発電で賄っているし、将来的にも賄えるかぎりは、そうしていくつもりだ。私たちの太陽発電システムは、君たちの時代のものよりはるかに大規模で、効率にも非常に優れている。どんなに規模が大きくなっても、環境を少しも汚すことなく、対応できるんだ。たとえ人口が今の三〜四万倍になっても、十分対応できるくらいにね。太陽と海水は、今も昔もほとんど無尽蔵に利用できる、貴重な資源なんだ。海水プラントも、百年ほど前に着工されて、順調に発展している。それに私たちの科学技術は、分子レベルでの変換を可能にした。物質を一度原子まで分解し、分子に組み立てるんだ。その技術のおかげで、たいていのものは、限りある天然資源を減らすことなく作り直せる。ゴミから、立派に生活必需品を作り出せるわけだ」
「なるほど……」
「それでも君たちは、自分たちの時代がいいのかい?」
 たしかに物質的なレベルでは、新世界のほうがいい。社会的なレベルでも、たぶんそうなんだろう。でも――。
「僕たちの時代は、たしかに良くはありません。でも、僕たちはあの時代が好きなんです」
 僕は思いきって顔を上げ、博士の薄色の目を見た。
「僕たちはあそこで生きていたから。家族がいて、友達がいて、夢や愛や憧れも、みんなあの時代の中にあるんです。ここはたしかにいいところかもしれないし、みんないい人には違いないと思います。でも、でも……ここに僕たちの居場所はありません」
「そう。ここでは、僕たちは異邦人です。なじまない分子なんです。だから僕たちは帰りたいんです」
 ミックがあとを引き取るように続けた。何人か、賛同の声がする。
「そうか……」
 博士はしばらく宙を見ながら、考えこんでいるようだった。
「たしかに家族や友人が向こうにいるから、離れるのはいやだという気持ちは、私にもわかる。生まれた時からその環境になじんでいた者が、急に異質の世界へ来たら、戸惑うのも無理はないだろう。しかしね……君たちがここに来たことは、君たちにとって幸いだと、私は思ってしまうのだ」
 博士は視線を戻し、僕らの顔を見ながら、静かに言葉をついだ。
「君たちの世界は、あと十一年で終焉を迎えるのだから」と。
「え?」
 突然言われたその言葉に、すぐには何のことだかわからず、ぽかんとするだけだった。次の瞬間、その意味を悟った。四日前にアンダーソン市長から聞いた言葉。
『ある時点で文明が途切れた。そして、世界が分断されたのだ』
 その分断点は、まだ八十年以上先だと僕たちは思っていたけれど、そうではないのか? 僕らの文明の終点は新生紀元元年の二〇九二年ではなく、もっと早い時点なのか? あと十一年というと、二〇二一年――?
「世界が終わったのは、新生紀元元年ではないのですか?」
 ロブがうわずった声で聞いていた。
 ゴールドマン博士はゆっくりと首を振った。
「いや。新生紀元元年とは、新世界の社会システムが確立され、初代大統領が就任した翌年に建国宣言と憲法を発布した。その年なんだよ。実際のカタストロフは――私たちはそう呼んでいるが、それより七十年も前なのだ。実に悲惨な出来事で、地球上のものすべてが壊滅してしまった。人間も都市も文明も、動物や植物でさえ、ほとんど死に絶えたんだ。生き残ったものは八千人あまりの人間と一握りの施設、一部の小昆虫と深い海に住む魚、わずかな植物、それだけだ。それも植物のほうは新生紀元が始まってまもなく、やっと自然再生しはじめたんだ。それまでは、まったく不毛だった。昆虫も同様だ。カタストロフから新世界が再生されるまでの七十年間は実に苦しい過渡期で、人口は最低で二千人そこそこまで落ち込んだ。そこからやっと、ここまでになったのだよ」
 驚きの声すら出なかった。ただ、息をのむことしかできない。ほかのみなの反応を見る余裕さえなかったが、たぶん彼らも同じだろう。
 ゴールドマン氏は僕らを見回し、少し唇を舐めてから、静かな口調で話し続けている。
「君たちがここに来たのは、五日前だったね。その日の献立を覚えているかい? 乾パンと豆の缶詰、ドライミルク。私たちが毎年十一月二日にその食事をとって黙祷し、先祖に感謝を捧げるわけは、それがカタストロフの日だからなんだ。二〇二一年十一月二日。君たちがここへ来る前にいた“時”から、きっかり十一年後だよ。そして、これは別の時間線ではない。そういうことは時空主任学者のパストレル博士の方が詳しいが、彼と私は君たちが話していた旧世界の事象と、今までの歴史をつき合わせて検討した結果、同一時間線だろうという見解で一致した。元々博士は平行世界の理論には懐疑的な人だが、それが裏付けられたとも言える。そしてそれが何を意味するか、君たちにもわかるね。同一時間線上の未来がここなのだから、私たちの歴史は君たちの未来だ。つまり、君たちがもし元の時代に戻ったら、君たちの生命もあと十一年で終わってしまう可能性が、非常に高いということになる。だから繰り返すが、ここに来たことは君たちにとっては救いなのでは、と思うのだ。ここにいれば、君たちは安全だ。寿命いっぱいまで生きられるのだからね」
 答える言葉は、なお一言も浮かんでこない。博士が熱心に言っていたこと――ここなら僕らは安全だという言葉は、頭の中を素通りしてしまったように感じた。ただ、自分たちの世界があと十一年で終わってしまうという、衝撃的な事実だけしか感じられない。
 なぜ、そんなことが? 知らなければならない。僕は、そして他のみなも、口々に擦れた声でいっせいに問いかけた。いったい何が起こったのか? どうしてそんなことになってしまったのかと。ゴールドマン氏は手を組み合わせ、落ち着いた声で答えた。
「私たちにも、はっきりとはわからないんだ」と。
「それは、完全には解けることのない謎だろうね。ただ二二世紀半ばから行われている調査で、ある程度の事実はわかっている。まずは、この地図を見たまえ」
 彼は銀色のボックスを操作し、スクリーンの上に何かを映した。僕らのよく知っている世界地図だ。その海岸線が、青い線で縁どられている。
「これが、君たちの知っている旧世界の地図だね。では、もう一枚地図を重ねてみよう」
 スクリーンの上に、もう一枚の地図が現れた。白っぽい色調の元の地図の上に、少し緑がかったそれが重なる。その地図の海岸線は赤い線になっていて、赤と青、その二本の線は、かなりずれている。赤い線で縁取られた地図では、アメリカ大陸はカリフォルニア半島が半分なくなっていて、東海岸のほうもかなりえぐれていた。フェニックスの砂漠には大きな湖ができ、セントローレンス運河から東海岸にかけて、大きな入り組んだ湾になっている。もとのニューヨークもニューイングランド地方も、カナダの沿海州もプリンス・エドワード島も、ほとんど海の中だ。南北アメリカは、メキシコの中程から中米地域までの間にすっぽりできた海で、二つの大陸に分断され、南アメリカは南端が少し丸くなっている。中央アジアの真ん中に広大な湖があって、シベリアは半分沈んでいる。日本列島も一部分がなくなっていて、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアの沿岸も形が変わっている。ずいぶん変形した世界地図だ。
「赤い線で縁取られたものは、二二世紀の終わりにロボットによる測量結果をコンピュータ処理してまとめられた、現在の世界地図だ。比べてみると、世界の変わり方がよくわかるだろう。ことに海岸線の変化と、一部の水没地域がね」
 たしかにこの地図で見れば、ここに来る途中いきなり海岸線に出たのも、ニューヨークがあるべき位置になかったのも、納得できる。途中で渡ったあの断層川だって、きっと地割れの跡か何かに違いない。でも、この大きな変化をもたらしたものは、いったい何だったのだろう──?
「何が原因なんですか? よく言われている、ポールシフトですか?」
 ミックがうわずった声で聞いていた。
「ポールシフトか。いや、磁極はほとんど動いていないから、可能性は低いだろうね。わかっていることは、半径二キロほどの小惑星が地球に急接近したのらしいということだけだ。その一部が砕けて、隕石群となって降り注いだということも。その星は当時の計算によると、そんなに急接近する軌道ではなかったそうだ。コンピュータの予測ミスか、それともなんらかの外的干渉が働いたか……その前後、大量の宇宙線が降ってきたことも、検証されている。だが、その源と原因はよくわからない。それらが複合して、非常に悲惨な結果をもたらしたということ以外はね。隕石の衝突で地震や津波が起き、さらに地殻変動ももたらして、多くの都市が壊滅しただけではない。その当時地球上にあった核兵器や核施設が、ほぼ全部爆発してしまったようなのだ」
「ええ?」
 僕は、そしてたぶんほかの五人も――目を見張り、ただ絶句するだけだった。
 ゴールドマン博士は穏やかな薄色の目で僕らを見ながら、言葉を続けている。
「その結果は、言うまでもない。世界と文明は、たった数時間で終わってしまったのだよ。この地球上には二百年ほど前までは、放射性物質が残留していた。ここに生きている私たち全員が、DNAになんらかの放射性変異を引きずっている。これは新世界人の特徴の一つなんだ。君たちのDNAパターンにその変成が見られなかったことも、君たちが旧世界人だという証拠の一つになったくらいだ。幸い前世紀に画期的な除染技術が発明されたので、今は残留放射能の心配は、ほとんどないがね。だが、原子力関係の兵器や施設がなぜ爆発をおこしたのか、その因果関係はわからない。有力国の核施設が隕石の直撃で爆発し、それによってオートリベンジシステムの引き金が引かれたのか。同時に降り注いできた大量の宇宙線の影響で、システム自体にバグが入りこんだのか。宇宙線に含まれる大量の中性子が直接、爆弾自体を起爆したのか。原子力発電所なども爆発していることを考えると、最後の説がもっとも有力なのだが、それにはよほど強い力が必要になるので、はたしてそんなことが可能なのか? 自然現象の範疇で起こりうるのか、それともほかの外的要因が働いているのか。控えめなものから空想的なものまで所説はあるが、それを証明することは誰にもできない。三百年の時を経ての調査で、直接的な記録も何一つ残っていない状況ではね。カタストロフは複数の破滅的要因が複合した結果だ。だが、真の原因は何であったか。三百年以上たった今でも、それは解けない謎のままだし、これからも完全に究明されることはないだろうと言うのが、我々学者の一致した見解なのだよ」
 博士は歴史の講義をするような口調で、静かに淡々と説明している。僕たちは誰もみな、言葉もなく、ただじっと聞いていた。とっくの昔に過ぎた、歴史の断片? それとも、フィクション? それが、これから起こる未来の出来事だということが――僕らの生きていたあの時代の未来だということが、とても本気には思えなかった。そんなことは作り話だ。『もうじき世の終わりが来るぞ!』と、予言者気取りで騒いでいた連中に、もう何度も蒸し返されて、かびが生えているような主題だ。あれはどれも、結局当たらなかった。運命の年、運命の日――それはいくつあったか。それもみな無事に過ぎ、誰もが本気にはしていない戯言だ。そうに決まっている。本当に、世界が滅びるはずはない――。
 それは違うぞ! 心の中で理性の声が、そう叫んだような気がした。ここは二四世紀の未来世界だ。もしこれが夢でなく現実で、本当に僕らが今までいた世界から伸びている未来にいるのだとしたら、博士が言っていることは、すでに過去の事実だ。僕たちの時代に、アラブの春やイラク戦争、同時多発テロ、アフガンやユーゴの動乱、湾岸戦争やソビエト連邦の崩壊、果てはコロンブスのアメリカ大陸発見や合衆国の独立が過去に起こったことであるように、この時代にとっての世界崩壊は歴史の一部、すでに起こったことだ。これから起こるかもしれない恐れではなく、確実に起きたことだ。『私たちの歴史は、君たちの未来だ』と、博士もさっき言ったように。
 激しい震えを感じた。単なる絵空事にしか思われなかった恐怖は、本当は具体的な根拠のあることだ。よく言われている。地球上には人類全体を一掃してもあまりあるくらいの強力な核兵器があると。二十世紀の終わり、ちょうど僕らが生まれる少し前に、ソ連が崩壊して冷戦が解け、東西対立がなくなってからは、軍縮の気運がいっそう高まっていた。戦略核兵器もかなり削減された。それでもなお、人類にとっては致命的すぎる量があったという。隕石の雨がもたらした天変地異に加えて、すべての核が爆発してしまったとしたら、世界が一瞬で滅びても不思議はない。
 避けられないだろうか――そんな思いが頭をかすめた。もしこれからもとの世界へ帰れたら、なんとかして避ける方法はないだろうか? でも急接近してくる小惑星は予想軌道を取らなかったのなら、NASAにその可能性を仮に指摘できたとしても、計算した結果、『ああ、大丈夫だ』と、とりあってもらえないだろう。未来世界で聞いてきた、などという話は信じてもらえないだろうし、今さら核兵器の完全廃絶を訴えても、『現在、努力している』で終わってしまうに違いない。反原発も、すでにチェルノブイリからずっと唱えられていた題目だ。僕らにいったい何ができる? たとえもとの時代に帰れたとしても、破滅を回避できる手段など、ないに等しい。やはり歴史は変えられないのだろうか――。
「あっ……ああ!」エアリィが小さく声を上げた。
「あの夢だ……バスん中で見た……あれだ。僕らの世界の終わり……」
 彼は両手を頭に当て目を閉じて、一瞬震えたようだった。
 僕も思い出した。バスが光のトンネルをくぐる直前、エアリィが話していたあの夢か。宇宙から光が降り注いで、小惑星が軌道を変えて地球に接近して割れ、そのうちの一つが隕石の雨になって、地球に降り注いだ。光が地球に当たると天変地異が起き、閃光とキノコ雲につつまれて、世界の終わりになった――彼はそう言っていた。あの時はただ『世紀末の映画でも見たのか?』と、笑って終わりになったけれど、さっきの博士の説明と、ほとんど同じ状況じゃないか――。気づいて僕も、思わずぞくっと寒気が走った。同時に僕自身の夢の断片も頭をかすめていく。ここへ来て初めての晩に見た夢を。
『それほど遠くない未来に、この世界が終わる。恐ろしい……恐ろしいことだ』
『でも、それは裁きと同時に、祝福でもあるんだよ』
 いったいどういう意味だろう? わからない。まるで感情が半ば麻痺してしまったようで、何も深くは考えられない。
「君たちの気持ちはわかるよ」
 ゴールドマン博士は僕らを見ながら、静かに言葉を継いだ。
「だが直接原因はなんであるにせよ、そういう悲劇を招いたのは旧世界の人々の罪なのだという我々の一般的な見解は、否定できない。酷な言い方をすれば、自業自得なんだ」
「自業自得?」
 僕は訝りながら、半ば憤りながら、その言葉を繰り返した。何人かが唱和していた。
「そうだろう。因果関係はどうあれ、そういう致命的な兵器自体は、君たちの時代の人が作って、持っていたわけだ。必要もないのにね。その当時、世界に大規模な戦争は起きていなかったし、深刻な対立もなかったのだろう? 小さな内乱や利害関係の対立はあったらしいが、核兵器まで動員して、武力に訴えるほどのものではなかったというじゃないか。それならばなぜ、そんなものを持っていたんだ? 使うつもりもないのに。第一そんなものを派手に使えば、地球そのもの、人類全体を滅ぼしてしまうに決まっているのに。正気な人間なら、それがわかっているから、決して使わないだろう。世界の二大勢力がお互いの脅しのために持っていたというのが原因なら、その対立が解けた時に、なぜその致命的な核兵器を、すべて放棄してしまわなかったのだ? 原子力発電だって同様の意味で危険だと、以前から取りざたされていたという。事故もあったという。処理方法さえまだ完全に確立できていないのに、運転を続けていたというじゃないか。そんな、一つ間違えれば人間の手に負えないような致命的なものなど、放棄すれば良かったんだ。それさえなければ、ほぼ全滅などというひどい事態だけは、招かずにすんだだろうに。もちろん隕石群の落下で、相当被害はこうむっただろうけれどね」
 そう言われると、返す言葉もなかった。力の論理が――武力で相手を脅し、自然さえも蹂躙してきた、その身勝手が地球の怒りを招いたのかもしれない。そんな思いが、ぼんやりと頭をよぎっていく。
「力による解決は、何も生み出さないよ」
 ゴールドマン氏は穏やかな声で話し続けていた。
「戦争は、そのもっとも大規模な例にすぎない。自己の欲望を満たすために、他者を力にものを言わせて、押さえつける。個人的なレベルなら、ただの喧嘩か、悪くとも犯罪ですむだろうが、国家の間となると、ことは深刻だ。多くの罪もない人たちを巻き込む。罪なき命を奪い、血を流させる。そんなことは、起きてはならないことだ。力を力で押さえても、本当の征服にはならないことを、なぜ気がつかないのだろう。戦いといえば聞こえはいいかもしれないが、力で脅して押さえつけるのは、人間として最低のことだ。ましておや、武器に頼るなんてね。そう私たちは教えられている。旧世界の人たちにもこの考えが徹底されていたら、決して武力による嚇しなど、望まなかっただろうに。そして自然をさえ、その力の論理で押さえつけるような暴挙も、なかっただろうにね」
「それは……たしかにその通りかもしれません……」
 ため息とともに、そう認めざるをえなかった。人間の身勝手が地球を殺してしまう前に、自然の摂理が下した裁きなのだろうか。だけど――だけど、悔い改める時間はもうないのだろうか? この時代ではもうすでに過去の事実になっている恐ろしい終焉は、絶対に避けられないものなのだろうか? 激しい震えを感じた。もしこれが本当に現実なら、僕らの文明は、人々は恐ろしい未来に向かって、薄氷の上を歩いていることになる。十一年後に突然足元が割れ、滅亡の深淵に落ちていくとも知らずに。
「君たちには酷な話になったね。許してくれたまえ。旧世界のシステムが間違っていたとしても、それは君たちのせいではないのに、責めるような口調になってしまって。それでなくとも動揺しているだろうに。今はきっと、心の整理をするのに、やっとというところだろう。だが時間が経てば、もっと耐えやすくなるさ。君たちは芯が強そうだからね」
 博士はなだめるような微笑を浮かべながら、僕たちの肩を順々に叩いた。
「私のセッションは、これで終わりだ。君たちに会えて、たいへん有意義だったよ。今は君たちもいろいろとつらいだろうが、これだけは覚えておいてくれたまえ。この世界はいつでも喜んで、君たちを迎えるつもりだとね。いずれここでも君たちの居場所が見つかると、私は信じているよ」
 博士の言葉には、紛れもない温かみと優しさが感じられた。そのことに、感謝すべきなのだろう。でもみんな、ただ黙りこくって頷くだけだった。それが精一杯だったのだろう。僕もそうだった。




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