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かなり日が傾きかけた頃、ようやく町の外壁に着いた。目の前に高さ五メートルくらいの、濃い灰色のスティールでできたような壁がそびえている。その上に三、四メートルほどの高さで、半透明の膜を挟んだハニカム状のネットが張りめぐらされ、そこから上は透明な堅い壁になっていて、ドーム状に街を覆っているようだ。透明な壁を通して、大小さまざまなビルディングが建っているのが見える。でも、どうやって中に入るのだろう。見まわしてみても、入り口らしいものはどこにも見当たらない。
「とりあえず、このまわりに沿って歩いていけば、どこかに入り口があるだろう」
ロブがしばらく考えこむように黙った後、うなるように言った。
「ああ! まだ歩くのか?!」
誰からともなくそんな声が上がったけれど、ほかに仕方がない。幸い町自体、そんなに大きくはなさそうだった。
その場で右へ行くか左へ行くかを決めるためにコイントスをして、結果右側へ回った。壁には、ところどころ大きな空気ダクトのようなものが埋め込まれていて、微かに排気を出している。町全体が、気温調整されているのだろうか。さらに歩いていくと、今度は町に隣接してもう一つ、少し小さめのドームが見えた。透明な壁を通して見える内側の様子からみて、どうやら農場らしい。
ドーム同士が隣接している境目あたりに、人が立っている。複数の人影だ。四人いる。僕たちは心持ち足を早めて近づいていった。でも、相手の姿をはっきり確認したとたん、僕は思わず立ちすくんだ。人がいると思ったけれど、本当に彼らは人間だろうか? たしかに人間の形はしていたけれど、緑色のビニールでできたようなジャンプスーツを着た相手は、銀色に光る金属の肌をしていた。頭はつるりとしていて、赤い眼球はまるでガラス球のようだ。
ああ、本当にもう何なんだ、これは……なんて夢なんだ。そんな思いしか感じられない。僕は思わずその場にぺたんと座りこんだ。何人かが、同じことをしている。みんな、同じ気分なのだろう。疲れた。お腹もすいた。こんな夢はもう終わりにしてほしい――。
でも、終わりにはならなかった。四人いるロボット(たぶん、そうに違いない)たちのうち二人が近づいてきて、少し距離をあけて立ち止まると、丁寧に頭を下げた。
「みなさま、ようこそ、ニューヨーク市へ」
「え?」
予想通りの機械的で抑揚のないトーンに、驚いたわけじゃない。その言葉が信じられなかった。ここがニューヨーク? このちっぽけな、ドームにおおわれた町が? 第一、地理上のニューヨークは、もっと北東のはずだ。僕たちが遭難したところがボルチモアとフィラデルフィアの中間点を過ぎたくらいなら(ちょうどスィフターの事故地点あたりだ)、ここはいいところ、ペンシルバニア州を出たところくらいだろう。夢に説明をつけるのも変だ。それはわかっているけれど、あまりにも現実感が生々しく、どうしても混乱せずにはいられない。
相手はこちらの様子は、ほとんど気に留めていないようだった。たぶん、そこまではプログラミングされていないのだろう。口調を変えず、質問してくる。
「みなさま、歩いていらっしゃったのですか? お車はどうしたのですか?」
「ああ、車は動かなくなったから、途中で乗り捨ててきたんだ……」
ロブがためらうような口調で、そう答えていた。
「壊れたのですか? 連絡をくだされば、迎えに行きましたのに」
もう一人が頷くような動作を見せた。
「のちほどレスキュー隊に要請して、車を取ってまいりましょう。あなたがたは、どこからいらしたのですか?」
「アトランタからですが」
「アトランタ? そんな町はありません」
僕たちはお互いに顔を見合わせた。オリンピックもやったほど、大きな都会のはずだ。いくらロボットだって、そのくらいの情報はインプットされているだろう。
「アトランタから、ワシントンDC、フィラデルフィアを経由して、ニューヨークへ向かっていたんです」
ロブが首を振りながら言うと、相手も首を振る。
「ニューヨーク市はここですが、それ以外の地名は、聞いたことがありません」
「えっ?」
アメリカの首都も知らないだって? ここはたぶん、アメリカのはずなのに。
「あなた方の出身都市はどちらですか?」
相手はそう聞いてきた。
「カナダのトロントです」ロブは答えている。
まさかそれも聞いたことがないと言われないだろうなと、僕は内心ビクビクしたが、相手はどうやら知っていたようで、頷くような動作を見せた。
「トロント市ですか。遠くから、ご苦労さまでした」
ロボットたちの背後の壁にそって、二棟の小さい詰め所のようなものが、五、六メートルほどの間隔をおいて建っていた。彼らは僕たちをその左側の詰め所へ導くと、そこに設置されている、幅一フィートくらいの箱のような機械を指さした。真ん中に、ちょうど手が入るくらいのすきまが空いている。
「ここに、左手を入れてください」
「……僕からやってみよう」
ロブが少しためらうように腕を動かした後、手を差し込んだ。そのとたん、ピーっと鋭い警告音が鳴った。機械の上の赤いランプが点滅している。ロブはぎょっとした顔になり、慌てた様子で手を引っ込めていた。
「あなたは、IDリングを着けていらっしゃらないのですか?」
ロボットの一人が言った。
「それは、すべての市民の義務です。血管照合も該当がないのですね。ほかの人たちも、やってみてください」
僕たちはもう一度お互いに顔を見合わせてから、順番にそろそろと同じことをやった。まるで『真実の口』みたいだ。僕たち全員、誰も嘘は言った覚えはないが、結果はみんな同じだった。警告ブザーと赤ランプだ。
番人たちは困ったような動作をした。もしロボットに困惑した顔ができるなら、そうしたに違いない。彼らの一人が左側の詰め所の中へと入っていき、五、六分たって、再び出てきた。
「申しわけありませんが、治安本部まで御同行願います」
言葉は丁寧だった。でも有無を言わさぬ動作で、そのロボットは右手を伸ばしてロブの腕を捕まえ、左手でミックの腕を取った。さらに二体のロボットが近づいてきて、それぞれ両手を伸ばし、僕たちを二人ずつ捕まえる。痛くはないけれど、その力は強く、逃れることは出来ない。残った一体のロボットが右側の建物についている緑のボタンを押すと、二つの詰め所の間の壁が真ん中で割れ、両側にすっと開いた。ロボットたちは僕たちの腕を捕まえたまま、そこを抜けて、町の中へと連れていこうとした。
あらがう気はまったく起きなかった。中に入る時、僕は開いたゲートの上の壁に表示されている、金色の文字を見つけた。
【ニューヨーク市 人口九四二一人】
一瞬のことで、読み違えたんだと思った。ニューヨークに、一万人にも届かない人しか住んでいないなんていうことはない。このくらいの都市の規模なら、それくらいの人口でも不思議はないけれど……でも、それ以上のことは考えられなかった。驚きの感覚は、もうマヒしかけていた。
ゲートを抜けて町の中に入ると、大型の黄色い車が目の前に止まっていた。半流線型でタイヤのない、空を飛ぶ、まさにSF映画で見るエアカーだ。僕らはその中へ押し込まれ、ロボットの一人が運転して、車は走り出した。町の中を飛び進み、中央部にある、ベージュ色の外壁の大きなビルの前へ。車から下ろされると、建物の前に待ち受けていた三体のロボットにまた二人ずつ腕を捕られながら、建物の中へと連れていかれた。玄関を抜けて、エレベータで二一階まで運ばれていく。廊下を少し歩き、ドアを開けると、その中に半ば押し出されるように入れられた。
「しばらく、ここでお待ちください」
ロボットたちは外からドアを閉め、去っていったような足音がした。ロボットだけに、人間のものとは少し違う、金属が小さく鳴る響きと、かすかなモーター音。
入れられたところは、シルバーグレーの壁に四方を囲まれた、窓のない広い部屋だった。三人掛けの黒い布張りソファが二つと、二人掛けの柔らかい人工皮革のようなものが貼ってある濃いグレーのソファが一つ置いてあり、ガラスのような素材でできた四角い大きなテーブルが、二人掛けのソファの前に置いてあった。テーブルの上には何ものっていない。壁の一角は作り付けのキャビネットになっていて、真ん中の棚にテレビかパソコンのようなものが設置されている。床はクリーム色のリノリュームのような感じで、鏡のようになめらかな光沢を放っていた。
僕は黒いソファの一つに腰掛け、ただ部屋を眺めていた。連れてこられる時に見たこのドアの表には、治安維持局の第一控え室というプレートがかかっていた。そうすると言葉は違うけれど、ここは警察に近い組織の部屋だろうか。僕たちは、ここの警察に捕まったのだろうか?
これからどうなるのだろう。留置場みたいなものに、入れられたりするんだろうか――そんな不安も感じたけれど、それ以上にぼんやりとした気分が支配している。考える意欲もすっかりここまでにすりきれて、使い果たしてしまったようだ。どのくらいの時間、この部屋で待っていたのかわからない。腕時計を見る気力もなく、話をする気さえ起こらず、僕は黙ってソファに座っていた。ドアはぴったり閉ざされていたし、開け方もわからないから、ただそこにいるしかない。
他の五人も同じだったようだ。ソファに腰を下ろすと、ロブは身じろぎもせずドアを凝視し、ロビンはうつむいて床を見つめている。ジョージとミックは目を閉じて上を向いているけれど、眠っているかどうかはわからない。エアリィはソファのアームに寄りかかって、完全に寝ているようだ。僕もいつしかソファにもたれて、うとうとと眠ってしまった。疲れたのと、もともとの寝不足のせいだろう。
ドアが開く気配に、僕は目を覚ました。二人の人が部屋に入ってきていた。一人は五十才前後くらいに見える女性。いくぶん白髪が交じった濃い金髪を耳のあたりで短く切り揃えていて、穏やかそうな灰色の目をしている。もう一人は三十代前半くらいの男の人だ。短く刈りこんだ黒い髪に黒い目の、東洋系の入ったような顔。二人とも同じ服装だった。襟の付いた紺色のゆったりしたデザインの上着、足に適度にフィットしたグレーのパンツ。白いバレーシューズのような靴。上着の袖や衿、パンツの裾についたライン飾りの色が違うだけだ。女の人は銀色で、男性は白。彼らはさっき会ったロボットたちとは違い、本物の人間のように見えた。皮膚は肌色で、男の人と女の人で少し色合いが異なり、リアルな感じだ。顔には小じわが、特に女の人の方には多少あり、小さなそばかすやシミもある。手も人間の手そのものだし、瞬きもしている。髪にも白いものが混じっている。そして表情が動く。もしこんなに人間そっくりのロボットがいるなら、最初に見たようないかにもロボット然としたものがいるというのも変だから、たぶん二人は人間なのだろう。そう願いたい。
男の人が口を開いて、グレーのソファに座っていたジョージとミックに、黒い三人掛けソファに移るように要請した。そのあと彼は女の人とともに二人掛けソファに並んで座り、テーブルを挟んで僕らと向き合った。女の人が薄い銀色の箱をテーブルの上に載せ、画面を開いた。携帯用のパソコンのようだ。そして顔を上げ、僕らをじっと見ている。奇妙な表情だった。好奇心と驚きが入り交じったような。男の人も同じような表情を浮かべて、僕らを凝視している。僕も相手を見返した。自分がどんな表情をしていたかは、わからない。たぶんきっと、他のみんなも含めて、疲れきった半ば放心したような、それでも不安は隠せない、そんな顔だったかもしれない。おっと、エアリィはまだ熟睡中だ。「おい、起きろ!」と、あわてて僕とジョージが強く揺り起こし――しばらく無反応だったが、彼もやっと目を覚ました。そして「ここ、どこ?」などと言っている。
女性はそんな僕らの様子を、じっと見ていたようだ。でも気分を害したような表情はなく、少し驚いたような感じの後、微笑を浮かべていた。
「はじめまして、みなさん。私はエリザベス・シンプソン。ニューヨーク治安維持局の、移民管理官です。こちらは助手のトーマス・アーロン。みなさんのお名前と出身都市、それから生年月日を聞かせてください」
穏やかな、なだめるような口調だった。その言葉と彼らの反応を見ている限り、二人とも正真正銘の人間のようだ。ほっとした。この町にロボットだけしかいなかったらどうしようか――そんな危惧もかすかに感じていたから。
僕たちは順々に言われた質問に答えた。でも、なぜ彼女も助手もひどく困惑したような、不思議そうな表情を浮かべるのだろう。
シンプソン女史はため息をついて頭を振っていた。
「何かそれを証明するようなものがありますか?」
「免許証やパスポートなら……」
「では、それを渡してください。それからDNAパターンを調べますから、このテープを腕に貼り付けて、はがしてから二つに折って閉じてください。それをそのIDカードにつけてください」
言われるままに渡された小さな四角いテープを腕に貼り付け、はがして二つに折り、男の人から渡された接着テープのようなもので自分の免許証の裏側に張りつけてから、パスポートと一緒に手渡した。他の五人も同じようにしている。女性は渡されたものを一つ一つ手にとって、しばらく不思議そうに眺めたあと、助手に渡して短く命令していた。
「鑑定に回して。証明が本物かどうか。それに、全都市住民のDNAパターン照会もね」
男の人は「はい」と声に出して頷くと、それを持って部屋を出ていった。シンプソンさんと名乗った女の人は、再び僕たちをじっと見ている。相変わらず不思議そうな、怪訝そうな表情で。そして、また不意に微笑んだ。
「もう十八時を回っていますね。夕食にしましょう」
彼女は銀色の薄型パソコンのようなものに向かって、食事を要請していた。
まもなく、えんじ色の髪をしたメイドが、髪の毛と同じ色のワンピースのような制服を着けてやってきた。その手に、いくつものトレーを重ねて持っている。このメイドは一見してロボットとわかるのだけれど、銀色の肌ではなくて、マネキンのような感じだ。動作はわりと自然でも、その目は瞬きをせず、表情も動かさない。ロボットメイドはテーブルの上に白いプラスティックのトレーを一つ置き、残る六個のトレーを、僕らに一人ずつ手渡した。缶に入ったポークビーンズと、パックされた乾パンが五枚、そしてスキムミルクを溶かしたような飲み物がプラスティックの白いコップに入っている。トレーの隅には濡れたペーパータオル(たぶんお手拭きだろう)と、小さな白いプラスティックスプーンが添えてあった。
「これが私たちの普段の食事だとは、思わないでくださいね」
シンプソン女史は再び微笑を浮かべていた。
「あなたがたはご存じかどうか知りませんが、今日は特別な日なのです。この日、世界中の市民がみな三食この食事を取って、先駆者たちの受難を忍び、感謝を捧げることになっているのです」
何を言っているのだろう。よくわからないが、とにかくお腹がすいた。僕たちはトレーを膝の上に乗せ、手をきれいにしてから、食べ始めた。空腹は最大の調味料なのだろう。まるで非常食のようなこのメニューでも、けっこうおいしく食べられる。量は全然もの足りないけれど。シンプソンさんも食物を口に運びながら、考えこむように黙って、僕らを見守っているようだった。その表情には時々、かすかな当惑が見て取れた。
食事が済んだ頃、銀色のパソコンがピピッと音を立てた。彼女は画面をのぞきこむと、耳を傾け、時々驚いたような声を上げながら、小さく何度も頷いている。
「そう……そう。まあ!やっぱり、そうなの?! ええ? まあ、本当に?! そうね、もう少し詳しく調べてみないと、何とも結論は出せないけれど……そうね。その可能性は大きいわね。アンダーソン市長に、至急その旨を報告してちょうだい。彼らにはこれから科学検査を受けてもらうことになっているから、データを検査部に送ってね。今日はもう遅いから、検査だけで終わりでしょうね。終わったら、市庁舎の一時滞在室に泊まってもらうことにしましょう。六人部屋は三つとも空いているから、とりあえず三号室に。それからのことは市長に決めていただいて……他の人への連絡? そうね、ゴールドマン博士と、それとパストレル博士にも連絡した方がいいでしょうけれど、それは結論が出てからでもいいでしょう。でもスタンディッシュ博士には、今伝えたほうがいいわね。検査に間に合うように。よろしくね。それが終わったら、今日はもう帰ってもいいわ。ありがとう」
彼女はボタンを押し、しばらく何か操作をしていたが、やがて再び話しだした。
「科学検査部ですか? 連絡はもう受けていますね。ええ、休日の時間外で申しわけありません。これから被験者たちを送るわ。ええ、全部で六人です。私が連れていきますわ。ええ、たぶん私一人でも大丈夫だと思うから、護衛はいりません。私の指示に、素直に従ってくれていますので。詳しいデータはアーロンがそちらに送ります。ええ、よろしく」
どうやらこの銀色の携帯型パソコンは、通話も出来るらしい。僕らの時代でも珍しくはないけれど。シンプソンさんは通話を終えると、僕たちのほうに向き直った。
「食事はすみましたね。これから科学検査室へ移動して、検査を受けてもらいます。私が案内しますわ。ついてきてください」
科学検査? いったい、どんなことをやられるのだろう。でも彼女に従うしか僕らに選択肢はない。僕らは女史のあとについて部屋を出た。広い廊下を渡り、エレベータホールに行って、十五階までおりていく。シンプソン女史は白塗りの大きなドアの前に立ち、僕らに告げた。
「さあ、着きました。ここですよ」
そしてこちらの心配を見透かしたように、にこやかに微笑んで付け加えている。
「大丈夫ですよ。検査に苦痛はともないません。リラックスして受けてください」
新しい部屋で僕たちを迎えたのは、二十代後半くらいの男性、三十代半ばの男女二人と四十才前後の男性、全部で四人だ。彼らもみな、ロボットではなく人間だ。その容貌も仕草も。一番若い人と女の人の髪は茶色く、あとの二人は黒い。三人の男性はみんな頭を短く刈り、女性もショートボブだ。さっきのシンプソン女史もこの女性も、化粧はしていない。四人とも上着は白に近い色合いのグレーで、紺色のボトムスをつけている。靴はシンプソン女史たちと同じものだ。縁飾りのラインは一番若い人が黄色、真ん中の二人が緑、年長の人が紺だった。一種の階級わけだろうか。
彼らは僕らにここで待つようにと言い、すぐに奥のドアへと入っていった。
その部屋はけっこう広かったが、相変わらず窓のない殺風景なところで、備品は何もなく、調度もいくつか置いてある青いソファだけだった。そのソファに腰かけてしばらく待っていると、一番若い男性がやってきた。
「これからみなさんの検査をします。一人ずつしかできませんから、順番にやりましょう。姓のアルファベット順に実施しますので、あとの人は自分の番が来るまで、できるだけ静かに待っていてください。では、ロバート・ダニエル・ビュフォードさん、どうぞ」
「僕が最初か。Bだからな……」
ロブが苦笑して立ち上がった。
「仕方がない。僕はマネージャーだし、一番年長だからな。先陣を切っていくよ」
彼は不安を押し隠しているのが見え見えという感じの微笑を浮かべ、自分と同じ年くらいのその男性に導かれて、奥の部屋へ消えていく。残った僕たちは顔を見合わせた。
「姓のアルファベット順っていうと……」
「うちのバンドは、RとSしかいないんだよな。RはSより早くて、RollingsはRosenstainerより早い。ということは、次はジャスティンだ」
「えー!」
僕はいきなりそわそわしてしまった。
「で、最後はミック?」
「Straitsより、Stanfordのほうが早いからね。それでGeorgeがRobin、じゃなかった、Robertより先だよ」
「じゃあ、順番はそれで決まりだな」
僕たちはソファに座って、自分の番を待った。みな、心なしかさらに口数が少なくなっている。まるで何か重大な検査をしに来た病院の待合室で、びくびくしながら順番を待っているような感じだ。わりと時間もかかっているようだ。痛くないとシンプソン女史は言ってくれたけれど、本当にそうだろうか。いかにこの現実が常識はずれで、たぶん夢だろうと思っていても、目の覚める当てがない今、これから起こるだろうことはやっぱり気になる。
三十分近くたった頃、小さな薄黄色のプレートを手にして、ロブが部屋から出てきた。別に顔色も悪くなく、恐ろしげな表情もしていない。少し怪訝そうなだけだ。彼は僕たちと話をすることは許されず、そのまま別の部屋に連れていかれ、鍵をかけられている。同時に、さっきの男の人が呼んだ。
「ジャスティン・クロード・ローリングスさん、こちらへ来てください」
僕は観念してゆっくり立ち上がり、みんなの心配そうな視線に送られながら、奥の部屋へ導かれていった。
そこは待合室と同じくらいの広さで、壁の一方は複雑な機械パネルで占められている。計器の前に、四十年配の人と三十代半ばの男の人が並んで座っていた。彼らは分析を担当しているのだろうか。部屋の中央に白いカプセルのようなものが置いてあり、そのそばに普通のベッドがある。ベッドの横には小型の機械と白いヘルメットのようなものがのったテーブルがあった。
カプセルとベッドの間に、女の人が立っている。彼女は僕を見ていた。事務的であろうとしながらも、どことなく好奇心を隠せない、そんな表情だ。でも、すぐに機械的な笑顔になり、部屋の隅のカーテンで仕切られたところを指さして、もの柔らかだけれど、少し突っ放したような口調で命じた。
「あちらで服を脱いで、検査着に着替えてください。篭の中にありますから。下着も全部脱いでください」
見事に病院の検査そのものだ。いや、病院の検査では、滅多にブリーフまでは脱がない。そこへ行って着ているものを全部脱ぐと、白い検査着――直線的なデザインで五分袖、丈は膝の下くらいだ。袖を通して、頭からかぶるようになっている――に着替えた。カーテンの陰から出ていくと、ベッドに行って横になるように命じられる。言われるままに横になると、ボタンが押され、見る間にベッドの中から金属性の輪がのびてきて、手首と腕、足首と腰のあたりに、かちゃんとはまってしまった。身動きできないようにという枷なのだろうか? さらに白いヘルメットを頭にすっぽりかぶせられた。
おたおたしている様子が見え見えだったらしい。女の人が微笑を浮かべながら、穏やかな調子で声をかけてきた。
「心配しなくていいですよ。それは生体パルスを感知する機械なんです。あなたが本当のことを言っているのかどうかを調べたいのです。まずリラックスして、二、三回深呼吸してみてください。そう……いいですか……では、私の質問に正直に答えてください」
「はい……」
女の人は質問し、僕はできるだけ正確に答えようとした。自分の名前、生年月日、出生地、現在の年令と職業、両親の名前や職業、家族構成。僕が覚えている“現在”は何年の何月何日か、世界の国の数、主な国家とその首都、世界人口とアメリカとカナダの人口、産業と文化、そんな質問だった。後半部分も一応正解のはずだけれど、中にはちょっと記憶が怪しいものもある。こんなことなら地理の勉強を、もっとしっかりやっておけばよかった。それが終わると、ロールシャッハや連想テストなどの心理分析。そして、やっと身体が自由になる。
でも、これで終わりだと思ったら甘かった。起き上がると、今度はカプセルのほうへ移るように言う。僕はベッドをおり、まるで白い巨大な玉子のように見えるものの中に入った。カプセルの蓋が静かに閉じると、真っ暗で身動きもできない。なんだか棺桶にでも入ったようで、落ちつかない気分だ。耳元で、女の人の声が聞こえてきた。
「大丈夫ですよ。目を閉じて、リラックスしてください。すぐに終わりますから」
目を閉じなくても、中は暗いから同じだろう――そうは思ったけれど、言われるままに目を閉じた。ぶーんと言う、機械の低いうなりが聞こえてくる。ひどく眠い──。
気がついた時にはカプセルの蓋が開けられ、女の人が見下ろしていた。
「終わりましたよ。服を着てください。検査着は青い箱の中に入れておいてください」
服を着おわると、案内役の若い男の人が、薄いプラスティック製らしい黄色いプレートを手渡した。
「生体検査の結果です。参考までにどうぞ」
僕は彼に導かれて、外へ出た。さっきロブが連れていかれた部屋に促され、同時に男の人が呼んでいる。
「ジョージ・マーティン・スタンフォードさん、あなたの番です」
あれ? 僕のあとはエアリィじゃ? まあ、当の本人はまた寝てしまっているが――。「あ、いや、起こしますから」と、ミックとジョージが慌てたように言ったが、男の人は首を振っている。
「いえ、いいのです。そのままで。アーディス・レイン・ローゼンスタイナーさんは生理学の主任博士がこちらへ来られるまで、お待ち願うことになっていますから。順番は前後しますが、他のみなさんの検査を先に行います」
男性はジョージを検査室へ促し、同時に僕を別の待合室へと送りこんだ。
青い布張りソファの上で、ロブがぐっすりと寝込んでいた。やっぱり彼も寝不足と、疲れが出ているのだろう。僕の検査中、ここで一人待っていたわけだし――僕はできるだけそっと、別のソファに腰をおろした。正面の壁にはめこまれた時計が見えた。デジタル表示で、二〇時三八分になっている。日付は十一月二日――ちょっと待った。今日は一日じゃなかったかな。自分の時計を見直した。午後五時半前――あれ、三時間以上遅れている。でもそんなことは、本当にどうでもいいことだ。今まで起きたことに比べたら。
僕は頭を振ると、持ってきたプレートに目を落とした。一番上にフルネームが書いてあり、その横に性別。その下にメートル法で身長体重が記されている。一八四・一センチ(LIMIT)、六六・四キログラムと。身長は、もうこれ以上伸びないと言うことか。体脂肪率は十三パーセント。その下に血液型。O型RH(−)の表示の下に、MN、キッド、ルセランといった、いろいろな型が書いてある。その下が一から十六までの表題がついた、DNAパターンの一部らしい。横に人体模型が描いてあり、骨格が青、筋肉が赤の濃淡、脂肪が黄色の濃淡で表されている。五才の時に幼稚園の遊具から落ちて左足を骨折した跡もマーキングされていた。【亀裂骨折再生痕。十二年と三ヶ月ほど経過】とも書いてある。小さな擦り傷や打撲はカウントされないけれど、ある程度大きなものは、何年経過しているかも含めて、わかるらしい。病気の既往も、風邪などの軽いもの以外は記録されている。僕はそれ以外、それほど大きな既往はないが。その下にもいろいろな項目があって、ごちゃごちゃと記号が書き込んであった。でも理解はできない。そして、こんな記述で終わっていた。生体経過年月、十七年七ヵ月二週間。誤差が前後五日。自然終息予測年、残り六〇〜六三年。……ひょっとしてこれは、僕の自然寿命の予測だろうか? というと、七七才から八十才くらい? ええ! 恐ろしく妙な気分だ。
左下の隅に、日付が記されていた。十一月二日。木曜日。NA二四八年――なんだ、この年号は。ADじゃない。しかも二四八年なんて、ずいぶん若い数字だ。
ここはいったい、どんな世界なんだろう――そんな思いが、はっきりとわき上がってきた。ここはかなり科学技術が発達していそうだから、未来なのかもしれない。でもこの見慣れない紀元では、僕たちの時代からどのくらい先なのか、さっぱりわからない。それとも、どこか異世界へ紛れ込んだのだろうか。
深いため息が漏れた。なんて長い、変な夢だろう。妙に現実感のある――それとも、やっぱりこれは現実なのだろうか? そんなはずはありえないのに──。
ロブは相変わらず、ソファの上で眠っている。僕は黄色いプレートをもてあそびながら、ぼんやりと思っていた。昨日までの僕に戻れるのは、いったいいつなのだろうかと。
バスの中での睡眠不足がたたってか、いつのまにかまた、少しうとうとしていたらしい。ジョージが入ってきて、僕は目を覚ました。彼も手にしたプレートを興味深そうに見ながら、隣に腰をかける。見せてもらったら、項目はまったく同じだった。身長一八一センチでリミット。体重八一キロで体脂肪率十三パーセント。体重のわりに脂肪が少ないのは、筋肉質の証明だろう。血液型はRH+O型で、細かい分類がいろいろ、そしてDNAマップといろいろな因子のプラスマイナス。組織分布図。最後に生体経過年が二十年十ヶ月と二週間、誤差前後一週間ほど。自然終息寿命が五五、六年先とあった。
お互いのプレートを見せあい、話しているうちに、ロブが目を覚ました。彼も僕らの結果を見、自分のも見せてくれた。形式や項目は僕らと同じだ。ジョージやロビンのことならけっこう知っているが、ロブに関しては初めて知ったことが多かった。彼の血液型や体重、十六才の時に盲腸の手術をしたことや、二十才の時に右腕に切り傷をおい、六針縫ったことなど。スィフターのツアーバス事故での怪我も、ちゃんと記載されていた。ロブはすでに生体経過年月が二七年半経過しているのに、残りの寿命予測が六二、三年もあって、その長生きぶりにも驚いた。
「ところで、今は誰が検査しているんだい?」
僕は思い出して、ジョージに聞いてみた。
「ロビンだよ。エアリィは最後になるらしいぜ。そのなんとかっていう生理学者の先生が研究室によってから来るし、検査にも時間がかかりそうだからって、あの案内役の人が言ってたからな。俺もすぐこっちに送り込まれたから、詳しいことは知らないが」
「生理学者の? ってことはバイオロジーだよね。まだ僕たち皮膚のDNAを取っただけなのに、なぜそんな人が来るんだろう?」
「それは俺も知らないな。当のエアリィは、まだ寝てるしな。あいつは本当にすぐ寝るし、一度寝るとなかなか起きないし、困ったもんだ。ツアーの移動で、生活リズムが不規則になってるせいもあるんだろうな」
ジョージは首を振り、ため息をつきながら言葉を継いだ。
「そうなんだよな。俺たちは初めての全米ツアー中だった……」
「ああ……」
僕は頷いた。僕は今夢を見ているのか。それとも今朝までの自分が夢だったのか――。僕は肩をすくめ、再び全員がそろうのを待った。
やがて、ロビンが検査を終えてやってきた。自分の結果を僕らに見せながら、悲しそうに言う。
「僕……身長、これ以上伸びないんだって。せめて百七十は欲しかったのに。これで止まっちゃったら、いやだなあ」と。
たしかに彼のプレートには一六八・七センチという身長表示の後に、リミットと記されていた。体重は五七.三キロ、体脂肪率は十九パーセント、血液型はRH+A、生体経過年月は当然のごとく僕と同じで、自然終息年月もあまり変わらない。その後に来たミックは、一八三センチの身長に対し百キロ近くもある体重が問題で、体脂肪率三六パーセント、成人病に注意、減量を勧める、などと書かれている。だからなのか、生体経過年月二一年と一か月半なのに、寿命の残り予測があと五十年ほどと、他のみんなに比べて少々短めだった。これにはミックもさすがに苦笑いを浮かべながら、「多少はダイエットしたほうが、いいのかなあ。でも食べることは僕の最大の楽しみの一つだから、厳しいね」と首を振っている。彼は子供の頃、アトピー体質で喘息気味だったらしいこともわかった。
だいたいみんな三十分ちょっとの間隔を置いてやってきたが、ミックが終わってから、検査を最後に回されていたエアリィが戻ってくるまでには、一時間近くかかった。ミックが検査を終わった時にはエアリィも目を覚ましていて、「起きたら誰もいなくて、びっくりした!」と言っていたらしいから、起こすのに時間がかかったわけでもなさそうなのに、と僕らが心配しはじめた頃、やっと彼は部屋に来た。が、入ってくるなり大きく息をついて、ソファに崩れるように座りこんでいる。
「どうしたんだよ。大丈夫か?」
声をかけると、エアリィは頭に手を当てたまま、僕らのほうを見た。
「大丈夫……けど、なんかめまいがする。平衡感覚がやばい感じ。頭も痛いし。たぶん嘘発見器とか精神分析とかはみんなと同じなんだろうけど、カプセルに入ってからが長かったみたいで。起きようとしたら、よろけて立てなくなって。『すみません。分析に時間がかかって、長くなってしまいました』って、あの女の人が謝ってたけど。で、お水もらって飲んで、一息ついて、それから出てきたんだ」
「そうか。頭痛なら痛み止め、一応ロブが持ってると思うけど、おまえは飲めないんだったな」僕は肩をすくめた。
「痛み止め!? 僕を殺す気?」
エアリィは頭に手を当てたまま、苦笑する。彼はほとんどすべての薬品に対して過敏反応があるらしく、症状緩和より先にアナフィラキシーが来る可能性が大らしい。実際、子供のころ病院にかかった時に持たされたという『私は薬品アレルギーです。ビタミン剤と生理食塩水、ブドウ糖以外は一切使わないでください』というカードを携帯しているくらい、薬と名のつくものがまったく飲めないようだ。
「大変だったね。でも、どうして君の検査が最後になったのか、理由はわかったのかい? 生理学者の人が来るから、と聞いたけれど」
ミックがそう問いかけている。
「うん……最初は寝てたから最後になったのかなって思ったんだけど、違うっぽい。なんか、僕は特殊体質らしいんだ。それだけしかわかんないけど……スタンディッシュさんっていう主任生理学者さんが来て、何人かの助手さんと一緒に……BBとかピクセルとか、いろいろ驚いたように言ってたけど、でも直接僕に向かっては何も説明してくれなかったから。すぐカプセルに入らされて、そうすると外の音聞こえないし、また寝ちゃったし」
「ちょっと、おまえの検査結果を見せてくれよ」
僕はすっとその手からプレートを取った。身長一六四・〇cm(+五・六cm)、体重四七・四kg、体脂肪率九・二パーセント。血液型AB亜型 RH(−)――亜型って何だ? 生体経過年月は十四年五ヶ月二週、誤差一週間、自然終息年月、未確定。えっ? なんだ、未確定って。長いのか、短いのか? そして人体構成図は、既往が異様に多かった。肺炎の既往が二回と、その他にこんなことが特記してある。
【およそ五才六ヶ月より六才七ヶ月頃まで、栄養不良による飢餓線が見られる。途中六ヶ月ほど、改善されている。六才三ヶ月から六ヶ月頃までに断続的に受傷したと思われる二一八カ所の打撲再生痕。右前腕と中指に、二箇所の単純骨折再生痕、肋骨、肩甲骨、鎖骨、両大腿骨、頭蓋骨に合計十一箇所の亀裂骨折再生痕。規模は小さいが、内臓損傷修復痕が肝臓、脾臓、左肺、左腎臓、胃、小腸、上行結腸に、合計で十箇所見られる。修復は完全で、機能的にはまったく問題なし。全体に再生能力が普通人の三、四倍ほどはあると思える。BBの影響か?】
エアリィが六才の時、いったい何があったのだろうか――。DNAマップはほとんど判読できなかった。僕らは黒一色だが、彼には青表示の文字が混ざっているということ以外は。それに赤でこんな記述がある。
【PXLP八五%(平均) PXLS(+) B・B(最大級)】
僕が読めたのはそこまでだった。
「あ、ちょっと、返せ!」と、エアリィは立ち上がって僕の手からプレートをひったくり、少しよろけて壁に手をつきながらも部屋を横切って、壁に備え付けてあったダストシュートの中に投げてしまった。後でわかったことだが、ここのごみ箱は処理場へ直結らしく、一度捨ててしまうともう取り返せないらしい。彼はそれを投げ捨てた後、「ああ、もうっ!」と小さく声を上げて頭を押さえ、壁を背にして座り込んでしまった。
「もう! 勝手に見ないでくれる? 平衡感覚やばいから、動くの大変なんだ、今!」
「わかったよ。でも、おまえが嫌がるとは思わなかったんだ。どうしてなんだよ。僕らみんな、見せあってるのに」
「みんなはいいよ。でも、僕は困る。見ちゃった?」
「ああ、少し」
「どこまで?」
「身長体重と経過年と、血液型。それに、身体図と寿命予測と、ちらっとDNAマップを。それだけだよ」
「そう……」
「何がいやだったんだ? 何か困るのか? まあ、よくわからないけど、おまえがいやなら、読んだ結果は言わないよ」
僕も訳がわからないながら、首を振った。たしかに見せてくれる前から勝手に見てしまうのは、少々悪かったかな、と。
「いや……別にいいよ。それだけなら」
彼はふっとため息をついて立ちあがり、再びソファに座った。
「そうか……」
僕は頷いた。でも、それ以上に知られたくなかったことなんて、もしあったとしたら、何なのだろう。自分のプレートを見ても、よくわからない。
かなり夜も更けている。眠かったし、くたびれてもいた。何も深くは考えられなかった。自分たちの現在の状況さえも。
やがてさっきの若い男の人がトレーの上に小さな紙コップを六個のせて、部屋に入ってきた。それを僕らに配る。少し甘みのついた、スポーツドリンクのような味だ。
「これで検査はすべて終了しましたので、部屋にお帰りください。お疲れ様でした」
男の人は飲み終わったコップを回収しながら言った。
どうやって帰るのだろう、どこへ行っていいかも分からないのに、そう思っていると、ドアが再び開き、二体のロボットが入ってきた。二体とも、町の門のところで見たような金属製の奴だ。やはり同じ緑のジャンプスーツを着ている。
「みなさんのお部屋に案内しますので、後についてきて下さい」
一体がそう言い、僕たちがその後についていくと、もう一体が最後尾をついてきた。僕たちは、エレベータで二五階まで上がった。そこから渡り廊下のような通路を通って、隣のビルの中に入る。そこで最後尾のロボットが列を外れ、待っていたロボットと入れ替わった。これは夕食を運んできたメイドと同じ型のようで、えんじ色の髪にえんじ色のワンピースを着たマネキン型だ。目は薄い灰色のビー玉のようだった。
先頭のロボットは僕たちを導いて再びエレベータを下り、十八階まで来ると、18D3とプレートのかかったドアの前まで先導した。その横についている開閉ボタンを押してドアを開け、片手で僕たちを促すような動作をしながら、相変わらず抑揚のない声で言う。
「ここが、みなさんの一時滞在室となります。どうぞ中にお入りください」
かなり広い部屋だった。金褐色の模様織りカーテンがかかった大きな窓も一つあり、壁は薄いクリーム色で、つるつるとした感触だ。一方の壁には、幅一メートル半ほどで高さが二メートルくらいの、プラスティック製らしい茶色のキャビネットが設置されていて、その真ん中に銀色の、ここでよく見かけたテレビかパソコン画面のような、ディスプレイが置いてある。画面の周りには大小十個ほどの、さまざまな色のボタンがついていた。その下の棚には、大きめのリモコンのようなものが置いてある。部屋の奥は、窓にかかっているのと同じ色のカーテンで仕切られたコーナーになっていて、二段ベッドが三つ作り付けになっていた。つきあたりにはドアがあり、中は洗面所とトイレになっている。洗面所は普通に水が出、紙タオルで拭くようになっている。拭き終わった紙タオルは、それ専用の処理口に入れる。あとで聞いた話だと、そこからまとめて再処理されるらしい。トイレも普通に水洗だが、水の量は少なく、それでも汚れが残ったりはしないようだ。床には毛足の短い濃い茶色の絨毯が敷かれ、茶色いダイニングテーブルと六脚の椅子、ベージュ色のモケット張りのような三人がけソファが二つ置いてある。壁にはめこまれた時計は、二三時二四分と表示されていた。ベッドコーナー反対側の奥まったスペースには、小さな流し台が付いている。
「明朝は八時に起床アラームが鳴りますので、その時間までに起床願います。八時三十分に朝食を持ってまいりますので。こちらが、みなさんの就寝着です」
後から合流してきたメイドロボットが一緒に中に入ってきて、両手に持っていたものをソファの上に置いた。白っぽい服が畳まれて、積み重ねられている。
「もし起床時間までに何かご用がありましたら、そのパネルにあります緑のボタンを押して、そのキーボードから2と入力してください」
メイドは入り口に向かい、ドアの傍らにある銀色のボタンを押した。クリーム色のドアがすうっと横にスライドし、開くと、それは廊下に出ていく。そしてドアは再び閉まった。でも僕らがそのボタンを押しても、ドアはもう開かなかった。
「ここから出るなってこと?」
エアリィが肩をすくめて僕らを見、
「だよな」と、僕も頷いた。部屋の待遇は相当良いにしても、留置場と性質は変わらないのかもしれないという危惧を少々抱いて。
「逃げようなんて気は、とても起きないが……」
ロブが首を振りながら物憂げに言い、
「第一、 どこへ行くんだよ」
ジョージが苛立ったように問いかける。
僕たちはお互いに顔を見合わせ、誰からともなくため息をついて、ソファに座りこんだ。
「一晩、ぐっすり寝よう。それが解決になるかもしれないから」
ミックがゆっくりと首を振りながら、疲れたようにため息をついた。
そうだ。もう眠りたい。着替えて寝よう。
パジャマも持っていたから、それで寝てもいいな、とは思ったけれど、せっかくメイドさんが就寝着(言い換えれば寝間着だ)を持ってきてくれたのだから、着た方がいいのか――僕は寝間着を手に取って迷った。白地に細いグリーンの縦ストライプのものが三組、色違いでブルーストライプが三組。上から下までズドンとしたネグリジェのようなデザインで、薄手のジャージに近い感触の素材でできている。サイズはメンズのフリーのようだから、ミックにはぴちぴちで、エアリィやロビンにはブカブカだろう。僕も一応着てみた。丈はふくらはぎの下だから、まあいいとしても、幅は少し余りすぎる。でも問題はデザインだ。赤ん坊じゃあるまいし、今になってこんな形の寝間着なんて着たくない。いつもはパジャマだから足元がすかすかするし、こんな状況じゃなかったら、お互いの格好を見て、思わず吹き出しただろう。なんだか地上にまちがっておっこちてきたオカマ天使みたいだ。
結局僕はその就寝着を脱いで、持ってきたパジャマに着替えた。こっちの方がやっぱり落ちつく。ジョージもミックもロブも同じようにしていた。でもエアリィは「あー、この感触嫌いじゃないかも」で、ロビンは「こっちの人が置いてくれていったのだから、着ないと悪い気がして」と、そのまま着ていた。案の定、二人とも床に引きずりそうな丈だし、身幅もふわっとしている。ロビンにはあれだが、エアリィには似合う。完璧な美少女天使風だが。(やっぱり紛らわしいから、普通のパジャマ着てくれよ)と、僕はひそかに思ったほどだ。他のみなの表情を見るに、そう思っているのは僕だけじゃないようだ。
ともかく着替えを終えると、それぞれ自分のベッドを決めて、その区画に引き取った。ベッドはみな同じサイズらしい。幅は一メートルほど、だいたい普通のシングルサイズで、長さは僕より少し背の高い人だったら、ちょっとつっかえるかもしれない。ベッドはかなり硬めだけれど、寝心地はいい。しっかり体を支えてくれていて(あとから聞いたところによると、ウォーターベッドの一種だそうだ)、しわ一つなくかけられた真っ白なシーツと、毛足のない金茶色の毛布、というか厚みはキルトくらいあるから、薄手のふとんといったほうが良いかもしれない。その感触がするするとなめらかで、でも滑り落ちる心配はなく、気持ちがいい。枕は自分の好みの高さと形に変えることができるので、調整して整えた。
ベッドに横たわると、疲労感は急速な眠気にとって変わっていった。感覚がしびれ、意識が落ち込んでいく。眠りと目覚めとの境界のぼんやりとした意識の向こうから、鐘の鳴るような音が聞こえてきた。霧の向こう、彼方から響いてくる教会の鐘の音にも似た――ああ、なんだ。僕らはちゃんといるんだ。変な世界ではなく、僕らの居場所に。だって、教会があるのだから。そんな思いがかすめていった。
昏睡のような深い眠り。そのあと風景が現われた。
僕は長い道を歩いている。道はコンクリートではなく、白っぽい土がなめらかに広がっていた。両脇には青々とした草が生えていて、所々白やピンクの花が咲いている。あたりは光がさしていて明るいが、白い靄が出はじめていた。
すぐ後ろをステラが歩いていた。紺地に白い水玉模様のワンピース。金髪に揺れる青いリボン。でもその姿を僕が認めたとたん、彼女は別の女性に変わっていた。ちょっと寂しげな印象がある、若い女性。眼はさほど大きくはなく、青みがかった灰色。小さな鼻と口元。顔全体の造作は、少し中心よりに集まっているような感じで、決して美人とは言えないけれど、愛らしい雰囲気だ。蜂蜜色の髪を二本のお下げに編んで頭に巻き、服装も茶色の小枝模様のワンピースに、白いエプロンをつけていた。首の横に、蝶の形をした小さな赤いあざがある。彼女は誰だろう。でも外見が変わっても、夢の中の僕はなお、彼女がステラだと思っている。僕は振り向き、彼女も立ち止まった。その瞳を涙で潤ませながら、彼女は手を差しのべる。
「わたし、あなたと結婚したかった。一緒に暮らして、あなたの子供を産みたかった。あなたと幸せになりたかったわ」
「僕も君と結ばれたかった。君と結婚したかったよ」
僕も手を差しのべ、彼女の小さな手をしっかりと握った。女性は嬉しそうに微笑む。
「また会えてよかった。嬉しいわ。ずっと待っていたの。でも向こうでも、あなたと結ばれたい。今度こそ」
「僕たちはそうなる宿命らしいよ。だから、大丈夫。今度こそ幸せになろう、シルヴィア」
シルヴィア──? 誰だ、それは? 僕の現実の意識が、そんな疑問を投げかけた。目の前の女性は、たしかにステラではないけれど、僕は彼女だと、なぜか思っていた。それなのになぜ、違う名前を呼んだのだろう。僕は今までシルヴィアという女性と知り合いになったことなんて、ないのに。
視界が渦を巻いたように白くゆがみ、再びはっきりした。別の風景だ。少し薄暗い部屋――ここはどこだろう。壁や床は木張りで、窓には少し緑色がさめたような更紗のカーテンがかかり、シンプルな木製のテーブルと何客かの椅子がある。
一人の祭司が、窓を背にして椅子に座っていた。テーブルを挟んだ正面に、細身の青年が背を向けて立っている。蜂蜜色の巻き毛が首筋を覆い、白いシャツにジーンズ姿だ。
「おまえが今ごろ急に帰ってきたのは、何かわけがあるのかい? まだ撮影の途中だろう?」
神父は頭を上げて、問いかけていた。その顔がはっきり見えた時、あっと軽い衝撃を感じた。二年前に見た夢で臨終を迎えていた、あの人だ。
青年の方は顔が見えない。背を向けたまま頷いて、答えている。
「ええ、実は昨夜、不思議な夢を見たんです。いや、正確には夢を見たと言うより、不思議な声が、信じられないような知識の断片を語ったんです。神父さんと僕が、定められた運命を持つパートナーだと。目が覚めて、どうしてもそのことを神父さんと話してみなくては、と思ったんです。それで三、四日お休みをもらって、ここに来ました」
「そうか、おまえもか。私も実は昨夜、そんな夢を見たのだ。声だけが、知識の断片を語る夢を。目が覚めて、胸が騒いだ。もしそれが本当ならば、恐ろしい……恐ろしいことだ。しかしそれが神の意志なら、私の信じる神より、より真実で、全能の神の意志であるなら、もしくは秩序であるなら、それに従うより他はない。神の裁きが我々の期待どおりでなくても、致し方ないことなのだろう。人間は元々、罪深い生き物なのだから」
「それは少し違うらしいですよ、神父さん」
青年は静かなトーンで話している。僕の視点からは相変わらず背を向けているので、顔は見えない。でも、どことなく聞き覚えのある声だ。低く柔らかで、深みのある声。
「それは裁きではなく、祝福なのだそうです。選ばれた進化の道なのだと。僕たちは選民なのだと、あの不思議な声は言っていました。それは、そのための試練だ。だから僕たちは勇気を持たなくては、と」
「ああ、そうだったな。アリステア」
アングルが変わったせいで、僕にもその顔が見えた。青年はエアリィの祖父でもある、あの有名な映画俳優、アリステア・ローゼンスタイナーだった。声に聞き覚えがあったのは、昔母の秘蔵DVDで彼の主演映画を見たことがあったからだ。アリステアさんは二十代後半くらいの感じだ。
僕の意識はいつのまにか、祭司と同化していた。彼は僕で、僕は彼だった。テーブルをはさんでアリステアさんがいるが、いつの間にか座っている。僕らの前には、それぞれ紅茶のカップが置かれていた。
「今から二十年後に、起源の子が来ると言っていましたね」
アリステアさんの声は、物思いに沈んでいるように響いた。
「誰なのか、どういう意味を持つのか、それはわからないけれど、でも一つだけ僕にもわかったことは、その子が生まれて四半世紀で、世界は最大の試練に出会うらしいということです。それは聞きましたか?」
「ああ、私も聞いた。恐ろしいことだ。あと四五年で、世界は終わりを迎えるとは」
「ええ。本当に恐ろしいことですね。僕自身はその試練には、会うことはないそうですが。それに、生きてその起源の子と交差することもない運命らしいです。会ってみたい気はするんですがね」
「起源の子か。あの声が語っていた。私は次の生で、その子に深く関わる運命だと。本当にロックミュージシャンになるのかどうかは疑わしいが、やはりあの声は真実なのだ。そんな気が強くする。そうだ。私は勇気を持ち、踏みとどまって見届けよう、すべてを。それが私に貸せられた、運命なのだそうだから」
「そうですね。新しい世界が始まったら、またオタワで会いましょう、神父さん。僕たちは、そういう定めらしいから」
アリステアさんは手を差し出し、祭司は手を述べて握り返していた。その手の感触が、僕にもリアルに伝わってくる。指の長い、ほっそりとした繊細な手だ。
僕の頭の中に、その会話の断片が再び浮かんできた。新しい世界が始まったら、オタワでまた会う? 起源の子が来て四半世紀で、世界は最大の試練にあう? あと四五年で、世界は終わる――?
不思議な気分が湧き起こってきた。この抽象的な会話は、具体的な意味をまったく意識に起こさない、ただの言葉の断片。でも、何か重大なメッセージ。以前はその意味を漠然とではあるが知っていた、でも今の僕にはまったくわからない何かの。
再び、あの声がやってきた。天上から降り注ぐような、柔らかい、どこか荘厳な声が。
『そして今、あなたは約束の生を生きているのです。あなたの無邪気な時代は、終わろうとしています。しかし、怖れずに進んでいってください』
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