Part 1 of the Sacred Mother's Ring - The New World

第一章  プレリュード(2)



 練習場に使っているガレージには冷房がないし、あまり音が漏れないように、扉も天窓も閉め切ってある。地球温暖化の影響なのかどうかわからないけれど、冬の厳寒がうそのように夏は暑くなっているから、まるでサウナだ。二台の大きな扇風機が回っていなかったら、熱中症の危険さえ、あるかもしれない。ジョージはいつも上半身裸でドラムを叩いていたし、僕を含めたほかの三人も、ノースリーブシャツにハーフパンツ姿だ。それでもすぐに汗まみれになるので、一時間おきに休憩を入れて汗を拭き、練習が終わるといつもスタンフォード家の母屋で、シャワーを浴びさせてもらっていた。
 九月に入ってすぐのこの日も、やっぱり暑かった。練習を初めて一時間後、僕たちは最初の休憩をいれた。タオルで汗を拭くと、クーラーボックスの中からコーラやジュースのボトルを取り出し、のどを潤す。休憩用の椅子はあるけれど、直にコンクリートの上に座った方が、ひんやりとして気持ちが良かった。
「もう九月か。バンドができてから、もうすぐ、半年になるんだね」
 ミックがそう口火を切った。
「そうだな。そのくらいになるか。あっという間だな。でもバンドとしちゃ、かなりまとまってきたと思うぜ。良いオリジナルのマテリアルもできてきたし。おまえ、本当に良いメロディセンスしているよ、ジャスティン。自分で言うのもなんだが、もし今クラブに出られたら、相当良い線いけると思うぜ。そうだ。来年はコンテストに挑戦するかな」
 ジョージが笑い、ついで首を振った。「ああ……だが、コンテスト系に出るなら、ヴォーカリストがいたほうが、いいんだよな。どうしてもアピールは歌ものの方が強いからな。あのコンテストで、過去にインストで本選に出たバンドなんて、ほとんどないんだ。完全に不可能とは言わないが、厳しいかもしれないな」
「シンガーを探すのが、こんなに難しいとは思わなかったな」
 僕は思わずため息をついた。
「僕は最初から難航を予想していたよ」
「もともと、ハードルが高いからな」
 ミックとジョージが、ほぼ同時に言う。
 この半年で、ミックとジョージがライヴハウスを回って「これならある程度はいけるかもしれない」と認めた候補者は何人かいたが、もともとよそのバンドにいる人を、ライヴハウスにも出られない僕らのバンドに誘っても、厳しい。動画やコンテスト狙いの線で誘っていくしかないが、それでなんとか一緒に演奏するところまでこぎつけた人が、一人だけいた。携帯電話の動画では一番ましそうに見えた人だったけれど、実際一緒にやってみて、一曲の半分も行かないうちに「あ、ダメだ」と思った。決して下手ではないのだけれど、歌が全く入ってこないし、届いてこないのだ。その後、コミュニティ経由で応募してきた人たちのうち、音源ファイルではましそうに聞こえた二人も、やっぱり同じだった。
「ハードルが上がっているのは、おまえのせいだからな、ジャスティン」
 そうなのか? まあ、最初にいろいろと要望は言ったけれど。
「先に希望を聞いたのは、そっちじゃないか。ジョージ。そんなに難しすぎる条件だとは、思わなかったよ」
「いや、そういう問題じゃないんだよ。おまえは本当に、自覚がないんだな」
 ジョージは首を振り、ミックやロビンと眼を合わせていた。
「おまえの音は、存在感がありすぎなんだ。おまえは天狗になる奴じゃないからはっきり言うが、ジャスティン、おまえは天才だ」
 真顔でそう告げられて、僕は言葉を失った。
「だからこそ、難しいんだ。生半可な人では、君に食われてしまうからね」
 ミックも僕を見、言葉を継いだ。
「君がいれば、インストバンドとしても行けるかもしれない。ライヴハウスに出られるようになるまでに、動画サイトにいくつか挙げていくしか、披露の機会はないにしてもね」
「僕は……それでいいと思う。このままの状態が、好きだよ」
 ロビンが顔を上げ、宣言した。声は小さいが。
「インストバンドはマニアックなのは、たしかにそうかもしれないけれど、僕らもマニアックだし、そういうバンドもたくさんあるし」
「俺まで、マニアックにするな」
 兄の方は、少し不満そうだ。
「たしかにインストでもいけるだろう。ある程度は。それで満足できるなら、それでもいいさ。でも、俺はそうじゃないんだよ。あくまで、最終手段にしたいんだ。それに、俺はどうも引っかかるぞ、ロビン。おまえのその意見は、知らない人を入れたくないとか、人前で演奏したくないとか、そんな理由も入っていないだろうな?」
「人前で演奏したくないわけじゃないよ。確かにドキドキはするけれど、好きだよ。知らない人に気後れするっていうのは、たしかにあるけれど」
「やっぱりそうか」
「だって、兄さん。今僕たち四人で、楽しくやっているでしょう? 練習をしていても、こうして話していても。もう一人入ってくることで、この気持ちのいい調和が乱れてしまうのは、いやなんだ」
「おまえにとって、俺とジャスティンはともかく、ミックだって半年前までは知らない人だっただろう。でも今は、あまり直接話はしないにしても、おまえの言う気持ちのいい調和の中に入っているわけだ。五人目が来たら、まあ、よっぽど性格がやばい奴じゃなければ、新しい調和になるだけだ。それだけのことさ」
「じゃあ、兄さん……」ロビンはおずおずと言い出した。
「あまり性格の変な人は、入れないで。怖いから」
「どの程度だよ」ジョージはあきれたようだった。
「まあ、安心しとけ。俺らにも合わなかったら、お引き取り願うから」
「インストバンドか……」
 僕は、梁がむき出しの天井を見上げた。高い天窓から差し込んでくる光の中で、無数の埃が舞っているのが見える。
「でもやっぱり僕は、前線のパートナーが欲しいな。歌を入れたほうが一般受けするという以上に、感情とメッセージを確実に伝えられる人がいてくれたらって、思うんだ。言葉がある分、リスナーにメッセージを届けやすいと思うから。そうだな……だから、出来たら歌詞も書ける人がいいな。自分の言葉で、自分の思いを。ちゃらちゃらしたラヴソングじゃなく、スィフターみたいに真剣で深い詞が書けたら最高だけど」
「おい、ますますハードルを上げるなよ、ジャスティン。まあ現実問題、俺たちに詞を書く才はなさそうだから、歌詞が書ける奴っていうのも必須条件だがな」
 ジョージが苦笑して首を振る。
「それが理想形だね」ミックが頷いた。
「難しい条件だとは、たしかに思う。でも、最初から完全に諦めてしまうのは、惜しいと思うんだ。もし、ジャスティンに対抗できるシンガーを見つけられたら……僕は思うんだ。インストバンドでも行けるとは思うけれど、今の僕らは、僕らが目指すバンドとしては、不完全な形のような気がしてならない。最後のピースが完璧にはまれば、このバンドは完全なものになる。そうなれば、より高いところへ行けると」
「そうだな。気長に探してみようぜ。ダメもとでもな。ああ、そういえば、おまえたちの学校は明後日から新学期か?」
「うん。とうとう最終学年だよ」僕は頷いた。
「ハイスクールは早いな。俺たちはまだ十日ある。ジャスティンもロビンも、早く十九になれよ。そうすれば堂々とクラブに行けるからな」
「早くといっても、こればかりはどうしようもないよ、ジョージ。どうがんばっても、あと二年半かかることに変わりはない。だからそれまで、僕らに出来るだけのことをするしかないんだ。来年、もしコンテストに挑戦するなら、なおさらだね。その頃四人のままなのか五人になっているのかは、わからないけれど」
 ミックは苦笑気味の笑みを浮かべて首を振り、
「そうだな。ま、ともかく今は練習練習だ。大丈夫。素材はあるんだから、磨きをかけるんだ。さあ、休憩は終わりだ。やるぞ!」
 ジョージはパンと両手を叩いた。

 翌日は一時から三時まで、バスケットボールサークルの練習があった。小学校時代は野球をやっていたけれど、卒業の年にバスケが好きになり、中学からそっちに転向していた。別にプロになるとか、スター選手になるという夢は、みじんも持っていない。ただ、楽しいからやっているだけだ。ギターとは、あまり相性は良くない組み合わせだとは思うけれど、今までつき指なんかしたことはないし、ギターの演奏に響かせたりはしない自信もあった。
 その日、僕は練習時間より三十分ほど早く来た。ちょうど昼休み時間帯だから、体育館には誰もいない。一人練習には、うってつけだ。
 この日もかなり暑い日だった。僕は得意の、スリーポイントシュート練習をしていた。コートの中央からリングをめがけて、何度もボールを投げる。広い体育館に、ただボールの音だけが響く。その静寂が好きだった。自分一人しかいない、穏やかな静けさが。
 練習をはじめて十分くらいたったころ、僕の投げたボールはゴールを外れ、リングの縁に当たって大きく跳ねた。その時、声がした。
「あっ、おしい! けど、上手いね!」
 僕は突然現われた未知の侵入者に驚き、その声のトーンに二度驚いた。水晶のベルから鋭さを取り除き、それに風の音の軽やかさを一緒にしたような声だ。
 振りかえると、体育館の入り口のところに、誰かが立っている。相手は二、三歩、中へ入って転がってきたボールを拾い上げ、顔を上げて僕を見た。扉から差し込む光に、髪の毛がキラキラと輝いて、同化している。
 ――天使が来たのか――? それが、僕の第一印象だった。俗な意味ではなく、文字通り、真っ白な服に、背中から純白の羽根が生えた、あれだ。いや、羽根はさすがに生えていないようだ。それに、着ている丈の長いシャツは白いけれど、下はブルージーンズのようだ。その子はぱさっと髪を振り、ニコッと笑って口を開いた。
「こんにちは!」
「あ、初めまして……」
 思わず、そんな挨拶を返してしまった。
「あ、そっちが正しいか」その子は笑い、聞いてきた。
「この学校の、バスケサークルの人?」
「そうだよ……」僕は頷いた。
「練習って、どのくらいあるの?」
「週三だよ。月、水、金で三時半から五時半まで」
「じゃあ、完全に趣味だね」
「まあ、そうだよ。学校のサークル活動だからね。専門のコーチもいなくて、学校の先生が兼任しているし。本気でやりたい人は、専門のクラブへ行くよ。ホッケーぐらいかな、熱心にやっているのは」
「ホッケーかぁ。まあ、カナダだもんね」
「ところで君……どこから来たの?」
 僕はそこでやっと、現実的な問いを放った。
「うん? 体育館の裏通路から来たんだよ」
 相手は髪を振るように小さく身体を揺すって、笑った。
「それで、ボールの音が聞こえたから、ちょっとのぞいてみたんだ」
「いや、僕が聞きたかったのは、そういうことじゃないんだ。君は……誰? ここの生徒じゃないよね、どう見ても。まだ中学生くらいじゃないかい?」
「あ、そういうことか!」
 相手は頭を軽く叩くような仕草をした。
「ごめん、怪しかったね。でも僕、いちおうここの生徒だよ。今期からだけど」
「じゃあ、新入生かい?」
「違うよ。最終学年に入るんだ。今日、事前ガイダンスで来たんだ」
「ええ!?」
 僕と同じ学年!? この子はどう見ても、十二、三才――仮にロビンのように若く見える子だとしても、せいぜい十四くらいだろう。それに、この子は少女だと思っていたが、話し方はまるで男の子のようだ。ゆったりしたシャツを着ているから、はっきりとはわからないけれど、見たところ胸も膨らんではいない。男の子っぽい喋りをする、あまりグラマーではない女の子なのか。それとも見た目が女の子っぽい男の子なのか。シャツの丈が長いので、前も見えない。もっとも仮にそうでなくても、じろじろ眺めるような不躾なことは出来ないし、赤ん坊や幼児ならいざ知らず、思春期の微妙な年頃の子に「君は男?女?」なんて、失礼なことも聞けない。
「で、でも君は……僕らと同い年じゃないと思うけれど」
 僕は辛うじて、そう問いかけた。
「あ、じゃあ、君も最終学年?」
「そうだよ。でも、君っていくつ?」
「十三」
 やっぱり、見た目相応の年か。四、五年スキップとは、相当派手な飛び級だ。
「転入生って言ったよね。元はどこから?」
「プロヴィデンスのセント・ハサウェイ・ハイスクール」
「ロードアイランドか。じゃあ、君はアメリカ人かい?」
「いや、国籍はカナダだよ。ほとんど向こうで育ってるけど」
「そうなんだ……」
 外が少し騒がしくなってきた。たぶんサークルの人たちが来たのだろう。その子はさっき拾い上げたボールを左手に持ち替え、投げ返してきた。投げられたボールがすぽんと僕の手に収まると同時に、すっとドアの向こうに消えていった。その声が、少し遠ざかるように響いてくる。
「邪魔しちゃって、ごめん。また明日、学校で会えるといいな!」
「あ」僕は小さく言葉を発し、その場に立ちつくした。幻でも見たような、不思議な気分になっていた。言っていることは現実的だ。でも声のトーンや容姿、存在の雰囲気そのものが、どこか浮き世離れした印象を感じる。僕らと同じ次元に属していないような――
(あの子が転入生? 本当かな……?)
 ぼんやりとボールをもてあそびながら、そう思わずにはいられなかった。あの子はひょっとしたら本当に、幻かなにかではないだろうか。十三歳の高校生――しかも、最終学年生。どれだけ頭がいいのだろう。それも今まで見た中で、最上級の容姿――少し距離が離れていたけれど、それでもはっきりわかる。光のような金髪で、ギリシャ神話で神に愛された者たちもかくや、と思われる容貌。とんでもないオーラ。ありえない。できすぎている。明日学校へ行ったら、転入生なんかいないことがわかるのかもしれない。

 翌日は、新学年最初の日だ。僕はロビンとともに、真っ先にロビーに張り出されたクラス分け表を見に行った。記されているのはフルネームではなく、姓とイニシャル、学籍番号と性別だけだけれど、容易に見分けはつく。ロビンも僕も、すべてAクラスだった。やった! 僕らの学校の大学進学コースは主要科目がすべて能力別編成で、Aクラスは全校生徒の上位四分の一を意味する。僕たちはここのハイスクールに入学して二年目に進学コースに進んでから、ずっとAクラスをキープしていた。最終学年に来て落ちたくはなかったから、この結果にほっとしていた。
 僕は名簿をもう一度上から順に見ていった。他の顔ぶれは、どのクラスもあまり食指を動かされないメンバーばかりだ。またロビンと二人でなんとかやっていくしかないのかな──そう思いながらさらに名簿を見て行った僕は、自分の名前の下に見覚えのない名が記されているのを見つけた。
【A.R.Rosenstainer】
 あれ? 思わずもう一度見返した。僕らが選択している科目のAクラス名簿全てに、同じ名が記されている。ローゼンスタイナーといえば、二十数年前に亡くなった有名な映画スターと同じ苗字だけれど、今まで僕らの学年にこんな姓の人はいなかった。転入生だろうか──?
 あっ──そこまで思った時、不意に思い起こされてきた。昨日、体育館で出会った子。あの子が、そのローゼンスタイナーという子なのだろうか。もしそうならあの子は後者、見た目が女の子っぽい男の子だったわけか。名簿にははっきりM――男性と記されている。でも本当にそうだろうか? あの子とこの転入生は、本当に同じ人物だろうか? それとも、まったく似ても似つかぬ人だったりするのだろうか。
 
 訝りながら玄関を抜け、教室へ向かう廊下を歩いていると、ちょうど角を曲がって、その子は現れた。僕は思わず足を止めた。大きめの水色Tシャツに、たぶん昨日と同じだろう、色のさめたインディゴブルーのジーンズ。歩みにつれて淡いブロンドの髪が揺れて、微かにきらきらと光る。それにしても、今日から早くも授業が始まるというのに、何も持っていない。バッグも、テキストも、ノートさえも。
 彼はすぐに僕を見つけたようだった。目が合うと、にこっと笑って手を振り、小走りになってやってくる。
「おはよう! また会ったね!」
 至近距離で見ると、改めてその容貌に感嘆する。それに、こんなに青が印象的な眼も、見たことがない。晴れた夏の空のようだ。その眼を縁取る長いまつ毛は、ちょっと変わった色をしていた。金色でも茶色でも、黒でもない。目の色を濃くしたような青。
「おはよう……」
 僕はぎこちなく微笑してあいさつした後、思わず続けてしまった。
「君は、やっぱり転校生だったんだね」と。
「うん。そう言ったじゃないか」
 相手は怪訝そうな表情になっていた。
「学校の案内とか、ガイダンスはなかったのかい?」
「あ、それ昨日終わった。担当の先生にも会ったし」
「誰だったかい?」
「ノーマ・ジョーンズ先生」
「そう。僕も同じ担当だ」
 同じAクラスで苗字が近いから、同じ担当かなとは思ったが、正解だったようだ。
「ホント? じゃ、同じスケジュール? これから英文?」
「そうだよ。英文のAクラス。君もそうじゃないかい?」
「わお、本当に?! そうだよ。すごい偶然!」
「今日は英文、数学、ラテン語、午後から物理だろ?」
「そう! ね、いやじゃなかったら、今日君たちと一緒に行っていい?」
「ああ……もちろん、いいよ」
 ほとんど何も考える間もなく、僕は頷いていた。
「ああ、よかった! ラッキー! ありがとう!」
 この子には、人に対するためらいとかはなさそうだ。思ったことを、すぐ口に出す風でもある。ロビンと正反対だな――そんなことを思っていたところに、当のロビンがおずおずと僕にささやきかけてきた。
「ねえ、ジャスティン。この子が……君が昨日言っていた、不思議な子なの?」
 すっかり圧倒されているという風情だ。まあ、無理もないだろう。僕も昨日はそうだった。しかもロビンは僕より数段、人見知りが強いのだし。
「あっ、そうだ。彼とは昨日会ったけど、君は初めてだね。彼の友達? 同じクラス?」
 転入生はにこっと笑って、そう話しかけてきた。
「う……ん」ロビンは赤くなって、うつむいている。
「ああ、そうなんだ! よろしくね!」
 相手はロビンの人見知りなど、まるで気付いていないようだった。いきなり両手を伸ばしてロビンの手をつかむ。しかし、これはロビンにとっては、あまりのことだったようだ。まるで火に触れられたかのように、あわててひったくるようにして、手を引いてしまった。その顔は真っ赤になっていた。
「あ、ごめん。いやだった?」
「いや……そうじゃ……ないけど……」
 ロビンは首まで赤くなっている。
「ごめん、彼はシャイなんだよ」
 僕は苦笑し、助け舟を出した。
「そうなんだ」
「でも、いい奴だから大丈夫だよ。彼はロビン・スタンフォードっていうんだ。僕の子供の頃からの、大親友なんだ」
「そうなんだ。彼も君と同い年? けっこう若く見えるけど」
「ロビンは僕と同い年だよ。十六歳だ。僕らは同じ日に生まれたんだ」
 自分より三つも年下の子に若く見えるなどと言われたら、ロビンはちょっと傷ついたかな、と僕はちらっと心配げに視線を走らせたが、相手はただ、「へえ、すごい偶然!」などと、単純に驚いているようだ。
「で、僕が一緒に行っても大丈夫?」
「大丈夫だよ、な」
 僕はロビンをチラッと見た。
「うん……」
 ロビンも顔を赤くしたまま、頷いている。
「ああ、よかったぁ! じゃあ、よろしくね。彼がロビン・スタンフォードで……君は? 彼がさっきジャスティンって呼んでたけど、それが君の名前なの?」
「そうだよ。僕はジャスティン・ローリングスっていうんだ」
「へえ、かっこいい名前だね!」
「そうかな……」僕はちょっと照れた。
「でも、そういう君は? ローゼンスタイナーの上の名前は、なんて言うの?」
「アーディス。アーディス・レイン」
「そう。良い響きだけれど、ちょっと変わった名前だね。頭文字Aだから、アルバートとかエイドリアンとか、そういうのかと思ったよ」
 言ってから思った。いや――彼にそんなありがちな名前は、やっぱり似合わないな、と。
「妙な名前だとは自分でも思うよ。由来聞かれてもわからないから、困るし」
「いや、妙だとは思わないよ。君によく調和していると思う」

 お世辞でなく、僕は本当にそう思っていた。でも、結局彼をこのファーストネームで呼んだのは、最初の一ヶ月ほどだけだった。前にいたニューイングランドで呼ばれていたらしい、アーディという呼び方も、僕らは結局しなかった。エアリィ──空気の精エアリアルから転化したニックネームで、その後僕らは彼を呼び続けることになる。
 発端は、バスケットサークルだった。彼が加入した、最初の練習日のことだ。バスケットをやる人は、長身が多い。その中で五フィートと少しくらいしかないアーディスは、年齢的なものも相まって、サークルの「ちびっこ」だ。だがフリー練習でボールを持った彼は、恐ろしい素早さでコートを駆け抜け、とんでもない大ジャンプから、ダンクシュートを決めた。その素早さと優雅さと、まるで重力が消えたようなジャンプの高さに、誰からともなく「エアリアル」――空中の精と呼び出したのだった。それが砕けて、エアリィになった。
 アーディス──エアリィ──ともかく彼は、ここローズデイルイースト・ハイスクールの、まるで竜巻のようなものだった。最年少で、小柄で、女の子みたいだが、運動神経はとんでもなくて、スポーツエリートすらかなわない。アメフトのような体力勝負のものでさえ、タックルをすべて交わして走ることができる――なぜそんな状況になったのかは、よくわからないが。本人曰く、『ちょっと一緒に遊んだだけ』らしいが、たぶん挑まれたり絡まれたりしたのかもしれない。が、完璧に返り討ちにあったようだ。バスケットサークルでも、親善試合で強豪クラブと戦って、一人で勝ってしまった。まあ、僕も一応いくつかアシストしたが。
 勉強の方も、飛び級の派手さから察してはいたが、実際はそれ以上だった。最初の英文授業で僕の隣、ロビンと反対側のサイドに座ったアーディスは、僕に頼んできた。
「ねえ、ジャスティン、僕、テキスト持ってないんだ。悪いけど、ちょっとだけみせて」
「ああ、いいよ」僕は笑って本を渡した。
 受けとると、彼はぱらぱらとページを繰り、すぐに返してきた。
「ありがと、助かった。返すね」
「もういいのかい? だって、授業はこれからなんだよ。テキストがなくちゃ、君だって困るだろ? 遠慮しなくて良いんだよ。僕はロビンに見せてもらうから」
「うん、ありがと。けど、ホントにもういいんだ。だいたいわかったから」
 その言葉に、嘘はないようだった。その授業中、先生にテキストの中にある長編詩を読めと言われた時、僕はテキストをもう一度手渡そうとした。だが彼は、「大丈夫」と小さく言うと、立ち上がって完璧に暗誦した。僕は驚いて、授業が終わってから聞いた。「あの詩を知ってたいたのかい」と。アーディスは首を振り、「ううん。でも、さっき見たから」と答えていた。一度見ただけで覚えられるとしたら、それは写実的記憶。しかも、あの読書スピードだ。派手に飛び級したのも納得できた。
 次の数学の時間にも、僕のテキストを借りて同じように数十ページをぱらぱらと見、返してきた。その授業で先生が最後に、「これはとても高度な問題だ。誰か解けるか?」と問題を出した時、クラスの誰もが、僕も含めてわからない中、彼は「はい」と手を上げ、黒板の前に行って、鮮やかに解いた。先生は「パーフェクトだな」とうなり、クラス中がどよめきを漏らしていた。
 その後の授業も、時々時間前に僕やロビンのテキストを数分だけ借り、途中まで見て返す、その繰り返しだったが、内容は完全に頭に入っているようだった。彼は結局、最後までテキストを買わなかった。その必要はないのだろう。成績も終始満点でトップを走り続けた。彼が勉強しているところなど、授業以外では見たことがないにも関わらず。しかも授業ですらノートはまったくとらず、聞き流しているような感じだったのに。宿題もほとんど授業前の休み時間にやっている。その時だけはレポート用紙とペンだけ持ってきて、十分もかからずに完璧に仕上げてしまう。読むスピードも早いが、書くスピードも本気になると早い。一分もかからずに一ページだーっと書くけれど、決して字は殴り書きにはなっていない。動きが高速になっているだけだ。
 その身体能力の異様な高さは、(こいつ、もしかしたらサイボーグなんじゃないか?)などとあらぬことを思ってしまうほどだったが、一つだけ弱点を見つけた。持久力だ。体力と言ってもいいか。短距離はとてつもなく早いが、本人曰く、「十五分超えると無理」になる。とんでもないスーパーヒューマンだけれど、完全無欠ではないらしい。
 彼とは初日以降も僕らは行動を共にし、二人組が三人組になった。友人と呼べる人間は、今までロビンだけだった僕に、二人目の友達ができたのだ。

 エアリィ、ことアーディス・レイン・ローゼンスタイナーの存在は、バンドの他の二人にもすぐに知られた。僕もロビンもこの新しい友人について、報告したい衝動を抑えられなかったからだ。とは言っても、バンドの新メンバーにとは、みじんも考えていなかった。六月に十三歳になったばかりという年齢もあったし、本人も僕らのバンド話に、とても興味がある、という感じではなかったからだ。
 それでも、知り合ってから三か月がたった十二月に、近所のハイスクールで、ドリンクがついた、複数のアマチュアバンドが出演するライヴに出ることになった時、僕は彼にチケットを渡した。料金は取らず、プレゼントという形で。バックステージパスもつけた。これまで妹とガールフレンドにしかチケットとパスを渡したことがないけれど、仲のいい友達にも見に来てもらいたかった。それだけの理由だ。
「ありがと。金曜日の夕方か……」
 エアリィは少し考えているようだったが、頷いた。
「見に行くよ。でも、チケットもう一枚くれる? そっちは払うから」
「誰かと一緒に来るのか?」
「うん。妹と」
 妹か。そう言えば、バスケットの親善試合の時も来ていたな。エステルという名前で(彼がそう呼んでいたから)、五、六歳くらいの、まだ小さな子だ。その日は土曜日で、留守番させようとしたらどうしてもきかなくて、ついてきたと言っていた。金髪の巻き毛で、色は白く、大きなパッチリした青い目の、かわいらしい女の子だった。
 僕らの出番が終わった後、エアリィとエステルは一緒に楽屋へ来て、ミックやジョージとも対面を果たし、二枚分のチケットとドリンクのお礼を言って(結局僕が二枚目もプレゼントしたので)、帰っていった。「みんなうまいね! すごく音が気持ち良かったし、楽しかったよ!」という感想を残して。その時に僕は、「気に入ってくれたなら、今度、練習を見に来ないか?」と誘った。これも深い意味はなくて、ジョイスやステラを練習見学に誘ったのと、動機的には大差ない。「うーん、年内は無理。それに、普段は夕方なんでしょ? でも年明けに、叔母さんたちがエステルを遊びに連れて行ってくれるらしいから、その時なら行けるかな」という返答だった。
「なんだぁ? あの目のくらみそうな超絶美少女、いや、男か。妹も可愛いな」
「それに、あのオーラは本当にすごいね」とは、二人が帰った後の、ジョージとミックの感想だ。

 言葉通り、年が明けてまもなく、エアリィが僕らの練習を見に来た。雪深い日で、地下鉄の最寄り駅まで、スタンフォード家で車を出して迎えに行っての来訪だ。誰か見学者が来るたびに(ヴォーカリストのオーディションも含めて)、スタンフォード家で送迎してくれていたので、別に特例ではないが、彼は少し驚いていたようだった。
 この日は学校のない日だったので、練習は三時から始まり、四時過ぎに一度休憩を入れた。「凄くみんな上手いね」と、エアリィは最初に言い、そして「知ってる曲はなかったけど」と続けた。
「君は普段、どんな音楽を聴いているんだい?」と、ミックが問いかけた。
「音楽――自分からは、あまり聞かないかなぁ。ラジオとか、スーパーで流れてるのを耳にするだけで。あ、でも嫌いじゃないよ。このバンドの音楽は、なんかすごくいい感じ」
 ミックやジョージ相手にも、いきなりタメ口か、と苦笑いを押し殺しつつ、僕は練習の解説をした。
「最初にやったのはスィフターの“Drift”、その次は“Adam’s Rib” それからしばらくはフリージャムをやって、僕らのオリジナルを三曲、最後に“Borrowed Days”をやったんだ。まあ、オリジナルやジャム以外も、スィフターのディープカットだから、おまえが知らなくても無理ないな」
「あー、スィフター! そうなんだ。ディープカットなら、なおさら知らないけど、好きだって言ってたもんね、ジャスティンもロビンも。でも、あんな終わり方して、残念――て言うか、悲しいね。あの事故の次の日って、二人して、学校休んでたし」
 そう、僕に音楽の道を開いてくれた彼らは、最悪の終わり方をしてしまっていた。僕が彼らのコンサートに行ったり新譜を聞いたりすることは、もう永遠に不可能だ。去年の十一月、北米ツアー第二レグの終盤に、ツアーバスの事故でバンドメンバー四人のうち三人を失い、バンドがなくなってしまったのだから。事故の二週間前に、ロビンとジョージ、ミックと四人で、トロント公演を見に行った。それが僕にとって、彼らの最後のショウとなってしまった。朝のニュースで事故の知らせを聞いた僕は、ショックのあまり、気分が優れないと言って学校を休み(実際に嘘ではない。たしかにひどい気分だったから)、部屋にこもって、ずっとCDを聴いていた。どうやらロビンもそうだったらしい。
「でもスィフターって、インストバンドじゃないよね。インスト曲もあるみたいだけど」
 エアリィは、そう言葉を継いでいた。
「そうだよ。でも僕らはインストバンドだから、インストアレンジしているんだ」
「そうなんだ。インストバンドも、なんかマニアックでかっこいいな」
「いや、インストバンドを目指しているわけじゃないんだよ。ヴォーカルは募集中なんだ」
「あ、そうなんだ」
「おまえって、歌は歌えるか?」
 後になってみると、なぜこう言ったのかわからない。ふと口から出てきたのだ。
「歌? うーん、音痴じゃないとは思うけど」
 エアリィは少し驚いたような表情になっていたが、すぐに意図を察したのだろう。
「あ、つまり、ヴォーカル付きバージョンの練習したいわけ? そのくらいなら、たぶん付き合えるよ。曲、聞かせてくれたら」
「じゃ、さっき最後にやった“Borrowed Days”はどうだ?」
「いいよ。オリジナル聞かせて。歌部分は知らないから」
「わかった」
 僕はバッグを開けてHDプレイヤーを取り出し、求める曲を表示させた。
「これがオリジナルだ。プレイボタンを押せば始まるから」
 エアリィがヘッドフォンで曲を聞いている間に、僕らはマイクのセッティングをした。ジャスト五分三十秒後に、彼はプレイヤーを止め、「いい曲だね、これ。歌入りで思ったけど、歌詞も良い感じ。こういう感じなんだ、スィフターって。ほかのも聞いてみたくなったな」と、僕に返してきた。時間からして、一回しか聞いていない勘定だ。
「CD貸すから、聴いてみてくれよ」
「ありがと。でも僕、プレイヤー持ってないから、聞けないや」
「そうなのか。わかった」
 CDプレイヤー、持っていないのか? 家にはあるだろうと思うが。そういえばアーディスは携帯電話だけはベーシックな奴を持っているが、ゲーム機も自分で使えるパソコンも持ってはいないらしい。PCがないと、動画サイトで聞くというのも出来ないだろうな、と思う。本人も『家のPCは継父さんの仕事用だから、他は誰も使えないんだ。十六になってバイトできるようになったら、自分のを買いたいな』なんて言っていたし。
 この曲はSwifterの中でも、かなり難しい部類に入る。僕たちは弾きこなすことができるけれど、過去三回やったヴォーカルオーディションでは、もう少し難易度の低いものをやっていた。それなのに、実力的には未知数の友達といきなり合わせるにしては、難しすぎる選曲だったかもしれないと、イントロを弾きながら改めて思った。ヴォーカルの入りも、音程の取り方も、楽器との絡みも、初心者には厳しいだろう。いくらアーディスが写実的記憶の持ち主とはいえ、一度聞いたきりだし――いや、一度聞けば、充分なのか?
 そう。充分なのだろう。入りは完璧だった。僕は一瞬ギターを弾く手が止まりかけた。上手い――だけではない。とんでもないインパクトだ。
 アーディスは元々印象的な声をしている。光る海と風を連想するような、そんな響きだ。その声のトーンもエアリィ──エアリアルという彼の呼び名の、由来の一つだったほどに。でも話し声でなく、歌うとこれほどのパワーが出せるなんて。音量も響きも。それに、羽が生えて飛んで行きそうな飛翔感と、ある種の神聖ささえ感じさせる。難しい音程も決してはずさずに、楽々と伸びやかに歌いこなしていく。
(見つけた!)
 僕は思わず、心の中で叫んでいた。
(前線のパートナーを見つけた! とうとう!)
 おそらく他のメンバーたちも、同じ思いだったに違いない。ヴォーカルパートが終わると、僕らは一斉に演奏を止めた。
「え、終わり? この後、コーダあるよね」
 エアリィは少し驚いたように僕らを見、ついで肩をすくめた。
「えー、みんなすごく怖い顔してるけど、どうしたの? やっぱり僕、やらないほうがよかった?」
「違う! そうじゃない!」僕は声を上げた。
「驚いただけだ。エアリィ、おまえ、本当に何でもできる奴だけど、ここまで歌えるとは思わなかった」
「ああ。なら、よかった。何か気に障ったのかと思った。僕もみんなの演奏で歌えて、気持ちよかったし、楽しかったよ。他にも、何かやる?」
「じゃあ、もう一曲やろう」
 今度は同じくスィフターの曲だが、そこまで難解ではないパワーバラードを聞かせた。僕らももちろん、レパートリーに入っている。エアリィは今度も一度で曲を覚え、完璧に再現、いや、少し自分流の解釈も入れたのだろう、オリジナルを超える感涙の出来にしてくれた。そして僕は、今度は後奏をすっ飛ばさず、そのギターソロを今まで以上に気合と感情を入れて弾くことができた。
「うわ、やばいぞ、これは……」
 演奏を終わったあと、一瞬の間をおいて、ジョージがうめくように呟いた。
「凄い。完璧な相乗効果だ。鳥肌が立ったよ」
 ミックも顔を紅潮させている。
 僕らは目を見合わせた。こんな帰結になるとは、アーディスに出会った時には、まったく思いもよらなかった。いや、僕の潜在意識では、悟っていたのかもしれない。だから彼と親しくなり、チケットを渡し、練習に誘い、歌うように言ったのだろうか――。
 ただ、オーディションで来た人たちと違い、エアリィの場合、僕らのバンドに参加する意思は、なかっただろうと思える。僕ら四人が加入要請をした時、彼は少しとまどったような表情をしていた。「そこまでコミットするつもりはなかった、っていうか、考えてなかった」とも言った。
「おまえが僕らのバンドに入るのを妨げている要因って、なんだ? 言ってくれないか」
 僕は単刀直入に聞いた。
「……時間かな。このバンドの練習って、週三、四で三時間くらい、それも夕方からが多いって聞いたから」
「学校が終わったら、僕と一緒にロビンの家の車で来ればいい。帰りは近くまで送っていってもらえるぞ」
「いや、学校からここへ直行はできないんだ」
「どうしてだ?」
「……妹を幼稚園に迎えに行って、夕飯作らなくちゃいけないから」
 予想外の返答に、僕は一瞬言葉を失った。ミックやジョージ、ロビンも同じようだ。
「プライバシーに踏み込むことになったら、本当に申し訳ない。でもよかったら、君の家庭の事情を聞かせてくれないかな。話したくなかったら、無理にとは言わないけれど」
 やがてミックがいたわるような、なだめるような口調で切り出した。
「うーん。ちょっとヘヴィーな話になるけど、いい?」
 エアリィはしばらく黙った後、ドラムライザーの上に座り、僕らを見上げた。僕ら四人は、一斉に頷く。
「えーと、どこから話せばいいかな。今、僕は継父さんと妹と住んでるんだ。継父さんは大学で研究に忙しくて、基本一週間の半分くらい、夜も家に帰ってこない。妹は今、幼稚園のシニアクラス」
「……お母さんは?」
「死んだ。事故で、去年の六月に。こっちへ来る二か月半くらい前」
 本当にヘヴィーな話だ。幼子付きの父子家庭か。しかも仕事で多忙だという父は、継父さんと言う表現をしているから、実親ではないのだろう。そうすると今、家の家政をやっているのは、十三歳のアーディスなのか。さらに突然母親を亡くし、住んでいる環境も変わってしまった幼い妹エステルもきっと、不安だから一人で留守番をすることができず、兄についてきたのだろう。バスケットボールの試合も、僕らの演奏会も。そう言えば、練習見学に誘った時も、『叔母さんたちが、エステルを連れだしてくれるから』その時なら来れる、と答えていた。逆説的に言えば、普段は夕方や休日時間帯、つまり僕らの練習時間には、妹の面倒を見なければならないから来られない、と言うことだ。
「時間か……たしかにそうだな。それだと」
 僕は思わず呟いた。自分の恵まれた環境を当たり前に考えすぎて、友達の特殊な家庭環境に思いが至らなかった。少し自分を恥じた。
「それを解決するオプションが、いくつかあるな」
 沈黙を破って、ジョージが言った。ドラムセットから離れ、冬だから冷えを懸念して床に敷いた敷物の上に、どっかりと座る。
「一つには、うちからメイドをだれか派遣して、練習の時に、君の家の家政をやってもらう。妹さんの問題があるなら、シッターも付けて」
「ええ?」エアリィはしんから驚いたようだった。
「なんでそこまで? そんな義理もないし、申し訳ないよ。気持ちはありがたいけれど、パス」
 スタンフォード家らしい、金持ちの発想だな、と僕も思った。まあ、僕も一瞬うちの家政婦さんを手伝いに行かせられないかな、と考えてしまったけれど。
「それなら、もう一つのオプションだ。君用の特別ルールを作る。練習は、夕飯が終わったら合流でいい。今俺たちは週四回練習をしているが、君は三回、大変だったら二回でもいい。妹さんが留守番できないのなら、一緒に連れてきてもいい。耳の保護を忘れずにな。連絡してくれたら、うちから君の家に迎えに行かせる。いや、これは遠慮する必要はないぞ。ジャスティンの家は近いから歩きだが、ミックもそうしてもらっているから」
 これなら先の案より行けるな、と僕も思った。アーディスの事情を考えれば、やむを得ない練習プランだ。
「……それなら、大丈夫かもしれないけれど……なんでそこまで? さっきも言ったけど」
「君には、その価値があるからだよ、アーディス・レイン・ローゼンスタイナー君。君を五人目のメンバーに迎え入れるためなら、そのくらいの譲歩は喜んでするよ、僕らは」
 ミックが笑みを浮かべ、言い切る。ロビンと僕も、ほぼ同時に頷いた。
「じゃあ、そっちのプランでOKかい?」
 ジョージがにやっと笑う。
「ああ……うん、はい。それでいいなら。えっと、よろしくお願いします」
 こうして待っていた五人目のメンバーは、突然に決まった。バンド結成から十か月近く過ぎて、空いていたピースがやっとはまったわけだ。でも最初から、このピースは彼、アーディスのためにあったのだろう。そんな気がする。

 フルメンバーになってから一か月がたった二月半ば、僕はヴォーカリストが入ったらやりたいと、前から思っていたことを、実行に移した。歌入りオリジナルを完成させることだ。「インストでいくつか曲は作ったけど、歌を入れたいんだ。おまえ、歌メロは自分で考えられるか? 歌詞も書けるか?」と。
 その時には、その分野における彼の能力はまったく未知数だった。あまりにも歌のインパクトが素晴らしかったので、僕らはみな、アーディスが“最後のピース”であることを疑わなかったけれど、出来ないものは何もない、と言っていいほどすべての分野において突出した能力の持ち主である彼でも、クリエイティヴな分野は、また別物かもしれないと。
「みんなが作ったインスト曲の上に、歌を乗せるってこと? やったことないや。うちで試してみるから、できたらインスト曲録音したの、貸してくれるとありがたいな。あ、僕再生機持ってないから、ついでにそれも」
 一度聴いたら覚えられる記憶力なら、その場で演奏して聞かせるだけでも大丈夫じゃないか、と僕は思い、そう言ったが、「んー、まあ、それでもできそうだけど、実際の音聞いてた方が、イメージ湧きそうな気がして」ということらしい。まあ、それもそうだと思い、僕は兄のものだった古いMDプレイヤーとデッキを持ち出して、それまでに出来ていたインストのオリジナル曲五曲をMDに入れ、プレイヤーごと貸した。
 それから十日ほどたったころ、エアリィはそれを返してきた。
「二曲だけ出来た。あとは……んー、歌入れるより、インストとしてやった方がいいと思う。インストで完結しちゃってる感じだから」
「わかった。出来たものはどこに入ってるんだ?」と僕が聞くと、彼はきょとんとした顔で、「え、だって録音できるものないし、僕は楽譜書けないから、頭ん中だけだよ」と答える。思わず「おいー」と叫びたくなったが、エアリィは写実的記憶力の持ち主だから、忘れることはないのだろうな、と思いなおした。
「と、とりあえずここでちゃんと録音して、媒体に落としておこう。僕らも一緒に演奏して……君がヴォーカルパートを書いてきたのは、どの曲とどの曲?」
 ミックが慌てたように言い、僕らもみな頷いた。いくら驚異的な記憶力の持ち主でも、頭の中だけというのは、あまりに頼りなさ過ぎる。
「二曲目と五曲目。あれ、タイトルあるの? 僕、勝手につけちゃったけど。『Truer Words』と、『A Spirit in Calling』って」
「いや、今のところ正式タイトルはないから、別におまえが曲名をつけてもかまわないさ。歌詞に連動している部分もあるだろうからな」
 僕は頷いた。彼が挙げた曲タイトルだと、どういう詞が飛び出しそうか、期待と少しの不安を交錯させて。
「ついでに他の三曲にもつけちゃった。一曲目は『Rain Forest』熱帯雨林ぽいじゃない、感じが。三曲目は『Tragedy』うん、悲劇、いろんな意味で。四曲目が『The Big Drive』大きな車に乗って、わーっと走ってる感じ」
「ああ、まあ……意外とはまるかもな」
 僕らは顔を見合わせて苦笑する。
「わかった。二曲目と五曲目だね。他のインスト曲も、君のタイトルを採用してもいいよ。イメージに合っていそうだから。ちょっと待って。準備するから」
 ミックが微笑と苦笑を同時に浮かべながら、いつも持っているノートパソコンを開き、練習場にセットされている簡単なミキシングボードから端子をつないだ。専用ソフトを使ってパソコンのハードディスクへ録音し、そこからCDにバックアップをしたりする。僕はあまり技術的なことは、よくわからないが。
 録音を開始し、僕らも演奏を始めた。しかし頭一分くらい、エアリィはまったく入ってこない。(おい、いつ入るんだよ)と思いかけた頃、彼は歌いはじめた。 「あなたは言う/それが世の中の条理だと/社会は動いている/大きな規範で/どうやって生きるべきか/どういう風に振舞うべきか/何を話すべきか/僕はなんて言ったら良い?/あなたがそんな風に話すなら/僕はどう感じるべき?/あなたがそんな風に振舞うなら/真実、何が真実なんだろう/あなたは言う、それが真実なんだと/だけどもっと真実の言葉があるなら/それを聞かせて/どこにあるのかわからないけれど」
 それは初めて彼の歌を聴いた時と、勝るとも劣らない衝撃だった。なんというメロディ――時おり楽器群にクロスするような感じで響くので、完全に調和しているとは言いがたいが、フックに富んだ、それ自体独立した旋律。でもインストと相反することは決してなく、うねるような波を感じさせる。ありきたりでなく、それでも親しみやすく、心に染みとおるメロディ。そしてその言葉は――。
「歌詞が青臭いのは許して! そんな大人じゃないから、僕」
 エアリィは曲が終わると、頭を振って笑った。
「それにまだ韻とか、それほど気にしてなかったから、まあこれ、ベータ版。もうちょっとシェイプアップ出来ると思う」
「いや……良いと思う。僕らのほうも少し手直しするよ」
 僕はかろうじて答え、思わず言葉を継いだ。
「でもおまえ……こんな詞、書くんだ。どういうインスピレーションなんだ?」
「これはさ、十日くらい前に学校でラテン語の時間に、ジョンソン先生がパーソンズに怒ってたじゃない。お説教的な感じで。あれ聞いてて思ったことが元なんだ」
「あれか。たしかにあの言い方はひどいと思ったが……そうか……」
「変?」
「いや、この路線で大丈夫だよ。とてもいい曲になった……」
 ミックが少し詰まったような声で言い、頷く。
「それじゃ、二曲目に行こうか。君に渡したMDの五曲目だったね」
「うん。一番ロック風味なやつだね」
 僕たちは再び演奏を始めた。最初の曲はミッドテンポの比較的重いビートだったが、この曲は跳ねるような疾走感がある、今のところ一番お気に入りの曲だ。そして結果は――僕らは再び驚かされることになった。変拍子やリズムチェンジの入った、少し複雑なロック曲、その上に紡がれる躍動感と熱気に満ちたメロディ。時おりシンコペーションをあわせ、きれいに転調する。楽曲の複雑さに負けないアレンジだ。そして歌詞の方は、そう、なんと言ったらいいだろう――スクールカーストとか、同調圧力とか、そういうものを冷静に見つめて、そして問いかける。「それはいったい誰のためなのか。それは楽しいのか、何のために。何を自分は真に求めているのか」と。最初の曲、『Truer words』は大人達の求める規範に対する疑問、そう、どちらも社会対個人の価値観や存在を問いかけるもの。ある意味、非常に僕好みというか、ビンゴだ。Swifterにも通じる――あちらは大人なので、もう少し比喩も多く、やや哲学的だが。
 僕は悟った。きっと他の三人も同じ思いだっただろう。僕らは宝くじの一等を引き当てた。あらゆる意味で僕らの理想を実現した(ちょっと若すぎる年齢以外は)、最後のピースが完璧にはまったのだと。




BACK    NEXT    Index    Novel Top