はじめに
ホリスティック医学入門
- 幸福を決定するのはお金ではなく健康
- 病気は人生における“最大の教師”
- 病気は、大半の人間に大切な悟りをもたらすが……
- 病気の苦しみを癒すのは唯一、愛情だけ
- 誰もが“ピンピンコロリ”を願うが……
- 私たち人間は、病気になるようには造られていない
- いまだ未熟な段階にある「西洋医学」
- 的外れな方向に向かっている「現代西洋医学」
- 「ホリスティック医学」の登場と問題点
- スピリチュアリズムによる、ホリスティック医学の「理論モデル」の提唱
- 本書の3つの目的
- 本書中の引用について
幸福を決定するのはお金ではなく健康
人間にとってお金以上に大切なもの――それは“健康”です。人間にとって“幸福”を決定するのは、お金ではなくて健康です。プール付きの大豪邸に住み、多くの使用人を雇って贅沢三昧の生活を送る王侯貴族や大富豪であっても、病気の苦しみを抱えているなら決して幸福とは言えません。何を見ても苦しみによって心が閉ざされてしまいます。どれほど素晴らしい景勝地に行っても、その美しさに感動することはできません。目の前に食べきれないほどのご馳走を並べられても、それを堪能することはできません。身体の痛みを我慢していては、豪華客船による海外クルーズも満喫することはできないのです。
皆さんは、金持ちは病気になっても高度な先端医療を受けられるから幸せだと思うかもしれませんが、実際には最新の医療を受けても、病気の苦しみから逃れることはできません。いくらお金を持っていても、痛みから逃れられない以上、幸福とは言えません。
人間は病苦に直面して初めて、お金など何の役にも立たないことを痛感するようになります。毎日を健康で過ごせることが、いかに幸せであるかを実感するようになります。多くの人々は、金持ちが抱える内面の苦しみを知らないためにその生活を羨ましく思いますが、お金に幸福を決定する力はありません。お金より健康こそが、幸福の決め手となるのです。
病気は人生における“最大の教師”
人間は病気になって初めて、それまでのお金の力に頼ってきた生き方の愚かさを知ることになります。そして人間は皆、平等に造られていることを理解するようになります。病気の苦しみ・痛みに直面することで、自分中心の生き方の間違いと傲慢さに気がつくようになるのです。
余命いくばくもないことを悟り、死を待つだけの絶望的な状況に置かれた人間は、自分が一人ぼっちであること、弱く孤独な存在であることをしみじみと感じるようになります。そして、“死の恐怖”が迫ってくるようになります。それまでは自信に満ちた人生を歩んできた人も、病気になって死を宣告されると、自分の無力さ・弱さを嫌というほど思い知ることになります。
金と権力に任せて、他人を軽蔑したり虐げてきたような人間は、病気とともに孤独の生活が始まるようになります。耐えがたい病苦の中にあっても、苦しみを分かち合ってくれる人はいません。たった一人で苦痛に耐えていく、長く辛い時間が続くことになります。それは際限のない責め苦を受けているような状況で、まさに“生き地獄”そのものです。その時になって誰もが、これまで人生をかけて追い求めてきたお金など、何の価値もないことを悟るようになります。お金を持っていることを自慢していた自分を恥ずかしく思うようになるのです。
病気は、事業に失敗して全財産を失うよりも大きな衝撃をその人の心にもたらします。そしてそれまでの考え方を根本から変えさせることになります。能力に恵まれて人生を思いどおりに過ごしてきた人間や自己中心的で傲慢な人間が、何の痛みもなしに自分の考え方・生き方を反省し、改めるようなことはありません。病気になって逃げ場のない窮地に追い込まれ初めて自分の人生を振り返り、それまでの間違いに気がつくようになるのです。
このように病気は、その人の考え方・生き方を根本から変えるきっかけとなります。こうした意味で病気は、人間に最も大きな影響を及ぼす出来事であり、人生における“最大の教師”と言うことができます。
病気は、大半の人間に大切な悟りをもたらすが……
人間にとって真に価値あるものとは、お金ではなく「霊的成長・スピリチュアリティー(霊性)の向上」です。そうした観点に立つなら、病気は大半の人間にとって必要なもの・ありがたいものと言えます。人間である以上、健康でいられるのがいいに決まっていますが、病気は人間の心に大きな変化と進歩をもたらすきっかけとなるからです。病気の苦しみによって、それまでの物質中心・自己中心的な生き方を改めるようになるのです。
しかし残念なことに、そうしたチャンスは病気で体が不自由になった孤独の状況の中で訪れるものです。多くの場合、人生を再出発するには“時すでに遅し”というのが現実のようです。これはある意味で、人間にとって“最大の損失”と言えます。
病気の苦しみを癒すのは唯一、愛情だけ
病気の苦痛と孤独感に苛まれる中で唯一の慰めと救いは、家族や身近な人々の優しさです。“愛”だけが病人の心を慰め、孤独を癒し、苦痛を一時的に和らげてくれるのです。自分を愛してくれる人は地獄で出会う天使のようで、誰の目にも涙が込みあげてきます。病苦の中で求めるのは自分を愛してくれる人、優しい言葉をかけて苦しみを分かち合ってくれる人です。利害・損得の計算なしに、本当の愛情で接してくれる人です。
しかし、それまでの人生を身勝手に過ごし、お金だけに頼った生き方をしてきた人間は、大切な愛情関係を犠牲にしていることが多いのです。そうした人は病気になって初めて、孤独のどん底に突き落とされることになります。人生の最後に、利己的で傲慢な生き方が招いた“自業自得”の悲哀を、ベッドの上で嫌というほど味わうことになるのです。
誰もが“ピンピンコロリ”を願うが……
すべての人間に必ず訪れる“死”――死は人間にとって避けることができない宿命です。今は健康そのもので、好きなことが自由にできる若者は死について深く考えることはありませんが、いつかは死が現実のものとして自分に迫ってくるようになるのです。
年を重ねた大半の人々は、病気になって苦しみたくない、長患いすることなく死の直前まで元気でいたいと思っています。なかには寺社にせっせと足を運び、神仏に健康長寿(ピンピンコロリ)を願う人もいます。世の中には“ピンピンコロリ”のご利益を謳う寺社があって、常に賑わっています。しかし、そうした人々の多くが寺社詣での甲斐もなく、病気になって苦しみながら人生を終えています。
私たち人間は、病気になるようには造られていない
ここで重要な結論を述べますが、私たち人間はもともと、病気にかかって死ぬようには造られていないのです。本論の中で詳しく述べますが、人間は病気になって苦しみの中で死を迎えるような存在ではありません。人間は本来、病気とは無縁な存在であり、誰もが健康で人生を過ごすように造られています。では、現実の世界では、どうして病気が当たり前になっているのでしょうか。病気にかからずに健康で一生を送る人間は、ごくわずかしかいません。
私たちの身体に備わっている実に見事な仕組みを見ると、人間は決して病気になるようには造られていないことが分かります。誰もが健康で100歳前後の長寿を全うして、最後は老衰で死を迎えるようになっています。多くの現代人のように、病気で苦しみながら人生を終えるようには造られていないのです。
いまだ未熟な段階にある「西洋医学」
21世紀の現在、地球上には病気が蔓延し、健康で寿命を全うする人はほんのわずかしかいません。どうしたら私たちは、病気にかからずに人生を送ることができるのでしょうか。
今から2500年ほど前、古代ギリシャにヒポクラテスが登場して、西洋医学の歴史が始まりました。その後、西洋医学は紆余曲折の歴史を経て今に至り、地球上で最も主要な医学の座を占めるようになりました。
しかし、地上で最強の「現代西洋医学」であっても、人間の身体の仕組みを十分に理解してはいません。これは、21世紀の西洋医学は本来あるべき医学から遠く隔たっている、いまだ未熟な段階にある、ということを意味しています。目を見張るような現代科学の最新技術を用いていても、現在の医学は、実際にはきわめて未熟な段階にあるのです。将来には医学がさらに進歩し、あらゆる病気が駆逐されるようになるだろうといった楽観的な考え方をする人がいますが、結論を言えば、決してそういうことにはなりません。確かに今ある病気は医学の進歩によって克服されるようになるかもしれませんが、また別の病気が発生し、結果的に人類は現在と同じように病気で苦しみながら人生を送ることになるのです。
健康と病気の本質が分からないところでいくら医学の進歩に期待しても、病気を根本的に克服することはできません。
的外れな方向に向かっている「現代西洋医学」
医学は人類の歴史とともに少しずつ進歩し、現代西洋医学にたどり着きました。21世紀の地球上では、西洋医学が科学的な医学として圧倒的な力を誇っています。しかし、その現代西洋医学も20世紀中頃から、さまざまな矛盾や問題が指摘されるようになりました。現代人の多くは、現代西洋医学を地球上で最も優れた医学であると思っていますが、“唯物主義”を思想の土台とする現代西洋医学は、ただ寿命を長引かせようとする的外れな方向に走っています。医学本来の使命から逸脱して、間違った方向に向かっています。
近世までのヨーロッパでは、教会の権力によって“天動説”が真実とされ、“地動説”は異端として迫害されました。現代西洋医学は正統医学として地球上の医学界を支配していますが、それは実は“天動説”を真実としたかつてのキリスト教会と同じ立場に立っていると言えます。唯物主義的思想から抜け出せず、霊的なものを一切否定している姿勢は、まさに古い時代のキリスト教会のようです。現代西洋医学は、天動説を正しいと決めつけて、地動説を迫害してきた当時のキリスト教会と同じ立場にあるのです。近代科学の発展にともなって天動説の間違いが明白になり、異端としてきた地動説が正しいと証明されることになりましたが、それと同じことが今後の医学界において確実に起きるようになるのです。
そうした動きの走りとして、現代西洋医学の中から新しい医学である「ホリスティック医学」が登場することになりました。
「ホリスティック医学」の登場と問題点
唯物主義的な西洋医学が隆盛を極める中で、新しい医学として「ホリスティック医学思想」が提唱されるようになりました。そしてそれまでの西洋医学にはなかった新しい視点と方向性が示されることになりました。先に述べたように、現代西洋医学とホリスティック医学は、近世の始まりにおける天動説と地動説のような関係にあります。
とは言っても、現時点でのホリスティック医学は歴史が浅く、始まったばかりの新しい医学思想であるため共通の方向性も理念も確立されていません。関係者が、自分の思うところを主張し合うといったバラバラな状態にあります。現代のホリスティック医学界の最大の問題は、皆が受け入れることができる「共通の理論モデル」が確立されていないという点にあります。
スピリチュアリズムによる、ホリスティック医学の「理論モデル」の提唱
本書は、そうしたバラバラな状態にあるホリスティック医学界に新しい理論モデルを提示して、ホリスティック医学に方向性を示そうとするものです。
その理論モデルは、スピリチュアリズム運動を通してもたらされた「霊的知識・霊的情報」によって初めて実現することになりました。スピリチュアリズムによって示された「医学観・健康観」は、ホリスティック医学の理論モデルの土台となるものです。スピリチュアリズムの登場によって、ホリスティック医学に「共通の理論モデル」を確立する道が開かれることになったのです。
本書の3つの目的
本書は、スピリチュアリズムによってもたらされた「真のホリスティック医学」の理論モデルを入門書として分かりやすく紹介しています。本書で提示する「医学理論・健康理論」を通して、真の医学とはどのようなものであるかを理解し、それを活用して一人一人が“健康”という宝を手に入れてほしいと願っています。
「真のホリスティック医学」とは、スピリチュアリズムによってもたらされた霊的知識・霊的情報をもとに、現代の最新の医学知識を取り入れてつくり上げたトータル的な医学理論です。ホリスティック医学の歴史は浅く、いまださまざまな見解が入り乱れている段階にありますが、それを初めて理論的に統合したものが本書で提示する「真のホリスティック医学」なのです。真のホリスティック医学には、これまでの医学において未解決であったさまざまな問題の答えが、見事な形で示されています。
本書には“3つの目的”があります。1つ目の目的は――「新しい医学思想を提示し、一人でも多くの方に真の健康を手にしていただくこと」です。2つ目の目的は――「医学関係者の皆さんにホリスティック医学の理論モデルの手がかりを示すこと」です。本書で示した新しい医学思想をもとにして、より高次のホリスティック医学の理論モデルを確立していただきたいと願っています。3つ目の目的は――「本書の画期的な医学思想がスピリチュアリズムの霊的知識に基づくものであることを多くの人々に理解してもらい、スピリチュアリズムに関心を持っていただくこと」です。本書を通してスピリチュアリズムの思想、特にスピリチュアリズム思想の最高峰と言われる『シルバーバーチの霊訓』の存在を知っていただきたいと願っています。
以上が本書の3つの目的です。
本書中の引用について
本書は、スピリチュアリズムによってもたらされた霊的知識を医学思想として展開したものです。その意味で本書は、「スピリチュアリズムの医学観・健康観」を示しています。本書ではしばしば、スピリチュアリズムの霊的知識を引用していますが、その大半は『シルバーバーチの霊訓』からのものです。特別な断りがないかぎり、すべて『シルバーバーチの霊訓』からの引用であると考えてください。