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クローン病から針灸へ  1.006a  09.7.4 

私のクローン病の事や、留学の経緯、眼科針灸への取り組みなど、よく聞かれることをまとめてみました。今後はもう少し充実させていきたいと思います。

私のクローン病との闘病から、いつの間にか針灸が仕事となりました。

 クローン病と診断されて

 漢方薬から中国医学との出会い

 上海留学から中医針灸へ


 中国の針灸

 日本の鍼灸学校と臨床

 なぜ眼科針灸を目指したのか

クローン病と診断されて

高校時代から胃腸の調子は悪く、よく腹痛や下痢に悩まされていましたが、19才の時に下血が起こり入院。大量の下血でヘモグロ
ビン値は6.5まで下がってしまい、輸血も受けましたが下血自体は収まってきましたので、一週間ほどで退院することができました。
この時には病名は分かりませんでした。(1988年) 大学時代は胃腸の調子は悪く疲れ易さ等もありましたが下血等の症状は無く、
なんとか4年間は入院することなく過ごすことができました。今思えば、動くとすぐに疲れてしまうのは、この病気のためでした。

協立病院勤務時代には強い腹痛と下血のため合計3回の入退院を繰り返し、回盲部付近に縦走潰瘍が確認され「クローン病」の
確定診断がつきました。やはり大学時代とは異なり、残業やストレスから徐々に悪化したようで3ヶ月働くと下血を起こし、その度に
入院していました。特定疾患認定の申請も勧められていましたが、幸い病院勤務のため自己負担は無く、特定疾患認定の申請は
見送りました。

入院するたびに大腸ファイバー(内視鏡検査)を行いましたが、これが大変でした。クローン病によって脆くなった大腸は検査の
負担により容易に出血してしまいます。検査後の大出血も数回ありました。検査の上手な医師と不慣れな医師があり、上手な
医師の検査時間は20分ほどですが、不慣れな医師だと1時間以上かかってしまい苦しかったです。これが今でも検査後の
大出血に関係していたと思っています。現在は私自身が技術職なので、「最初は誰でも初心者」なのは理解できますが、
当時は怒り心頭でした。

炎症を抑えるプレドニン、下血を止める止血剤、クローン病のコントロールが可能とされるサラゾピリン、腸管を刺激せず栄養を
摂るためのエンシュアリキッド(栄養剤)が処方されていました。中でもエンシュアリキッドは1日分の栄養を全て補うため、
250ml缶を1日8本程服用しなければなりません。美味しくない豆乳の様なこの飲み物をほぼ生涯に渡って飲み続けないと
いけないという話でした。もちろん普通の食事は食べられず、万一食べてしまうと腸管を刺激して下血が起きてしまいます。
一人前の仕事もできず、入退院を繰り返す日々に「生きていても仕方が無い」と考えた時さえありました。(これは当時の話で、
現在は食事制限は緩やかですが、クローン病の患者さんは大変苦労されています。)

3回目(通算4回目)に入院の際、私はエンシュアリキッド(栄養剤)が苦手だったのですが、看護士の方から「この病気の患者
さんは、夏はエンシュアリキッドが摂り難いので、凍らせてシャーベットのようにして工夫して食べていますよ。」と言われました。
看護士の方はエンシュアリキッドが摂りやすくなるアドバイスをしてくれたのですが、私は「このままでは絶対に解決しない。
クローン病が現代医学で完治させる治療法が無いのなら自分で探すしかない」と心底思いました。しかしどうすれば道が開ける
のかは、まだ分かりませんでした。

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漢方薬から中国医学との出会い

私自身のクローン病をどうやって解決していくか・・・。この答えは当時誰も教えてはくれませんでした。まず大切なことは病気に
ついての医学的に正しい知識を得ることと思い、当時手に入る医学書を読みあさってみました。しかしクローン病の患者数自体が
少なく、まだ治療法も限られれていた当時では限界があります。そんな時に数少ない専門書を読む中で、漢字名の見慣れない
薬を見つけました。漢方薬です。この種の薬は例えばサラゾピリンの様な薬とは違い、効果は明瞭ではありません。しかし病気を
体全体の問題として捉え、体全体のバランスを整える薬であることが分かりました。ひとつ自分も試してみようと思いました。

自分の体質にあった漢方薬を選定するために、まず中医学の基礎から勉強してみました。『中医学入門』等、今読んでも結構
曖昧で難しい本なのですが、自分流の解釈で読み切りました。要は独学です。クローン病は本質的に胃腸が弱く、栄養状態が
悪いため強い冷えを生じ、腸が働かなくなった状態です。しかし同時に免疫異常による慢性の炎症もあり、中医学的には冷えと
熱が同時に存在する複雑な状況といえます。つまり全体としては胃腸の働きを温める方向から助けつつ、温め過ぎないように
バランスの取れた治療が必要で、その時々の体質に応じた漢方薬が必要になることが分かりました。

自分の体質をよく分析して、最初に選び出した漢方薬は真武湯、人参湯でした。担当の主治医に「治療の手だてがないのなら、
試させて」と迫り、処方していただき、服用してみました。以前は3ヶ月続けて働くと下血し、入院していましたが、3ヶ月経った後も
下血は起こらず、腹痛も起こりませんでした。夏でも冷えを感じていた体質が変化してきたことを実感して、更に桂枝加芍薬湯、
六君子湯へと処方を変更しました。すると体重も増加し半年経っても下血の兆候は無くなったのでした。この結果に興味を持ち、
また主治医に「学会発表ものだよ」と言われながら、1年間仕事が出来たら自分の体を治すためにも中国医学を身に付けようと
密かに目標を立てたのでした。(漢方薬は体質に合った処方が必要です。処方名だけを真似て服用すると副作用が出る場合が
あります。)

最後の発症から1年、体重も戻り、なんとか仕事もこなすことが出来ました。最後の半年間は中国語の勉強も始め、上海留学に
向けて準備を始めていました。退職して留学することを周囲に話した時、ほとんどの方が私の体を心配してくれて、「このまま
病院の仕事を続ければ良いのに」と言っていただけました。本当に感謝していたのですが、私としては勤務制限等もあり、「一人
前の仕事が出来ないまま、周りの方の負担になり続けるわけにはいかない」と思っていました。そして1994年4月に退職し、
上海への留学を目指すことになります。

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上海留学から中医針灸へ

中国の大学での新入学の時期は日本とは異なり10月です。初の海外の上、体力的に自信が無かったため、まずは上海の
状況と語学の勉強も兼ねて94年6月から1ヶ月、復旦大学へ語学留学を試みました。父の知り合いのTさんに案内していただき
復旦大学へ到着。不安だった中国語は日本で少しはラジオ等で勉強していたものの、やっぱり全く通じませんでした。初日は
暑い初夏というのに売店で水さえ満足に買えず、夜は網戸をくぐってやって来る蚊に悩まされました。この年の上海は39℃を
記録。名古屋でも38℃だったそうで40年ぶりの暑い夏でした。日本人の留学生の皆様に大変お世話になり、なんとか乗り切る
ことができました。

復旦大学の1ヶ月間でなんとか体力と語学の問題はクリアできる見込みが立ちましたので、94年9月末に再び上海に向けて
出発しました。今度は本命の上海中医薬大学です。留学生は基本的に留学生楼という専用の寮に入ります。一日4$の二人
部屋で相方は幸い日本人のIさんでした。(復旦大学ではロシア人でした)またL先生やT先生のように、現在も大変お世話に
なっている先生方と出会うことになりました。この時期に出会えた留学生方々から、後の私の進路は大変大きな影響を受ける
ことになります。病気の状況を含めて限りなく無謀に近い留学が、振り返ると現在に繋がっていることは間違いありません。
本当に感謝しています。

語学が一定水準以上(HSK6級)になれば、翌年からは中医師学士取得のコース(5年間)に入学できます。一年目は語学の
勉強と共に、二年目以降を睨んで老師が幾つかの病院や研究所へ見学に連れて行ってくれました。中でも上海難病研究所を
見学させていただいたことが私の中で最も印象が残っています。この研究所には消化器系難病の専門科があり、クローン病や
潰瘍性大腸炎の患者さんが入院・通院されていました。治療は漢方薬と鍼灸を基本に、必要に応じてステロイド等の医薬品を
用いるものでした。

私は拙い中国語で患者さんへ、実際に色々と質問したところ、「食事制限はほとんど行わない」ということに愕然としました。
引率していただいた老師によれば「クローン病や潰瘍性大腸炎は食べて治すのです。食べない消極的な治療では、いつまで
経っても本物の回復はありません。」という話をいただきました。もしかしたら一生食べることができない日本の患者さんと、
医療としては遅れているものの可能な限り食べて治療する中国の患者さんと、どちらが患者の立場で幸せか・・・。当時は
考えさせられました。(現在は日本のクローン病治療も方向が変わりつつあり、医学の進歩によりQOLは改善しています。)

この事実から私が針灸治療に興味を持ったことは間違いありません。調べていくと針灸は使うツボや刺激の方法を変える
ことで、様々な治療効果を発揮できる治療法と分かりました。日本から来ていた留学生の先生方に鍼灸の話や日本の資格
制度、諸事情を聞かせていただき、私は5年の中医師学士取得(中薬+針灸)から目標を針灸医師(針灸専門)に切り替え、
針灸を徹底的に勉強することに決めました。針灸医師学士の取得は4年かかるのですが、海外の医療技術資格者向けの
進修斑(中医針灸のみの1年コース)への入学が許可されました。当時私は資格が無かったのですが、医療事務職で身に
付けた医学知識が面接で通ってしまったようです。とても幸運でした。
(現在は国家資格を持っていますので問題はありませんが、微妙なところ)

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中国の針灸

中国で行われている針灸についても、少し触れておきたいと思います。(ただし94〜96年頃の話です) 針灸医師は4年、
中医師は5年、国立の中医薬大学で中国医学を学び、国家試験をパスした医師しか行えません。また当時は個人院は無く、
病医院の中で中医科などとして行われていました。私の研修先である曙光病院は外来と病棟にそれぞれ中医科があり、
私は半年間の病院実習中、関心のある分野の中医師の治療を自由に見ることができる機会をいただけました。外来に
来院された患者さんは針灸治療を受け、中薬(漢方薬)を処方されるのが一般的で、時折必要な西洋医学の検査(尿・血液・
レントゲン・CT等)を受けます。帰国後に日本の鍼灸が治療を受けるだけで、ほぼ現代医学で検証が行われないことを知り、
正直驚いてしまいました。

私にとって教科書と実際の臨床の違いや、患者さんが徐々に回復していく姿、中国医学と西洋医学の長所を生かした中西医
結合医療、中国医学の治療を、西洋医学の観点から評価するという手法も貴重な体験でした。この体験は現在も眼科疾患の
治療において、針灸治療を徹底的に現代医学の観点から評価し、確実に効果のある治療を行うという当院の手法に繋がって
います。そして私が最も上海への留学を通して得たことは、針灸を含めた中国伝統医学を根本の部分で信頼できるように
なったことです。信頼できる根拠があって初めて努力もできるので、針灸を学び力を付けていく上の土台となった上海留学は、
私の原点と言えるものでしょう。

もう一つ印象に残ったことは、中国人学生の意識の高さです。留学一年目の私は正直遊んでいました。(笑)一年目は医学
中国語をはじめとした語学が中心でしたので、語学は「習うより慣れろ」的に私は考えていました。ある夜、留学生宿舎に
戻ろうと校舎を横切ったところ、夜10時近くにも関わらず教室に明かりが付き多くの学生が熱心に自習しています。中国人の
学生の多くは毎日夜10時の消灯時間まで、教室で勉強するのが当たり前という話を聞きました。日本で大学時代を経験して
いる私は、中国の大学生がこれだけ勉強している姿に衝撃を受けたものです。日本の鍼灸学校の学生で、ここまで勉強する
話は今でも聞いたことがありません。

更に当時の中国の医学生は国家試験をパスしても、公立病院へ就職できなければ中医師にはなれません。95年の上海
中医薬大学の卒業生で、上海市内の病院へ就職できたのは2人のみ、他の88人は別の地域の病院への就職か、関連する
企業や無関係な仕事に就くことになります。毎日夜10時まで勉強するほど努力した国立大学の学生が、90人中2人しか
中医師になれないという、大変厳しい競争を目の当たりにし、留学生の私も身が引き締まる思いでした。よく日本では中国の
中医師より日本の鍼灸師の方がレベルが高いのではという話が出ますが、少なくとも平均的な水準の比較では「あり得ない」
話です。中医薬大学の高学年時は病院実習が中心になる(日本ではほとんど無し)ことも含め、日本の医師と鍼灸師に近い
学力・臨床の差があるはずです。この事実を知った留学2年目から、私の目標やライバルは中医師になりました。

また整形外科分野に限らず様々な分野の治療が行われているのも中国の特徴です。内科や小児科、眼科等、日本の総合
病院で扱う多くの疾患に対して、中医師による針灸や中薬が処方されており、西洋医学の医師(西医)とカンファレンスを
しながら治療を進めていく姿が印象的でした。また中医師ごとに特徴的な治療法や分野があり、私の師事した李老師は
内科・婦人科・眼科が中心、項老師は整形外科・小児科が中心でした。私が眼科針灸を専門として選んだのも留学時代の
影響で、どの分野でも一定水準までの治療は普通にできるのですが、幅広い医学の分野に対して、自分一人で医学の
全分野を網羅することは不可能と理解しているからです。日本の医師が内科医や外科医といった各分野の専門に分かれて
いることに似ていますね。

患者さんは症状や病気によって西医か中医を選んで通院することができ、医療の水準としては日本に比較して低いものの、
西洋医学と中国医学それぞれの特徴を生かした専門的な治療が行われていました。クローン病に関して言えば、腸管に
負担をかけないよう絶食を原則としていた西洋医学と、食べて体力を付けることで病気を乗り切る中国医学という違いです。
現在は変化しているとは思いますが、どちらが患者さんにとって良い選択か、患者さんは自分で選ぶことができるのです。

私の留学時代はこんな感じで、ある意味理想的な医療の姿を見て来ることができました。2年余りの留学は終わってみれば
短いものでしたが、とても密度の濃い時間を過ごさせていただきました。語学力や針灸を含めた医学知識の少ない私を、
日常生活を含めて助けていただいた同時期の留学生の皆様や、様々な勉強や貴重な体験をさせていただいた大学や
老師には大変感謝しています。色々なことがありましたが、私には満点の留学でした。 そして日本へ・・・。

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日本の鍼灸学校と臨床

帰国前にお世話になった留学生の先生方から、ある程度日本の状況は聞いていました。鍼灸師になるためには専門学校
などへ3年通い国家試験を受けること、マッサージが中心で針治療はそれほど盛んではないこと等です。96年7月に帰国した
時点では、正直進路は決めていませんでした。針灸を仕事にするかどうかも含めてです。クローン病はこの時点で完全に薬も
不要となり治癒していました。しかし何かに取り組むにも十分な受験の準備時間は無く、このまま鍼灸専門学校を受験して
受かれば鍼灸師、ダメなら翌年から医学部に挑戦と成り行きまかせで考えていました。(実際に入学できたかどうかは分かり
ませんが・・・)結局、翌97年春から中和鍼灸(現医療)専門学校に入学することができました。風任せというところです。

中和鍼灸専門学校では本科(鍼・灸・マッサージ)に入りましたが、私はマッサージは全く関心がありませんので、これには
参りました。ツボは指先の微妙な感覚が必要ですが、強い指圧等は指先の感覚が無くなってしまいます。しかしある教員は
「マッサージができなければやっていけない。専科(鍼灸のみ)の者など何ともならない」と言われました。ある程度事実なので
しょうが私としては受け入れ難いことで、厭々ながら資格取得まで続けました。やはり興味の無いことには一生懸命になれ
ませんね。これからこの世界に入られる方は良く考えることをお勧めします。私は鍼灸や東洋医学は既に上海で学んで
いたので、主に現代医学と古典の勉強に力を入れることにしました。

一年の冬頃から同じクラスの人に誘われて、中医学を基本に針灸専門の治療を行っているという長谷川針灸院の勉強会に
参加させていただきました。長谷川先生は以前は日中交流事業で活躍される等、中医学に対して大変理解があり、学生で
あった私を快く受け入れていただけました。また勉強会のレベルは高く、語学力がやや不足した状態で受けた中国語での
授業より分かりやすく、臨床とも直結していたため大変勉強になりました。さらに幸運なことに春になって長谷川針灸院で
欠員が出たため、「働いてみませんか」と言っていただけました。もちろん私は即答し、98年3月から長谷川針灸院の夜間
診療で手伝わせていただくことになりました。最大の幸運でした。(針灸専門治療院の求人は稀というくらい希少なのです。)

また北辰会という団体を長谷川先生から紹介していただけました。一般に知られている中医学に留まらず、様々な古典等から
深く学ぼうとする姿勢、綿密な問診や体表観察から患者さん毎の体質(証)を絞り込み、治療に使うツボ(経穴)も数本以内と
いう精密さは、東洋医学を極めた手法といえます。数回の合宿や月例講習等に参加し、表面的な部分に過ぎませんが、
自分の治療法の中に取り入れさせていただきました。他にも日本には経絡治療など様々な流派があり、学生時代に少しずつ
触れていきましたが、結局自分が「これだっ!!」と思える治療は、やはり中国の病院で行われていた針灸であり、可能な限り
現代医学で検証可能な、再現性のある治療でした。あまりストイックな脈診や手技が極められる性格ではありませんので。

この間に治療技術も身に付いたようで、実は忘れていたクローン病から国家試験前の2000年1月に下血が起こり5度目の
入院となりましたが、ステロイドも使わず針を病室に持ち込んで止血し、1泊2日で退院できました。漢方薬も使わず完全に
針灸のみの治療を続けて無事国家試験を受け、1ヵ月後の大腸ファイバーでは担当医師から「治癒」と診断をいただけました。
その後は当院の日記にある通りです。現在の私ですが、やや軟便や下痢の傾向は続いているものの、食事制限や漢方薬も
含めた服薬は全く無しで済んでいます。体重も最も状態の悪かった時期から20キロも増えて(太り過ぎ・・・)、クローン病の
「ク」の時も見当らないほどの状態です。相変わらず体力は落ちたままなので、あまり無理は禁物ですが。

私は上海で様々な実際の針灸治療を学んできましたが、鍼灸そのものの位置づけが異なる日本で、どのように経験を生かす
ことができるかは大変大きな課題でした。そして答えを少し見つけられたのが、長谷川針灸院での勉強や臨床経験でした。
3年間は長いようで短く感じた期間でしたが、長谷川先生をはじめ様々なことを教えていただいた長谷川針灸院のスタッフや
患者さんの方々まで、今でも大変感謝しています。そして私の学んだ医療としての針灸治療を、必要とされる多くの方に
役立てられることを願って千秋針灸院を開院しました。 (夜間のみ2000年7月から、2001年4月より全日開院)

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なぜ眼科針灸を目指したのか

開業した当初、まずは勤めていた長谷川針灸院さんの治療スタイルを目指しました。マッサージ等は行わない完全な針灸専門
治療院で、整形外科領域を中心に様々な分野の治療を行い、療養費(健康保険)も取り扱いをして、少しでも多くの患者さんを
治療させていただくことを優先しました。自分の持病であるクローン病等の消化器系疾患や一般的な整形外科領域以外では、
パーキンソン病、アトピー、顔面神経麻痺などで良好な結果が続きました。良好な結果や興味のある分野から、自分の適性を
見つけ絞り込む必要は留学中から意識していましたので、こうした分野を専門的に治療したいという希望を持っていました。

開業3年目にある患者さんから、網膜黄斑変性症の患者さんを紹介されました。当時は眼内注射なども無い時代でしたから、
眼科では治療方法の無い難病でした。上海では中医科で眼科分野を得意とする先生は、当たり前に針灸・中薬(漢方薬)で
治療を行っていましたから、私も難しい疾患であることは説明した上で治療をさせていただきました。幸い結果は良好で、
1ヶ月後には中心暗点が薄く小さくなり、視力も上昇しました。この話から続き、数名の黄斑変性の患者さんを治療する機会を
いただきました。やはり結果は良好でホームページにも紹介させていただき、更に多くの治療を積み重ねることができました。

緑内障や糖尿病性網膜症など、徐々に眼科領域の疾患を治療させていただく機会は増えていましたが、2004年に初めて
網膜色素変性症の患者さんから相談され、治療を試みることにしました。この病気は遺伝が関わる場合も多く、徐々に進行し
視野や視力が失われていくもので、眼科での治療法も2009年現在でも確立されておらず、眼科分野唯一の特定疾患です。
幸い視力や当院での簡易視野測定でも改善を示し、患者さんも見やすさを自覚することができました。最初の方に続いて
網膜色素変性症を治療させていただく機会が続きましたが、この病気は他の眼科領域の疾患とは少し違うことを知りました。

網膜色素変性症の患者さんは眼科での治療法は無く、経過観察のみとされるのが普通です。眼科医に「どんなことをしても
失明する」、「今の内に綺麗な景色を見ておきなさい」と心無い言葉を浴びせられたり、日常生活での注意すら「何も無い」と
突き放された患者さんもあります。初診で泣きながら経過を話された患者さんも少なくありません。医師以前の問題ですが、
私は「一生普通の食事はできない」と言われ、クローン病で苦しんでいた自分と姿が重なりました。また中国でも網膜色素
変性症は決して簡単な病気ではありませんが、普通に病院の中医科などで治療を受けられることも知っていました。つまり
色素変性症は20年前のクローン病と同じく、現在も中国と日本で患者さんの立場が大きく異なる病気ということになります。

網膜色素変性症は少なくとも進行しなければ、患者さんの大きな不安は取り除くことができます。一般に眼科医は網膜色素
変性症に対して改善は有り得ないと考えているため、視力や視野が実際に改善していても、「良くなっている」という診断は
ありません。客観的に診てすらいただけないことも多いため、当院で視力や簡易視野測定を行えるよう眼科学の基礎から
勉強し、医学的に根拠ある測定・評価法を取り入れました。当院の治療は中国で行う眼窩内刺針(眼の周囲の深い針)を
行わない安全な治療法ですが、少なくとも長期に渡り視力や視野の維持が可能で、半数以上の方に改善が見られることも
分かってきました。またこの病気をきっかけに眼科領域への興味が強まり、徹底して眼科分野に絞り込んで、基礎から眼科
専門医レベルの内容まで勉強していくことに決心しました。

2007年から眼科針灸の専門治療院を宣言し、同時に全国から患者さんを受け入れ、可能な限り近くで通院可能な治療院を
紹介する連携治療方式「眼科鍼灸ネットワーク」を開始しました。当院で継続した治療が難しい遠方の患者さんに対し、治療
法を公開して、近くの治療院で治療を行っていただく方法は、「企業秘密(?)を公開して大丈夫か?」等とも言われましたが、
結果として二年間で100名以上の遠方の患者さんに、実質的な針治療を可能にしました。また同年、(社)日本鍼灸師会の
全国大会で黄斑変性の統計症例報告を行いました。症例数としては多くは無いものの、鍼灸の症例報告としては、よくある
一例報告ではなく、10名以上へ黄斑変性への治療を試みた日本で初めての症例報告でした。今後も引き続き、様々な形で
眼科領域の疾病に対して統計的な症例報告を重ねていくつもりです。

眼科領域は医学全体では小さな分野ですが、眼科学の専門書を読み込むほど深い部分が見えてきて、まだまだ勉強が
足りないことに気づかされています。また知識としての眼科学とは別に、治療法である鍼灸は東洋医学であり、本来は部分
ではなく体全体を診ていく治療ですから、「体全体から眼へ」、「眼から体全体へ」と視野を広げていくことも課題となります。
しかしながら、これまで日本の鍼灸は、病院で受けられる医療から切り離され、現代医学での検証から遠ざかり過ぎており、
治療家の独りよがりに陥りがちな傾向もあります。将来、眼科医学が大きく進歩し、鍼治療の役割の終わりを感じるまでは、
医学の正面から眼科針灸の可能性を追求していかなくてはならないと思います。超えなければならない課題は多いです。

私は自分自身の適性と実際の効果の高さから眼科領域を専門とすることにしました。日本全国から年間に延べ3.000名もの
眼科領域の疾患を治療させていただいており、針治療が少しでも多くの患者さんの眼の健康に役立てるよう、今後も努力と
実績を積み重ねていきます。そして、やはりクローン病は本当に力になりたい疾患でもあります。現在の私は相変わらず
体力こそありませんが、完全に食事制限なし、服薬なしで済んでいます。この病気の全ての方が、せめて私くらいの健康を
取り戻せることが願いです。


20年前の私はクローン病もあり、家族や周囲の皆様に一方的に迷惑や世話をかけるばかりでした。過去の経緯を振り返って
みると、私がこれだけの難病を克服できていることは、支えてくれる家族や周囲の皆様のおかげであると同時に、私に与え
られた役割が針灸にはあるものと感じずにはいられません。今後も眼科領域の専門的な治療に加え、クローン病を含めた
難病治療に全力で取り組んでいきたいと思います。最近になって、ようやく少しは私の治療を必要としていただける方に、
私のクローン病との経緯から学んだ治療や健康観を役立てていただけるようになってきたと感じています。


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