36 ザンの過去1
ザン・アスターニ。妖魔界で苗字を持っているのは、王族だけである。今回のお話の主役は、面食いで我が侭でとても強い妖怪ザンだ。
「いよいよねえ。」「とても美しい御子だって話だよ。」「楽しみだな…。」
城下町の住人達は、口々に騒ぐ。今日は、ザン王女の3歳の誕生日。今までお城の中だけで育てられていたザンが、初めて外出を許される日でもある。ザンのお城では、生まれた子供は3歳になるまでお城で大切に育てるというしきたりがあった。
「お母様…。わたしとっても楽しみなの。」
ザンは猫の母に言った。小さな王冠を頭に乗せ、可愛らしくも豪華なドレスに身を包み、様々な装飾品に飾られた彼女は、子供とはいえ、気品に満ち溢れていた。
「そうでしょうね。」
母は、今日の為に特別綺麗になっている娘を誇らしげに見た。「皆あなたを一目見ようとお城の前に集っているわ。」
「嬉しいわ。」
ザンは可愛らしく微笑んだ。
「これからザン王女様が御見えになります。王と王妃もお越しになるので、くれぐれも粗相の無いように!」
兵士達が国民に声を張り上げる。王侯貴族の元で働く者は、部下でなく普通に兵士と呼ばれる。ざわめきが静まっていく。ほんの微かな音すらしなくなった後、バルコニーに3人の姿が現れた。
「初めまして、国民の皆様。わたしが、ザン・アスターニです。」
薔薇色に染まった頬に子供らしくも気品溢れる笑みを浮かべているザン王女の言葉が終わると、盛大な拍手と歓声が上がった。
お祭りが始まった。ザンは、両親と一緒に城下町を歩く。
「お城の外の空の色もおんなじだわ!空気も一緒よ。みんなみんな!」
彼女ははしゃいで大きな声をあげた。ずっとずっと楽しみにしていた外である。国民達がそんな彼女を愛しげに見ている。これから素晴らしい日が始まるのだと、ザンの心は浮かれていた。
が。
「てめえは黙って俺の言いなりになっていればいいんだっ。女のくせに何様のつもりだっ。」
ふと荒々しい男の声が聞こえて、ザンはそっちを見た。男が女性を殴り、蹴りつけている。周りにいる者達は、そんな男に侮蔑の視線を向けているが、女性を助けようとはしない。
「何をしているの!男の力は、女を守る為のものだって知らないの!」
ザンは、両親の制止を振り切り、走っていって、男に叫んだ。
「ああ?…ああ、王女様か…。あのなあ、お姫様。世の中には、外の世界を知ったばかりの子供には分からないこともあるんだよ。」
「女性を苛めていい決まりなんてありませんっ。その方を離しなさいっ!」
そこまで叫んだ所で、兵士達が男と傷ついた女性を連れ去った。
「素晴らしい…。」「さすが王女様ね。」「これでこの国も安泰だな…。」
騒ぎを見ていた人達が口々にザンを褒め称える。ザンは、カチンときた。
「何故、あの悪人を誰も止めなかったの?」
「王女様…、あの男は乱暴者でして…。下手すればこっちも…。」
一人の男が代表して答える。
「どうして、そんなことが言えるの?そんな者なら、あの女の人がとても危険じゃない。」
「ザン、止めなさい。」
「お父様…。」
「もう済んだのだ。…あの者は重い刑に処す。それでいい筈だ。」
「だって、そんな…。」
「妖魔界は力が全て。命を賭けてまで助けるなんて、並大抵のことではないんだ。」
「…。」
ザンはうつむいた。
暫く後。ザンはランニング姿にズボンという完全に男の子の姿で走り回っていた。王女として優雅に一生を終えて行く筈だったが、ザンは父の言葉に切れてしまった。決して許されない筈の男の暴力が見過ごされるなんて、おかしいことだった。彼女は体を鍛えると決めた。第一者になって、この世を変えてやるのだ。
「馬鹿な真似はよしなさいっ。お前は女の子、しかも王女なのだぞっ。」
「お父様の可愛いザンはもう死にました。わたし…俺はこれから男として生きていきます。第一者になり、この世を正すまでは。」
ザンの決意は固かった。真っ直ぐに育てられた彼女には、悪がまかり通るなんて許せないのだ。
「本当に体を鍛えて、第一者になるつもりなの?」
王妃が口を挟む。
「お母様。…はい。」
「決意はとっても固いのね?」
「おい…。」
王が止めようとする。しかし彼女は、軽く夫に笑いかけた。『いいじゃないの。』と言いたげだ。
「何があっても決して諦めないのね?」
「はい。」
王妃はザンに笑いかけた。彼女は、真っ白いリボンを取り出すと、爪で指の腹を傷つけた。血が溢れ出す。その血をリボンに染み込ませていく。彼女は、真っ赤に染まったリボンを母の異常な行動に呆然としているザンのまだ短い角に結びつけた。
「これお守りよ。誰かさんに止められそうになったり、挫けそうになった時、このリボンに触れて、今の気持ちを思い出すといいわ。わたしはあなたを応援するから。」
「あ・有難う御座いますっ。お母様っ。」
ザンは飛び跳ねた。
「何であんな馬鹿な事をしたんだ。」
ばしんっ、ばしんっ。王は王妃のお尻を叩いていた。「どうして止めないんだっ。」
「いたあいっ。だって、あの子が可愛いんですもの。ああんっ、どうせすぐに諦めるわ。あんっ。いたっ。頭ごなしに叱ったって隠れて反抗されるかもしれないもの。んっ。厳しさを知った方が諦めやすいと思って…。ああっ。」
「だからって、勝手にあんなことを言って。」
ばしんっ、ばしんっ。王は力を込めて平手を振り下ろす。
「ああっ、ごめんなさあいっ。」
王妃は泣き叫んだ。