1 ジオルクと出会う
孤児院を苦痛の場所にしている原因の一つが貴族。貴族達が出資していなければ、金欲しさに、子供を愛そうとも思わない者が孤児院を運営することもなかっただろう。そう、孤児院は良心的な者だけで運営され、孤児院出身者だけに通じる“普通”の孤児院は無かった筈。…本当の所は誰にも分からないけれど、孤児院出の者達はそう思っている。シーネラルもその一人だ。孤児院で虐待された怒りの持っていき方は人それぞれ。普通の世界のエッセルは、孤児院全てを壊そうと思っていたが、シーネラルはどちらも同じで、貴族に怒りが向いている。だから、通り名は“貴族殺し”。
拠点にしている町で、やることもなくぶらついていたシーネラルは、偶然、訪れていた貴族を見つけた。貴族は群れで行動するが、今までは一人も逃さず殺してきた。それなのに、今日は逃してしまった。返り血でカラフルになった彼は、逃げた者を探して、辺りを見回した。誰もいない。
「何処へ行った…。」
目を閉じて気配を探る。しかし、動くは、そよぐ風に揺れる葉だけ…。
「…!」
見つけた。…いや、違う。音だけで分かる。貴族ごときにあんな身のこなしは不可能だ。盗賊か何かだろう。しかし、シーネラルは、全て殺せなかったイライラをその者にぶつける気になった。普通の世界の彼と違って、このシーネラルは壊れかけていた。殺しを躊躇わない…。
猫の爪をぺろりと舐め、血の味を楽しんだ後、彼は気配へ向かって走り出した。
ジオルクは、むせるような血の匂いに、辟易していた。ここらで名のある者と言えば、“貴族殺し”だ。だとすれば、多分この匂いの元は、惨殺された貴族達だろう。
「そいつは、金品を狙わないと聞くな。殺しだけが目的ならどうして、貴族限定なのだろう…?」
そんな答えの出ない問いを呟きながら、団の野営地への道を急いでいた。「…!?」
禍々しい殺気を放ちながら、何者かがこちらに向かって来ている。明らかに、自分を狙っている。ジオルクはまだ名が売れる程には強くない。殺しを楽しむ妖怪なら、姿を見る前からその気になるとは思えない。どんな奴が自分を襲いたいのか、疑問に思いながらも戦闘態勢に入る。
何人殺したのか、血まみれでカラフルな猫が現れた。男は、猫の爪を装備していた。彼は、ジオルクを見るなり、攻撃してきた。
「お前、“貴族殺し”だな?」
最初の一撃をぎりぎりでかわした後、ジオルクは言った。猫の爪は“貴族殺し”の武器だったと、彼は思い出していた。しかし、相手は何も言わなかった。
『何故かは知らんが、やる気満々らしい。軽く戦闘を楽しむか。』そう思ったジオルク。彼の誘いに乗った“貴族殺し”は、二打目を繰り出してきた。
「相手の実力が分からないのに、襲いかかるのは無謀だぞ。」
負けたシーネラルは、傷だらけで地面に横たわっている。相手の男は何事もなかったように立っている。「俺が慌ててかわしたように見せただけで、調子に乗ったな?」
「…。」
図星なので、シーネラルはふてくされて横を向いた。男は、その様子を黙って見ていた。と、ふいに男が屈み込んで、彼の顎を挟み、自分の方に向かせた。
「良く見ると、なかなか美形だな。俺好みの顔だ。」
シーネラルの背中に怖気が走った。慌てて起き上がり、逃げようとすると、尻尾を抜けるかと思うほど引っ張られた。「大人しく逃がすと思うか?負けた者には、それなりの扱いが必要だ。」
「何をする気だっ!!」
「説明は必要ないな。分かってるから、逃げようとしたんじゃないか。」
『否定して欲しいから、言ったんだ…。』とシーネラルは思った。男は続ける「心配するな。ちゃんと可愛がってやるから。」
「そんな必要ないっ!」
「おっ、激しいのが好みか?」
男はとんでもないことを言い出した。シーネラルはギョッとして叫ぶ。
「ち・違うっ!」
「何だ。…まあいい。どうせ初めてなんだろ?良くしてやるから、心配するな。」
そう言うと、男はシーネラルが逃げられないように、彼の上に座ってから、持っていた袋の中を探り、小瓶を出した。それを側に置くと彼から降りて、彼の上着を脱がせ始めた。
「や・止めろっ!」
シーネラルは精一杯抵抗したが、あっという間に全裸にされた。
「お、体に見合ったサイズだな。羨ましい。」
「変なことを言うな!」
「お前、自分が大きいから、そう言えるんだ。」
「…。」
「真っ赤になって、可愛いな。…うーん、抵抗されるのも、いいもんだな。」
暴れているシーネラルへ、男は言った。彼に、男の言葉は理解不能だった。男は、彼を四つん這いにした。小瓶の中身を掌に空けながら、彼は楽しそうに言った。「さあ、お前はどんな声で鳴くのかな…?」
どうやっても逃げられない。シーネラルは、覚悟を決めた。
暫く後。シーネラルと彼の血だらけの服を川で洗いながら、
「ちゃんと最後まで面倒見てやるからな。」
男は微笑んだ。「俺の名前は、ジオルク。団員達には、Gって呼ばせている。“貴族殺し”、お前の名を教えてくれ。」
「シーネラル…。」
心ここにあらずのシーネラル。あまりのことに、少し前までの記憶が無い。妖怪の心にも、自己防衛が働くらしい。
「宜しく、シーネラル。後で、団員に紹介してやるからな。」
「…。」
「最後に体を洗ってから、どれだけ経ったんだ?」
シーネラルを洗ってやりながら、ジオルクは言った。「壊れかけている証拠だな。」
彼は酷く汚れていて、酷く臭っていた。それは、ジオルクの言う通り、壊れかけている証だ。
死、だけに触れたくなる。お風呂どころか、食事さえどうでも良くなる。もっと進むと、返り血を浴びるのが気持ち良くなる。踏み止まろうとしなければ、そこで完全に壊れてしまい、感覚が異なってしまう。そうなったら、終わり。もう戻れない。でも、完全に壊れてしまえば、身なりも気にするようになるし、食事も摂る。進行形の状態の時が一番危ないのだ。
洗い終わったので、ジオルクは、シーネラルをタオルで包み、地面に寝かせた。
「俺が出てくるまで、大人しくしているんだぞ。」
そう言いながら、川に戻りかけて、「ああ、傷の手当てがしたかったら、その袋の中に傷薬が入っているし、包帯代わりになる布も入っている。」
彼はシーネラルの反応も見ず、川に戻った。シーネラルは、そのまま横になっていた。ジオルクが彼の体を洗いながら、癒しの妖気を送ってくれたので、体に残っているのは、放っておいても治る程度の傷だった。彼は目を閉じた。
川から上がったジオルクは、自分の身支度を終えると、服を着せるのにシーネラルの側へ行った。乾いた服をシーネラルに着せながら、彼はシーネラルの細い体を見ていた。一応食事はしているようだが…。『このまま放っておくと、体が持たないな。…勿体無い。』
「最後に、人間を食ったのはいつだ?」
長靴の紐に四苦八苦しながら、ジオルクは訊いた。
「…思い出せない。」
思い出そうと、しばし黙った後、シーネラルは答えた。
「そうか。野営地に戻ろう。蓄えが合った筈だ。」
「いらない。」
「お前が欲しくなくても、俺はお前に生きていて欲しい。」
ジオルクは、シーネラルを肩に担ぎ上げ、荷物を持つと、今度こそ野営地に向かい、歩き出した。こうして、“貴族殺し”は死に、新たな「ジオルクのお気に入り」が生まれた。