真鞠子の家族

4 真鞠子の両親3

「なーんかやっぱり納得いかないなー。そう思わない?のぼちゃん。」

 遊んでいて、ザンに問い掛けられた昇は、母親の側まで走ってくると、胸に飛び込んだ。

「まーま。」

「まだお母さんって言えないかねえ。わたしはママになれないよ、のぼちゃん。」

 昇はザンを不思議そうに見ている。ザンは微笑むと、「一緒に遊ぼうか。」

 ザンの納得いかないこと。それは、タルートリーにお尻をぶたれること。確かに自分はまだ成人していない。16歳。幼な妻とか、ヤングママとか。でも、結婚してまでお仕置きを受けなければならないのだろうか?

 お昼寝をしている昇の寝顔に微笑みかけながら、ザンは考えていた。叩かれる理由はごく些細なものだし、そもそも夫婦間にお仕置きと言う言葉は成立するのだろうか?夫の暴力とどう違うのだろう?

「ふむ。いや、これは夫の暴力に他ならないぞ。」

 ザンは独り言を続ける。「ぶたれる場所がお尻だからって、暴力にならないなんてことはない筈だ。」

 本当は、ザンが言っているほど深刻なものではなかった。言葉遣いが悪いと、朝にお尻を叩かれた。タルートリーはザンに普通の言葉で話せと言う。本当は命令されるのが嫌なだけなのだ。

 

 昇が寝ていて暇なザンは、アトルに電話をして、買い物に出掛けた。

「だからさあ、あっちはわたしより7歳も年上だからって、保護者面しているのが気に食わないんだよ。夫婦なんだよ?それなのにだねー…。」

「でもお嬢様は、ドルダーにお尻を叩いてと言ったのでしょう?」

 アトルはドルダーと付き合っていた。傷ついた者同士、気が合ったとかで…。

「それは違う。ドルダーの奴、ほっぺた叩くから、どうせ叩かれるならお尻がいいって言っただけだよ。」

 ザンは顔をしかめながら言った。「だって、ドルダーはわたしの為に怒ってくれてるのに、びんたされたら条件反射で叩きのめしちゃうんだもん。悪いと思ったから言ったんだよ。」

「タルートリー様もお嬢様の為にお仕置きをなさるのでは?」

「絶対に違うね。あいつの親父なんて、楽しみで“お母上”のお尻を叩くんだよっ。変態親父が父親なんだから、あいつもそうなんだよっ。」

「タルートリー様は、私を叩いたりはしませんでしたわ。タルートリー様がお父様と同じ趣味を持っておられるのなら、私も叩かれていたと思いますけれど。」

「…。」

「お嬢様の言葉を聞いていると、ドルダーに叩かれるのはいいけれど、タルートリー様に叩かれるのは、どんな理由であっても嫌だという様に聞こえますわ。そんなに嫌なら、どうしてタルートリー様と結婚したのですか?タルートリー様に失礼だとは思いませんの?」

「…お尻を叩きさえしなきゃ、あいつが好きなんだよ。それだけが納得いかないんだ。言っても聞いてくれないし…。」

 

「ちぇーっ。なんか納得いかないや。」

 ザンはため息をついた。買って来た物を冷蔵庫に仕舞いながら、文句を言った。「このわたしが言い負かされるなんて…。」

 昇はもう起きていて、ザンの言うところの“お母上”、千里と遊んでいる。タルートリーが両親を父上・母上と呼ぶので、ザンもそう呼んでいた。おをつけるのは、夫の親だから気を使ってやっているのさが本人の言葉である。

「ザンちゃんたら、アトルと喧嘩したの?」

 若い頃と違い、常に家にいる千里。その理由は欲しかった娘が出来たから。

「別にー。」

「じゃあ、誰に言い負かされたの?トリー?」

「違うよ。アトちゃんだよ。でも、喧嘩はしてないよ。」

「あの子はあんまりいい子じゃないわ。もっといい人が世の中には沢山いるのよ。」

「お母上。せっかく出来た娘を失いたくなかったら、二度とアトちゃんを差別しないで。」

「そんな怒らなくたって…。」

「アトちゃんとルトーちゃんが上手くいかなかったのは、本当は、あんたのせいなんじゃないの?」

「それは言いがかりよ。確かにわたしはあの子が嫌いだけど、邪魔はしなかったわ。」

「アトちゃんは、遅坂好みだから、気に食わなかったんでしょ?あんたの大事な武志さんが若くて美しい嫁なんかに取られたら困るもんねえ?」

「ザンちゃん!いい加減にしないとお尻をぶつわよ。武志さんは、あの子があなたと違ってきちんとした言葉遣いも出来るし、自分の立場もわきまえていたから優しくしただけで、あんな子を好きになる訳ないわ!大体武志さんはわたしだけを愛しているのよ。他の子になんて目もくれないわ。」

「凄い自信ですこと。」

「もちろんよ!だってねえ…。」

 千里が言いかけるのをザンは遮って、

「何ムキになってんだか。遅坂なんてアトちゃんから断るよ。アトちゃんを馬鹿にしたからちょっとからかっただけなのに。いい年して惚気ないでよ。」

「あのねえ、ザンちゃん。わたしを何歳だと思っているのよ。」

「棺桶に片足突っ込んでる年。」

 千里が立ち上がって、ザンに迫ってきた。ザンはキャーキャー言いながら逃げ出す。母と祖母のふざけっこを昇ははしゃぎながら見ていた。

 

「お母上って面白いよね。」

 タルートリーが帰ってきた。ザンは彼の着替えを手伝いながら、昼間の千里とのやり取りを話していた。

「お前は母上と仲が良くて羨ましい。」

「嫁と姑の争いがないだけいいと思いなさい。」

 ザンはふんぞり返った。タルートリーは顔をしかめて、

「確かに、あれは見ていて気持ちのいいものではないな。」

「でしょ。」

 ザンが微笑むと、タルートリーはうつむいた。

「わたしも女に生まれてくれば、母上と心楽しく過ごせたであろうに。」

「お母上はあんたを愛しているよ。少し歪んではいるけどね。」

「母上は、父上がわたしを酷く折檻した時に良く庇ってくれた。だから愛されていないとは思っていない。」

「そう。」

「お前が母上と仲良くすると、少し気分が良くないだけだ。」

「…。」

 千里は娘が欲しかったのに、男の子しか生まれなかった。跡取息子が出来た後、武志は安心して仕事に熱中するようになってしまい、千里はあまり構ってもらえなかった。その鬱憤はタルートリーに向けられた。意味もなくお尻をぶたれたり、女の子の格好をさせられたり…。普通に愛されたかったタルートリーは、ザンが千里に可愛がってもらったと聞くといい気がしない。

 

 大きな屋敷なので、二世帯住宅のように、普段はばらばらに生活している2家族。しかし、千里の提案で1週間に1度は夕飯を食堂で食べる。

「出来れば毎日一緒に食べたいわ。」

「千里、食事中だぞ。」

「ごめんなさい。」

「何処かの国では、話し掛けられても返事がきちんと出来る様に、口の脇に食べ物を押し込む訓練を子供の頃からするんだってさ。」

 武志に睨まれ、うつむいた千里を見たザンは、庇うように言った。

「ここで食べる以上はわたしのやり方に従ってもらう。」

「別にあんたのやり方が悪いとは言ってないさ。」

 武志はそれ以上は何も言わず、無言でザンを睨み付けた。ザンも負けじと睨み返そうとして、タルートリーにお尻を抓られた。

「父上に口答えをするでない。」

 言いたいことは沢山あったが、わが子の前で喧嘩をしたくないザンはぐっと堪えた。

 

 ぱんっ、ぱんっ。

「どうしてお前は、一日を心穏やかに過ごそうとは思わんのだっ。」

「ちょっと位喋ったっていいのに、遅坂の野郎がぎゃあぎゃあ言いやがるから。痛い、痛いっ。」

 食事の後、ザンは強引にテーブルに手をつかされて、タルートリーに剥き出しのお尻を叩かれていた。タルートリーは、お仕置きは膝の上でと決めていたが、食事のすぐ後なので、この姿勢に決めた。お手伝いの女の子達が、邪魔にならないように食器を片付けている。

「父上の性格は知っておろう?たとえ父上の言葉がおかしなものだったとしても、黙って従わねば後が大変なのだぞ!」

「遅坂にお前の躾が悪いってぶたれるのが嫌なだけじゃないか。」

「わたしが八つ当たりをしていると言いたいのか、お前は!大体母上が叱られただけなのに、どうしてお前が口出しする必要があるのだ。余計なことをして波風立てるから、こうしてしなくてもいい痛い思いをしているのだぞ。」

「あたしは、遅坂が食事中に話すのがいけないと決め付けたから、そうとは限らないと教えたんだよっ。痛いよっ。なんでそんなに強く叩くのさっ。本当のことを言うのが悪いのかよっ。」

「反省するどころかその態度。たっぷりと懲らしめてやらないとお前は分からないようだの。」

 タルートリーは、今までより強く叩こうと高く手を振り上げた。

 がしっ。しかしその手は、ザンの既に桃色に染まったお尻に振り下ろされる前に、誰かに捕まえられた。

「むやみやたらに叩いたって解決しないわ。」

「母上!?」

「出来ればトリーには、武志さんみたいな人の言葉を聞かない押しつけたやり方じゃなくて、ぶたれる方がきちんと納得できるようなお仕置きをして欲しいわ。そうでないと、ザンちゃんの言うように、八つ当たりなのかお仕置きなのか分からなくなるから。」

 千里は静かに言った。「ザンちゃんが言っていたけど、これは暴力なの。…待って、トリーの言いたいことは分かるわ。確かにあなたにはそんなつもりはないかも知れないけれど、わたしは手を上げればそれは暴力だと思うの。ただ、きちんとした理由と相手が納得していれば、それはお仕置きだと思うけれど、そうでなければ、相手を傷つける行為だから。」

「…。」

 タルートリーはザンを離した。ザンは起き上がり、パンツをはいた。

「トリーは自分で言っていたでしょ。反省していないって。どうしてザンちゃんが反省出来ないか考えてみて。…自分でも分かっているでしょう?」

「父上が…。」

「ええそうよ。トリーにとって武志さんは絶対的な存在よね。さっきトリーが言ったように、武志さんの言葉は例え間違っていても何よりも優先して守らなければならない命令なのよね。だから、トリーにとってザンちゃんの言葉は悪く感じた。確かにザンちゃんの言い方は挑発的だったわ。でも、武志さんを怒らせたくない気持ちは分かるけど、納得していないザンちゃんを叩き続けても無意味なのは分かるわね?」

「はい、母上。」

 

 食事の時に逆らった罰だと武志に言われて、最初にザンが、後にタルートリーがザンの躾が出来ていないと叩かれた。

「痛かった?」

「ああ。」

「ほっぺ以外にもぶたれたの?」

「背中を竹刀で。」

「息が詰まらない?」

「もう慣れている。お前は?」

「あんたにぶたれてたから、結構痛かったけど、泣かなかった。余計怒ってた。」

「酷く痣になっているのではないのか?」

「たぶんね。」

「父上を殴らないでくれ。」

「大人しくごめんなさいって言っておいたよ。」

「そうか。いい子だ。」

 頭を撫ぜられた。子供扱いされたザンは拗ねたが、何も言わなかった。実際にまだ16歳だったし、タルートリーは7歳も年上だったから。

 千里に言われて反省したタルートリーはザンに謝った。ザンは別にいいよと言った。そんなに怒っていなかったから。タルートリーの気持ちは分かっていたから。

 

 お風呂。3人で入る。服を脱いだ時、お互いに竹刀で打たれた痣を見て顔をしかめた。ザンはお尻に、タルートリーは背中に。しかし、二人でお互いの打たれた所を覗きこんで、二人で同じように顔をしかめたのが可笑しくて、笑ってしまう。昇は分からなくて、両親をきょとんと見上げた。ザンは笑いながら、昇を抱き上げて、タルートリーが開けてくれた戸を通って中へ入る。

 お風呂に明るい笑い声が響く。

 

 朝。また普段通りの一日が始まる。ザンは武志の言葉に腹を立てても、時たま言葉より早くなる手を押さえて、それなりの対応をする。千里とは笑い合う。彼女はザンをとても可愛がってくれ、実の母ミレーよりも母親らしい。たまにお尻をぶたれるけれど、ザンはミレーよりも彼女を愛し、自分が特別視している呼び方で彼女を呼ぶことに決めた。

「千里ママ。これからはそう呼ぶね。」

「ますます母娘みたいで嬉しいわ。」

 ザンの「ママ」と言う言葉に込められた思いを知らない千里は軽く微笑む。ザンにとってママという言葉は、単なる母親の呼び方の一つではなかった。色んな意味での理想の母親を示す言葉だった。ミレーが、ザンにとってはあまりいい母親ではなかったので、言葉にすがったのかも知れない。

 当たり前の普通の家庭なんて存在しない。ザンはそう思っている。だから武志が成人した息子や嫁である自分を平気で叩こうとも、別に気にしなかった。いくつもの会社を経営し、莫大な財産を一代で築き上げた父に、成金と呼ばれないように、上品なお坊ちゃんに見えるようにと、無理強いさせられ、殴られ続けた武志が歪んでいるのは当たり前だと思っていたから。たまにその言動が頭にきて、殴り倒したくはなるけれど。

 

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