えおとペテル

2 苦しみは続く

 “あれ”が奪った大切な3人目は…。

 

 武志は千里の部屋を訪れた。神経科や精神科へは連れて行かなかった。自分で何とかしたかった。でも…。

「あ、武志さん…。今日ね、まみちゃんたらね…。」

 可愛い人形を抱いた千里は武志へ微笑みかけた。まみとは千里が娘が生まれたらつけようとしていた名前だ。「真鞠子の家族」の方ではザンが漢字を考えた。

「千里。」

 武志が優しく名前を呼ぶと、千里の表情が変わる。人形は静かにソファに置かれた。すくっと立ち上がった彼女は、服を脱ぎ始めた。

「違うんだ、千里。」

 武志は妻に手を伸ばし、服を着せた。千里は少しも動かなかった。武志は人形が置かれていない別のソファに千里を誘った。先に武志が座ると、彼女は武志の膝にうつ伏せになった。武志はもう何も言わず彼女を抱き起こした。

 

「独り善がりだったと知った。」

 武志はタルートリーへ呟いた。「わたしなりに愛していたつもりだった。…が、思い込みだったんだな…。」

 千里が覚えているのは、武志にお尻を叩かれることと、夫婦の営みだけなのがショックだった。いや、そんなことが体に刻まれているのが…。いっそのこと何も分からなければいいのに。

 タルートリーは苦しむ父を見て、また武夫への憎しみを深くする。

 そして。寂しさに絶えられなかった武志は、目に見えて衰えていった…。

 

「永久に変わらない愛よね。」「うちのなんて半分も思ってないわよ。」「幸せだったわね。」

 親戚連中が無責任に吐く言葉の怒りは言った本人達ではなく、武夫に向けられる。タルートリーにとって全ての不幸は武夫のせいだった。喪服に身を包んだ彼は、千里と笑い合う武夫を睨みつけた。今の母には武夫がタルートリーに見えるらしい。

 葬式の席に響く笑い声に皆がタルートリーと二人を見た。何故ここに彼等を連れてきたのかと常識を疑っているようだ。武夫はともかく千里は亡くなった父の妻なのだ。いて欲しかったのだか無理だったようだ。仕方なくタルートリーは二人を連れて外へ出た。

 

 “あれ”は父上まで連れ去ってしまった。わたしの大切な人はもう誰もいない。父上がいないことに気付いた母上は、“あれ”をわたしと思っているせいなのか、わたしを父上とすりかえてしまった。わたしが“あれ”を打つと、わたしが幼い頃に父に打たれていたのを庇ったように、“あれ”を泣きながら庇うのだ。母上の行為のおかげで、時々わたしは正気に返る。わたしのしていることは復讐でも何でもないと気付かされる。しかし、わたしの中にある黒い心はそれを押しつぶし、わたしの行為が正当だと声高に主張するのだ。わたしの弱い心は何も言い返せずに、黒い心の言うままに、母上の前では何もしないと知恵をつけられた。

 

 武志は武夫を少しは庇えていた。しかし、武志の心は千里に向いていたので、武夫は大抵傷だらけだった。武志が衰弱して亡くなってからは、誰も武夫を庇わないので、武夫の傷は増え、武志が決して許さなかった食事抜きの罰まで受けた。最初は罰だったのに、そのうち当たり前になり、武夫は給食だけが確実に摂れる栄養になってしまった。

 誕生日にだけ木村とミレーは武夫の元を訪れるのを許された。それ以外ではタルートリーが強く拒んだ。ダーク・デーモンはまさに最高の悪だった。タルートリーと武夫を苦しめる為には何でもした。

 武夫が目の前にいない時、タルートリーは酷く泣いた。止めたいのに、止めて欲しいのに、どうしようもならなくて。物凄く苦しかった。でも、弱いタルートリーにはダーク・デーモンを止められなかった。それに、タルートリーには悪魔が取り付いているなんて知る由もなかった。自分が悪いのだと思っていた。

 悪魔を追い出すには、タルートリーが自分の心に勝つ必要があった。そうすれば悪魔はいられなくて逃げ出す。でも、タルートリーは弱く、悪魔は最高に強かった。タルートリーが死ぬまで武夫は苦しめられる。ザンはそう思い、なんとしてでも妖魔界に行こうと決意した。

 

「で、どうやって来たんだ?」

「人間界に住んでる妖怪には、あたしが見えるじゃん。探し出して、そいつに頼んだの。お姉様と同じ顔だから、関係者か親戚かって吃驚して連れて来てくれたよ。」

「障害はそれだけじゃない筈だが…。」

「絶対お姉様に会ってやるって誓って、当たりを睨んでたら、連れて来てくれた奴がビビっただけで、後は何もなかったよ。」

「…そうか。さすが特別製。」

 妖魔界の第二者ザンの部屋。二人のザンが話していた。ザンは妖怪のザンをお姉様と慕っている。といって、怪しい関係ではない。

「頼むよ、お姉様。あたしのお兄ちゃんみたいに預かってよ。あたし、えおの守護霊になれるから、わたしも見ていられるし。」

「わりぃけど俺さ、馬鹿こうもりが俺の大切な部下を殺してから、とても忙しいんだ。」

「そんな…。」

「俺自身は見てやれねぇけど、一人暇人がいるから、そいつに頼むよ。」

「ちゃんと見てくれんの、そいつ。」

「俺と違って、人間が主食だから、食うかもな。」

「お姉様、それは無責任だよ。」

「そいつ以外に当てはねぇ。それにだ、本来、死んだお前は生きている奴に関われないんだ。これ以上の我が侭を言うなら、天国に返すぞ。」

「わ・分かったよぉ…。じゃその人に紹介してよ。」

「まずお前の息子を連れて来い。暇がねえんだ。」

 

「変人ペテル」の最後に書いた会見の後。えおとペテルは牢にいた。ペテルはえおを舐めはしたが食べなかった。えおは警戒していたが、ペテルはえおを気に入ったようで、ずっと抱いていた。

「えお、お父ちゃまのとこ、にきたぁ。(訳=行きたい。)」

「タルートリーの阿保が何してくれるって言うの。この人は、あんたが欲しかったものをくれるじゃない。」

「俺、何も持ってないけど?」

「あんた壊れる前、僕って言ってなかった?」

「何の話だよ?なんでそんなの知ってるんだ?」

「あたしは読者に説明する義務が…。…冗談はともかく、えおの欲しかった物は愛情だよ。あんたはえおを裏切らないよね。」

「俺はこの子が好きだ。可愛い。」

 可愛い物好きはなくならなかったようだ。「俺と二人、寂しい者同士だから仲良くやるよ。」

「そりゃ良かった。あたしの大切なえおを可愛がってね。」

「俺達は対等だよ。ね、えお。」

「りいいいぃぃぃ。」

「対等ってのはね…。」

 ザンが説明を始めた。こうしてえおはぺテルと暮らすことになった。本人の意思は無関係で。

 

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