壊れたラルスが生きている世界

24話

 4日が過ぎた。その間に1人の入院患者が退院した。もう1人も明日には退院する予定だ。2人には毎日、見舞いが来ていた。しかし、武夫たちは最初の日以外は来てくれなかったので、ラルスは2人が羨ましかった。トゥーリナも来てはくれたが、よそよそしかった。揉め事ばかり起こすラルスの存在に、うんざりしているのかもしれない。
「暇ー。退屈ー。うーうー。」
 ラルスは唸った。薬のお陰で痛みも殆どないため、動けないのが苦痛でしかなかった。かと言って、手術と癒しの妖気で治療した内臓は、まだ完全とは言いがたかったので、歩くことも出来ない。食べ物も流動食で味気ない。唯一良かったことは、殺しの衝動が襲ってこないことである。殺し方などを思い浮かべてみたり、世話をしにくる看護士の悲鳴などを想像してみたりしたが、体が全く反応しなかった。
「暇そうだな。」
 とても懐かしい声がした。
 顔を上げると、シースヴァスがラルスを見下ろしていた。
「お父さんっ、お父さんっ。」
 ラルスは叫び、起き上がろうとした。しかし、体に力が入らない。
「そんなに興奮すんな。」
「だってー。もう二度と会えないかと思ってたのに……。壊れちゃったから……。」
「俺はお前を見捨てたわけじゃねえ。ただ、俺が天国の住人になった頃には、お前は既に壊れちまってたのが悔しくて、会えなかっただけだ。」
 シースヴァスが顔を歪める。「俺がもう少しマシな生き方をしていれば、お前が壊れることもなかったのに。」
「いいんだよ、そんなの。僕が悪かったんだ。お父さんの忠告を守らなかったから。」
「でもよ……。」
 シースヴァスが言いかけるのをラルスが遮る。
「波が来なくなるまで町にでも退避してろって、お父さんは言ってた。でもさ、僕、焦燥感が強くて、我慢できなかったんだ。少し落ち着いただけで、外に出てた。だから、短い間に2回も壊れかけて、3回目にとうとう壊れちゃった。」
 ラルスは息をつく。「それに、お父さんが死んで、本当のお父さんは僕のことなんか知らなくて、神父様は僕を本当に待っていてくれるか自信がなくて、世界に一人、取り残されてる気がしてた。だから壊れるのを止める気が心の底にはなかったんだ。たとえ誰もいなくなったとしても、僕は大人なんだから、一人で耐えればよかったのにね。だから、壊れちゃったのは僕の甘えが原因だったんだよ。」
 沢山喋って疲れているラルスを、シースヴァスが呆れたように見ている。
「確かに、お前は甘ったれだからな。その喋り方からしてそうだもんな。」
「僕は大人になりたくなかったんだよ。大人って色々大変で、重たいから。子供のままでいたかった。」
「俺はずっと、その姿勢は神父様の愛情不足が原因だと思ってた。だが、お前の性格なんだろうな、多分。」
「うん。」
 ラルスは照れたように微笑む。それから、真顔になる。「お父さんは、どうして僕に会いに来てくれたの? 壊れたのが自分の所為だと思っていたのなら、雑談のためには来られないよね。」
「ああ、お前の疑問の答えを教えたかったんだ。」
「……記憶の自分の顔が見えた理由?」
 ラルスは顔を歪めた。「僕の想像が当たってた方が楽だったなあ……。」
「どんな想像をしてたんだ?」
「あの記憶の僕の笑顔はえおの捏造だと考えたんだ。あの時に、お父さんの死の悲しみより、復讐の喜びを感じていた……なんて、僕には凄いショックだったよ。だからさ、より深いダメージを与えるために、あの時、笑っていましたってことにしたんだと思ったんだ。えおは僕の笑顔なんてしょっちゅう見てるし、作り変えるのも楽だったろうなって。」
「そうか……。でも、あれはあの子供が俺の記憶から引き出したものなんだ。」
 シースヴァスはラルスの頭を撫でた。「あの子供は、お前が俺を大事に思っていることに興味を抱いたらしい。実の父親に虐待されているあいつには、俺が血の繋がっていない子供を愛したということが、信じられなかったんだろうな。実の親ですら子供を愛さないのにってわけだ。」
「うん……。」
 ラルスが力なく微笑む。
「で、実際に俺に会って、愛情が本物だと知って、あいつはお前に激しく嫉妬してたな。俺の愛がお前の思い込みだって思いたかったらしい。シーネラルがお前を可愛がったっていうのも、お前の思い込みだったわけだし、本当にお前を愛しているなら、俺はお前に会いに来てやったっていい筈だしな。……まあ、あの子供の気持ちは分かる。」
 シースヴァスは切なそうな顔をした。「本来は純粋な奴なんだろうな。父親が妻の死に耐えられるような強い奴なら、あいつは自分の力をちょっとした遊びに使うだけの無害な子供だったろうに。可哀想な奴だよな。」
「そうだね。哀れだよ、えおは。」
 少し黙った後、父が口を開く。
「なあ、ラルス。」
「なあに?」
「もう一人の入院患者がお前を冷たい目で見てるけど、何でだ?」
 シースヴァスが低い声で言った。
「……ああ、あの人ね。あの人と何日か前に退院した人はさ、僕の所為で入院してるから。」
「何だお前、弟の部下を傷つけたのか。悪い子だな。治ったら、久し振りにお仕置きしようか。」
 シースヴァスが怖い顔になる。
「違うよー。ほら、前に、僕がえおを連れて勝手に人間界へ行って、ペテルが暴走して暴れたことがあったでしょ。」
「ああ、あったな。俺にはお前が急に消えたように見えたが……。あの時はあの蝶々が凄かったな。」
「そうそう。シーネラルさんが止めたらしいんだけど、たまたま側にいて、巻き添えを食らっちゃったのがあの二人なんだよ。」
「じゃあ、やっぱりお仕置きが必要じゃないか。お前の所為で二人も入院してるんじゃ……。一人は退院したとはいえ。」
 シースヴァスに睨まれ、ラルスは身を竦める。
「それはそうなんだけど、でも、そのことでは本当のお父さんに、うんとぶたれたし……。何日も治らないくらい。座るのがきつかったよー。クッションを使っちゃ駄目って言うんだもん。立ってご飯を食べたら、トゥーリナに子供じゃないんだから甘えるなって怒られるし。僕、お兄ちゃんなのにさー。」
「そうなのか? ギンライにそんな元気があるのか?」
「お父さんはいつも僕のことを見ていてくれてたんじゃないんだ……。」
 ラルスが俯く。
「そりゃ、いつもは見てないさ。殺すときとか。」
「そういうのは見てくれてなくてもいいけど。でも……。」
「ん百年も天国でお前だけ見てたって張り合いがないだろ。会話も出来ないしよ。」
「じゃあ、何してんの? 神様に祈るとか?」
「用もないのに本人がいる前で? 間抜けだろ、それ。眩しくてあんま見てられないしな。」
 シースヴァスが笑った。「そんなんじゃなくて、天国には色んな種族がいるから、友達を作ったり、後は親に会いに行ったりな。」
「お父さんの親って健在なんだ。」
「ああ、そうか。お前を連れて行ったことはなかったな。そういや、あっちも吃驚してたな。血の繋がらない子供を成人させたって言ったら、連れて来れば良かったって怒られたっけ。俺が死んだことより怒られたんだったなー。盗賊みたいなのになった時から、お前の命は期待してなかったとか、冷てぇこと言われてよ。酷いよな。」
 シースヴァスが大げさに顔をしかめて見せたので、ラルスは切なげに笑った。
「本当は辛いけど、口に出したってもう遅いから、強がったんだろうね。」
「……お前はたまーにドキッとするようなことを言うな。……俺もそう思った。本当に俺に期待してなかったら、口もきいてくれなかったと思うしな。」
 シースヴァスも切なげに笑った。それから、明るい顔になり、「さて、じゃあ用も済んだし、帰るか。」
「ええーっ、もう帰るのー? まだ少ししかお話ししてないよ。」
 ラルスは頬を膨らませた。700年ぶりに会ったというのに、あまりにも冷たいのではないか。
「そりゃ、俺だって会った以上は喋りてぇさ。だけど、あの医者みてぇな奴がこっち睨んでるんだ……。」
 ラルスがそちらを見ると、確かに看護士がシースヴァスを睨んでいた。「それに、お前の顔色もあんまり良くない。もういつでも会えるんだから、ゆっくり養生しろよ。」
「じゃあ、そうする。」
「いい子だ。」
 シースヴァスがラルスの頭を撫でてくれた。「じゃあ、来月に来るから。」
「うん。」
 ラルスは軽く手を振った。父の姿が消えた。「……お父さんって、看護士を知らないんだ……。人間に興味がないのかなあ……。シーネラルさんと同じで、餌くらいの認識しかないのかな。なんか勿体無いな。」

 ギンライが乗っている車椅子も、看護士という制度も、人間界から輸入された。妖怪の多くの種族が人間を栄養源としているが、だからといって、彼らを見下しているということはないのだ。いい部分は積極的に取り入れるし、交流も水面下では行われているのだ。神が嫌がるので、積極的には許されないが。

 一人で落ち着いていると、なぜかとても眠くなってきた。体力がないせいかもしれない。看護士が怒るのも、ラルスの体力を考慮した結果なのかもしれなかった。
「寝よ。」
 目を閉じた。眠くても、中々寝付けないなんてこともあるが、今のラルスはあっという間に夢の国へ旅立った……。



08年10月12日
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