壊れたラルスが生きている世界

6話

 静かになったので、ラルスは目を覚ました。眠るつもりではなかったのだが、知らないうちに寝てしまったらしい。一瞬、自分が何処で寝ていたのか分からなくなったが、すぐに第一者の城のギンライの部屋だと思い出した。体を起こしたラルスはギンライを見た。彼は驚いたのと面白そうなのが混じった表情で、こちらを見ている。
「トゥーリナとは違って、えらく肝が据わってるじゃないか、ラルス。俺が痛みに苦しんでいる側で、ぐーすか寝ていられるなんて。」
 苦笑するギンライへ、ラルスは微笑み返しながら答えてみせる。
「んー。まあねぇ。横になったのが良くなかったみたい。2・3時間なんて待ってられないよ。」
 そこまでいってからふと気づく。「……あれ? 本当のお父さん、僕の名前は分かるんだね。トゥーリナは分からなかったから、アルバムで見たと聞いていたけど。」
「ああ。お前は最初の方の子供だし、2年くらい育てたからな。トゥーリナはなあ……、何日、持ったんだったか……。忘れた。」
 トゥーリナが何日この城に居たかを思い出そうしているのか、ギンライが考え込んでいる。ラルスはくすくす笑い出した。
「僕とトゥーリナって、200歳くらいしか歳が離れていないんだけど……。たったそれだけの間に、本当のお父さんは子供に愛着が無くなったんだ……。」
 ギンライは答えなかった。ただ無言でこちらを見ている。ラルスは父の側へ寄った。汗と吐瀉物と排泄物の匂いが凄かった。しかし、ラルスは眉一つしかめなかった。それが礼儀のような気がしたからだ。「でも、トゥーリナはあなたのことをとても愛しているみたいだよ。」
 ギンライが手を伸ばしてきた。何をするのかと思っていたら、垂れ下がったスイッチを押した。病院のベッドの側にある、ナースコール用スイッチと似ている。
「俺はトゥーリナを愛しているさ。あいつだけが俺の息子であろうとしている。だから、俺もあいつにこたえるんだ。」
「そう。……で、今の何? 警護の部下が来るの?」
 ギンライが質問に答えるよりも早く、扉が開かれた。男女二人ずつの四人組が部屋へ入ってきた。彼らは白衣を着ていた。「なーんだ。介護の人か。」
 ラルスはその人達の邪魔にならないように、部屋の隅に立った。
 男性がギンライを支え、寝巻きを脱がせた。おむつが取り外され、男性が体を綺麗にする。汚れたシーツは取り除かれ、女性の手によって清潔なシーツが敷かれる。何百年も、そして一日に何回も行われている行為なので、仕事は手早いし手馴れていた。あっという間に、ギンライは清潔な体になり、新しいおむつを身に付け、寝巻きを羽織って、ベッドの上に座っていた。
「手早いねえ。プロの仕事って感じ。」
 感心するラルス。メイドが食事を持って部屋に入ってきたのを見て、ギンライが口を開く。
「そろそろ夕飯だぞ。お前はどうするんだ。」
「あー、うーん……。どっかで食べるよ。」
 ラルスは城に食堂がないかどうか、訊いてみようかなと考えた。お城の食堂なら、町より高級そうだ。だが今のラルスは、金持ちだ。
「外で食べるのは構わんが、トゥーリナの迷惑にならないようにしてくれ。あいつは第一者になったばかりで頑張っているんだ。」
 ラルスは父を見た。「……何だ、その目? 何が可笑しい? ……ああ、そうか。その気は全くなかったのか。」
「うん。でも、本当のお父さんの素敵な提案のお陰で、誰かを美味しく食べたくなってきたよ。綺麗な音楽と夕ご飯を探すことにするよ。」
「いや、だから俺は……。」
 ギンライが焦っている。綺麗な音楽を断末魔の悲鳴だと理解し、自分が不用意な発言をしてしまったことを後悔しているらしい。
「大丈夫だよ。ちゃあんと、町から遠いところにしておくから。」
 その言葉を残し、父の制止を振り切るとラルスは部屋を出た。
 廊下にトゥーリナが立っていた。彼は、ラルスの顔を見て少し青ざめたが、何事もなかったかのように笑いながら言った。
「夕飯に誘おうと思って部屋へ行ったんだけど、あんたいないからさ。何処かと思って探しちまったぜ。親父の発作、終わってたんだな。」
「うん。終わったよ。今、夕ご飯食べてる。」
 ラルスの殺気が消えていく。笑顔が普通のものになった。「夕ご飯に誘ってくれるの? とっても嬉しいけど、壊れている僕とそんなに親しくしていいのかな。君の家族を殺すかもしれないのに。」
「何、訳の分からないことを言ってるんだ? 俺等は兄弟だろ、兄弟。一緒に夕飯くらい食うに決まってるじゃないか。それに、弟である俺の家族に、兄がそんなことする筈がないし。……万が一、する気になったとして、第一者の俺が止める前に、そんなことが可能だなんて思っちゃいないだろ?」
 ラルスの殺気が消えたので、トゥーリナは安心したような顔になった。「……ああ、それと、部屋を見て分かったと思うけど、家具は自分で好きな物を買ってくれよな。金が足りないなら貸す……やるから。……返したいってんなら貰うし。」
「あはははは。そういうのを自己完結って言うのかな。まだお金が足りないとも貸してくれとも言ってないのに。それに、僕がこのお城に住むと、君の中では決定しているんだね。……君って、誰かが言ってたけど、ほんと俺様なんだ。」
「いいだろ、別に。第一者なんだから。」
「拗ねてる。あははははは。君、可愛すぎ。……いいよ、このお城に住んであげる。毎日、一緒にご飯を食べようね。……じゃ、行こうか。」
 ラルスがトゥーリナと歩き出そうとすると、ギンライの部屋の扉が開いた。
「ラルス、どうしても殺したいなら、俺を先に殺してくれないか。」
「本当のお父さん……。」
「親父、出てくるなり、何を言い出してるんだ?」
 トゥーリナが当惑している。ラルスは父の側へ行くと、屈んで彼の顔を覗き込む。
「ご免ね、本当のお父さん。僕は馬鹿だったよ。あんなことを言いっ放しで出てくるなんて、どうかしてた。吃驚しちゃったよね。大丈夫。トゥーリナが夕ご飯に誘ってくれたから、僕は皆とご飯を食べるよ。」
「そう……なのか。それならいいんだ。」
 安心したせいなのか、ギンライはぐったりと車椅子の背中にもたれかかった。
「なあ、俺は話が見えないんだが…。」
 トゥーリナが顔をしかめている。
「ああ、ご免、ご免。後で教えるよ。」
 ラルスは車椅子を押して、部屋の中へ入った。ギンライを抱き上げ、ベッドに座らせる。「大丈夫?」
「ああ。」
 ギンライは食べかけの夕食に手を伸ばした。
「ご免ね、本当のお父さん。これからはいい子にするよ。」
 ギンライが頷いたのを確認した後、ラルスは部屋を出た。


 兄が父の部屋から出てきた。トゥーリナは兄へ声をかけようとして、口を開きかけた。が、また口を閉ざす。兄の体から凄まじい気が噴き出してきた。殺気や闘気ではない。一体何なのかと驚いていると、気の流れが唐突に止まった。
 兄の顔が荒んだものになっている。
「あー、壊れたことがこれほど嫌になったのは初めてだなあ……。弱っている本当のお父さんをあんなに慌てさせても、気にもならないなんてさあ……。そんなに殺すのが好きなわけ? そんなに血が見たい? 断末魔の悲鳴がそれほど美しい? それほどまでに殺すことを優先したいの!?
 ……あのお城の人達を、あの盗賊の人達を、あんなに沢山殺した後なのに、あれくらいの些細な言葉くらいで背中を押されちゃうほど、人を殺して喰らうのが好きなの……?」
「あ・兄貴? 大丈夫か? 気分でも悪いなら…。」
「どうせなら、完全に壊れちゃえよ! こんな気持ちなんて持たないくらいに壊れちゃえよ!! どうして気になるんだよ……? どうしてこんなに辛いんだよ!? くそっ!!」
 ラルスが壁を殴りつけた。はあはあと荒い息を吐き出している。
 トゥーリナは、黙って立っていた。父が慌てて部屋を出てきたこと、そして妙なことを口走ったこと、兄が壊れていること、今の言葉。全てを合わせて推理すると、兄の怒りがなんとなくだが分かった。静かに放って置いた方が、兄の気持ちも楽だろうと思った。



08年9月17日
Copyright 2012 All rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-