“伝説の男”の生い立ち

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 妖魔界には、髪の毛の長さで妖力の強さが変わるという話がある。妖力は、物を動かしたり、怪我を治したり、鎧になったり、武器の強度を上げたり、強ければ、格闘漫画のように気の塊を放出したり、空を飛べたりする便利な力だ。
 髪が長ければ長いほど、妖力が強くなるという話は、かつてはただの憶測だった。しかし、ある男がそれを実証してみせ、真実であると証明された。それは、戦いに生きる者達に希望の光を当てたとされ、その男は伝説の男と呼ばれるようになった。


 これは、伝説の男と呼ばれて、いい迷惑だと思っている、色々と不幸なシーネラルのお話です。


 猫の少年シーネラルは、玄関の前にある階段に座っていた。朝早くに起こされたので、眠くて眠くて、瞼がくっつきそうだった。でも、何とか頑張って起きていた。
 ママが言った。
「ここに座って、家の人が出て来るまで、ずっと待っていて。いい? 誰かがあなたに声をかけて、一緒においでと言っても、決してついて行っちゃだめよ。このおうちの人以外の人には、絶対ついて行かないで。いいわね?」
「はい、ママ。」
 ママは、シーネラルをぎゅうっと痛いくらいに抱きしめ、雨のようなキスを彼の顔に浴びせた後、何処かへと歩いて行った。後に、彼はこれが母の示してくれた最後の愛情だと知ることになる。


 それから、彼は家の中の人が出て来るまでと、じっと座って待っていた。
 暫くして、辺りはだいぶ暗くなってきた。抜けるような青空と強い日の光がなくなり、やっと、朝が訪れようとしていた。空はもう赤く暗い色に変わってきていた。人間界の夕焼け空に似ているが、その色は毒々しい。
 うつらうつらしていたシーネラルへ、男が声をかけてきた。
「坊主、そこで何してるんだ?」
「家の人が、出てくるのを待ってる。」
「親は?」
「ママなら、何処かへ行っちゃった。中で待ってれば、すぐに帰ってくるよ。」
「……。」
 男は一瞬、にやりと嫌な笑い方をした。しかし、すぐ親しみやすい表情に変わった。「いつ出てくるか分からない奴を待つより、おじさんの所へ来い。美味しいお菓子もあるぞ。」
「でも、ママに会えなくなっちゃうよ?」
「おじさんの所でも、ママは来るさ。」
 シーネラルは心が動かされそうになった。美味しいお菓子……。でもママは、家の中の人以外の人について行くなと言ったのだ。「駄目、行かない。」
「つれないこと言うなよ。な、楽しいぞ?」
「行かない!」
 シーネラルが大きい声を出すと、男は彼の腕を掴んだ。
「来いって。なぁ?」
「嫌だよぉ!!」
 無理矢理に連れて行かれそうになり、シーネラルは怖くて、叫ぶ。
 と、その時。
 ガチャと、玄関が開いて人が出て来た。
「騒がしいな。」
 神父さんに似たような服を着た男の人は、シーネラルと男を見ると、二人をじろっと睨んだ。彼を見た途端、男はちっと舌打ちをして、シーネラルの腕を離して、何処か行ってしまった。
「あの……。」
「何だ?」
「ママが……人が出てきたら、ついて行きなさいって……。」
「……そうか。分かった、ついておいで。」
 一瞬、男に哀れみの表情が現れ、次に、いたぶる獲物を見つけた獣のような表情が浮かんだが、すぐにどちらも消え、冷たい顔になった。
 シーネラルは、不安で一杯のまま、男に付いて中へと入って行った……。


 自分は孤児院の前に座っていて、母に捨てられたのだと知ったのは、数日経った後だった。自分を連れて行こうとしたのは奴隷商人で、母は、シーネラルが奴隷として死ぬようなことにならずに済むようにしてくれたのだと知るのは、大人になってしばらく経った後だった。そう、それが母の最後の愛情というわけだ。


 孤児院の実情を知っているのは孤児院出身者だけで、妖魔界の殆どの人々は、哀れな子供達を育ててくれる立派な人が、孤児院を運営しているのだと思っていた。実際その通りの孤児院もあるが、それは孤児院出身者達には特別と呼ばれ、そうでない孤児院は普通と呼ばれるのが通説だった。
 シーネラルが入れられた孤児院は、残念なことに普通の孤児院だった。
 孤児院を建てる資金は第一者が出し、運営は院長に任せられ、資金は貴族達が出資する。そこで生活しているのは、両親を戦争や盗賊などに殺されたりして失った子供が殆どだが、稀にシーネラルのような境遇の子も存在する。妖魔界は子供の教育に熱心で、滅多にそういうことはないのだが……。だからこそ、多くの子供を捨てたギンライは、史上最悪の第一者と呼ばれたのだ。
 貴族達からの金を自分達の為だけに使い、子供達には奴隷と同じような生活をさせる。それが普通の孤児院だった。
 運営資金を出資している貴族達は、時々孤児院へやってくる。子供達が元気にやっているかどうかの様子見なのだが、下働きの子供を捜しに来る場合もある。普段はぼろ雑巾のような布をまとわされている子供達も、その時だけはきちんとした服を着せられ、綺麗に磨かれる。虐待に気づかれたくない院長以下職員は、数日前から子供達を殴らなくなるし、食べ物の質が良くなる。だから、殆どの子供達は貴族が来るのを心待ちにしている。しかし、一列に並ばされ、お礼の言葉を言わされるのが、シーネラルにとっては屈辱だった。
 『お前等さえ居なければ、院長達が堕落することもないんだ。』
 そう怒鳴ることが出来たら、どんなにいいんだろう……。言った後どうなるのか分からない。怖くていつも我慢する……。


 孤児院の中だけで生活するので、シーネラル達は外がどんな風なのか知らない。それなのに、100歳で成人すると、一番粗末な服を着せられ、何の心構えもなしに追い出されてしまう。
 シーネラルが、生活に慣れるのには暫くかかった。


 孤児院を追い出されてから暫く経ち、シーネラルは250を過ぎていた。
 ある町の酒場。ドアが乱暴に開けられる。数種類のペンキを浴びせられたようなカラフルな男がカウンターへ向かって進む。活気のあった酒場が、男の姿を見た途端にシーンとなった。
「親父、酒だ! 酒!!」
 シーネラルは叫んだ。カウンターにどかっと座る。
「今日は荒れてるな。酒が欲しいなら、席につけ。」
 シーネラルは舌打ちすると、椅子を引いて座った。「ほら、いつもの。」
 ぐいっとあおる。
「もう一杯。」
「先に顔拭け。」「血まみれ。」
 妖怪の血は様々な色がある。つまり、ペンキに見えるそれは返り血なのだ。たった今大量殺人してきましたと言っているような男が店に入ってきたので、店は静かになったのだ。客で、彼と目をあわそうとする者はいない。
「五月蝿い奴だな。」
 文句を言いながらも、シーネラルは店主が差し出したタオルで顔を拭った。
「ほらよ。」「荒れてるな。」
 2杯目を差し出しながら店主が言う。「嫌なことでもあったか?」
「フン!」
 シーネラルは顔を背けた。「貴族に会っただけだ。」
 店主の顔に理解が広がる。
「だからか……。何人殺った?」「出来たぞ。」
 店主の背後から手が伸び、店員に酒を渡した。
「いちいち数えるかよ。」
 シーネラルは店主を睨んだ。
「そのうち狩られるぞ。」「そうだな。」
「五月蝿い! 二人がかりで。」
 シーネラルが怒鳴る。「黙って仕事してろよ。」
「はいはい。」「偉そうな奴。」
 店主はカウンターの別の客の前へ行った。彼は後頭部にも顔がある。先ほどから連続して喋り、シーネラルが二人がかりでと言ったのはそのせいだ。前は接客担当で、後ろは酒やつまみを作ったりする料理担当だ。二人は別の人格だが、それほど性格の違いはなさそうだ。
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