真志喜家

1 一人になる

 一泊二日の学校の行事から帰ったら、事故で家族を失っていた……。そんな馬鹿なことがあるだろうか。中学1年生のわたし、ひろみは、呆然としていた。寡黙な父、口うるさい母、そして生意気盛りで可愛くない弟が、もうこの世に居ないだなんて……。
 既に葬式も終わり、親戚の人達が、誰がわたしを引き取るかで揉めていた。家族を失った事実を何とか受け入れようとしているわたしの耳に、普段は優しい親戚達がわたしを押しつけ合う声が入ってくる。
「うちは一人育てるだけで精一杯だ。」
「それ言うなら、うちには二人も子供が居るし……。」
「養護施設は?」
「世間体が……。」
 話し合いは膠着状態だ。親戚の子としては可愛がれても、引き取って育てるとなると、話は変わるらしい……。わたしも一緒に死んでいたら、親戚のこんな顔を見ずに済んだのに。わたしは要らない子だったと知る事も無かったのに。
 更に辛い思いが重なって俯きかけたわたしの目に、それまで黙っていた夫婦のうち、奥さんが立ち上がる姿が見えた。お金持ちの真志喜家のザン伯母さんだ。
「ひろみを欲しい人は、誰も居ないって事でいい?」
 一瞬シーンと静かになったが、皆が慌て始めた。
「いや、そんなね。」
 慌てる叔父さんを彼女が睨み付けた。
「回りくどいやりとりはもういいから。あたしは事実を確認したいんだよ。ひろみを欲しい人は誰も居ないんだね?」
「……そこまで偉そうに言うなら、あんたのとこで引き取りなさいよ。」
 叔母さんが言う。
「そうだ。真志喜さんは大金持ちだ。中学生の一人くらい楽に養えるだろ。」
「そうだ、そうだ。」
 調子づいた皆が騒ぎ立てる。そんな皆に対して怒ったのか、ザン伯母さんが、バンッとテーブルを叩く。
「元よりそのつもりだっつーの! だから、てめえ等に確認してんじゃねえか! ひろみを前にして、よくもそんな口がきけたな!」
 また静まりかえる。そんな親戚連中に背を向け、ザン伯母さんがわたしの側までやって来た。「ほら、行くぞ、ひろみ。」
「え、でも……。」
 金髪碧眼で背が低く、黙っていればお人形のように可愛いのに、口を開くと怖いザン叔母さんの娘になるのは遠慮したい……。かつて不良だったそうだし、口答えでもしたら鉄拳が飛んできそうだ……。
「でもじゃないの。今までのやりとり見てたら分かるでしょ。あんたは、あたし達の娘になるしかないの。」
「でも……。怖い……。機嫌が悪い時とかに、ボコボコにされそうだし。」
 つい言ってしまった。怖いから胸に秘めておくだけにするつもりだったのに。
「失礼しちゃうわね。あたしがボコボコにするのは男だけ。女にはそんな事しないから。ましてや、娘になんて。」
「そ・そう……。でも、親戚の人達に怒鳴っていた姿は、暴力がなくても怖いし……。わっ。」
 急に視界が高くなって、わたしは焦った。
「……あー、強制的でいいか……。」
 ザン叔母さんが頭をかいている。
「ほっといても平行線であろう。」
 それまでずっと黙っていた、ザン伯母さんの旦那さんであるタルートリー伯父さんが口を開く。わたしは彼に担ぎ上げられていた。彼はそのまま、スタスタと歩いて行く。わたしはもう中学生で、しかもデブなのに、重さを感じさせない動きである。不良で暴れまくったザン伯母さんを妻にしただけ合って、タルートリー伯父さんは強いのである。見た目は和風な紳士なのに。
 それは置いといて。190センチの長身に抱えられての移動は、肩車などを喜ぶ歳でもないわたしには、恐怖でしかない。
「お・下ろしてー……。」
「駄目だ。」
 にべもない。


 お金持ちに相応しい凄い車に乗せられた。夫婦二人も乗り込むと、運転手さんがドアを閉めた。彼が運転席に乗り込み、静かに車が動き出した。
「さっきも言ったけど、元からあんたを引き取るつもりだったから、服とかは用意してあるんだよね。だから、このまま真っ直ぐうちに帰るよ。」
「学用品は、後で取りに来させる。」
「転校することになるけど、だからってノートなんかは必要だもんねー。」
 夫婦は口々に必要事項を伝えてくれるが、わたしはそれどころではなかった。
「うう……。」
 恐ろしい夫婦に引き取られてしまった。わたしはこれからどうなるんだろうと怯えていると、ザン伯母さんは勘違いしたらしく、優しい顔になって言う。
「家族を失った悲しみは、徐々に癒えると思うよ。」
「そっちじゃなくて……。」
「ああ、あたしが怖いって話ね。拳は使わないけど、体罰はするから、怖いと思ってくれたままで、構わないよ。」
「痛い思いをするのは変わらないんだ……。」
 わたしは震えた。
「我が家に相応しい娘になるように、スパルタ教育でビシビシ叩くからね。中学生だからって遠慮しないよ? パンツ下ろしてお尻が真っ赤になるまでぶつからね。お尻ペンペンって馬鹿に出来ないくらい痛くて、ひろみはわんわん泣くと思うなぁ。つか泣かせる。泣かなかったら、泣くまで叩く。」
 ザン伯母さんが少し怖い顔で言う。「かといって、早く終わらせたくて嘘泣きしたら、それはそれで叩くからね。」
「……。」
 怖い顔で睨まれたが、お尻を叩かれると分かったわたしはそれどころではなかった。
「実際に叩かれれば、すぐに実感するであろう。嘘泣きは、するかどうかはまだ分からぬ。」
 タルートリー伯父さんがこちらを見た。
「お尻を叩かれる……。」
 わたしはお尻を叩かれて躾られたいとずっと思っていた。お金持ちの家に引き取られて、家に相応しい娘になるようにと、お尻を叩かれて躾られる……そんな妄想もよくしたものだ。
 なんと、その妄想が現実になったらしい。
「そうだよー。あたしも、真志喜家の妻に相応しくなるようにって、散々ルトーちゃんにお尻ぶたれたからね。あんたも知ってると思うけど、あたし、いちおお金持ちのお嬢様だけど、不良で荒れてたからさー。相応しい振る舞いなんて、出来なくてさ。もう嫌って程お尻ぶたれたよ。」
 自分がこれからお尻を叩かれる日々を送る喜びより、ザン伯母さんの過去の方に興味が向いた。
「よく言う事を聞く気になったね……。」
 現代版じゃじゃ馬ならしだ。シェークスピアのそれはお尻叩きが出てくる小説だが、1回しか叩かれていない。だが、ザン伯母さんは叩かれまくったようだ。
「最初は聞かなかったよ。でもさー、あんたも運ばれて少し分かったと思うけど、ルトーちゃんは強いんだよー。苦戦した事はあっても、勝てなかった事なんて一度も無かったわたしが、負けまくってさー。」
 悔しそうな言葉の割りに、なんだか嬉しそうだ。「喧嘩を挑んでは負けて、しかも負ける度にお尻を一杯叩かれて……。悔しくて、また挑戦するけど、また負けてお尻叩かれるの繰り返しで……。」
「心が折れて、諦めて結婚したの?」
「ううん、違うよ。結婚したら、挑戦しやすいぞ。いつでも挑めばいいって、少年漫画みたいな事言われてさ。最初はアホかって思ったけど……。こんなあたしと対等に付き合えるのなんて、こいつだけじゃないかって思い始めて……。」
 ザン伯母さんは、タルートリー伯父さんに抱きついた。「で、結婚した訳。」
「一件落着だ。」
 わたしは何故かホッとしていたが……。
「いや、全然。」
 ザン伯母さんが首を振る。
「え?」
「相応しい妻になるように、お尻叩かれまくったって言ったじゃん。」
「そうだった。馴れ初めを聞いてたんじゃなかった。」
 いつの間にか馴れ初めになっていたが、その話をしていたのだった。
「歩き方、箸の持ち方、相応しい喋り方とか色々仕込まれてさ。出来ないと叩かれるし、出来ても、まだまだって叩かれるし。ルトーちゃんじゃ分からない事については専門の人が仕込んでくれるけど、その人にも叱られるのに、その人から報告を聞いた後、お尻叩かれながらお説教されてさー。もう、毎日寝る頃にはお尻真っ赤になって……。さすがのあたしも、たまに泣いてたね。」
「ひえっ……。」
「他人事みたいな顔してるけど、その辛い思いをあんたもするって話だからね。」
 ザン伯母さんは当然といった顔になる。
「う……。」
「この言い方だと、あたしも辛い思いしたんだから、お前もしろって言ってるみたいだけど、違うよ。事実だから。」
「それは分かるけど……。」
 妄想が現実になる……。妄想では痛みは想像でしかなかったので、毎日真っ赤になるまで叩かれるお尻は憧れだった。しかし、実際は味わいたくない辛さのような気がしてきた……。それだけ、ザン伯母さんの体験談は真に迫っていた。



18年4月11日
Copyright 2020 All rights reserved.

powered by HTML DWARF