小説版 師匠と弟子

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  1 大魔法使いとクロートゥル  

 魔王が現れ、魔物が跋扈し、我こそは勇者たらんと若者達が旅立つような世界。名も無き村の青年クロートゥルは、昼頃に起き出して、ぼんやりと見飽きたエロ本を見ていた。
「んー。そろそろ新しいのが欲しいな。」
 買った時は興奮を与えてくれたこの本も、今では大分色褪せてきた。ポケットをまさぐり有り金を確認していると、母が部屋に入ってきた。
「いつまで寝ているつもりなんだい! さっさと飯を食って、仕事を探しに行きな!」
「えー……。いてっ。分かったよ……。」
 母に頭を殴られたクロートゥルは、大人しく立ち上がった。
 朝昼兼用で食事を済ませた後、追い立てられるようにして家を出たクロートゥルは、仕事ではなく、エロ本を求めて歩き始めた。
 昼過ぎなので、町は食事を済ませた人間達が精力的に働いている。クロートゥルは、そんな人間達から隠れるように背中を丸めて歩く。
 元はクロートゥルにも働く気はあった。汗水垂らして気持ち良く働く自分を夢見て、色んな仕事を探したのだ。しかし……。同世代の皆が次々と働き口を見つける中、不器用でドジなクロートゥルは、仕事を見つけてもクビになってばかりで続かない。自分でも出来る仕事が見つからない。
 気持ちばかりが焦っていたが、皆の仕事の愚痴を聞くにつれ、働きたくないと思うようになってきた。しかし、庶民であるクロートゥルの家に経済的余裕などなく、下のきょうだい達が居るのもあり、働かないという選択肢はなかった。
「でもなー……。働きたくても、俺に出来る仕事がないんだよ……。」
 クロートゥルは、本屋に入ると、エロ本を物色し始めた。
 良いエロ本が見つかり、ホクホクしながら本屋を出たクロートゥルは、魔法使いのような黒装束の男にぶつかって尻餅をついた。相手は細身に見えるのだが、微動だにせず立っていた。
「いてて……。済みません、ちゃんと前を見てなくて……。」
「いや、構わない。」
「あれ、俺、なんかあんたの顔を見たことがあるような……。」
 立ち上がったクロートゥルは、首をかしげた。しかし、魔法使いに知り合いはいない。
「わたしはエイラルソス。この町には弟子を探しに来た。」
「だ・大魔法使いエイラルソス!?」
 大魔法使いエイラルソスは、時には大国の王すら望みを叶えるべく直接彼の住む孤島に訪れる程の力の持ち主。この世界で、彼の名も知らぬ者など殆ど居ないと言っていい。
 ただ、偏屈で、魔王討伐隊への参加も打診されたが断ったと聞いた。膨大な力を持っていて何でも出来そうなのに、我々庶民を救ってはくれないのか……と一部の人達は彼を批判していたし、自分は無能で生きている価値もない人間なんだと腐っていたクロートゥルも、彼等に同意していた。
「弟子を探すって、人捜しですか? 大魔法使い様なんだから、魔法でぱっと見つけられないもんですかね。」
 つい嫌味を言ってしまったクロートゥルは、彼の機嫌を損ねて消し炭にでもされたらどうするんだと青くなった。
「既に居る人物を探しているわけではないのだ。」
 だが特に嫌味を気にした様子もないエイラルソスが普通の調子で答えた。大魔法使い様はそれくらいの嫌味で怒る程、心が狭くないらしい。安堵しつつ、クロートゥルは口を開く。
「ってことは……。」
「わたしもいい年だから、そろそろ後継者が欲しくなってきた。それで、色んな町を巡り、相応しい相手を探している。」
「そうですか。」
 辺りが騒がしくなってきた。クロートゥルは、何か事故でもあったんだろうかと思いかけたが、すぐに目の前の人物が誰なのか、皆が気付き始めたからだと悟った。「あなたが誰なのか、皆が気付いたようですね……。」
「そうだな。では、場所を変えるとしようか。」
 エイラルソスに腕を掴まれ、クロートゥルは戸惑う。
「……え? いや、俺はもう、あなたと話すこともないのですが……?」
「お前にはなくても、わたしにはある。」
 エイラルソスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、クロートゥルは激しい眩暈がして、膝をつきそうになった。エイラルソスに支えられたクロートゥルは、細身に思えた彼が、意外に逞しいのを知った。


 ふと気が付くと、見慣れない天井を見上げていた。ベッドに寝かされていたようだ。
「ここは何処だ……? エイラルソスは?」
 起き上がったクロートゥルは、辺りを見回した。ドアが開いて、エイラルソスが入ってきた。
「気分はどうだ? 瞬間移動は、慣れないと立ちくらみを起こすのを忘れていた。悪かったな。」
「い・いえ……。何ともないです。……それよりも、話って?」
「ここで話すのもなんだから、あっちで。」
 手招きされて、寝室を出た。
 椅子に座ると、エイラルソスがお茶をくれた。一口飲むと、クロートゥルは、無言で同じくお茶を飲んでいる大魔法使いを見た。いい年と言っていたが、まだまだ働き盛りで、弟子を取るには早いような年に見えた。ただ彼は、クロートゥルが産まれる前から名の知れた大魔法使いで、実年齢は数百歳だなどと囁かれていた。それが本当かどうかは知らないが、少なくとも、見た目程には若くないことだけは確かだ。
 ジロジロと無遠慮に眺められても、エイラルソスが気分を害した様子はない。有名人なのでそんなのは慣れっこなのだろう。そんな彼が、やっと口を開いた。
「話は簡単だ。お前には魔法の才能があるし、別の働き口もないようだから、わたしの弟子になれ。」
「……え?」
 何を言われたのか分からず、クロートゥルは、ポカンと口を開けた。
「簡潔すぎたか。」
 エイラルソスが苦笑しているが……。
「お・俺に魔法の才能? しかも、ただの庶民の俺が大魔法使いエイラルソスの弟子? ドジを繰り返してクビになってばかりで、誰にも必要とされてない俺が?」
「……何だ。ちゃんと分かっているのか。やはり、見込み通り、ドジなだけで頭は悪くないんだな。」
 感心した後、エイラルソスが顔をしかめる。「それにしても、自己評価が低過ぎないか。すっかり自信をなくしているんだな。」
「……何でドジなのを知っているんですか? しかも頭が悪くないとか。大魔法使い様は、会ったばかりの人間のことが分かるもんなんですか?」
「まさか。弟子をお前にすることに決めたから、色々と調べたんだ。その結果、やはりお前しかいないと思い、直接会うことにしたんだ。」
「……そうですか。」
 知らないうちに調べられていたと思うと少し気持ち悪いが、それよりもこんな著名人が庶民の自分を欲するなんて……とクロートゥルは、戸惑った。「でも、ただの庶民の俺に魔法の才能があるわけもないと思います……。どうしても信じられません。」
「魔法の才能は血筋は影響しない。かくいうわたしも、両親は庶民でね。だから自分に魔法の才能があるなんて思いもしなかった。普通の生活に嫌気が差して、家を飛び出して放浪していなければ、自分の才能に気付くことはなかっただろう。きっと今頃、家族の為に汗水垂らして働くような、何処にでもいる無害な男だった筈だ。」
 何処か自重気味に笑う大魔法使い。その才能故に色々苦労もしているのだろうとクロートゥルは思う。しかし。
「あなた程の人が庶民だなんて……。そんなまさか。」
「庶民の出だから、わたしは宮廷魔道師などではなく、気ままに生活をしているんだ。」
「そうですか……。」
 大金を積まれても誰の下にも付かない主義とも聞いたが。
「そうやって一人で勝手気ままにやってきたが、そろそろ自分の会得した魔法を次世代に伝えたくなってきた。それで、後継者探しを始め、やっとわたしの弟子に相応しい人間を見つけたというわけだ。」
「同じ庶民だったとしても、あなたは家を飛び出し、放浪するだけの能力や気力があった。でも、俺は腐って家にいるだけです。やっぱり、どうしても、俺にそんな凄い才能があるとは思えない……。」
 クロートゥルは変な夢を見ている気分になってきた。特別な才能どころか、ドジばかりで人に迷惑をかける所為で定職にもつけず、家では穀潰しと罵られ殴られているような自分が、大魔法使いに弟子になれと言われるなんて……。自分に都合のいい夢としか思えなかった。
「才能だけで言えば、お前よりもずっと能力値の高い人間は何人か居た。しかし、既に別の道を進んでいたり、幼すぎて成長を待っていられないような者ばかりなんだ。だが、お前は違う。魔法以外の飛び抜けた才能もなく、跡継ぎでもなく、働く気も全くなく、家族からも期待されていない。わたしが弟子にする為に連れ去っても、誰も悲しまない。むしろお前の家族は厄介者がいなくなって、大喜びするだろう。」
 夢の割りには、大魔法使いは世知辛いことを言う。もっと、お前が気付いていないだけで、隠れた素晴らしい能力があるからとか、お前が一番凄いなどと言って欲しいのに。他に適任者がいないから仕方なく選んだだなんて、夢にしては切ない理由だ。しかも、手酷く貶された。
「いくらあなたが大魔法使い様だからって、そこまで酷く、俺を馬鹿にする権利はあるんですか……。」
「わたしは事実しか言っていない。」
「そうですけど。」
 否定出来ないのが悲しい。誰がこんな人の弟子になるもんかとクロートゥルは拗ねた。
「さて、お前の家族に挨拶に行こうか。」
「俺は、あなたのような酷い人の弟子になんかなりたくないです。」
「わたしの弟子にならなければ、職もないままだぞ。まさか、死ぬまで親が自分の面倒を見てくれるとでも思っているのか?」
「そうは思ってません……。そろそろ叩き出されそうだし……。」
「だったら、よりわたしの弟子になった方がいいだろう。野垂れ死にたいのか。」
「でも……。俺はもう、失望されて冷たい目で見られるのは嫌なんです。いっそ食いっぱぐれて死んだ方がマシかも。」
「心にもないことを……。想像以上に手強いな。」
 エイラルソスが苦笑している。
「……。」
「知っているかもしれないが、わたしは長生きでね。その分、気も長い。だから、お前がどんな失敗をしようが、見限ることはないし、諦めるつもりもない。お前をクビにしてきた商売人達と違って、壊されて困る大事な物もない。」
「でも……。そう簡単に信用することが出来ません。」
 彼を信じたい気持ちが何処かにあった。だが、目の前の人物が自分を酷く貶したことを忘れてはいけないとクロートゥルは、心に命じた。
「これ以上話していても、埒があかない。先に両親に話しをしに行くか。」
 弟子にはなりたくないが、家には帰りたいので、素直に付いていくことにした。エイラルソスが箒を取り出した。
「箒とか怖いです。絶対に嫌だ。」
「瞬間移動だと、お前はまた立ちくらみを起こすだろう。」
「で・でも……。落ちたりしたら……。」
「わたしを誰だと思っているんだ? そんな失敗をするわけないだろう。失礼な。」
「いてっ。」
 お尻をバシッと叩かれた。「何するんですか……。」
「師匠であるわたしを馬鹿にした罰だ。」
「まだ弟子になっていないです。ってか罰が尻叩きって、子供じゃあるまいし……。」
「親に養われて甘えている人間なんて、充分子供だ。ドジが災いして働き口を見つけられないこと自体には同情するが、だからといって、それを理由に親に寄生していていいわけではない。」
「ぐっ。」
 反論出来ないでいるうちに、強引に箒に乗せられてしまった。
 親は最初はクロートゥルのように信じていなかった。だが、庶民の彼等を騙しても得られる金は無いに等しいどころか、逆に大魔法使いとしての名に傷がつくだけで何の得もないと言われ、納得した。そして、彼がクロートゥルへ言ったように、出来の悪い息子がようやく片付いてくれたと、とても喜んでいたのだった。
 こうして逃げ場がなくなってしまったクロートゥルは、大魔法使いエイラルソスの弟子になったのだった。



16年4月5日
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