Way of the Destiny 4

 

     

5月9日 P.M 8:24―――――――――――――――――――――――

 「多分8時頃には署を出られると思うから」という弟、立花功の言葉をそのまま鵜呑みにして、近くのファミレスで待つこと約30分。目的の人物の影すらここに姿を現す気配はまったく、ない。
 しかし弟が遅れるのは毎度の事だと考えているのか、さして混んでいない店内の1角にあるテーブル1つを丸々占有して、高崎は格段怒った様子もなく手にした携帯を慣れた手つきで操作し続けていた。
 机の端で忘れ去られているコーヒーが、無言でその熱をこの空気の中に発散させていく。

 昼間かけていたサングラスよりかはだいぶレンズの色は薄いが、それでも素顔を隠すには十分すぎる威力を持つメガネと、アイドルとしてテレビに映る時とは少々異なる髪形、そして自分はその他大勢の一般人にしか過ぎないんだという別の意味で堂々とした態度が功をなしているのか、注文をとりにきたウェイトレスはもちろんのこと、店内にいる誰1人として彼の事をトップアイドルの高崎龍として見る事はなかった。

 たった1人の例外を除いて。

「あ、いたいた。悪い兄貴、遅くなっちゃって」

 入店を告げる少々間延びした電子音が頭上に響いたかと思うと、男性にしてはキィの高い声とリノリウム製の床を革靴の底が軽く叩く音とが高崎の耳へと届いてくる。
 高崎の事を「兄貴」と呼ぶ人間は、全世界約60億いる人間の中でも、たった1人しかいない。
 それまで鮮やかな色彩を発していた携帯の液晶画面より視線を外し、

「いや、俺の方こそいきなり呼び出して悪かったな」

 高崎は眸と声をその男性の方へと向けて、少しだけメガネを指で下へとずらして色つきレンズ越しではなく、直接自分の瞳で相手の姿をロックしていく。

 もうお判りかと思うが、高崎へと近づいてきた男性は彼の唯一の肉親にして現在西部署で刑事をしている「コウ」こと立花功。
 約束の時間を大幅に遅れてしまったのを自覚していたのか、どうやら署からここまで走ってきたらしく、立花の息は少しだけ弾むように上がっており、頬の血行が僅かだが良くなっている。

 立花が高崎の向かいに座ると同時に、マニュアルどおりにおしぼりと水を持ってきて、注文を取りにきたウェイトレスに向かって「コーヒーを」と人払いをするかのように即座に注文をし、

「で、どうしたの兄貴? いつもなら署に来るのに?」

 立花は、兄より夜に会いたいと電話を受けてから、ずっと疑問に思っていた事を遠慮なしになげかけていった。
 それに対し、高崎の方も少しバツが悪そうに髪を軽く指先で乱しながら、

「ん、ちょっと、な」

 まさか別の刑事に聞かれたくないから、と正直に答える事もできず、非常に曖昧で微妙な返答をすることしかできなかった。
 そんな兄のいつにない態度がほんの僅かだか訝しく感じた立花であったが、ちょうど運ばれてきたコーヒーの湯気に紛れ込ませるように己が内にあるクエスチョンマークもゆっくりと空中分解させていく。

 立花のコーヒーを運んできたウェイトレスの姿が完全に消えたのを確認してから、更に用心深く周囲に誰かいないかと見回して、ようやく高崎はここに弟を呼び出した最大の理由を、彼の目の前に突きつけてきた。

「なぁ功、これ何だかわかるか?」

 昼間のあの騒動の後に滝沢より受け取った名刺の裏側を、弟に良く見えるように手渡していく。

「ん?」

 立花は安物らしい味も香りも標準以下のコーヒーに口をつけたまま、兄よりその名刺を受け取ると、次の瞬間にはコーヒーとの友好条約を強制的に破棄していった。

 驚いたのは高崎の方も同じであった。まさか名刺の裏を見せた程度で弟がここまで狼狽するとは思わなかったからだ。

「お、おい! 大丈夫か!?」

 弟の予想外の行動に、度胸と胆の据わり方は10人前以上だと自他共に認めている高崎にしてはめずらしく慌てた声を出してきて、他の客も立花が発した奇妙な音と高崎の浮き足立った姿に、何事かと一斉に視線を注いでくる。

「ッ! ゲホッ! ゲホッ!! あ、兄貴、これどうしたの!? ッゴホ!」

 

誤って気管へと流れていったコーヒーを強引に食道側へと戻そうと尚も激しく咳き込みながら、かろうじてコーヒーの被害を受けずに済んだ滝沢の名刺と兄の顔とを忙しく交互に見比べている。
 肺にコーヒーが入った事と咳き込む事が相当苦しいのか、女性と間違われるほど繊細に整った立花の目尻に生理的な涙が浮かんでいる。西部署の一部の婦警らで結成されていると噂されている「立花功ファンクラブ」の面々が今の彼の表情を見たら、間違いなく写真という媒体に記録していただろう。

「まぁ、ちょっと、いろいろあってな」

 先程同様相変わらず要領を得ない答えを返しながら、高崎は弟が噴き出していったコーヒーの後始末をしながら、ひとまず彼が落ち着くのを待つのが最優先だろうと考えていた。
 その高崎の思考の方向は間違っておらず、コーヒーによる肺への侵入攻撃が粗方落ち着いた立花が自分自身を落ち着かせるためか一度大きく深呼吸した後、

「ん〜、正直なところ俺も良く知らないんだけど、この『S』っていうのは4月に発足された新部署で、確か警察庁総合犯罪特別捜査課っていう名前だったんじゃなかったかな? 何でも警察庁長官直属の部署で、まだ半試験段階だから人数は少ないけど、むっちゃくちゃ優秀なエリートばかりが集められてるって聞いた事があるけど」

 と、一気に説明して、

「この辺の事だったら多分ハトさんがもっと詳しく知ってる思うから、聞いてみようか?」

 立花の仕事の相棒にして上司、そしてある意味彼の目標地点である鳩村の名前で言葉を閉めてくる。
 それを聞いて、高崎はやや慌てたように、

「あ〜、いい、いいって。そこまでのモンじゃないから。で、もう1つの『警視庁の化け物』っていうのもわかるのか?」

 強引とも言える強さで、話の方向をもう1つの単語の方へと捻じ曲げていく。
 弟の反応から見ても、『S』という単語1つだけでここまで大騒ぎなのだ。これが良い意味にしろ悪い意味にしろアクの強い刑事が集まっているとその筋では有名な西部署で話題にでもなろうものなら、報道レポーターや噂好きの中年主婦が裸足で逃げ出すほどの好奇の目と執拗なる尋問が待ち受けていたに違いない。
 やっぱり功と署の外で待ち合わせにしたのは正解だったな、と高崎は変なところで自分の勘の良さに感心していた。

 兄にもう1つの単語の説明を促されて、立花の方も話を曲げられた事を特に不審がることもなく、

「これは『S』ほど秘密にされてるわけじゃないけど、何でも警視庁にとんでもなく格闘技の強い刑事がいるんだって。聞いた話によると、その人はたった1人で自衛隊の部隊を1つ丸々全滅にさせちゃったとか。その人が本気になったら警視庁は10分で壊滅するって言われてるらしいし。で、人間はずれした強さから『警視庁の化け物』って呼ばれてるみたいだよ。あと、これは又聞きの又聞きだから信憑性は薄いけど、何でもその人は女性だとか言われてるみたいだね」

 立花はそれだけ言った後、一度水で口の中を湿らせてから「ま、女の人でそんなに強い事は在り得ないから、女性説はデマだと思うけど」と付け足してくる。

 弟の説明を受けて、高崎は、

「ふーん。そういうことか」

 とだけ答えて、一度唇を人差し指で軽くなぞって、そのまま沈思黙考の海へと静かにダイブしていった。

 滝沢の昼間のヤク中にたった1人で立ち向かった端から見たら無謀としか言いようがない行動、そして刑事をしている弟に聞けという一言、更に弟から聞いたすべての証言、これらすべてを1つに繋げると、滝沢は弟と同じ刑事、しかも『S』という超特殊部署に所属しており、別名『警視庁の化け物』と呼ばれているほど格闘技に長けていると。
 今まではただ無秩序に散らばっていただけの点のすべてが1本の線となり、高崎の意識の中を勢いよく泳ぎ始めてきた。

 兄の意識がこの次元から足を半分ほど踏み外している事を知ってか知らずか、

「でも兄貴、本当にこれどうしたの?」

 立花が受け取った紙の書かれた文字に視線を向けたまま、再度この2つをどこで知ったのか問い尋ねてくる。

 その声に、高崎は意識を現次元にまで一気に引き戻して、

「あ〜、まぁちょっと知ってるやつから、な。まだ確証が持てねぇから、もう少しだけ待ってくれ。全部わかったらちゃんとお前に話すから」

 弟の一瞬の隙をついてその紙を没収すると、これ以上見られたくないとでも言うように手早くポケットへと仕舞いこんでしまう。
 めずらしい兄の隠し事に、立花は文字どおり目を白黒させていたが、それもほんの数秒の事でしかなかった。

「わかった。でも、全部わかったら本当にちゃんと話してよ、兄貴」

 立花は吹き出して中身が一気に3分の1程にまで減ってしまったコーヒーに再び口付けた。味も香りもほとんどないそのコーヒーは泥水を飲んでいるような錯覚に陥るが、ファミレスレベルの飲食店でコーヒーの品質を期待する方が間違っているので、こういうものなんだと思うようにしている。

 そんな弟の姿をしばらく黙って見つめていた高崎だが、

「なぁ、功」

 ふと目の前にいる弟の名前を呼んで、立花の意識を自分側へと誘導してくる。

「ん? 何、兄貴?」

 自分の名前を呼ばれて、立花はコーヒーを飲む手を止めてそのまま真っ直ぐ兄の方へと瞳を向けていった。
 子供の頃からまったく変わってない、立花の透明度の高い瞳が遮るものなしに兄の瞳を鋭く射抜いてくる。
 この瞳が、高崎は好きだ。女に間違えられるほど外見は柔に見られがちなのだが、相棒の鳩村に「俺より強い」と言わせるほどの太極拳の使い手であり、その外の強さに負けないぐらい内面も決して折れる事のない芯が1本、弟の身体を支えており、その外見・内面共々の強さをこの瞳が何よりも物語っているからだ。

「お前、刑事になった理由って死んだ親父が警察官だったから、その親父に少しでも近付きたいから、だったよな?」

 高崎の口調は疑問系を取っているか、それはどちらかと言えば確認している口調に近い。

 高崎自身が言ったとおり、この2人の父親は警察官をしており、10年以上前に何者かの手によって殺害され、皮肉にもその第一発見者が他ならぬこの兄弟なのであった。
 ちなみに、2人の父親を殺した犯人は未だ逮捕されておらず、時効のカウントダウンがそろそろ始まろうとしてしまうほどの年月が経過してしまっている。

「うん、そうだけど?」

 それがどうしたんだ? という意味を言葉の裏側に込めて、立花は兄の質問に対してそう答えてきた。
 高崎はそれを聞いて、更に深く言葉を綴り続けてくる。

「だよな。じゃあ今でも親父を殺した殺人犯を逮捕したいって気持ちは、まだあるのか?」

 少し遠回りしてしまったが、滝沢が刑事をしているとわかったと同時に、どうしても弟に聞きたかった事。
 これは高崎の憶測の域を出ないのだが、おそらく彼女が音楽業界のトップという輝かしい先が見えるレールを蹴ってまで刑事という道を選んだ理由は、兄を殺したひき逃げ犯を見つけて逮捕する事、もしくは自分と同じ思いをする人間を1人でも減らしたいから、だろう。
 それがいい事なのか悪い事なのかは、高崎には判断する事ができないし、そもそもいい事だの悪い事だのに断定する事自体が間違いなのように感じる。
 ただ、同じような境遇を持ち、そして同じ職を選んだ弟が昔の考えのままなのか、今どう考えているのかが知りたい、ただそれだけであった。

 その兄の真意が通じたのかどうかわからないが、立花は自分の考えをまとめるようにしばらく視線を空中にあてもなく彷徨わせていたが、やがてその考えがまとまったのか、彼の唇がゆっくりと活動を再開していく。

「正直なところ、やっぱり犯人が捕まらない事は悔しいけどさ、実際刑事になってわかった事もあるし、第一所轄が違うから」

 諦め、という表現は少々似つかわしくないだろう。かと言って固執しているわけでもない。いい意味で割り切っている、というのが立花の考えを端的に現した言葉だろうか。

 更に立花は、

「それに、今の職場は結構性に合ってるし、ハトさんっていう尊敬できる人にもめぐり合えたしね」

 と付け加えてくる。

 銃撃戦が全国一多い危険極まりない所轄署を「性に合ってる」と言いきる辺り、立花の度胸の据わり方が普通じゃない事を物語っているような気がしないでもないが。

 それを聞いて、高崎の方は特に何かを言うわけではなく、

「そっか」

 とだけ、弟に軽く放り投げてくる。

(本当はもっと安全な署に異動願いを出してほしいんだけどな)

 という考えを音としてこの世に出す事はせず、冷たくなってますます不味く感じるコーヒーと共にそれを胃袋へと流し込んでいく。
 消化不良を起こすような重たいモノを腹の中に入れられて、身体が少しだけ抗議活動を起こすが、高崎はそれを敢えて無視した。

 先程とは立場を逆にして、その兄の様子を黙って見ていた立花だが、突然唇の端に小さな笑みを浮かべてくる。

「そんな事を聞いてくるなんて、今日何かあったのか、兄貴。それとも、それも黙秘権行使?」

 その表情だけ見たら、とても刑事とは微塵にも思えない立花の愛らしい笑顔。もっとも、そんな事を本人に言おうものなら鉄拳がコンマ数秒も待たずに飛んでくる事間違いなしのだが。

 弟の言葉に同じように微笑を浮かべて、

「ま、な。全部片付いたらちゃんと自首するから、もう少しだけ待ってくれよな」

 そう言った高崎の表情にも、愛らしくは決してないものの、実に魅力的な笑顔が乗りかかってくる。
 笑顔はまったく似てないが、笑い方が非常に良く似ている。この辺が血の繋がりが為せる技だろう。

 そういえば、こうやって2人で屈託もなく笑いあったのは何週間前、下手をしたら何ヶ月単位の前だろうか。トップアイドルと多忙な所轄の刑事という、お互い不規則な生活を送っていることには自信があるため、こうやって2人だけで会える事自体、本当に久しぶりなような気がする。
 それにお互い共気付いたのか、更に笑顔の度合いが深くなっていき、ほんの少し、だが2人にとっては何よりも大事で守りたい時間がゆっくりと流れていった。


  「早く自首してくれよ、兄貴。そうじゃないと俺が逮捕しちまうからな」

 「そいつだけは勘弁願いたいね。1秒でも早く自首できるよう努力するさ」

 

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