Way of the Destiny 2

 

5月9日 P.M 12:45―――――――――――――――――――――――

 女性の、もし演技でこの悲鳴を出す事ができたら間違いなくトップ女優になれるであろう声、というより音を聞いて、高崎の意識が一気に現実の方へと傾いてくる。

 サングラス越しに声の方へと目線を向けると、OLらしき制服を着た若い女性達が皆「恐怖」という決して外せる事のない仮面をその顔に纏い、走るのにはまったく適していないスカートと踵の低いパンプスで少しでも速度を出そうと必至に脚を動かしている。

 更にその女性達が走ってきた方向では、男女入り乱れて小さな人だかりができている。
 普通の人だかりと違うのは、全員に「戦慄」「驚愕」と言った負の要素の非常に強い意味を持つ表情が浮かんでおり、しかもその人だかりが目に見えて移動しているのだ。

 誰がどう見ても只事ではない状況に、高崎はほとんど脊髄反射と言っていい程の素早さで立ち上がり、同年代の男性より5cm高い身長を生かして人だかりの中を覗きこんでみると、中央で20代後半から30代前半程度の男性が1人、完全に意味をなしていない奇声を発しながら酔っ払いのような千鳥足で果物ナイフをむやみに振り回していた。
 酔っ払いのような、と表現したように、男性は酒の魔力に負けているのではない。その証拠に瞬きを殆どしない目はウサギのように充血しきっており、肌は血行を失った何とも表現のしがたい土色、唇の端からは黄色い唾液が蜘蛛の糸のように細い線を引いている。ある種の薬物中毒者の末期症状の典型的な例そのものである。

(うわ〜、ヤク中かよ。しかもイっちゃってるぜ)

 薬によって人間を放棄した者はテレビ等々で何度か見た事があるが、この目で実際に見たのはこれが初めてだ。もし今同じ薬をやっている者がこの場にいたら、速攻で薬を止める事を決断するに違いない。

(ったく、どーするんだよ、コイツ。このままほっとくとマジヤバイぞ。確か管理所、いや、確か入り口に交番があったよな?)

 トップアイドルであり弟が刑事という職に就いている高崎にとって、スキャンダルはともかくこういった揉め事に関わるのは極力避けたいところだが、これ以上あの男をほっておいたら怪我人、下手をしたら死人が出かねない状況だ。
 犯罪者には警察、という図式を頭の中で組み上げて、高崎は踵を返して交番まで走り出そうとした、ちょうどその時。


    光が、中心に飛び込んできた。


 あまりにも場違いな乱入物に、高崎は思わず足を止めて視界の端に止まった光に焦点を合わせてくる。

 どうやら光だと思ったのは、太陽光を反射した金色の髪らしい。背中の真ん中ほどの長さの金髪が、ヤク中男性のナイフを避けるたびに小さな輝きを伴って不規則なダンスを踊り続けていく。
 そう、その髪の長さからわかるように、ヤク中の男性と向かい合ってきたのはスレンダー体型そのものの女性。こんなか弱そうな女性が飛び出してきた事に人込みから小さな悲鳴が上がり、また薬の誘惑の手に堕ちて人間という皮を被っただけの獣も、その女性を格好の獲物と思ったのか、今まで以上に甲高い奇声を上げながら刃物を激しく振り回していく。
 しかし、そんな獣の無秩序攻撃にも、女性は軽く笑みを浮かべながら軽く右へ左へと猛攻を避けている。その足取りはまるでステップを踏んでいるかのようだ。

 ここまで来ればその髪を持つ女性が滝沢だとわかるだろうが、高崎には「滝沢」という名前とは違う、まったく別の名前が脳裏で点滅していた。

(あれは…?)

 視界を遮るサングラスの色がまどろっこしいとでも言いたげに、高崎はそれを頭の上へと持ってくると、改めて滝沢へと視線を集中させていく。

 あの姿、あの頃からはそれなりに伸びているがあの金髪、最高品質のサファイアをそのまま埋め込んだような蒼い瞳。間違いない、「あいつ」だ!

 高崎の中でその女性が「あいつ」だと結びついた時には、既に「あいつ」の名前を叫んでいた。


  「セイ!!」


  これに驚いたのは、そこにいたすべての人間。その中には「警視庁の化け物」の異名を持つ滝沢も含まれており、全員の目が高崎の方へと集中してくる。

 この声に反応しなかったのはただ1人。いや、もう「人」とは言える状態ではないので、1匹とでも言った方が正しいだろうか。
 その1匹は高崎の声に驚いた滝沢の一瞬の隙を逃さず、人間の発声音域を越えた雄叫びを上げて滝沢へと果物ナイフを振りかざしてきた。

 幾人かの声質の違う悲鳴。

「!!」

 咄嗟の反射神経でナイフの串刺しは免れたものの完全に避けきる事はできず、滝沢の右袖がナイフの被害を受けて10cm程切り裂かれている。

 再び悲鳴が上がるが、

「あー! 俳優の高崎龍!!」

 その悲鳴を上回る女性特有のキィの高い黄色い悲鳴。よくよく今日はこの日比谷公園で質こそ違えども悲鳴の良く上がる日だ。

 女性のある意味告発にも似た歓声を聞いて、高崎は素顔を露にしていた事を今更になって思い出した。

「ヤバッ!!」

 慌ててサングラスを戻して人込みから出ようとするが、それが返って自分が高崎龍である事を証明してしまったらしい。高崎が退散するよりも早く女性陣という名の障壁によって、前にも後ろにも進めない状況になっていた。

 1人のトップアイドルと1匹のヤク中による、日比谷公園大噴水前、史上最大のパニック。

 そんな中、ヤク中の相手をしていた滝沢に篠崎のフォローが入り、

「すいません、篠崎さん」
「1つ、貸しな」

 パニックに紛れて秋原が斉藤と高橋に合流し、斉藤が高橋の持つロボットを奪い取って、

「高橋さん、これで今日の昼食の貸しはなしにしますよ。秋原さんお願いします」
「あぁ! それはまだ途中…」
「了解しました!」

 それぞれがそう言ったのを、一体何人の人間が気付いただろうか。

 篠崎と滝沢が2人がかりでヤク中の獣の意識を無我の海へと沈め、その間に斉藤が高橋より奪ったロボットのスイッチを躊躇うことなくONにしていく。
 途端にちょっとした打ち上げ花火並みの光と音が周囲の空気を激しく包んでいき、

「爆弾よー! もうすぐ爆発するわー! 皆ふせてー!」

 秋原の陽動がパニックの火中に油を注ぎ、混乱という炎が更に勢いをつけて燃え出した、そんな気がした。

 『S』、というより斉藤ら3人による狂乱増幅作戦によって、大噴水前は蜂の巣を突いた、などと可愛い状況ではなく、スズメバチの巣を思いきり蹴り飛ばした以上の大騒ぎとなっている。
 秋原の言葉に従って伏せる者、何が起こっているのかわからずただ右往左往する者、殆どの人間が常識的な行動を取る事ができなくなっていた。

 高崎もそんな状況把握ができない中に含まれており、1秒ごとに目まぐるしく変わる場面状況に半ば呆然と目を白黒させていると、

「何ボーっとしてるんですか。今のうちに逃げますよ!」

 そんな小さな叫び声と共に右腕を強く引っ張られてきたかと思うと、次の瞬間には強引的に走らされていた。
 高崎の腕を引っ張って走っているのは、今まで獣相手に立ち回りを見せていた「セイ」こと滝沢。

「セ…!」
「話は後で! 今この場に高崎さんがいるといろいろ厄介な事になりますから!」

 高崎が何かを言いかけるより早く、滝沢が制止の声を出し、口より足を動かすように暗に示してくる。

 滝沢の言葉に賛同したのか、高崎はそれ以上何も聞くことなく、ただ全速力で走る事に専念していった。

 走り去る間際、滝沢が「後の事お願いします!」と言う意味の敬礼を『S』の面々に投げかけ、それに応えるように全員が親指を立てて返してきた事は、『S』のメンバーしか知らない事。

 

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