Way of the Destiny 1

 

5月9日 P.M 12:39―――――――――――――――――――――――

「あ〜、久々にまともな昼食だったぜ。斉藤、ご馳走サン」
「ホンマ、篠崎はんやあらへんけど、こないにまともで豪勢なお昼なんて何年ぶりやろか? 斉藤はん、ホンマゴチになったっす」

 日比谷公園の中にもいくつかランチを食べられる場所があるが、その中でもおそらく一番の老舗で最も名前が知られているであろうレストラン「松本楼」の店内から、篠崎と高橋が満足そうな表情と共に新緑のやや青い匂いが香る影の中へと足を踏み出してくる。
 2人共いかにも腹いっぱい食べました、という様子を身体全身から発しながら、篠崎は全体の筋肉をほぐすように大きく伸びをして、高橋は満タンになった胃袋の感触を洋服越しに確かめるように、左手で腹を軽く擦っている。

 その2人から約3歩程遅れて、

「何で俺が2人の昼食まで面倒みなくちゃいけないんだ?」

 白皙の美男、と言っても何ら差し支えのない整った顔立ちに「不愉快」と「呆れ」を足して2で割ったような表情を浮かべる斉藤が財布の口を閉めながら同じように店内より外へと出てきた。

 一体どういう事であるかは少しでも状況把握能力がある人間であればわかるとは思うが、篠崎と高橋が斉藤の財布の中身に頼って昼食を奢ってもらった、というところだ。
 身も蓋もない言い方をするならば、2人が斉藤にたかった、の一言で済むだろう。

 ほとんど独り言に近かった斉藤の疑問を、前を歩く2人は聞き逃さなかったらしい。お互い上半身のみをほぼ180度回転させて、

「ん? いや、この間双子の妹の誕生日でさ。しかもプレゼントにブランドのバッグが欲しいってせがまれちまってよ、今月マジで経済的ピンチなんだよ。しかも双子だから2人分だぜ。ったく、んなもん欲しがる前に中身を磨けっちゅーんだよ」

 これは篠崎。
 腹がふくれているからだろうか、言葉の様子よりその顔は怒ってはいない。その証拠に食後の一服とばかりにタバコを咥えた唇の端には僅かだが微笑すら浮かんでいる。

「いや〜。これの材料費が結構かかってもーて。今回は爆弾に加え光と音も派手に出るように細工したさかい。光と音の部分はもう完成しとるんで、後は爆薬さえつめたら完成なんやけど」

 これが高橋。
 昼食の場所にまで持ってきた自作のロボットを斉藤の方へと突き出してきた。どうやらそのロボットが高橋の給料の殆どを飲み込んでしまったらしい。

 そんな2人の回答に、斉藤の不満の色を大量に染み込ませた溜息を1つ、肩の上下がわかるくらいに盛大についた。

「まーまー、いいじゃねぇかよ。今度給料入ったら今度はオレがオゴるからよ」
「せやせや。ワイもむっちゃ美味しいモンを今度おごるさかい。期待したってーな」

 2人はそう言って今日の借りを返すような口ぶりを見せているが、斉藤は前にまったく同じ台詞を聞いた事があり、それが実行された覚えがまったくない事を身をもって経験している。

 斉藤、再び溜息。

「期待しないで、今度の給料日を待っていますよ」

 ほとんど投げやり的に斉藤が答えた、ちょうどその時であった。


5月9日 P.M 12:41―――――――――――――――――――――――

「本当に美味しいところでしたね。聖羅さん、いい店を紹介してくれてありがとう」

 満腹中枢に十分すぎるほどの刺激を与え、心身ともに栄養バッチリとでも言いたげに、秋原は実に魅力的な笑顔を、同じ歩調で歩いている滝沢への方へと向けてきた。

「美味しかったでしょ? あそこは割りと知らない人が多いから、結構穴場なんですよ」

 秋原からの感謝の言葉と柔らかい笑みを受けて、滝沢の方も満足そうに微笑んでくる。
 美女2人組と言っても何ら差し支えない秋原と滝沢の笑顔に、行き交う男性陣たちが皆一様に2人に見とれ、声にならない賛嘆の息を軽くついてくる。
 秋原と滝沢と同じ性を持つ相手を連れている男性までもが2人に視線を注いでいるため、相手から思いきり手の甲をつねられていたり耳を引っ張られたりしていたが、それは2人には関係のない事。

 めずらしく秋原と滝沢の2人の昼食時間が重なった今日は、滝沢から秋原を誘って彼女曰く「穴場」の場所へと一緒に昼食を食べに外に出ており、今はちょうどその帰りというわけだ。
 その穴場とは、勤務場所である警視庁を出てすぐ脇を走る国道1号線を渡り、更にそこから1区画南東方向へと歩いて、日比谷公園を挟んだ向かいから少し奥へと入った所にある、とある雑居ビルの地下2階の実にこじんまりとしたレストラン、というよりかは個人が趣味で経営している創作料理店と言った方が正しいような落ち着いた雰囲気の飲食店である。

 築50年はゆうに過ぎているだろう古めかしく所々で外装が剥げ落ちコンクリートがむき出しになっている外見が、何も知らない一般人の足を中へと向けさせることを躊躇わせるのだろう。昼食時間帯という1日で2番目の稼ぎ時であるにも関わらず、店内には秋原ら2人を含めても2桁行くか行かないかぐらいの客の入りだ。
 実際2人が適当な席に座って食事を始めても、食事を終えて出て行く客と入れ替わりに大体同じ人数だけの客が入店してくるため、店内の客の数に大きな変化はなく、実に緩やかな客の波が間接照明でやや薄暗く感じる店内の空気を僅かに揺らしていく。

 手に職を持つ社会人があくせくと働く都心の平日とは到底思えない穏やかで静かな空間と時間、そして「美味」という意味がこれだけ当てはまるのも珍しいと思えるほどの昼食を食べられた事による満足感をいろいろな意味で味わう事ができ、2人共上機嫌で陽の当たらない地下より光溢れる地上へと階段を上っていった。
 もっとも、ちょうどその雑居ビルがある周辺は、高低新旧の差こそあれど、様々なビルが乱立しているため、地上に上がったからといってすぐに日光の恩恵を受けられるものではないのだが。

 ビルとビルの間から覗く、雲1つない蒼天を仰ぎ見ながら、

「ね、聖羅さん。まだちょっと時間あるから日比谷公園の中通っていきません?」

 そう秋原は滝沢の方へと視線を移しながら提案してくる。
 秋原の言葉に、瞬間滝沢は驚いたような顔を見せてくるが、秋原が人差し指を空へと向けて軽く微笑んできた。つまり、天気がいいし公園の中も5月の新緑に溢れていて気持ちいいだろうから、少しだけ園内を散歩していこう、という意味らしい。
 そんな秋原の言葉の下に隠された本当の意味を1字1句間違えることなく受け止めて、

「いいですね。ちょっとお散歩していきましょうか」

 同じく軽く笑みを浮かべながら、滝沢も賛同し、2人の足はどちらがと言う事もなく日比谷公園の方へと向けられていった。

 2人がいる場所から一番近い日比谷公園の入り口といえば講演やイベント等でよく使われる公会堂のすぐ脇にある幸門だ。そこの近くに設置されている交番で勤務している制服警官に軽く労いの言葉をかけてから、秋原と滝沢は公園内へと足を踏み入れていく。

 昼休みの時間がまだ続いているせいか、それとも只単にこの眠気を催すような陽気に誘われたのか、園内は2人が思っていた以上に人が多く、休日ほどではないが親子連れの姿もちらほらと見受けられる。子供達は大はしゃぎだが、父親の方は少しグロッキー気味の様子だ。それから察するに久しぶりの休日を家族サービスに充てざるを得なかったクチだろう。

 秋原と滝沢は公会堂の側を通り抜け、そのまま第二花壇へと歩みを進めながら、そんな親子連れや、自分達と同じく散歩という目的で公園を使っている人達に軽く意識を向けていった。

「ん〜! 本当に今日は気持ちいいですね」

 秋原は両手を組んでそれをそのまま空へと伸ばしていき、筋肉を軽くほぐすと共に大きく深呼吸をしていく。秋原の肺に緑の少しむせ返る程の爽やかな空気が大量に送り込まれてくる。

「そうですね。こんな日はそこの芝生に寝転がってお昼寝の1つでもしたくなりますけど」

 滝沢の方も歩きながらでもできるストレッチをしながら、その蒼色の瞳に第二花壇に広がる鮮やかなミント・グリーンを映していく。

「駄目ですよ。この花壇は立ち入り禁止なんですから」

 そう秋原が滝沢に小さな釘を刺してくるが、滝沢が本気でそこで昼寝をするわけではないとわかっているので、口調もどこか冗談を言っているような軽いものだ。

「わかってますよ。でもここで昼寝をしたら気持ちいいでしょうね」
「確かに。その気持ちは良くわかりますよ」

 2人の考えに同意するように、すぐ側をすれ違っていく人々も皆一様に第二花壇の芝生に視線を注いでいる。もしここが立ち入り禁止区域ではなかったら、自らの考えを実践する者が出てきていたに違いない。

 いつもよりすれ違う人の量の多さに、滝沢はほんの少しだけ意識を集中させながら、

「理由はわかりますけど、今日は人多いですね。こんな所で犯罪が起こったら大変でしょうね」

 心の中に浮かんだ思いそのままを、言葉としてこの世に紡ぎ出してくる。

 それを聞いて、

「聖羅さん。いくら冗談でもそんな事、言わないで下さいよ」

 笑いながら秋原がツッコミを入れた、ちょうどその時であった。


5月9日 P.M 12:42―――――――――――――――――――――――

(あ〜、ヒマ)

 抜けるような青空、なんて陳腐な表現がこれ以上にないほど似合いすぎる五月晴れの空を、外からは目の表情がまったくうかがい知れないサングラス越しに仰ぎ見ながら、高崎は2人掛け、つめれば3人は座れるであろうベンチの真ん中に座って、両腕をややだらしなく背もたれに預けていた。

 世間一般で言われるところの「ゴールデンウィーク」という期間は、アイドルである高崎にとっては「休みなしの仕事ぎっしり」期間と同意語である。

 芸能界に入って約10年、最初こそ目を回す、否、目を回していられる余裕すら見つけられず、ただ目の前に立ちはだかる「仕事」という難攻不落の鉄壁の攻略のみに全力を注いできたが、徐々にこの忙しさにも慣れてきて、逆にゴールデンウィーク明けの、年に2桁あれば多い年だと思われる完全オフ日をいかにして過ごすか、という問題の方が彼の頭の中で大きな比重を占めるようにまでなってきていた。

 これが普通の人間であるならば好きな子と、好きな所に行って、好きな物を食べて、好きな事をして過ごす、という選択肢が筆頭に上げられるだろうが、生憎高崎はあらゆる意味で「普通」ではない。

 芸名、高崎龍、本名、立花隆。本名はともかく、芸名を知らない者がいたら、それはきっと物事の判別がつかない赤ん坊か、逆に人生の終焉が見えてきている老人に違いないだろう。それほどまでに「高崎龍」という名前は日本全国に知れ渡っており、自他共に認めるトップアイドルという地位にその名は存在していた。
 それ故、高崎の辞書に書かれている「普通の生活」と、その他大勢でひとくくりにされてしまうような一般人の辞書に書かれている「普通の生活」の意味には揚子江並みに幅広く先の見えない隔たりがあり、大勢の人間が当たり前のようにできる事が、高崎にとっては逆にかなりの困難を伴うことの方が多かった。

 もっとも、高崎の方もそれは芸能界に入った時点で覚悟していたことであり、今となっては「有名」という名の税金を世間一般に払っているようなものだと、半ば達観している部分があるが。

 そんなわけで、非常に貴重な1日丸々休日であってもおいそれと人目につくような所に足を運ぶこともできず、かと言って1日をずっと家で過ごせる程大人しい性格はしていないので、高崎は素性がばれないように、且つ怪しまれない程度の変装をして外で時間を潰すしか、当面のところは思い浮かばなかった。
 ちなみに今日選んだ時間潰しの場所は、日比谷公園。官公庁街の中にあって、約50万坪の敷地面積を保有しており、無機質なコンクリートジャングルの森で働く社会人達にとっては絶好の憩いの場となっている。

 これがもう少し夏という季節が近かったらとてもじゃないが外に出ようという気にならないが、この時期は密閉感の非常に強い建物の中より外の方が数段、数十段も気持ちが良い。現に平日の昼時である今の時間にはスーツ姿の男性や制服姿の女性らが少しでも新緑の休息を得ようと、お弁当を広げていたり、同僚らと世間話をしたり、更にはベンチ丸々1つを使って仮眠を取っている者までいる。確かに今の時期なら日射病の心配がいらない分、外での仮眠の方が気持ちいいかもしれないが。

 高崎がベンチを1つ陣取っている大噴水前も、ほとんどのベンチが正しく、もしくは間違った使い方をされており、お店で言うならもう少しで満員御礼と言った感じだろうか。時折吹き上げる噴水の水飛沫が太陽光を反射し、スペクトルを伴って形なく消えていく。

 高崎はやや彩度の高い薄青色のペンキで塗りたくったような空より視線を下界へと下ろしてくると、大噴水を挟んだちょうど向かいのベンチですっかり皺の寄った背広姿の中年男性が1人、ベンチ1つを丸陣取って仮眠の世界に身を委ねていた。
 片足を地面に、もう片方の足をベンチに乗せ、顔に日よけのハンカチを広げて仮眠を取るその姿はどちらかと言えば悪い意味で様になっており、あぁこれは外回り一筋の営業マンだな、と容易に想像できて、思わず高崎の唇の端に小さな微笑が浮かび上がってくる。

 その営業マンに少なからず影響を受けたか、高崎の中で「睡魔」という優しい悪魔が穏やかに話しかけてくる。

(そういやぁ、ゴールデンウィーク中の仕事やら何やらで、睡眠時間足りてねぇかもな…)

 高崎の意識が現実と夢現の狭間でどちらに行こうか判断しかねている、ちょうどその時であった。

 

 

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