狙撃騒ぎから、三十分。病院では、鷹山の緊急手術が行われていた。
あまりにもひどい出血に、医師からは、万一も考えてくれと言われていた。
しんと静まり返った手術室の前に、鳩村はただ、壁にもたれて立っていた。
その隣のベンチには、未だにそのままの格好の立花が、うなだれて、焦点の合わない視線を床に投げている。
廊下の奥から、スニーカーの靴音が響く。
少し長めのジャケットの裾を翻して、慌てた様子で駆けつけたのは、大下だった。
「鳩村、どういうことだよ」
「ヤバイ・・・そうだ」
「そういう意味合いじゃないっ、何でタカが撃たれなきゃいけないんだっ」
鳩村の襟首を大下が掴み上げた時、その下で、立花が呟いた。
「俺がいけないんだ・・・。俺が、鷹山さんを呼び止めなきゃ・・・、ハトさんに間違われる事なんてなかったのに・・・」
「コウ・・・? 間違えられたって、どういうことだよ、鳩村」
立花に落としていた視線を、鳩村に戻して、大下はさらに詰問した。
「そのままの意味だ。どうやら、狙いは俺だった、ようだ」
「・・・なん、だと? で、ホシは」
「・・・逃走した。サイレンサーを使用していたようだ。距離は400、けっこうな腕だ。これから、俺に恨みを持つ人間をリストアップする。けれどな」
鳩村は、大下へと視線をぶつけて行く。
「一応、お前らの方のも頼む。過去の履歴を洗っておいてくれ」
「・・・・わかった」
つと、立花へとまた視線を落とすと、がっくりうなだれたまま、ぴくりともしない立花が目に映った。
「鳩村、ちょっといいか」
大下は、鳩村を連れ、その場を離れて、喫煙室へと移動した。
「あいつ、おかしくないか。いつもなら、犯人撃ち殺したって平気な顔してるくせに」
大下は、自分の相方ではなく、立花の心配をしているのに、鳩村は苦笑した。
「お前、鷹山の事はいいのか」
「・・・あいつが、死ぬわけはない。絶対に。俺と一緒に、80過ぎても、あぶない事してるって、約束してるからな」
大下は懐からラークの赤い箱を取り出し、タバコを一本取り出そうとした。
だが、手が震えて、うまくいかない。それだけ、本当は狼狽しているのだ。
鳩村は、その箱から、一本取り出し、大下へと渡した。
「・・・すまん。八つ当たりした・・・」
鳩村は、首を振った。
「いい」
大下の銜えたタバコに、鳩村がマッチで火をつけてやる。大下は、深く煙を吸い込むと、まるでため息のごとく、大きく吐き出した。
「コウだけどな・・・。親父を亡くしてるんだよ。子供の時に」
「・・・それは知ってる。第一発見者は、龍だったよな」
「ああ・・・。コウも、すぐに返ってきて、その死体を見てるんだよ」
「けれど、血に対する恐怖って、もってはないだろ」
「奴の親父、ちょっと俺に似てるらしいよ・・・。以前、俺が大怪我した時、かなり狼狽して、仕事にならなかったって聞いてる」
鳩村は、自分もフィリップモリスを取り出し、火をつけた。
「フラッシュ、バックしちゃうんだろうな・・・。鷹山抱えて、助けてって悲鳴上げて、・・・そのまま倒れちゃったらしい・・・。さっき気付いたと思ったら、あの場所で、ずっと動かず、まるで自分に非があるように、呟いて、俺の言葉さえも届いちゃいない」
「・・・随分、あいつに甘いんだな」
大下はそう言うと、もう一度煙を吸い込んで、長いままのタバコを灰皿へと押し付け、喫煙室を出て行った。
鳩村はその後ろ姿を見送ると、自分もタバコをもみ消し、出口へと向かう。
丁度見かけた平尾に、署に戻ると伝え、病院を後にした。
平尾ですら怯えるほどの、凄まじい闘気を身に纏い・・・。
「コウ」
大下は、優しく声を掛けてみる。反応はない。
「コウっ」
今度は少し大きめに、語気を荒げて声を掛けてみる。しかし、反応はない。
そこに、平尾がやってきた。
「ここ、頼むぞ、平尾」
「ちょ、大下さんっ? 何を」
呆然としている立花を掴み上げ、無理やりそのベンチから引き離そうとする。
立花は、それを振り払い、ベンチに居残ろうとする。
「やだぁっ!」
「うるせぇ、来いっ」
お互いの力がぶつかりあうが、大下の方が少し勝り、立花を無理やり、立ち上がらせると、ナースに聞いて病院のバスルームへと移動した。
平尾が、どうしていいかわからず、だが、とりあえず後を追って中に入った。
すると、大下は掃除用具入れから、バケツを取り出し、水をなみなみと入れて、それをおもむろに立花にぶっかけた。
立花の顔についた血や、服についた血が流され、排水溝に薄赤い水が流れていく。
大下は、そのバケツを自分の足元へと叩きつけ、バケツは跳ね上がり、転がっていく。
「ちったあ、目が覚めたか、くそがき」
「お、・・・したさ・・・」
漸く、焦点を紡ぎ出した視線が、ぼんやりと大下を捉えた。
「ごめん、俺が・・・」
「お前のせいじゃねぇ。お前が話しかけなくても、撃たれただろう。待ち伏せていやがったみたいだからな」
「でも・・・」
「でもも、何もねぇっ! お前がそんなんじゃ、俺は・・・」
『俺はこのままじゃ、崩れそうなんだ・・・』
瞬間、顔がなきそうに歪む。それを立花に悟られるより先に、頭を振り、思考を飛ばす。
「俺は、このままじゃすまさねぇ。絶対にな」
ぎりっと音が聞こえるような、そんな歯軋りをする。
「・・・じゃあな」
「! じゃあなって、大下さんっ」
「・・・なんだよ」
滴り落ちる水に構わず、立花は立ち上がった。
「駄目だよ、大下さんっ! 貴方・・・、殺す気だろ・・・」
そう。平尾は、大下にも鳩村と同じ気配を感じた。
「コウ・・・」
平尾は、目配せをする。立花は、それに頷いた。
もう、立花の視線は、確実にしっかりと大下を捕らえていた。
「俺も、一緒に行きます」
大下は、その様子に、ふっと笑みを漏らした。
「とりあえず、血の臭いを消してからにしてくれ」
「あ、はい、すみません」
いつものやりとりに、平尾は安堵のため息をついた。