「え、何だって?」

木暮は、受話器越しに聞こえる、くぐもった声に、もう一度尋ねた。

「だから、インフルエンザですって・・・」
「どこから拾ってきたんだ?」
「多分、女ですかねーぇ」

少し、自慢とも取れるような、そんな声に、木暮はため息をついた。
「わかった。皆に移されちゃかなわん。出署に及ばずだ。さっさと治せ」
木暮は、そういうと、電話を切って、課長室から出た。

「北条、立花、ちょっと来てくれ」
「はい」
「はい・・・?」

北条は、珍しい取り合わせに、首をひねった。

「なんでしょうか」
二人が、木暮の机の前に来ると、木暮は席から立ち上がって、二人のところへと歩み寄って言った。
「鳩村が、インフルエンザだと」
「え」
「ハトさんが?」

立花は、この時、まだ刑事になって、三ヶ月目だった。
鳩村が、立花の教育役として、フォローしていたのだが、その鳩村が倒れたということは。

「北条、悪いが、ハトが復帰してくるまで、立花の面倒をみてやってくれ」
「自分が、ですか?」

今まで、五代純ぐらいしか、自分より年下はなく、教えてもらう方がまだ多い身分なのに、刑事なりたての面倒は見れない、と正直思った。

「西部署が一番長いのはお前だしな」
「いや、そんな理由で、自分を選んでもらっても・・・」
と、遠回りに断ろうとしたのだが、木暮が譲らなかった。
「そんなんじゃ、コウが困るじゃないか。一週間デスクワークというわけにもいくまい。事件が起きたら、でいいんだよ」
「・・・はぁ・・・」
返事と、ため息がごっちゃになった答えをする北条に、立花は頭を下げた。
「よろしくお願いします! ジョー先輩!」
「う、うん・・・」

しかし、間の悪いことに、こういう場合にのみ、事件が多発するもので、ひったくりの事案が、立て続けに発生したのだった。

「組織力あるな、この事件」

山県が、地図を見ながら、そういった。
警察をかく乱するかのように、各所で、時間を置かず、一斉にひったくりを行っているのだ。
そして、一度犯行を行った後は、絶対二度目はやらない。 そうして逃げ切っているのだ。

「これで、五日目だよ・・・」

所轄の方も、パトロールは重点的に行っているのだが、警察をあざ笑うかのように、盲点を突かれ、犯行を重ねられているのだ。
平尾がため息まじりで呟くのも、納得がいく。

「俺、囮になりましょうか」
立花がそんなことを、北条に言い出したのは、その日の夜のパトロール中の事。
「馬鹿言うな。囮捜査が禁じられているのは知ってるだろ?」
「一般人じゃないから、いいでしょ?」
「第一、犯人は女性しか狙ってこないんだよ?」
「俺は、女性に見えません?」

立花の容姿は、確かに彼が男性と知らなければ、貧乳の女性と勘違いされてもおかしくない姿だ。
だが。

「だからって、無茶だよ」
「無茶なら、大門軍団の方が、無茶やってたんじゃないですか?」
と、立花に痛い所を突っ込まれた。
「大丈夫ですって。これでも、武術には自信があるんです」
立花は、そう言って、車の中にあった、手提げ鞄の中身を、後ろのシートの上へとぶちまけた。
空になった鞄を持って、立花は外へと出た。

北条は、とりあえず連絡しようと、無線機を握ったその時、バックミラーに写るオートバイが眼に入った。
そのバイクは、風のように、北条の車を通り過ぎると、坂を下って歩いている、立花めがけて、突進していった。

「コウ!!!」

北条の叫びに、立花が振り返ると、立花の鞄めがけて、手を差し伸べてくる、バイクの運転手が目に入った。

「さっそく、いらっしゃいましたか!」

鞄に手をかけた瞬間、その手首を立花が掴んで、バイクの勢いごと、共に道路へと倒れこんだ。

「コウ!!」
慌てて、北条が駆け寄ると、立花が犯人の腕をひねり上げていた。バイクは、10メートル向こうに転がっている。
「・・・お前、大丈夫なのか?」
「はい。平気です」
北条には、何がどうなってるのか、わからなかった。


その捕り物帳は、ちょっとした話題になった。
そして。

「随分、活躍したじゃねーか」
と、受話器の向こうから、鼻声が聞こえる。
「いや、たまたま、です」
「でもな。危険なことはするな」
鳩村は、立花を戒めた。
「もし、万一のことがあったら、どうする」
「一人では、やりません。ジョー先輩がいたから、やったんです」
「ジョーは、許したのか?」

立花は、沈黙した。

「お前の一人の独断で動くんじゃない。いいな。捜査は、チームワークだ。わかったな?」
「はい・・・」

立花は、落ち込んだ様子で、受話器を降ろした。 それを見ていた北条は、立花の肩をそっと叩いた。
「ま、あいつから芋づる式に逮捕出来れば、それでちゃらじゃん。ハトさんだって、わかってくれるし」
「いや、それはいいんですけど」
「ところで、ちょっといい?」
「はい?」

北条は、立花を武道場へと呼び出した。

「付き合ってくれないかな。乱取り」
「ええ? だって、ジョー先輩黒帯でしょう? 俺、カラフルですよー」
「あの捕り物が気になってしょうがないんだよ」
「捕り物?」
「お前の、あの動き。見たことない」

立花は、後ろ手に、しばし右斜め上45度を見て、考えていたが、
「・・・ああ」 と、合点が行った様に、北条を見直した。

「柔道でもないし、空手でもないし」
「そりゃそうですよ。太極拳ですから」
「たいきょくけん〜? あの、公園とかでやってる、こんなゆったりしたやつ?」
北条は、ゆっくりと両手を回した。

「そうですよ」
あっさりと立花は頷いた。
「あれは基本ですから。本来は、違うんです。俺がやってるのは、さらに我流ですんで、人には教えられませんが」
「じゃ、付き合ってもらおっかな」
「本当にやるんですかーぁ?」
北条は、立花へと道着を投げつけた。
それを受け止めつつ、立花は露骨にいやそうな顔をしている。
「やるよ」
北条は、立花の手を取って、ロッカー室へと向かった。

乱取りというより、北条が、立花の動きを見たくてしょうがないらしく、最初に要求したのは、
「型やって」 だった。
立花は、ため息をつきつつ、道場の真ん中に立った。とはいっても、8畳ぐらいしかないこの部屋に、いるのは二人きり。
「太極拳が、何で健康のためにいいかっていうと」
立花がゆったりと型を始めた。
「姿勢を大切に、呼吸を大切にするから。合気道と通じるところがあるんですよ」
「へぇ・・・・」
元々、武道が好きな北条は、その不思議な動きに見とれていた。

しばらくして、立花が姿勢を直し、
「はい、こんな感じで」
と終わらせ、立ち去ろうとした時、またもや手首を捕まれた。
「で、投げられたら、どんな感じなんだ?」
「先輩・・・、しつこいと女性に嫌われますよっ」
言うが早いか、立花は体を変え、北条はあれっと思っている間に畳に叩きつけられた。
さすがに、空手の有段者。北条は受身を反射的にしていた。
「へぇ・・・」
北条は飛び起きると、やたらうれしそうにしている。
その様子に、今度は逆に立花がびっくりした。
「へえ、へえ、へぇ。おっもしろーい。ちょっと、それ教えてくれよ」
その時、平尾が道場に現れた。
「お二人さん、書類ほったらかしにしてて、班長お怒りだよ」
北条と立花は顔を見合わせると、慌てて着替えるためにロッカールームへと駆け込んだ。

二人が戻ると、机の上にはわざとらしく、始末書と印刷された原稿用紙がこれ見よがしに置いてあった。
あっと思って、小鳥遊を見やると、じろりと見られて、二人は大人しく席に座って書き出した。


その日の夜。 北条が宿直で、昼間の続きの書類の整理をしていた。
すると、発砲事件が発生したとの連絡が入ってきた。
北条はいつも通り、各人へと呼び出しの電話を入れた。

だが、小鳥遊の指示により、鳩村への連絡は行われなかった。

北条は、立花と組んで事件の犯人が逃げ込んだという廃屋に入った。
薄暗く、しけっぽい臭いが鼻を突く。 二人は、ゆっくりと部屋を回って歩いた。
ふと、二人は背後に人の気配を感じて振り返ろうとした途端、銃声とともに、北条の目の前のドアのガラスが吹っ飛んだ。
二人は慌てて物陰に身を潜める。

「抵抗せずに、出て来いっ。痛い目にあいたくなければなっ!」
北条がそう叫ぶ。
階下では、その銃声を聞きつけた山県と平尾の足音であろうか。複数の足音が聞こえる。

「うるせぇっ」
相手は、決まり文句で応答してくる。北条はため息をついた。

「コウ、大将達が来たら、一気に突っ込むぞ」
「はいっ」
功は銃を握り締めた。

ふと、功が人の気配を感じ、別の窓を見た。
銃口が、ゆっくりと北条をにらみつけている。
しかし、功の位置からでは、その銃口へ向けての銃撃は角度的に無理があった。
それを瞬時に判断した功は、今まで隠れていた物陰から飛び出し、北条へと突進した。

「ジョー先輩っ」
「コウっ!?」

折り重なるように倒れる二人に、銃声が二つ重なった。

一つは、功の発砲音。
もう一つは、逃げ込んでいた犯人のもの。

それに遅れる事コンマ5秒。もう一つの銃声が響く。

「ジョーっ」
それは山県の声だったが、功の突進によって床に頭を打って脳震盪を起こしてしまった北条は、そこまでしか分からなかった。


北条が目を開けると、そこはまだ倉庫の中だった。
痛む頭を左手で押さえ、体を起こそうと床に右手をついた時、ぬるっとした嫌な感触に気づいた。

それを目の前に持ってくると、案の定、血。
だが、自分は何も怪我をしたような痛さはない・・・すると・・・。

慌てて、北条は起き上がる。
あまりにも急激に立ち上がったものだから、眩暈を起こし、二、三歩ふらついたところで、平尾に支えられた。

「こ、コウは?」
「今、病院に運んだ」

山県が、そう言って階段を上がってきた。
救急車のサイレンの音が遠のいていく。
「怪我は、大丈夫なのか?」
「まあ、大丈夫だと思うぜ。気にすんな」
「何で、こんな・・・」
「ああ。逃走犯、ここで待ち合わせしてたらしいや。で、一緒に逃げる算段だったらしい。
でも、俺らに包囲されて、とっさにお前を狙ったらしい」
「で、コウがそれに気づいて、ってわけだと」
「・・・・」


北条は、その足で功が運ばれた病院へと向かった。

手術も成功し、そんなに重症でもないということで、安心したメンバーだった。


が。



「え・・・、兄貴に連絡・・・したの・・・?」


麻酔から覚め、意識が回復した功に告げられたのは、身内に連絡したから、という小鳥遊の一言。
その前に、鳩村に、小鳥遊と北条ががっちり怒鳴られていた。

「何か、不都合でも?」
功のベッドサイドには、小鳥遊班のメンバーが勢揃いしていた。

「大有り・・・」

功は、真っ青な顔をしていた。

「兄貴、いたんだ」
山県が、首を傾げた。
「何がそんなに問題なんだ?」
「・・・」

廊下で、大騒ぎになっている声を聞きつけ、功は頭を抱えた。

「どうした、コウ?」
平尾と北条は、その騒ぎが気になって、廊下に顔を出した。

「あ!!」

二人は、こっちに向かってきている人影に、思わず声を上げた。

「高崎・・・龍?? まっさかね・・・」

「その、まさかで・・・」

その功の言葉に、一同は一斉に功を見た。

「失礼します」
その言葉とともに、一礼して入ってきたのは、間違いなく、現在人気絶頂にある俳優、高崎龍。

「この度は、弟が迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ございません」

暫く、絶句の後、平尾がふと、思い出したように呟いた。

「 そういや、本名は・・・立花隆・・・」
「エーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」

その場の一同、全員が驚きの声を上げた。
功は、情けなさそうに、下を向いている。

「ま、ま、ま、マジで、高崎・・・龍?」
平尾がぎりぎり声を出した。 鳩村も、唖然として見ている。

「大丈夫か、功。どこに当たった?」
「平気だって、兄貴。たまには、こんなこともあるって・・・」
「たまにだと? だから辞めろっていったんだ、こんな危険な仕事!!」
「だから、それは・・・」
功はため息をついた。

「なんで、刑事なんだよ。警官だったら、総務課でだっていいじゃねぇか!!」

他のメンバーをほったらかして、龍は功に怒鳴り散らしている。

「俺は今の職場がいいんだよっ」

大声を出した功が、自分の声の響きに、傷が痛み、顔をしかめた。
それを見た龍は、慌てた。

「功、大丈夫か?」
「・・・っ、だから、この事には、兄貴であっても、口出しして欲しくない」

二人は、まるで空中で火花を散らすような勢いで、視線を合わせている。

「半年ぶりに会って、こんな台詞で、なんだけど。どうしても」
「どうしても・・・?」
「どうしても」

今度は龍がため息をついた。

「お前が、俺にたてつくのって、この事が初めてだよな・・・」
龍は、くるっとメンバーに向き直ると、深々と礼をした。
「よろしく、お願いします・・・」
「兄貴・・・」

龍は、そのまま病室を出た。北条は、その後を追った。

「立花さん」
龍は、その声に、振り返った。
「その名で呼ばれるのは久々です」
「済みませんでした。俺が、もう少し気をつけていれば・・・」


その言葉に、龍は北条を人気のない所へと引っ張り込んだ。


「あんた、鳩村さん?」
「・・・ハトさんは、まだ病室に・・・」
「ちょっと、呼んで来てほしいんだけど」
「あ、は、はぁ・・・」

北条は、その勢いに押され、鳩村を呼び出した。
その後、北条は席を外したので、何が話し合われたのかは解らない。


それから暫く。功は病院。北条は妙に不機嫌な鳩村と過ごす事になった。

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