事件というモノは、大概けたたましい電話のベルから始まるものだ。今回の事件もその例に洩れず、一本のタレコミ電話が発端だった。










日常茶飯事











 タレコミなんてものは、その殆どがガセかイタズラである。
 だが、希にホンモノに当たる事もあるのだから、ウラを取るのはそれなりに重要な仕事だ。
 問題は、地味で面倒だ、という事であろう。

「大体、何なんだよっ! その『オモチャのピストル』ってのはっ! お子様用の光線銃でも持ち出してくるってのかぁ!?」
「俺に言われたって、知りませんよぅ」
「電話受けたのは、お前だろう。トオル」
「だからぁ、言うだけ言って、切れちゃったんですって〜」

 先輩2人に挟まれて小さくも反論しているのは、タレコミ電話の応対をした町田だ。
 首を傾げながら近藤へメモを読み上げた途端、盛大な突っ込みを喰らっている。周りの同僚も口を挟まず、近藤も微妙な顔をしたまま椅子に座り込んでいた。
 それ位、バカバカしい内容だったのだ。
 曰く。

『明日、笹木薬局へオモチャのピストルで、強盗しようとしてる奴らがいる』

 忙しい時期なら、イタズラの一言で両断しているような内容なのだが、生憎と今は非常にヒマだった。
 ここぞとばかりに、大下と鷹山が突っ込みを入れる。

「奴ら、ということは複数なんだろ? 何人だ?」
「さぁ?」
「明日って、明日の何時頃だよ?」
「そこまでは言ってませんでした」

 一斉に溜息。
 それは、何も聞き出せなかった、というに等しい。
 その上、タレコミ相手の特徴すら、声がくぐもっていて良く分かりませんでしたが男だったようです、では。

「話しにならないぜ」

 大下の呟きが、皆の声を代弁していた。
 そもそも、タレコミをする奴というのは、焦っているものなのだ。ガセにせよイタズラにせよ、或いは本物のネタにせよ。
 そこを上手く宥めて、短時間で出来る限りの情報を引き出さねばならない。
 諾々と聞いているだけでは、見分ける手がかりすら掴めない。

「まぁまぁ。何時までも終わった事言っててもしょうがないだろう・・・・・・・・どうします、課長」

 ぶちぶちと町田を小突き倒す大下を止めて、吉井が近藤へと目を向ける。助かったと顔を輝かせた町田を、大下が更にひと叩きしたのは、敢えて無視をした。

「どうするって言ってもなぁ・・・・張り込むくらいしかやる事ないだろう。まぁ、店員として2人、外に2人くらいだろうな」

 組んでいた腕を解いて、近藤がぐるりと集まっていた捜査課員を見回す。
 途端に首を勢い良く横に振ったのは、なんと吉井である。

「あ、課長。俺は無理ですから。明日、非番です、非番っ!」

 仕方あるまいと近藤が頷くのをみてあからさまにホッとした様子に、近藤の渋い視線と、同僚たちの羨ましそうな視線が刺さった。
 若干居心地が悪そうに首を竦めた吉井だが、すぐに休みの気楽さで口を開く。

「薬屋の店員なんだから、白衣着るんだろう? ハルさん辺り、似合うんじゃないか?」

 無責任な吉井の発言に、指された吉田が勘弁して下さいよと苦笑う。
 店内に回されるという事は、下手をすると一日中立ちっぱなしで店員の振りをしなければならないのである。しかも、何時強盗が来るか分からない緊張がずっと続く。いくらデスクワークに飽いているとはいえ、あまり歓迎出来る状態ではない。

「でも、ナカさんは止した方がイイと思うわ、私」

 突如、割り込んできたのは、例によって少年課の薫だ。
 近藤が注意をするよりも早く、言われた当の本人が抗議の声を上げてしまっていた。

「薫くんとはいえ、その暴言は聞き捨てならんな。俺くらい白衣の似合う男もそうはいないと思うぞぉ」

 自信たっぷりに「遺憾」の扇子を広げる田中に、薫は気にした風もなく手を振る。

「違う違う。似合わないんじゃなくって。似合いすぎなのっ! マッドの方に」

 最後のフレーズに妙に力を込めた薫の台詞に、皆の視線が田中の頭から足下までを辿る。頭の中で、田中に白衣を着せてみれば、薫の言う意味が分かってしまった。
 確かに、薬屋の店員にしては怪し過ぎるかもしれない。

「やっぱりね、実際に着てみて、似合う人にすべきだと思うわけよ!」

 満面の笑みを浮かべた薫が指を鳴らせば、何時から用意していたものか、瞳が心得たように白衣を掲げてみせた。
 目が完璧に楽しんでいる、女性陣2人。
 抑止力であるはずの近藤はといえば、すっかり諦め顔でお茶を啜っていた。

「ハルさんは似合うの分かってるけど、他の人はどうかしらね〜♪」
「私、絶対大下さん、お似合いだと思うんですよぉv」
「えぇ!? 瞳ちゃん、それは無いわっ! やっぱり白衣は知的でないと!」
「んだとぉ! 薫っ! それは俺が知的じゃないってコトかよ!?」
「あら、それ以外どう聞こえるのかしら?」
「よぉしっ! 着てやろうじゃねぇか!! 貸してみろよっ!」
「あ、ハイ! こっちの方がいいですよ、大下さんのサイズだと」

 売り言葉に買い言葉の勢いで、輪から抜け出して我関せずを決め込んでいた大下が、差し出された白衣に手を伸ばす。
 サイズを揃えている辺り、狙っていたとしか思えないが、大下は気付かない。
 そして、知的じゃないと! という薫の言葉で、俄かに自分をアピールしだした町田や谷村も気付いていなかった。
 もう一着は鷹山用のサイズだという事に。
 狙い通りになった薫はしてやったりとほくそ笑んでいたが、単純な大下とは違い、もう一方の標的である鷹山は冷静な目をしたまま、煙草を燻らせている。

「それじゃあ、タカさんも・・・・」

 大下が白衣を羽織ったところで、薫が白衣を手に鷹山へと迫まろうと振り返ると、既に鷹山は居なかった。
 慌てて探せば、いつの間にか大下の隣に移動している。

「どうせ変装するんだ、髪おろした方がいいぞ」
「そうかぁ?」

 白衣のボタンを留めるかどうか悩んでいた大下に、鷹山が親切ぶって助言していた。
 鷹山の物言いが既に明日の店員役を決定している事には、まだ気付いていない大下である。
 迫り損ねた薫を横目に、鷹山が大下の髪を無造作に崩す。
 髪をおろしてみれば、大下のヤクザな外観が驚くほど柔らかに変化した。普段からとても三十代には見えない男だが、更に若く見える。
 そのうえ、変装の仕上げだと、鷹山がそれこそ何処から取り出したものか知れない、細身のフレームがお洒落な伊達眼鏡をかけさせた。

「見ろ、この溢れ出る知性の輝き! 似合うだろ、白衣!」

 当初の目的を忘れ去っているとしか思えない浮かれた口調の大下が、変装を終えてクルリとその場でターンを決めてみせる。
 周りは声も無く、呆然とその見事な変装に見入っていた。

 髪の毛をおろした事で年齢不詳となっていた顔に、繊細な雰囲気のある眼鏡がしっくりと馴染み、大下を相応の年齢へと引き上げている。
 白衣に負けていない雰囲気は、落ち着いた理性を感じさせ、口元に浮ぶ笑みが穏やかな安心感を見るものに与えていた。

 たかが、髪型を変えて、伊達眼鏡をかけただけだというのに。
 詐欺のような出来である。

「これで決まりだな。店員役は吉田と勇次、と」
「おう! このプロフェッサー勇次に任せとけ!!」

 得たりと笑う鷹山の言葉に、受けた大下がノセられている事に気付かぬままに胸を叩く。
 口を開けば、いつもの大下。
 外見との余りの落差に、プロフェッサーは大学教授だろなどと、突っ込む気力すら湧かない一同であった。










 翌日。
 プロフェッサーは午前中だけで、すっかりダレきっていた。
 何せ、暇なのだ。朝から来た客はお婆さんが1人きり。30分ほど世間話と嫁の愚痴と身体の調子の話をして、何も買わずに帰っていっただけである。
 飽きっぽい大下ならずとも、ダレようというものだ。

「あ〜、ヒマだなぁ。もう、イタズラに決定ってコトで帰ろうぜ?」
「・・・・気持ちは分かりますけど、まだ駄目ですって」

 時計の針は、まだ午後2時を5分程過ぎただけ。まだイタズラだと決め付けるのは早計といえよう。
 吉田の答えに、顔面を不満で染めた勇次がレジのカウンターに懐く。

「こうもヒマだとなぁ・・・・眠たくなるんだよなぁ。ナンか目が覚めるような面白い話ない?」
「ありませんよ、そんな都合良い話なんて」
「ちぇ〜」

 カウンターに改めて懐き直した大下の姿は、眠そうな欠伸と相まって非常に子供っぽい。
 いつも通りと言えばいつも通りではあるが、今は変装の効果が素晴らし過ぎて、恐ろしい程の違和感である。
 いかにも仕事の出来そうな理知的な外見の男が、中学生かと疑いたくなるような仕草で唇を尖らせていた。
 余りの惨状に、吉田の口から苦笑と溜息が洩れる。

「そんなに言うなら、大下さんこそ何か面白い話を聞かせて下さいよ。一杯あるんでしょ、武勇伝」
「ん〜・・・・そだなぁ」

 カウンターから身を起こし、少しの間考え込むようにしていた大下の目が、俄然輝きを帯びる。
 その唐突な変化に、話を促した吉田の方が驚いた。

「どうし・・・・」
「トビッキリのがあるぞ」
「え?」
「お待ちかねの、お客様だぜ」

 くい、と顎で指された入り口を見て、吉田の顔が緊張に引き締った。
 薬局になんて全く縁のなさそうな、血色の良い少年たちが2人、軽薄な笑顔と貧相な引き攣り顔という実に対照的な表情を浮かべて店へと入ってくる。
 一瞬だけ虚を突かれた吉田の耳に、素早く立ち上がった大下の張り切った声が飛び込んできた。

「いらっしゃいませ〜」

 実際の声にはならなくても、だからこそより明確に聞こえた大下の声。

『イタズラじゃなくて、ラッキー♪』

 気のせいじゃ、ないよなぁ。
 そっと隣を盗み見て、吉田がこっそり溜息を吐く。
 相手は少年。しかも得物はモデルガンである。
 大事にはしないでくれよ ―― 祈るような気持ちで少年たちへと顔を戻す。
 そんな吉田の気持ちも知らず、笑顔の少年が懐からオモチャを取り出して突きつけてきた。

「有り金、全部出してくれよ。ついでに、ちょ〜っとばかしクスリも分けて貰おうかな」

 一石二鳥、俺って頭イイ〜。
 などと、能天気な少年に呆れ返りつつも、まずは吉田が応対した。
 大下には説得などする気が無いのだから、仕方がない。現に吉田が前に出ても口を挟まず、隣でにこやかに笑んでいるだけだった。

「こらこら。駄目だろう。そんなオモチャで大人をからかうもんじゃないよ」
「・・・・オモチャ?」
「そうだよ。さ、こっちへ渡しなさい。今なら大した事にはならないから」

 穏便に手を差し出した吉田に向かい、少年の笑顔が不快に歪む。もう1人の少年は、それに慄いて、よろけるように一歩下がった。

「オモチャでも・・・・撃つ位は出来んだぜ?」

 オモチャだと思っていた。
 吉田も ―― 勿論、大下もだ。
 だが、オモチャであるはずの銃口を見た瞬間、大下の全身に悪寒が走った。

「吉田っ!」

 咄嗟に吉田を突き飛ばして、身を伏せる。
 刹那。
 聞き慣れた銃声と、陳列棚のガラスが砕ける甲高い音が、狭い店内に木霊した。










 突如響いた銃声に驚いたのは、店の外でノンビリ張りこんでいた鷹山と町田である。
 初めは暢気に構えていたのだ。
 いかにもな2人組みの少年が店内に入っていくのをみて、大下と同じく、これで退屈な張り込みから解放されると、覆面車からゆったりと降りる。
 たかが少年2人。大下と吉田だけで楽に取り押さえられるのだから、何も急ぐことはないと、長時間同じ姿勢でいたせいで凝った身体を解そうとしたのを見計らったかのように響いた銃声に、鷹山と町田が顔を見合わせた。
 咄嗟に頭に浮んだのは、短気な大下が威嚇発砲した、だった。

「ホント、大下先輩は堪え性がな・・・・」

 町田が言い終えるより早く。
 鷹山が無言で走り出した。

「先輩っ!?」
「馬鹿野郎っ! 銃持って無いだろ、あの2人」

 振り向くことなく叫び返す鷹山を、町田が慌てて追いかける。

「勇次っ!!」

 鷹山が飛び込みかけた店内では、ガラスの陳列棚が大きく砕け、商品と共にガラスが床に散らばっていた。真ん中には銃を抱えた少年が座り込み、それより少し入り口へ近い位置に、もう1人が頭を抱え込んで震えている。
 鷹山の叫びに、呆然と座り込んでいた少年が反射で銃を構える。
 お陰で、鷹山の足は入り口で縫い止められ、姿を見せず声もあげない相棒に、弥が上にも焦燥が募った。

「勇次っ!?」

 撃たれたのか、と。
 再度の問いかけを発した鷹山に、切羽詰った大下の声が返った。

「タカッ! そのオモチャ、改造モンだ!」

 無事である事への安堵とともに、余裕のない大下の声に、鷹山の眉間に皺がよる。
 撃たれているのかもしれない。そうではなくても、掠るくらいはしていると思われる大下の様子に、鷹山が早めに済まそうと己のマグナムを改めて構え直した。
 追いついた町田を待機させ、店内へと踏み込もうと動きかけたその時。
 予想外の大下の言葉に、再び鷹山の足が止まる。

「撃たせろよ、タカ」
「・・・・勇次」

 呼びかけに、盛大な呆れとほんの少しの非難を混ぜた。
 大下の狙いは分かる。
 分かるが、そんな手間隙をかける余裕はないはずだ。
 鷹山は、繕った大下の声に滲む苦痛に、気付いていた。
 だからこそ、手早く収拾しようとしているのに。
 大下は、そんな鷹山の逡巡を物ともせず、一気に畳み掛けてくる。

「運が良ければ、次あたりで腕が吹っ飛ぶぜ、ソイツ。何せ、改造拳銃だ」

 迷いは一瞬。
 ここまで来たら、ノッた方がいい。
 溜息が零れそうになるのを危うく堪えて、鷹山はマグナムを懐に仕舞いこんだ。そして、そのまま店内に踏み込む。

「・・・・OK。良いだろう。その方が弾を無駄遣いしなくてすむしな」
「そうそう。経費節減、言われてるだろ」
「まぁな・・・・そうだ。次で吹っ飛ぶか、賭けるか?」
「乗った! 次で吹っ飛ぶにボトル1本!!」
「賭けにならねぇだろ、2人一緒じゃ」

 無防備に姿を晒した鷹山に、改造拳銃を構えた少年は当然いきりたった。
 しかし、最初の一発でまだ腕が痺れていた。構えるので精一杯だったのだが、その間に交わされている会話が、己の構えた銃についてだと分かってしまった。
 無敵の武器だと思っていたこの銃が、いつ暴発してもおかしくないと、この刑事たちは言っているのである。
 そうと気付いて青褪めた少年だが、2人の刑事は少年本人を置いてけぼりにして賭けに興じている。

「仕様がねぇなぁ。吹っ飛ぶのは次ってことで、何処まで吹っ飛ぶかを賭けようぜ」
「右腕1本とか?」
「そうそう。ま、腕1本ってこたないと思うけどな」
「いいぜ。じゃあ、俺は両腕にする」
「んじゃ、俺は両腕に顔面の右半分」
「決まりだ」
「そだな・・・・悪かったな、待たせて」
「さ、撃てよ」

 撃てるわけがなかった。
 少年が拳銃を投げ捨てるのと、カウンターの陰から大下の顔が現れたのは、ほぼ同時だった。










 結局、少年の1人が怖くてタレコミをした事などの事件の顛末については、大下は病院で聞いた。
 吉田を突き飛ばしたあの時。
 手加減が出来ず思い切り突き飛ばしたせいで、吉田は頭から床にぶつかって意識を失った。意識を取り戻してはいるが、ぶつけた場所が頭なだけに検査を受けているのだ。

 そして大下はといえば ―― 足を挫いていたのである。
 全治2週間。

「もう、二度と白衣は着ねぇっ! あのヒラヒラに引っ掛かって足挫いたんだぜっ!!」
 元気に喚く大下を、吉田とともに病院に押し込め、鷹山が漸く安堵の息を吐く。




 ありふれた、とある一日の終りであった。

夜遊廃園様の一周年記念SSです。いただいて来ました。
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