『一年の計』

 年末年始の忙しさは、理不尽に満ちている。
 市民は酔っ払いと化して暴れ、暴走族がはしゃぎ、こそ泥やスリは張り切り、学生は教科書を放り投げて遊びまくる。
 皆、この浮かれた空気に酔っ払っているのだ。
 自分達、警察官を置いてけぼりにして。

「やぁーってらんないわよ、もう!」

 署内の、いや全国の警察官の心情を代弁しているといっても過言ではない薫のぼやきが、容赦なく鷹山と大下の背に突き刺さった。
 内容には全面的に同意するものの、うっかりと構いつけては、余計な仕事を押し付けられてしまいかねず、二人は黙って目の前の書類作成に集中しようとする。
 正直に言ってしまえば、今の二人に構っている余裕は全くもってなかった。
 鷹山も大下も、捕まえた強盗だったり、仲裁した夫婦喧嘩だったりの調書が、疲れのあまりか苛々が募ってるせいか、上手く書きあがらずに四苦八苦しているところなのである。
 そんな状況にも関わらず、ついつい声を上げてしまったのは、やはり普段の倍はあろうかという喧しさのせいだろうか。

「かーおーるー!サボってないで、さっさと静かにさせろよ、その迷子のお子様たち!」
「しょうがないでしょ!一人を宥めたら、次の一人が騒ぎ出すんだから!」
「そこを何とかするのが少年課だろ!声とか耳に突き刺さるんだって!」
「私の得意範囲じゃないのよ、小学生以下は!」
「ナニが得意範囲だ!こないだ、高校生に思い切りゴネられてたクセに!」
「五月蝿いな!どっちでもいーから静かにさせろよっ!」
「そんなコト言うならタカさんが静かにさせてよ。得意でしょ、女の子!」
「そうだ、タカがやれ!タカが!」
「俺は、女子大生以上のレディしか相手出来ないんだ」
「しない、じゃなくて…出来ない、とくるか…」
「ウソつけ!女子中高生だって、将来有望そうなら唾つけるだろうが」
「人聞きの悪いウソを平然と垂れ流すなよ、ユージっ!」

 三人がバカらしくも壮絶な口論へと突入すると、元からの喧騒と相まって耐え難い程の騒音となる。
 そろそろ誰かが介入しなければならないか、と周りの署員が悲壮な覚悟を固めかけたちょうどその時、空気を劈いて泣き声が響いた。
 見れば、迷子の女の子が一人、三人の剣幕に驚いたのか泣き出してしまっていた。
 大きくなっていく泣き声に、ひやりとする署員一同。
 そう、子供の泣き声というのは、伝染するのだ。
 恐る恐る視線を移動させると、泣いている女の子の隣で、男の子の目にも涙が盛り上がってきていた。

「お、おい…三人とも、そろそろ……」

 止めないか、という静止は、残念ながら間に合わなかった。
 今日という日に限って次々に保護されてきた迷子の子供たちが、先に泣き出した女の子につられて全員泣き出してしまったのである。
 女の子一人の泣き声だけならまだしも、それに男の子二人の泣き声が加わると相当な破壊力だ。
 うわんうわんと響く声に、堪らずに皆が耳を塞ぐ。

「おー、どしたどした?何か怖かったか?カオルの顔か、タカの怒鳴り声か?」

 皆が耳を塞ぐなかで、泣きじゃくる迷子たちに大下が駆け寄った。
 自分の事はサラリと棚に上げた発言に噛み付きかけた薫を、鷹山たちが寸での所で押さえ込む。

「薫、このままユージに任せておけよ」
「…タカさん!だって、私の顔が怖いって…」
「我慢しろよ、ホントのコトだろ」
「なぁんですってー!」

 逆上した薫が鷹山の首を絞めに掛かっている最中にも、はや大下は一人の男の子を腕に抱えてあやし、女の子をほぼ宥め終え、最後の男の子の涙を拭っていた。大下自身の弟妹と同じ構成なのが影響しているのか、大下の顔はすっかりお兄さんモードである。

「それにしても、さすが大下さんだわ……少年課になればいいのに」

 後半、かなり本気が入っている薫の呟きに、鷹山も苦笑で応えるしかない。
 確かに、あっという間に泣き止ました手腕は、捜査課においておくには惜しいだろう。
 だが ――

「ユージには、向いてないよ…少年課は…」
「あら、そうかしら。あれだけ子供に好かれるんだから、ピッタリじゃないの」

 薫の反論に、鷹山は答えかけて結局は止めた。
 同情のみならず、同調してしまい、挙句引き摺られてしまうのが大下なのだが、それを馬鹿正直に薫に話す謂れもない。
 肩を竦めるだけにとどめて書類に向き直り、そんな鷹山に漸く薫も本来の仕事に向かう事に決めたようだ。髪の毛を鬱陶しそうに払いながら、少年課へと戻って補導した少女に説教を始めた。


 鷹山が書類を書き上げて顔を上げると、少年課から青少年たちの姿は消え、署内の人数も大分少なくなっていた。
 大下はどうしたろう、と思った絶妙のタイミングで薫の呟きが背後から聞こえた。

「元旦からこれじゃあ、今年も見えたわね」
「見えたって何が?」

 鷹山が振り返ると、薫が珈琲を差し出しながら、背後のソファーを指し示す。

「いやねぇ、タカさんってば。一年の計は元旦にありっていうでしょ」
「……」
「お子様にモテまくって、女と金には縁が無いって…これを見れば一目瞭然じゃない」

 課長席の隣のソファーで寝転がっている大下の腹の上には、いかにも遊び疲れたという風情の男の子が二人へばりついていた。
 目線だけで問う鷹山に、女の子は親が引き取りに来たのよ、と薫が小声で告げて肩を竦める。
 時計を確認すれば、あともう少しで元旦が終わろうという時刻。

「やれやれ、だ」

 薫の言う通り、今年一年、大下には女にも金にも縁がなさそうな元旦の風景である。
 後を鈴江に任せて帰り支度を始めた薫を見送り、自席に戻ろうとした鷹山の目に大下の机が映った。

「一年の、計…ね…」

 一枚だけだ、と思いながらも、寝こけた大下の書類を書き上げてしまう自分に、まだまだ甘いな、と苦笑が零れた。


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