無謀なのは香穂子にもわかっていた。
でも、店内で”それ”を見つけた時、どうしても手に取らずにはいられなかったのだ。
癖
「ごめんね蓮君、しばらく一緒に練習出来ないの」
朝の登校時、迎えに来てくれた蓮君に向かって私は手を合わせた。
蓮君は一瞬固まった後、見る見るうちに眉間に皺が寄る。
「なぜ?」
「えっ・・とあの・・、今日から普通科で放課後に英語の特別授業があって・・・」
「希望者だけなんだけど・・せっかくだから私も参加してみようかなって・・・」
蓮君に不機嫌に理由を問われるのはわかっていた。
だから理由を前もって考えていたのだけれど、やはり後ろめたい所があるせいか
目を会わす事が出来ない。
勿論、特別授業の話は本当の事だ。
いくら科が違うと言っても、同じ学校に通っているのだから明らかにない嘘はつけない。
授業はあるのだが、私は参加を希望してはいなかった。
「本当に?」
訝しげな目で蓮君が私を見つめる。
蓮君はわかっているのだ。
私が本当はそういうものに興味がないことを。
「ほ、本当だよ・・」
綺麗な瞳に圧倒されて後ずさりしそうになるのを堪えてヘラヘラと笑みを浮かべる。
「それなら仕方がないな・・」
「わかった。放課後の練習はしばらくお預けにしよう・・」
蓮君はどこかまだ納得出来なさそうな様子だったけど、そう言ってくれた事に
とりあえずホッとした。
(ごめんね、蓮君)
どうしても、貴方に内緒でやりたいことがあるの。
「やっぱり無謀なんじゃないの?」
ソファーの上で寛ぐお姉ちゃんが呆れ顔で言う。
「無謀でもやるしかないの!!」
私は二本の細い棒、そして鮮やかな青い色の毛糸と格闘していた。
「初めての編み物で・・セーター」
「しかも初心者のくせにこんなデザイン、無理に決まってるじゃないの」
お姉ちゃんはテーブルの上の編み物の本を見て溜息を吐く。
「だって、この毛糸を見た瞬間、どうしても蓮君に似合いそうって思っちゃったんだもん」
そう、それは数日前。
私は友達の付き合いで入った手芸店で、この青い毛糸を見つけた。
深い、透き通った海の色をしたその毛糸は、蓮君の髪を思い出させて
手に取らずにはいられなかった。
これでセーターなんて編んだら絶対似合いそう。
そう思ったら、毛糸と一緒に編み物の本や棒を持ってレジに向かっていた。
内緒でセーターを編んでびっくりさせたいって考えたら、楽しくて仕方なかった。
私がセーターを出したら、きっと驚いた後に少し照れながら受け取ってくれる。
その時の様子が目に浮かぶようで、自然と私の顔にも「くふふ」と笑みが浮かぶ。
でもやっぱり現実はそう甘くない。
網目にもいろんな種類があることを知らなかった私。
最初の目を作るのにもやたらと時間が掛かった。
「だから、そこはメリヤス編みで・・・」
教えてくれていたお母さんが見かねて横から手を出そうとするのを身体を捻って拒否する。
「ダメ!私が全部編むの!!」
誰かの手を借りたら意味はない。
私が蓮君を思って一生懸命編みたいの。
お母さんとお姉ちゃんはそんな私を見て顔を見合わせ、ヤレヤレと笑っていた。
そんな二人を見て、私はむぅと頬を膨らませた。
「なによぅ、二人とも」
「あんたをここまで夢中にさせる月森くんの魔力ってすごいわね」
「魅力の間違いでしょ?」
「十分魔力の領域じゃない」
くしゅん!
日野家でそんな会話が繰り広げられているとは知らず、
蓮は自宅のリビングで小さなくしゃみをした。
「おやおや、蓮たら風邪かい?」
蓮の祖母はトレイに紅茶を淹れたカップを載せ、心配そうにやってきた。
「いえ、そんなことはないと・・・・・」
首を振って身体の不調を否定した。
「最近はだいぶ寒くなってきたからね」
「風邪をひかない様に気をつけないとね」
月森は祖母が出してくれたカップを受け取り、素直に頷いた。
「はい・・・」
月森の祖母もそれを見て満足そうに微笑んだ。
真面目を絵に描いたような愛孫だったが、最近はとても
良い表情をするようになった。
幼い頃に良く見せていた無垢な笑顔。
あまり多くは語らないが、彼の愛しい人のおかげであることは
家族全員が気づいていることだった。
ぜひ、逢ってみたいものだと思う。
「ところでおばあさん、その隣にある袋は何です?」
蓮は祖母の座っている脇にある袋に視線を向けた。
先程からずっと置いてある。
「あぁ、これかい?」
祖母は袋を膝に乗せ、中をがさがさと漁り始めた。
「さっき、やっと編み終わったの」
祖母が几帳面に取り出したのは鮮やかな青い毛糸の手編みのセーターだった。
「この毛糸をお店で見た時に蓮に似合うと思ってね」
「久しぶりに編んでみたの」
差し出されたセーターを蓮は両手で受け取り、広げてみた。
シンプルなデザインだが、綺麗な編み目で暖かそうだ。
「ありがとうございます」
「良かったら着てみてね」
「もちろんです」
今度の休みは久しぶりに香穂子とデートする約束をしている。
その時に着ていこうと蓮は考えた。
ふんわりと優しい肌触りのセーター。
彼女は嬉しそうに自分の腕にしがみ付いて頬を摺り寄せてくれるに違いないから。
なんか、また長くなりそうなので後編に続きます。
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