月下都市7
昼休みが終わり、月森が教室に帰ってくるとその雰囲気は一変
していた。
昼休み前はあんなに久住を囲んで賑やかだった教室内が、打って変わって
久住の席を遠巻きに眺め、ひそひそと小声で何かを話している。
何かあったのかと出入り口のところに立っていると、内田が寄って来て事の
顛末を話してくれた。
「あの転校生、昼休みに案内してくれてた女子に酷いこと言ったらしい」
「酷いこと?」
内田より幾分か背の高い月森が少し見下ろす形で彼を見た。
「何を言われたかは知らないけど、いきなり態度豹変だってさ」
「それで女子に顰蹙買ってんの」
内田の話に月森はぐるりと教室を見回した。
数人のグループを作り、ひそひそと話をする女子。
男子は好奇心からなのか、面白がって女子に話を聞こうとする者と
無関心を装う者とに別れていた。
だが、その中に当の本人の姿は見えない。
「それで彼は?」
「さあな・・」
「鞄を持って出て行ったきり戻って来ないよ」
「居辛くなって午後はサボるんじゃないか?」
やれやれとオーバーに両手を開いて内田は自分の席に戻って行った。
月森も後に続いて自分の机の上にヴァイオリンケースを置く。
そして主がいない席に目を向けた。
いろんな感情を込めた視線の渦中に有り、、不穏な空気が立ち込めている
ように感じた。
なぜだろう・・その空気に当てられてしまったのか?
見つめていた月森の心に重苦しい何かが影を落とした。
久住は大きな扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。
重いその扉を力で押し開くと、ギギという錆び付いた音を立てた。
部屋の中を覗き込むと、相変わらず部屋の中は真っ暗で何も見えない。
一歩だけ中に入ると、部屋の中央に向かって声を掛けた。
「アカネちゃん?」
するとカチリというスイッチを捻る音と共に一箇所だけ明かりがついた。
「何だ・・セイジか・・・」
「何だって・・ここに来るの俺だけじゃん」
久住が呆れたように言いながら近付くと、アカネと呼ばれた少女は「そうだけどさ」
とどこか拗ねた様子で顔を背けた。
「随分早いじゃない」
「新しい学校はどうだった?」
「ツマンナカッタ・・・」
「女子が煩くてさ・・早々に追い払った」
「今頃嫌味言われてるだろうね」
「えぇ〜?」
アカネは困ったように笑った。
久住はそんなアカネを見つめる。
こんな風に笑っていても、きっとアカネは心ではそんなに自分を心配していない。
アカネには自分よりも夢中な人間がいるからだ。
それが何とも腹立たしくて、彼女が望まない事実を口にすることを厭わせなかった。
「探してたヤツも見つけたしね」
「見つけたの!?月森蓮!!」
予想通り、アカネは声を上げて久住に詰め寄った。
今までと違って目を輝かせて期待するような表情に変わった。
わかっていたとしても、それは久住にとっては面白いことではない。
「いたよ・・同じクラスに」
「でも・・彼女がいた」
「カノ・・ジョ・・・?」
その言葉にアカネの瞳から光が遠のいていく。
掴んでいた久住のシャツを力なく放した。
そして背を向けて離れたところにぺたりと座り込んだ。
傷つけた・・。
わかっていても話をやめることは出来なかった。
「日野香穂子って言ってさ。普通科なんだけどヴァイオリンやってるって」
「昼休みに見たけど、二人でベタベタしててバカップルだった」
「月森蓮、昔とは全然変わってたよ・・」
「アカネちゃんが病院の中から見つめてたあの頃とは違うよ」
決定的な言葉を告げると、沈黙が流れた。
久住は静かにアカネの背中を見つめ続ける。
どれくらいの時間が流れたのか・・。
先に言葉を放ったのはアカネの方だった。
「会いに行きたいな・・・」
「月森に?」
「ううん、その彼女に・・・」
「あの寂しいそうな人を・・そんな風に変えた人がどんな子なのか見てみたい」
「行っても良い?」
悪戯っぽく笑って問うアカネに久住も優しく微笑み返した。
「俺が止めても行くくせに・・」
「うん、ごめんね・・」
「日野・・香穂子さん・・ね・・」
アカネはそう呟くと、傍にあった紙ひこうきを飛ばした。
暗い部屋の中で飛び立つそれは、やけにはっきりと浮き上がって見えた。