二つのプロポーズ 3
「見合い?冬海さんが?」
土浦から出た言葉を反芻した月森は、その思いがけない
言葉に眉を顰めた。
二人がやってきた喫茶店は割りと込み合ってはいたが、特に
待たされることもなく窓際の席に落ち着くことが出来た。
月森は腕を組んで向かい側に座る土浦を見つめると、土浦は
黙ったままぼんやりと目の前に置かれたコーヒーカップを見つめている。
月森は軽く溜息をついた。
「俺はてっきり、君と冬海さんは付き合っているものだと
思っていたが?」
月森の言葉に土浦はようやく顔を上げた。
しかし、その瞳は曇ったままだった。
「少なくとも俺もそのつもりだった・・・」
「毎日仕事が終われば一緒に帰ったし、食事もした」
「休日だって一緒に出かけたりしていたし・・・・」
「俺はその他大勢の人間にまで優しく出来るほど完璧じゃない」
「あいつだから・・・・あいつが特別だから優しく出来る」
「確かに言葉で想いを伝えた事はなかったかもしれない」
「でも、俺の行動や表情でわかってくれていると思っていた」
だからこそ、一緒にいてくれるのだと思っていたのに・・・。
ある日、冬海から出た言葉はそれを裏切るものだった。
(先輩、今まで甘えてばかりでごめんなさい)
(でも、もうそんなわけにもいかなくなりました)
(私、お見合いすることになったんです・・・・)
(相手は両親の知り合いの息子さんで。私の両親もすごく
のり気で・・・)
落ち着いた声で淡々と話すあの日の冬海が目に浮かぶ。
「それで?慌てて自分もプロポーズしようと思い立ったわけか?」
月森の言葉に土浦はハッと我に返った。
「そこまで決心がついているのなら何を俺に相談する必要がある」
「うろうろせず、早く指輪を買って冬海さんの所に行ったらどうだ?」
高校の時から変わらず、まっすぐな瞳で見つめ返す月森に
土浦は力なく首を振った。
「ダメだ・・・」
「今回の見合いは笙子の両親から相手に持ち出した話なんだ」
「それを俺が行ってぶち壊したら両親の顔を潰す事になる」
「それに・・・笙子の為にも円満に両親に認めてもらいたい」
そう、映画の様に見合いの席から笙子を攫う事は簡単だ。
でもそうした後、笙子と両親の仲は険悪となってしまうだろう。
両親を大切に思い、また一人娘を愛しているあの両親の為にも
そんなことは絶対にしたくない。
そう思うと、折角ついた決心がぐらりと揺らぎ始める。
そんな時、やってきたのが月森だった。
月森も少し前に香穂子にプロポーズし、婚約したばかりだ。
本当は気軽にこんな事を話せるほど月森とは親しくない。
むしろ犬猿の仲だ。
だが・・・。
高校時代の学内コンクールの最中、互いにいがみ合いながらも
どこか自分と似たような部分があるのを感じていたのは事実だ。
それに・・・・。
(蓮はね・・・不器用なの)
(本当は優しいのにそれを表現をするのが下手なだけなの)
(一見人に対して厳しいようだけど、それ以上に自分には厳しくて、
でもそれを態度に見せないから誤解されちゃうんだよ)
いつの事だったか、香穂子が「ね?不器用でしょ?」と微笑み
ながら話していたのを思い出す。
眉根を寄せて不機嫌そうに向かい側に座る月森が、香穂子の
言う通りの人物だというなら案外心配してくれているのかもしれない。
だから、こんな馬鹿なことを聞く気になったのだろう。
「お前が俺の立場ならどうする?」
喫茶店の喧騒の中、二人の周りだけやけに静寂に
包まれているような気がする。
それだけ二人がお互いの言葉に集中しているということ
だろうか?
月森はゆっくりと口を開いた。
「愚問だな・・・」
「俺は香穂子を幸せに出来るのは自分だけだと信じている」
「そして、その権利を他の男に譲るつもりはない」
「状況なんて良くても悪くても後からいくらでも変わってくる」
「今はただ、後悔しないようにするだけだ」
紅茶の入ったティーカップを口に運んだ後、ソーサーに
戻しながら真っ直ぐな瞳を向ける。
僅かにその口元には笑みがあったような気がした。
「そんなことも解らないなんて、まったく冬海さんも良くこんな
男の傍にいられたものだ」
土浦は勢い良く椅子から立ち上がり、伝票を手に取った。
「いつもだったら言い返すところだが、今日のとこは辞めとくぜ」
「お陰で迷いも消えた。時間取らせた詫びに奢ってやるよ」
指に挟んだ伝票をひらつかせながら、土浦は出口へと
向かった。
「世話のかかる二人だな」
一人残された月森はそう呟いた後、ヴァイオリンを手にして
自身も喫茶店を後にした。