「嘘つき!!」
 小さなあの子は、その大きな瞳に涙を浮かべながら叫んだ。
「ずっと傍にいてくれるって・・・父様の味方だっていたのに!!」
 俺はそんな言葉を背に受けながらその場を離れた。
 何も言い訳はしなかった。
 いや、出来なかったのだ。
 してしまうと、あの時の本当にそう思った気持ちでさえ、嘘になってしまう気がして・・・。
 もう随分と昔の話。
 あの日、あの時、日は西に落ちていて、赤く染まった空と長く伸びた影がやけに心に残った。
 そういえば、あの子が生を受けたと報告された日に見た夕焼けも、こんな風だったかもしれない。
 幼いあの子は、また少し成長しているのだろうか?
 
   

   暁に謳う 後編

 



「副長?」
「副長!!」
 呼びかけられハッとして振り返ると、山口がそこに立っていた。
「あなたがぼうっとするなんてめずらしいですな」
「ちょっとした考え事だ・・・」
「昔の事ですか?」
 隣にまでやってきた斉藤の顔を見た。
 相変わらず何を考えているのか読むことは出来ない。
 俺は無言で返した。
「私も少しばかり考えていましたよ」
「大鳥さんが落とそうとしていた壬生という地名を聞いてね」
「壬生?」
「壬生の屯所の時の事を思い出してしまいました」
「神谷が入隊してきた時の事です」
「あいつは初めて会った時、私を兄の祐馬と間違えて抱きついてきたんですよ」
「確か、神谷の兄とは親友だったな」
「武士と言う言葉にふさわしい奴でした」
「副長は何を思い出していたのですか?」
「別に何も・・」
「そうですか?」
「俺にはここから見える夕日を見て、何か思い出に浸っているように見えましたが?」
 神社のある高台から周りの景色を見渡す。
 眼下には戦火によって灰になった城下町が広がっていた。
 空の日は傾き、炎のように空を赤くさせ街を照らしている。
 その夕日はいつかの思い出を甦らせた。
「たまには思い出を振り返るのも悪くないのでは?」
 山口の言葉に俺はフンと鼻で笑い飛ばす。
「思い出に浸るのはすべてが終わった後だ・・」
「まだ、戦いは終わってねぇ・・」
「それまでは先だけを見つめるだけだ」
 山口にではなく、自分に言い聞かせるように言った。
 山口はジッと俺の顔を見た後、フッと笑みをこぼした。
「まったくあんたらしいセリフだ・・・」
「でも、俺はそんなあんたも嫌いじゃない」
「そりゃどうも・・」
 俺達は陣営に戻るべく、並んで歩き出した。
 俺は斉藤の言葉が妙に嬉しかった。
 だが、それが油断につながっていたのだ。
 だから自分を狙う気配がわからなかった。
 どこからともなくパンと乾いた音がした。
 何の音だ?そう振り向こうとした瞬間、足に熱い衝撃が走った。
「副長!」
 斉藤の呼びかけに答える間もなく、景色が反転した。
 衝撃は痛みに変わり、血があふれ出す。

(ちっ!撃たれたか・・・)

 痛みに意識が朦朧とする。

 ― まったく、土方さんたら大童なんだから・・・ ―

(ヘマしたぜ・・。こんなんじゃ総司にまたからかわれちまう・・)

 俺は痛みの中、病の中にある弟分の顔を思い出した。
 最後に見た笑顔は弱々しく、あれほどまでに輝いていた目の光は鈍くなっていた。



 総司はどうしたものかと考え込んだ。
 障子はほんの少しだけ開けられ、そこから桜がこちらの様子を伺っている。
 桜はどんなにきつく叱っても、懲りずに毎日自分の傍にやってこようとするのだ。
 自分とて傍にいたい。
 抱きしめたいのだ。
 でも、その行為は愛しい我が子の命を短くするかもしれないと思うと、とてもする気にはなれなかった。
 自然と口調はキツクなり、叱り飛ばしてしまう。
 それが後に罪悪感となって苛まれる。
 
 日に日に総司の身体は痩せ衰え、起きていられる時間が短くなっていった。
 命の刻限は近いということだ。
 セイは最近、総司が眠りにつくと必ず起きるまでそこから離れない。
 そのまま総司が逝ってしまうのではないかと心配しているのだ。
 今も、ウトウトする総司の傍らに座っていた。
 総司が桜を叱るのを見て可哀想に思ったセイは、一度だけ傍に呼んでは?と総司に言ったことがある。
 総司は「駄目です」と呟いた。
「その一度だけで後悔するわけにはいかないんです」
「本当なら、あなたもあまりそばに置きたくないんですけど・・」
「私はよそに移る気はありませんよ」
 ぴしゃりとセイは言い放った。
 それに総司は苦笑いしながらも嬉しく思う。
「あなたは一度言い出したら聞かないですもんね」
 以前、セイと桜に住まいを他に移すように言った事があるが、セイに激しく拒絶された事がある。
 その時のセイの怒った表情は凄まじかった。
 まさに阿修羅の如く。
 それを思い出してくすくすと笑った後、フウと溜息をついた。
「桜・・・・」
「貴女なら大丈夫だと思いますけど・・・」
「大事にしてやってくださいね・・・」
「あの子は、桜という存在は沖田総司という人間が確かに生きていたという証なんですから・・」
「大丈夫です・・」
「私が言うまでもなく、あの子は自分自身でその事に気づきます」
「だって、総司様の娘ですもの・・」
 セイは涙を必死に堪えて口をきゅっと結んだ。
 それ以上話していると本当に涙が溢れてしまいそうだったから。
 だがその姿は一層に哀れで、そうさせているのは自分なのだと思うと総司の心は傷が膿んでいるように痛みを残した。

(本当なら離縁して他の誰かの元へ行ってもらった方が幸せだろうに・・)
(私にはその勇気がない・・・)
(私という存在がセイを不幸にしている、こんなことなら・・・)

「・・・・・・」
 少しの沈黙の後、総司は重々しく口を開いた。
「あなたと出会わなければ良かった・・・」
 突然の総司の言葉にセイは耳を疑った。
「え・・・・?」
 消え入りそうな声で聞き返す。
「人を斬るからには自分の中でいつでも死ぬ覚悟はできていました」
「以前の私なら同じ死ぬ運命にあるのなら、周りの反対を押し切ってでも戦いに参加していたでしょう」
「でも・・・でも貴女と出会って、私の心は変わってしまった」
「私は貴女や桜を残して逝くのが心残りだ」
「貴女と共に年老いて、桜が美しく成長していくのを見ていきたい」
「私は死ぬ事が怖い」
「いえ、そんなことよりも、死んでみんなに忘れられてしまう事の方が何よりも怖い」
「本当は早く忘れて他の誰かと幸せになってと言いたいのに・・」
「私はそうなる事が一番恐ろしい」
「あなたと出会わなかったらこんな女々しい自分を知らずにいられたのに・・」
「私は・・こんな自分を知ってどうしていいのかわからない」
 その言葉にセイはイヤイヤと言わんばかりに首を振った。
 堪えていた涙が堰を切ったように溢れだす。
 涙の雫が総司の頬に落ちた。
「どうして忘れるなんて思うのです」
「どうして他の誰かとなんて思うのですか?」
「恋というものはすべてあなたに使い果たしました」
「もう、他の誰かを愛する事なんて出来ない」
「それに、死んだりしない」
「あなたは生き続けるんです」
「私や桜の心の中にずっとずっと・・・」
「だから・・・何も恐れたりしないで」
 セイは涙を拭う事はせず、ただハラハラと流れさせた。
 総司は必死の思いで腕を持ち上げるとその涙を一度だけ拭った。
「ごめんなさい・・そしてありがとう」

(その言葉だけで、心残りはすべて消えていくようです・・・)
 
 障子に小さな影が映っている。
 先ほどから行ったり来たりを繰り返してこちらの気配を探っているようだった。

(何度言っても懲りないんだからなぁ・・・)

 総司は力なく笑みを浮かべた。

(まったくこんな所までセイにそっくりで・・)

 こんなお転婆でも、将来誰かを愛し、そして桜を愛してくれる相手に出会うのだろう。
 何となく面白くない気がする。
 その相手は自分の知らない桜を知る事になるのだ。
 女の子の成長は早い。
 今のうちに少しでも、自分しか知らない桜をその目に姿を焼き付けておきたい気持ちになった。
 相変わらず、影は障子の向こうに留まっている。
 総司は桜に声をかけようとした。
 が、声を出そうにも力が入らない。
 全身に疲労感を感じ、急激な眠気に襲われた。
 抵抗する間もなく瞼が閉じられる。

(夢の中だけでも、成長した桜を見れたら良いのに・・・)

 総司はそう願いながら意識を手放し、眠りに落ちた。

 
 桜はいつものように叱られないので、少し障子を開け中を覗いた。
 総司が布団に横になっている姿が見えた。
 少しづつ部屋の中へと足を踏み入れる。
 総司の元までやってくると恐る恐る顔を覗き込む。
 目は閉じられ、穏やかな顔で眠っている。
「父様、お寝んねしてる?」
 返事は返ってこなかった。
 庭の木の枝の上にいつのまにかやってきた黒猫が足を止め「ニャー」と鳴いた。
 桜は慌てて口に人差し指を当て、黒猫に向かって「し〜」と言った。
「父様、お寝んねだから騒いだらだめよ」
 桜は総司の枕元に頬杖を付いた。
「父様が起きるまで母様みたいに傍にいてあげるね」
 桜は父が目覚めるのを疑わずに傍らで待ち続けた。
 それが永遠の眠りとは知らずに・・・・。
 
 黒猫は木の枝の上からその様子をしばし見ていたがいつのまにか消えていた。
 そして、二度とその庭に現れる事は無かった。





  言い訳

 なんかすごい中途半端な気がします。
 特に土方さん。
 宇都宮攻防の途中で終わっちゃった。
 色々調べてみたんですけど・・う〜ん力不足。
 ゆい様ごめんなさい。
 今回はお気に入りのセリフがあります。
 セイちゃんの「恋というものはすべて貴方に使い果たしました」
 というのです。
 このセリフを思いついた時、妙に嬉しかったです。



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