連載小説
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#30.邂逅
「まだ、火が消えていないのか……」
 実働部隊のトレーネシティ襲撃から3日が経過したこの日、マナ=アストライアーはトレーネシティを離れ、郊外を流れるフランツ・ヨゼフ川で、茫然と佇んでいた。
 この日は依頼も特になく、エレノアを寝付かせた彼女は気分転換とばかりにグラディウスを走らせ、当てもなく原動機付き二輪サイクリングに耽っていた。彼女の心を縛るBBもすでに亡き者となっており、エレノア絡みの事以外において、彼女の憂いはない筈だった。
 しかし、それでも3日前の攻防戦の爪痕――とりわけ、今もトレーネシティの一区画を赤々と染める火災に目が行ってしまう。
 その火元が、ミラージュ系列に属するエネルギー会社所有の液化ガスタンクとその製造・貯蔵プラントである事は、連日に渡って報じられているニュースによって、アストライアーの知る所となっていた。そして、作業員、消防士、実働部隊からプラントを守ろうとしたレイヴンなど、計32名の死者が出ている。
 それでもなお、業火が生贄を欲して荒れ狂っている様子を、アストライアーは想像していた。そしてそれは、BBはおろか、その一派の皆殺しを狙っていたかつての自分のように思えて仕方がなかった。
 そんな彼女の耳に、夜風に乗って轟音が響いた。それは火元から10キロメートル離れているアストライアーにとってはさしたる音でもなかったが、それでも爆心地より数キロ内外では轟音になっただろうと分かった。
「爆発か……これで何度目になるんだ?」
 この二次災害で一体何人が死んだのだろうか。嫌な事を考えたアストライアーだったが、しかしその考えを強制排除した。自分にとって、あれは何ら関係のない事。折角気分転換に来てまで、何で他人が死ぬ事を考えねばならんのだと。
 アストライアーは考えを振り払うかのように、再びバイクを走らせた。
 以前、アキラと直美に思わぬ遭遇を果たした時と同様、フランツ・ヨゼフ川は穏やかに流れ、人工の満月を、青く照らされたその河面に浮かび上がらせている。
 不思議なもので、この蒼い光を浴びていると、アストライアーは寝ようと言う気になれなかった。精神が落ち着いているように感じていても、神経が研ぎ澄まされ、奇妙な活力か高揚感か、兎も角そういった何かがみなぎって来る。能面の如き無表情のままであるにも拘らず、である。
「綺麗だが……何か起こりそうな気配もするな……」
 自分と同じで、こんな夜には過ぎた事をやらかす輩と、それが起こした厄介事が必ず出て来るだろう。アストライアーの神経と勘は、そう訴えている。
 そもそも、このフランツ・ヨゼフ川は、以前にも直美やアキラと遭遇したポイントである。
 最初はテラとの戦いの前夜だった。その時はバイクで横転し、ふとした事で直美の身体に触れると言う恐れ多い事をやらかし、あわやアキラに殺されるかもしれないと言う、一触即発の雰囲気があった。
 二回目はBBを殺す直前だった。この時は直美の姿はなく、アキラとその従者が黒百合を返し、BB抹殺に向かうアストライアーにエールを送るのみだった。
 過去二度の遭遇から、もしかしたら、今回もあの二人に会えるかも知れないという淡い期待と、遭遇したら何をされるか分からぬ恐怖とが、アストライアーの中で半々混じりになっている。
 水面が突き破られたのは、その時だった。何かが水面を移動している事を察し、アストライアーの視線はコンマ数秒間だけ川へと向いた。
 誰かがいる――それを認知した次の瞬間、ハンドル操作を怠ったアストライアーはバイクから振り落とされた。以前にもこんな事があった様な気がすると思い出しながらも、彼女は回転しながら川原を落下し、何かにぶつかってその場に停止した。
 常人なら骨折していても不思議はない所だったが、やはりサイボーグであるアストライアーにとっては、さしたる衝撃ではなかった。ただし、視界と頭の中が回転し、暫く動作に支障が出るのは確定事項だった。
 連続した水音がアストライアーに近付いて来る。
「ちょっと……大丈夫!?」
「あ……ああ、何とか生きてる……」
 女の声に返答はしたが、衝撃で視界が回転している。四つんばいのまま、頭が持ち上がらない。
 その為、女はかがんだ素足ぐらいしか見えなかったが、アストライアーを起こそうとしているのは分かった。頭が上がらぬ中、アストライアーも前方に手を突き出し、身体を支えようとした。
 しかし、彼女の手は、相手の肩に手をやるつもりで、何か柔らかいものを掴んでいた。
「きゃあっ!!」
 女の悲鳴で、アストライアーは慌てて手を引き抜き、面を上げた。視界がまだ回転していたが、女が胸を手で抑え、赤面しているのは分かった。そして互いの顔も、アストライアーと前方の女は、互いに見覚えがあった。特にアストライアーは、ウェストまで届く黒髪と蒼い瞳、体型と格好から即座に相手を割り出していた。
「お、お前は!?」
 ようやく、真相がアストライアーの頭に染み込み、彼女は全てを理解した。バイクから転倒した彼女の目の前に居たのは、またしても直美――しかも白ビキニ姿の直美であり、先程うっかり掴んでしまったのは、直美の巨乳であったのだと。
 アストライアーが驚愕で飛び退いた直後、先程まで彼女が居た場所に、銀髪の幽鬼が降り立った。月明り以外は闇であっても、乱れる銀髪と、両目に宿る紅と蒼の光輝ははっきりと確認出来た。
 そして、アストライアーには白昼で見た時のように相手の正体が解った。直美の居る所、こいつが現れるのはほぼ確定事項だからだ。
「貴様、直美に何をした!!」
 殺気の宿った声を聴いた瞬間、アストライアーは一瞬だが戸惑った。眼前の特徴的容姿と、其処から吐き出されるはずの声が一致しなかったのである。吐き出されたのは機械的なエコーが掛かった、冷たい女のような声だった。それでも、体毛の一本一本がぞわぞわと立ち上がり、臓物が吐き出しそうなほどの苦痛と不快感が下腹部の辺りに込み上げてくる。
「待て、アキラ!」
 言語を圧する恐怖を覚えたアストライアーだが、しかし彼女は、目の前に居る存在の名を叫ばずにはいられなかった。まだ視界の回転が収まらなかったが、この状況下ではそうも言っていられない。
「戦う意志はない!!」
 両手を後ろについての四つん這いになりながらも、アストライアーは咄嗟に叫んだ。アキラの方は、その場に凍りついたように動きを止めた。直美はまだ、羞恥心から赤面して胸を手で隠している。
 3人とも、その姿のまま、しばらく硬直していた。
「……何もしないのか?」
 アストライアーが恐る恐るながら沈黙を破る。
「お前を殺す理由がない。暴漢の類だったら即座に八つ裂きにしている所だが……声を聞いてすぐに分かった」
 アキラはアストライアーを、次いで直美を、最後に主のいないまま放置されているバイクへと、視線を移しながら続けた。
「……偶然、此処を通りかかっただけだろう」
 アキラの声は、まだ冷たい女のような声だった。その為か、元々長い後ろ髪と中性的な容姿を持ち、顔以外露出の全くないロングコートを羽織っていた事も相まって、人間性に乏しい大女のようにも見える。
 佇まいはこれまでと何ら変わっていないものの、声が違う(様な気がする)だけで、これほど別の存在のように見えるものなのか。アストライアーは、今まで見て来たアキラと、眼前のアキラが同一人物なのか、心から疑っていた。
「と言うか、貴様……」
 アストライアーが全てを言い終える前にアキラが口走った。
「私が、今までお前が見たアキラ=カイドウと同一人物か――その事を疑問に思っているのだろう?」
 反論を許さず、女声のアキラは更に続ける。
「無論、私はお前が見て来たアキラ=カイドウだ。それに間違いは無い」
 アキラが言うとおり、声色以外は特徴に全く変化がない。
 確かに、今のアキラには、人工声帯によくある電子的なエコーも全く掛かっていない。否、思い返してみれば、アキラの声にエコーは有ったり無かったりしていたし、男性とはっきり分かる声もあれば、男女の境が曖昧な声もあった。
「声帯の故障か?」
「さあな」
 アキラは気にも留めていないと言った素振りで答えた。
「声帯が故障していたと見るかどうかは構わん。だが――」
 赤と青の瞳がアストライアーに向く。
「――それが元から、しかも意図的な理由でこのままだったとしたら、お前はどう考える?」
「それは……」
 アストライアーは答えに詰まった。アキラの声帯が故障したと彼女は見ているが、しかしそれが、意図的な理由で故障したままだとしたら、それは故障や欠陥の類として見るべきなのか、或いは……。
 しかし、当のアキラは、逡巡するアストライアーに構う様子もなく、直美の傍らへと移動していた。
 以前、この川で邂逅した時と同様に、直美は白のビキニ姿だった。人魚の様に神秘的で、踊り子のように優美であり、かつポルノ女優の如き妖艶さも相変わらずだが、アキラもまた、相変わらずの無表情。仮に何かしらの感情を浮かべていたとしても、アストライアーには一切認識出来ない。当然、男ならば示すべき反応も、アキラは一切見せていなかった。
 アキラを男性だと認識しているアストライアーは、この点が、アキラを普通の強化人間とも一線を駕す存在として見ている理由だった。身体はサイボーグでも脳が生身である場合、程度はどうあれ、異性に対しては何かしらの反応は示す筈なのである。
 その点は、アストライアーにとしては、かえって興味と親近感の対象であった。自身も異性に対しては、何の感情も抱いていないからである。仮に有ったとしても、既にその余地は完全に消えている。それが脳を弄られたか結果かどうかまでは良く解らない。強化人間化する直前は、それ程の危険な状態から大手術されていたからだ。
「前々から思っていたが……」
 アキラの声を考え、半ば無限ループに陥っていたアストライアーの思考回路は、先までの考えの一切を強制終了した上で、改めて問うてみた。
「貴様は男か? それとも女か?」
 アキラは直美と顔を見合わせたのち、視線をアストライアーへと戻した上で返した。
「お前もくだらない事を聞くんだな」
「何故そう言う?」
「くだらないと思っているからだ。第一、そんなものを聞いて何になる?」
 アキラは当然のように言い放つ。
「実力主義のレイヴンなど、ACに乗れなくなれば皆同じ、死んだも同然の連中。そんなレイヴンだ、私の役に立つか邪魔かが分かれば、性別など関係ない」
 自分も似たような考えを有する存在であるがゆえに言えた義理ではないが、アストライアーすれば、アキラの言う事は人間の言う事には思えなかった。
 いや、実際アキラは人間ではないのだろう。以前、黒百合で刺し貫いてもアキラは死ななかったばかりか、動揺も、更には血すらも見せなかった。この、冷血どころか氷水が流れていそうな冷たさも、アストライアーに、アキラがこの世の人物ならざる印象を植え付けていた。
「逆に聞くが、お前は私をどう見ている?」
 アストライアーの口が咄嗟に開いた。
「男に見える」
「……その根拠は?」
 アストライアーはこの機とばかりに、自分が知り、推測しているアキラの外見を洗いざらい口にした。彼女は、理由はどうあれ女性である(とはっきり分かる)直美と常に行動を共にしている事、耳にした時の声が男性の声だった事から男性と認識していると。
「成る程な」
 今度は何を返すんだと、アストライアーは身構えた。
「逆に私はお前が女だと気付かなかったぞ」
「貴様も言うな」
 アストライアーは不意に微笑した。暗闇の中だけに殆ど分からず、分かったとしても口元が僅かに緩んだ程度であろうが、それでも彼女は微笑していた――アキラにもジョークのセンスがあると見て。随分と失礼なジョークだが、全く無いよりは好印象であった。
 そして、端整だが冷たいアキラの口端が、微かに歪められたのも、アストライアーは見た。月明り以外に視認の手助けとなるものはなかったが、各種センサーを内臓したアストライアーの人工眼球には、イレギュラーの微笑が分かった。
 わずかばかりとは言え、アキラにも人間的な部分はあるんだなと、アストライアーは認識を新たにした。
「レディ・ブレーダーって異名から、すぐに気付くと思っていたけどね」
 横から直美が毒づいたが、アキラは全く気にも留めていなかった。
 直美の口元も、アキラと同様に、しかしより明確な微笑を浮かべていた。人工の月明りに照らされて浮んだ直美の笑顔を見て、アストライアーは自然に、自分の中の闘志が沈静化していくのを感じていた。
 あの笑顔には、同性ではあるがなぜか惹かれる部分がある。病院にて、エレノアが直美を人見知りしなかったのも、この笑顔に起因するのだろうか。そう言えば、亡き母もあんな笑顔をしていたなと、アストライアーは思った。
 もしかしたら、あの笑顔からエレノアは母の面影を見出していたのではないのだろうか。今の私がそうであるように。アストライアーは、漠然とした考えを論理的に整理出来ないながらも、目前の謎多き美女に関心を寄せていた。
 しかし、この顔が心からではない可能性も捨てきれない。
 生前、ファナティックが突如依頼先で攻撃を加えて来た事があったが、あれは味方を殺して報酬を独り占めしようと言う陰険な企みに基づいての事だった、と言う噂がある。寂しげな眼差しが多くの人々を惹き付けていたことも事実だが、それは自分への疑惑や反感をかわす狙いがあったとすら言われている。
 取材時は笑顔で振る舞い、アリーナではファンの声援が生き甲斐と語るミルキーウェイですら、舞台裏では観客やマスコミを「うざい」と扱き下ろし、女の同業者に対して日々陰口を叩いている。アストライアーから言わせれば、笑顔や巨乳、高い露出度の衣装、その他自分のチャームポイントで他者を騙す事など、自分以外、特に身体的に見て男性レイヴンに劣る女性レイヴンでは、幾らでもある事だったのである。
 そうした事情を知っているのだから、アストライアーは、どうしても直美のその笑顔にも企みの一端があると見えてしまうのである。
「……大分落ち着いたと見えるな」
 そんなアストライアーだったから、直美に対しても口調が冷たくなるのは必然であった。直美からは、先程まで見せていた羞恥心は完全に消えていた。
「冷静に考えて、アストライアーさんがセクハラだなんて、物理的に有り得ない。神様がしろと言っても、絶対にしない。わたしはそう見ているわ」
「信用してくれて有難うと言いたい所だが、何故そう思うのかを分かり易く説明して貰おうか」
 アストライアーに当てられ、直美の表情が険しくなった。妖艶さは霧散したように消え、冷たさの漂う凛とした姿勢に取って代わられる。視線も一変し、戦闘時同然に鋭くなったように、アストライアーは感じた。一歩後退りし、冷や汗が頬と背筋を伝う。
「あなた、相当暴漢を殺して来たそうね?」
 アストライアーは否定しなかった。
 と言うより、出来なかった。此処でウソをつこうものなら、首が飛ぶどころか、直美の視線だけで殺されかねない様な気がしたのだ。20歳とは言え、既に幾つもの戦場や死線を切り抜けて来た彼女は、直美のただなら視線を鋭敏に感じ、それゆえに心すらも見透かされているのかも知れない恐怖を抱いたのだ。
 しかし、眼前の未知なる強敵への好奇心が、アストライアーをこの場に留まらせ、反論の余地を与えている。
「あんな奴等は害獣と同じだから、殺されても文句など言える立場ではない。少なくとも私はそう思っている」
 アストライアーは性的暴行――特に児童ポルノには一切容赦が無かった。
 実際、エレノアがBB一派に拉致される前にも、メタルスフィアの家からの帰りにスラム街を歩いていた所、明らかに10歳前後だと分かる少女に性行為を強要していた男性を見つけた事がある。これで生理的嫌悪感由来の憎悪と憤怒が臨界点を超えた彼女は、「何をしている、このクズ!」と叫んで迫るや、許しを請う声に一切耳を貸さず、男を殴り殺した。
 その他の男についても、強姦しようとした者が、斬首されたり全身をズタズタに切り裂かれたり、顔面を叩き潰されたりと、誰一人としてまともな死に様を晒していなかったのである。レイヴン達も例外ではなく、彼女を暴行しようとした同業者は、その全員が彼女の手によって殺されている。
 そして、直美はそれを良しとしていないのだろう――アストライアーはそう思ったが、しかしそれは次の言葉で揺らいだ。
「奇遇ね。わたしも同じ考えだわ」
 アストライアーは僅かに目を見開いた。若干ながら驚きが出たのだ。その驚きが、すぐに奇妙な親近感へと変容していく。
「意外な事を言うんだな」
「女子供に手を出すのはクズのする事――わたしはそう思っている」
 直美からすれば、強姦や児童暴行を行うような輩は害虫などと同水準であり、殺されても仕方ないという認識が彼女の中にある。人の事を言えないアストライアーは、それを敏感に察して取った。
 そうした性犯罪は確かに恥ずべき事ではあるが、しかし其処まですることはないだろう――真っ当な価値観の人間、特に男性諸氏はそう思うであろうが、しかしアストライアーはそうは思わない。
 何故なら、マナ=アストライアーはレイヴンとなる以前から、性的なものは基本的に嫌いである上、嘗て有していた胸が災いして痴漢に何度も遭っていた有様なのである。そのため強化人間となる際、殆どのものは元から容姿を殆ど変えない、或いは整形や豊胸手術等も同時に行って外見を矯正するのが常なのだが、アストライアーは性的暴行を避けると言う理由で、嘗て有していた豊満な胸を切り落とし、撃破された際に機能を失った子宮を摘出、更に女性器そのものをなくし、内臓を保護する為の金属プレートに置き換えたぐらいである。
 それほどまでして性的要素の一切を排除しただけに、アストライアーとしては、感情的な点を度外視しても、直美の言う事には全面的に賛成であり、仮に他者が反論したとしても、コンマ1秒ほどたりとも聞く耳は持たない。
 しかしながら、この情報だけを知っていると、直美は高慢で残酷な女性のように思えて来るだろうなとも思った。実際、直美を強姦しようとした者が次々に殺されたという噂は、アストライアーのみならず、多くのレイヴン達の間でも、実しやかに囁かれていた。
 しかし、直美は敵対していたランカー達の助命嘆願には寛大な所を見せたり、アップルボーイをランカーとして急成長させる等で、死の象徴的扱いをされるレイヴンでありながら、同業者からも誉れ高い人物だった。実際、入院時にエレノアと自分を刺客から護ってくれた事は、アストライアーも感謝している。
 その直美が、何故強姦や児童暴行に対し、残虐な顔を見せる理由は分からない。いずれにせよそれは、彼女にとっては憎悪の対象である事は間違いなかった。
「新たな一面を知った」
 アストライアーは頷いた。妖艶な格好ではあるが、意外と自分とは価値観が似ているのかもしれないなと、妙に納得したのである。
「まあ何にしても、実働部隊と戦いながら、生還出来て良かった」
 直美がつぶやく。
「実働部隊で思い出したぞ……お前達はあの時何をしていたんだ?」
 以前の実働部隊襲来の際、トレーネシティから逃げて行くアキラと直美の姿が、アストライアーの記憶領域から呼び起こされる。
「私達も戦っていた」
 アキラが会話に加わる。
「仲間達を集めた所で、突然実働部隊が襲って来たのだ」
 だからこちらも徹底的に反撃したとアキラは答えた。
 その後会うことが無かったので、おそらくは自分達から離れた、どこか別の所に移って戦っていたのだろうと、アストライアーは結論付けた。
「お前の活躍ぶりはシューメーカーから聞いている。同胞とともに実働部隊ACを斬り――」
「逸脱者排除分子を相手に、一歩も引かなかったと聞いたわ」
 直美がアストライアーに視線を向ける。その視線にはもはや恥じらいも敵意も無く、憧憬や感謝に取って代わられていた。
「シューメーカーが世話になった。彼を生還させてくれた事、感謝する」
「わたしからも……有難う、アストライアーさん……」
 アキラが頭を垂れ、直美が礼を言う姿を、アストライアーは無表情で見つめた。しかしその表情の裏には驚きがあった。
「……私はお前に感謝される立場じゃない」
 アストライアーが呟く。
「第一、イレギュラーに頭を垂れられるには、私は分不相応すぎる。直美の出した“宿題”とやらの回答すら、全く糸口の掴めぬ有様なのだからな」
 強化人間が真人間に劣るものは何か――今だ答えの出ない問題と、それと向かい合った結果露呈した数々の醜態を思い出し、徐々にアストライアーは苛立ちを覚え始めた。
 だが突如として着信音が鳴り響き、アストライアーの思考を戻した。
「済まん、私だ」
 アストライアーが懐をまさぐり、携帯端末を開いた横で、直美は目を丸くしていた。
「……何を驚いているんだ?」
 アキラが小声で直美に話しかける。その声には、アストライアーの時に発した殺気はない。
「人は見かけによらない、ってのがね」
 冷静沈着な女剣豪と言うアストライアーのパブリックイメージは、直美も例外ではなかった。そんな彼女の携帯端末の着信音がスラッシュメタルだった事は、少なくとも直美には意外だったようである。ただし、曲名やアーティストまでは分からなかったが。
 そんな直美の視線など知らず、アストライアーは液晶画面に目をやる。発信者名の蘭は自宅となっていた。
「私だ」
 アストライアーが出るが、携帯端末は何も発さない。
「オイ、何か言え!」
 沈黙。
「おかーーーーさん!!!」
 アストライアーは驚愕した。自分の耳と神経を疑うほど驚愕した。何せ、電話などロクに扱えないだろうと思っていたエレノアからお声が掛かったのだから。しかもアストライアーには、その声が半分泣きべそとなっていた事までも想像出来た。
「どこいったの!? はやくかえってきてよ!!」
「分かった分かった、分かったから泣くな、今すぐ帰るから!」
 直美やアキラについて知る機会を邪魔されて立腹しかけたが、よく考えれば幼子を放置してふらっと出かけた自分にも非が有るなと、自分を律した。
「はやくかえってきてよー!」
「分かった、今すぐ帰る! 音速突破するぐらいの速さで帰る! だから泣くなよ!」
 その後何とかエレノアをなだめ、通話は終了した。だがアストライアーは、背後にまとわりつくような視線を感じ、恐る恐るの体で振り返った。
 直美が、ちょっと不機嫌そうな顔をしていた。
「ダメじゃないの、エレノアちゃんを泣かせちゃ」
 子供をなだめる母親の様な口調で、直美が叱って来た。叱り方は優しいが、顔は全然優しくない事は既にアストライアーの知る所であった。
「悪かった、だからこの辺でオサラバとしよう」
 アストライアーはエンジンから周り状態のまま放置されていたグラディウスを起こし、エンジンを一度切った。
「次に会う時まで死ぬな」
 その一言には、イレギュラー二人と次に会う時、彼等について何かを知る事が出来ればと言う期待があった。
 既にアストライアーは、二人に対し、敵意や恐怖とともに、不思議と興味を抱くまでになっていた。少なくとも今は、彼等について知りたいと言う、ささやかな願望があった。そして、その為には二人には生き残り、自分にも再び彼等に出会う幸運が必要だった。
 再会を期待しながら、アストライアーは去って行った。
「また、会えると良いわね」
 直美も同じ事を察してか、去り行くアストライアーの後姿に、そう呟いたのだった。
12/04/28 12:53更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 第29話に続き、またしても戦闘描写なしの話です、スミマセンorz

 今回は「イレギュラーありき」と言う所から書き始めた作品です。ただ、ACに乗せたら交戦状態になってアス姐爆死、と言う事も大いに考えられうるので、ACはオミットすることにしました。
 ACが外れた事で戦闘描写はまずナシになり、プロットが紆余曲折した末、アキラと直美さんの人間性について、断片的ながらも記述する形にしようと決め、何とか今の形に収まりました。


 ちなみに原案は、

「ビキニ姿の直美さんが暴漢やレイヴンどもの死体が転がる中で出刃包丁を持ち、しかも血塗れになってアス姐の前でニッコリ」

 と言う、何のホラーだと言わんばかりの展開だったのですが、結局ボツにして1から書き直しました(笑)。

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まろやか投稿小説 Ver1.50