第六話「奇妙な依頼人」
「ふざけるな」
怒気の篭った女性の声に、マリー=アンダーソンは思わず首を竦めた。
カップにコーヒーを注ぐ手を止め、声のする方にそろりと顔を向けると、二人の男女が来客用のテーブルを挟んで座っている。
女性の方はマリーもよく知る人物だ。リラ=ダルジェント。AC小隊『レイヴンズホープ』の隊長である。
両腕両足を組んでソファーに腰掛ける姿は、女性としては長身な事も相まって、同姓のマリーの目にも格好良く映った。
そんな彼女は、普段の気だるげな表情とは違う、怒りの感情を露わに目の前の男を睨んでいる。
だが男はその視線に動じる事無く、へらへらと軽薄な笑みを浮かべて言った。
「ふざけてなんかいないよ。僕はいつだって大真面目さ、ねえ?」
言葉の最後に、問い掛けるようにマリーの方へと視線を向ける。
だが、話の大まかな筋も掴めず、誰かも分からない男に賛同を求められても答えようが無い。
どう答えたものかとマリーは困ったが、男も返答を求めていた訳ではないのか、リラの方へと視線を戻しながら、「コーヒーまだ?」と聞いた。
傍若無人な男の態度にむっとするマリーだったが、言われてみればコーヒーを用意する途中だったのを思い出す。
「マリー。こんな奴にはコーヒーもお茶も、水さえ出す必要はない」
不機嫌なリラの声に、男はまたへらへらと笑いながら言った。
「酷いなリラちゃん。大事なお客様にその態度は無いんじゃない?」
「受諾してもいない依頼を持ってきた男にまで、ゴマを摺る必要は感じないな」
並の男であれば、にべも無い言葉にすごすごと引き下がる事だろう。
しかし、男はへらへらとした表情を崩す事無く、再度自分の依頼を伝えた。
押し問答となってきたやり取りに、長引く事を感じ取ったマリーは、目の前にある二つのカップを手に取る。
既に冷え切った中身をシンクに流すと、新しいカップを二つ出して、コーヒーの用意を始めた。
カフェ『ブラックベア』は今までに無いほど繁盛していた。
その理由は昨日から働いている二人のウェイトレスによるものだと、マリアベル=バートレットは確信していた。
それもそのはず、二人とも同性であるマリアベルでさえ、魅力的だと感じる女性だからだ。
赤い長髪のウェイトレス、レイン=ヴァレッタはモデルのような長身とスタイルをした女性だ。年歳はマリアベルよりも三つ上だが、明るく陽気な性格で親しみが持てる。
もう一人の翡翠色の髪のウェイトレス、ヒスイ=アスカは陶磁器のような白い肌の美しい少女だ。年齢はマリアベルと同じらしいが、言葉少ない態度はどこか大人びて見える。
(まあ、単に人付き合いが苦手なだけかもしれないけど……)
それがこの二日間、ヒスイを見てきたマリアベルの感想だった。
ブラックベアに来る客は顔見知りの常連が多い。その殆どはマリアベルが幼少の頃から知っている『近所の人』だ。
皆、優しくて良い人達なのはマリアベルが良く知っているのだが、どうもヒスイはそんな彼らに戸惑っているように見える。
もっと分かりやすく言えば、感謝の言葉のような当たり前の好意に対してだ。
(他人からの好意を受けるのに慣れてないのかしら……? ここで働く事が良いきっかけになってくれれば良いけれど……)
保護者的な感情と言うべきだろうか。
同年齢でありながら、ヒスイを見つめるマリアベルの瞳は妹を見守る姉のように優しげだった。
当のヒスイは慣れない接客に追われ、その視線に気づく事は無かったが……。
昼時のピークも過ぎ、先程までの騒々しさが嘘のように、ブラックベアの店内は静まり返っていた。
「あー、しんどいわー……」
カウンターにうつ伏せになりながらレインがぼやく。
体力には自信のあるレインだったが、次から次へと来る客を前にピーク終盤には笑顔を少し引きつらせていた。
表情こそ変わらないが、ヒスイも疲れた様子でカウンター席に腰掛けている。
本日シフトが入っていたアルバイト店員二名も、慣れているとはいえ疲れた表情を隠せない。
そもそも今回はマスター、マリアベル、レイン、ヒスイ、そしてアルバイト二名の六名体制だったのだ。
狭いわけではないが、そこまで広くもない店内のブラックベアに対しては異例の従業員数だが、それでも手が足りないほどの忙しさに疲れないのは無理もない。
……そのはずだが。
「人件費を入れても今日の売り上げは最高ね!」と、嬉しそうなマリアベルには疲れが全く見えない。
労いの意味も込めて六人分のコーヒーを用意するマスターも同様だ。
レインはそんな二人を見ながら、うつぶせのまま「タフねー」と苦笑した。
それでもカランカランと鳴ったドアチャイムの音に反応して「いらっしゃいませー」と返したのは、レインもヒスイも仕事に慣れてきたという証拠だろうか。
「……あれ?」
「お二人ともここで働いていたんですか?」
聞き覚えのある声が返ってくる。
カイト=アルスター、エルク=ライマン。
入ってきたのはレインとヒスイの同僚達だった。
知り合いが来るとは予期していなかったのか、レインは固まったまま動けないでいる。
レインも驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔に変わると二人をテーブル席へと案内した。
「お疲れ様。二人とも仕事の方は終わったの?」
水とおしぼりを席に置きながら、レインが尋ねる。
喉が渇いていたのか、それに答えるより先に、カイトとエルクは水を一口飲んだ。
ようやく一息ついたらしく、カイトがふうと息を漏らした。
「ああ……。この暑い日に街中を歩き回って疲れたよ」
「その甲斐もあって、何とか無事に終わりましたけどね」
今日二人が受けた依頼は、依頼人の恋人の身辺調査……と言えば聞こえは良いが、要は浮気調査だった。
彼氏の様子がおかしいと思った依頼人が浮気を疑い、レイヴンズホープに依頼してきたわけだ。
本来ならそのような仕事は傭兵であるレイヴンでなく探偵の仕事だが、生憎レイヴンズホープは「市民からの依頼も受けるAC小隊」である。
また依頼人が強引な性格で、半ば強制的にカイトとエルクが引き受ける事になったのだ。
「災難だったわねー。で、結局浮気だったわけ?」
興味津々といった表情でレインが尋ねる。
「ああ、実は……」
答えようとしたカイトの言葉が途中で途切れた。
原因はカイトとエルクの二人に注がれる値踏みするような視線だ。
「あの、何ですか?」
困惑した表情でカイトは視線の主であるマリアベルに尋ねた。
「……悪くないわね」
そんな呟きにカイトは「えっ?」と間の抜けた返事しか返せない。
「貴方達、さっき仕事が終わったって言ってたけど、午後からは何か依頼が入ってるの?」
「いえ、他に依頼は無いですけど……」
その答えにマリアベルの目が一瞬光った……ように見えた。
「じゃあ、ちょっとお店を手伝ってくれない?」
「「はい?」」
突然の申し出を理解できず、カイトとエルクがそう聞き返した。
しかしその「はい」を肯定の意味だと受け取ったマリアベルは、満足気な表情で奥へと引っ込んでしまう。
やがて何かを抱えて戻ってきたマリアベルは、それを二人に渡した。
困惑した表情の二人が受け取ったのはブラックベアの男物の制服。
何故かサイズはピッタリだった。
「まさか休憩に入った店で、更に働く事になるなんて……」
「予想外でしたねぇ……」
「あはは、お疲れ様」
「……」
そんな会話を交わしながら、レイヴンズホープの四人は帰路についていた。
ふらついた足取りで歩く四人の顔には、はっきりと疲れが出ている。
だからだろう。
「お帰り。随分と遅かったね」
本拠地のボロビル、その入り口前の段差に腰掛けていた人影から、声を掛けられるまで気づかなかったのは……。
「よっと……。リラちゃんに追い出されちゃったから、ずっとここで待ってたんだよね、君達をさ」
そう言って立ち上がったのは、よれよれの白衣を着た男だった。
「貴方は……?」
警戒心を露わにカイトが尋ねる。
「あっ、自己紹介がまだだったね」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべて男は言った。
「僕はAI研究所の研究員、リード=ワイト。君達に依頼したい事があって来たんだ」
怒気の篭った女性の声に、マリー=アンダーソンは思わず首を竦めた。
カップにコーヒーを注ぐ手を止め、声のする方にそろりと顔を向けると、二人の男女が来客用のテーブルを挟んで座っている。
女性の方はマリーもよく知る人物だ。リラ=ダルジェント。AC小隊『レイヴンズホープ』の隊長である。
両腕両足を組んでソファーに腰掛ける姿は、女性としては長身な事も相まって、同姓のマリーの目にも格好良く映った。
そんな彼女は、普段の気だるげな表情とは違う、怒りの感情を露わに目の前の男を睨んでいる。
だが男はその視線に動じる事無く、へらへらと軽薄な笑みを浮かべて言った。
「ふざけてなんかいないよ。僕はいつだって大真面目さ、ねえ?」
言葉の最後に、問い掛けるようにマリーの方へと視線を向ける。
だが、話の大まかな筋も掴めず、誰かも分からない男に賛同を求められても答えようが無い。
どう答えたものかとマリーは困ったが、男も返答を求めていた訳ではないのか、リラの方へと視線を戻しながら、「コーヒーまだ?」と聞いた。
傍若無人な男の態度にむっとするマリーだったが、言われてみればコーヒーを用意する途中だったのを思い出す。
「マリー。こんな奴にはコーヒーもお茶も、水さえ出す必要はない」
不機嫌なリラの声に、男はまたへらへらと笑いながら言った。
「酷いなリラちゃん。大事なお客様にその態度は無いんじゃない?」
「受諾してもいない依頼を持ってきた男にまで、ゴマを摺る必要は感じないな」
並の男であれば、にべも無い言葉にすごすごと引き下がる事だろう。
しかし、男はへらへらとした表情を崩す事無く、再度自分の依頼を伝えた。
押し問答となってきたやり取りに、長引く事を感じ取ったマリーは、目の前にある二つのカップを手に取る。
既に冷え切った中身をシンクに流すと、新しいカップを二つ出して、コーヒーの用意を始めた。
カフェ『ブラックベア』は今までに無いほど繁盛していた。
その理由は昨日から働いている二人のウェイトレスによるものだと、マリアベル=バートレットは確信していた。
それもそのはず、二人とも同性であるマリアベルでさえ、魅力的だと感じる女性だからだ。
赤い長髪のウェイトレス、レイン=ヴァレッタはモデルのような長身とスタイルをした女性だ。年歳はマリアベルよりも三つ上だが、明るく陽気な性格で親しみが持てる。
もう一人の翡翠色の髪のウェイトレス、ヒスイ=アスカは陶磁器のような白い肌の美しい少女だ。年齢はマリアベルと同じらしいが、言葉少ない態度はどこか大人びて見える。
(まあ、単に人付き合いが苦手なだけかもしれないけど……)
それがこの二日間、ヒスイを見てきたマリアベルの感想だった。
ブラックベアに来る客は顔見知りの常連が多い。その殆どはマリアベルが幼少の頃から知っている『近所の人』だ。
皆、優しくて良い人達なのはマリアベルが良く知っているのだが、どうもヒスイはそんな彼らに戸惑っているように見える。
もっと分かりやすく言えば、感謝の言葉のような当たり前の好意に対してだ。
(他人からの好意を受けるのに慣れてないのかしら……? ここで働く事が良いきっかけになってくれれば良いけれど……)
保護者的な感情と言うべきだろうか。
同年齢でありながら、ヒスイを見つめるマリアベルの瞳は妹を見守る姉のように優しげだった。
当のヒスイは慣れない接客に追われ、その視線に気づく事は無かったが……。
昼時のピークも過ぎ、先程までの騒々しさが嘘のように、ブラックベアの店内は静まり返っていた。
「あー、しんどいわー……」
カウンターにうつ伏せになりながらレインがぼやく。
体力には自信のあるレインだったが、次から次へと来る客を前にピーク終盤には笑顔を少し引きつらせていた。
表情こそ変わらないが、ヒスイも疲れた様子でカウンター席に腰掛けている。
本日シフトが入っていたアルバイト店員二名も、慣れているとはいえ疲れた表情を隠せない。
そもそも今回はマスター、マリアベル、レイン、ヒスイ、そしてアルバイト二名の六名体制だったのだ。
狭いわけではないが、そこまで広くもない店内のブラックベアに対しては異例の従業員数だが、それでも手が足りないほどの忙しさに疲れないのは無理もない。
……そのはずだが。
「人件費を入れても今日の売り上げは最高ね!」と、嬉しそうなマリアベルには疲れが全く見えない。
労いの意味も込めて六人分のコーヒーを用意するマスターも同様だ。
レインはそんな二人を見ながら、うつぶせのまま「タフねー」と苦笑した。
それでもカランカランと鳴ったドアチャイムの音に反応して「いらっしゃいませー」と返したのは、レインもヒスイも仕事に慣れてきたという証拠だろうか。
「……あれ?」
「お二人ともここで働いていたんですか?」
聞き覚えのある声が返ってくる。
カイト=アルスター、エルク=ライマン。
入ってきたのはレインとヒスイの同僚達だった。
知り合いが来るとは予期していなかったのか、レインは固まったまま動けないでいる。
レインも驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔に変わると二人をテーブル席へと案内した。
「お疲れ様。二人とも仕事の方は終わったの?」
水とおしぼりを席に置きながら、レインが尋ねる。
喉が渇いていたのか、それに答えるより先に、カイトとエルクは水を一口飲んだ。
ようやく一息ついたらしく、カイトがふうと息を漏らした。
「ああ……。この暑い日に街中を歩き回って疲れたよ」
「その甲斐もあって、何とか無事に終わりましたけどね」
今日二人が受けた依頼は、依頼人の恋人の身辺調査……と言えば聞こえは良いが、要は浮気調査だった。
彼氏の様子がおかしいと思った依頼人が浮気を疑い、レイヴンズホープに依頼してきたわけだ。
本来ならそのような仕事は傭兵であるレイヴンでなく探偵の仕事だが、生憎レイヴンズホープは「市民からの依頼も受けるAC小隊」である。
また依頼人が強引な性格で、半ば強制的にカイトとエルクが引き受ける事になったのだ。
「災難だったわねー。で、結局浮気だったわけ?」
興味津々といった表情でレインが尋ねる。
「ああ、実は……」
答えようとしたカイトの言葉が途中で途切れた。
原因はカイトとエルクの二人に注がれる値踏みするような視線だ。
「あの、何ですか?」
困惑した表情でカイトは視線の主であるマリアベルに尋ねた。
「……悪くないわね」
そんな呟きにカイトは「えっ?」と間の抜けた返事しか返せない。
「貴方達、さっき仕事が終わったって言ってたけど、午後からは何か依頼が入ってるの?」
「いえ、他に依頼は無いですけど……」
その答えにマリアベルの目が一瞬光った……ように見えた。
「じゃあ、ちょっとお店を手伝ってくれない?」
「「はい?」」
突然の申し出を理解できず、カイトとエルクがそう聞き返した。
しかしその「はい」を肯定の意味だと受け取ったマリアベルは、満足気な表情で奥へと引っ込んでしまう。
やがて何かを抱えて戻ってきたマリアベルは、それを二人に渡した。
困惑した表情の二人が受け取ったのはブラックベアの男物の制服。
何故かサイズはピッタリだった。
「まさか休憩に入った店で、更に働く事になるなんて……」
「予想外でしたねぇ……」
「あはは、お疲れ様」
「……」
そんな会話を交わしながら、レイヴンズホープの四人は帰路についていた。
ふらついた足取りで歩く四人の顔には、はっきりと疲れが出ている。
だからだろう。
「お帰り。随分と遅かったね」
本拠地のボロビル、その入り口前の段差に腰掛けていた人影から、声を掛けられるまで気づかなかったのは……。
「よっと……。リラちゃんに追い出されちゃったから、ずっとここで待ってたんだよね、君達をさ」
そう言って立ち上がったのは、よれよれの白衣を着た男だった。
「貴方は……?」
警戒心を露わにカイトが尋ねる。
「あっ、自己紹介がまだだったね」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべて男は言った。
「僕はAI研究所の研究員、リード=ワイト。君達に依頼したい事があって来たんだ」
11/09/20 22:38更新 / 謎のレイブン