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  山の端   yamanohana 

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  このホームページは、やまのはなが利用します  更新:2003年11月1日

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   N市の給食     2003/10/19

      小学校では、毎日楽しみだった。なんせ、貧しい食生活を送っていたからだ。

     毎日、見たこともないような食材が現れる。

     ヨーグルト、プリン、ゼリー

     初めて食べるものばかりだった。1年もすれば初めてでなくなったが。

     肝油なるものも初めて味わったのは学校給食。これを考えると、日本人の胃袋を満たすことは

     学校給食を支配することで自由自在に操れるのだ。アメリカの好きなように、毎日パンを食べさせられていた。

     1ヶ月に1回あるかないかのご飯の日が楽しみだった。パンとマーガリン、バターなどというものに飼い慣らされていった。

     これがあっちのやり方。こっちはなんと情けないものだろうか。戦後復興ならばそっちにこっちの余っていることになっている

     米を援助して食べてもらえばよい。いずれ近い将来こっちの米を輸入してくれるお得意さんになるはずだ。

     かつてこっちがただのパンを食べ続け、米を食べなくなってあっちの思うつぼにはまったのと同じように。

     小学生は、給食を通して遙かなるあっちの食生活に憧れていたのだった。

     そして大学に行くようになって、米を自分で炊くことはほとんどなかった。

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