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生立八幡神社 犀川神事(山笠)
生立八幡神社山笠 行事の概要
おいたつ はちまんじんじゃ さいがわ
指定種
数量
所在地
所有者
管理者
指定年月日
成立年代
法量
特徴
民俗文化財(無形民俗文化財)
山笠については8基(舁山6・曳山2)
福岡県京都郡犀川町大字生立7番地
生立八幡神社・同杜氏子会・各山笠奉納区
続命院・山鹿・柳瀬・古川・上本庄・大熊・木山・谷口
昭和37(1962)年2月5日
江戸時代なかば頃
山笠全体の高さ15M, 推定重量3.5トン
豊前地方屈指の山笠行事で、舁山は県下最大級
神幸祭の歴史
神幸祭自体は始暦3年から始められたと伝えられていますが、現在のような山笠行事が
当初からあったわけではありません。伝承等によれば、始めは「柴山(笠)」と呼ばれる榊(サカキ)を
のせただけの素朴なみこし(あるいは大八車)だったものが、元禄期頃から装飾化が進み、
江戸期中期頃に現在の様な姿になったと伝えられています。
かつては山笠の奉納数が現在より多かったことやそれぞれの村からの担ぎ寄り、大村への
巡幸や舁山に川渡りがあったことなどが今なお人々の記憶に刻まれています。
山笠行事の流れ
神幸祭の準備は初春の網打ちや竹切りなどによってすでに始まっていますが、実質的には4月に行われる
大村区(神輿の巡幸先。江戸期には大庄屋役宅のある犀川中心村落だった)ので「お籤鳥」がその始まり
といえます。
このお籤とりで「立屋敷神事(巡幸した神霊を饗応する神事)」や「稚児(神霊の依代)」などの配役が決まり、
祭りに必要なさまざまな準備が本格的に始まります。
神幸祭の前日になると「注連下し(しめおろし)巡幸先の祓い浄めが行われるとともに、各地区の山笠も
ほぼ組み立てを終えて、いよいよ祭本番を迎えます。
祭の初日は「お潮井採り」が行われ社前を流れる今川の水を用いて神輿や山笠の祓浄めや「ためしがき」を行う
二日目は「お下り」神輿に移された神霊が大村区へ巡幸します。
これと同士に山笠も随行のため動座し、祭りは第一のピークを迎える。
大村に着御した神輿を前に立屋敷神事が行われた後、神輿は御旅所へ向かい一夜を明かします。
最終日、神輿も還御に併せて山笠も戻り、祭りは終幕を迎えます。
上記の写真や説明文は生立八幡宮で頂いたパンフレットから引用させて頂きました。
開催日は毎年、5月第二日曜日を最終日とする3日間
生立八幡神社 0930−42−0552