貞観 5 |
863年 |
京都神泉苑で御霊会 |
貞観11 |
869 |
京都で66本の鉾を立てて祇園御霊会(ゴリョウエ)行われる |
昌泰 元 |
898 |
豊前今井津に疫病蔓延。 |
昌泰 3 |
900 |
中良身というもの、根津金屋に瑞籬を立て祇園神に疫難平服を祈る |
延長 8 |
930 |
中良身、祇園神を元永村妙見山に奉還 |
天慶 4 |
941 |
博多櫛田神社に祇園社を勧請 |
安和 元 |
968 |
豊前今井津の祇園祭始まる。数年にして中絶 |
天禄 元 |
970 |
八坂祇園祭6月15日に執行。以後この日が例祭日となる |
長保 元 |
999 |
八坂祇園祭に標山に似せた山車が現れる |
保延 2 |
1136 |
今井祇園社始めて山車鉾を作り根津川原の行宮に行幸。6月15日還幸 |
寛元 元 |
1243 |
博多承天寺開山聖一国師、施餓鬼棚に乗って津中を舁き廻らせ聖水を撒いて病魔退散を祈願する |
健長 6 |
1254 |
今井津に疫病流行。今井村地頭職福島采女正重房、村上左馬頭の二人が上京して
祇園神を今井村前兼の地に勧請 |
健長 7 |
1255 |
今井祇園社、八坂臨時祭に准じて錺車・山鉾を作り神事を行う |
室町期 |
・・・・・ |
八坂祇園祭の山鉾に■鉾も加わり華麗なものになる |
永享 4 |
1432 |
博多祇園社、6月15日の祭に初めて人形を飾った出車が出る(九州軍記) |
文明15 |
1483 |
田川郡宮尾弓削田村に今井祇園社を勧請。以後、豊前地方に今井祇園の勧請始まる |
享禄 3 |
1530 |
今井祇園社で定例の連歌奉納始まる。5月25日福島宅で奉納連歌発句定め並びに一巡、
鐘・太皷打ち始め。6月朔日祇園社神殿で、9日善徳寺で13日夜の発句定め、10日浄喜寺で、
14日夜の発句定め、13・14日両夜に車上連歌奉納 |
永禄 3 |
1536 |
今井祇園社を田川郡香春村に勧請 |
天正年中 |
・・・・・ |
大内・大友の戦乱つづき、祇園社を今井より元永山中妙見祠に北隣に奉遷 |
元禄年中 |
1688〜 |
小倉藩主小笠原忠雄、今井祇園社に代拝使を遣わし、幣帛を奉納 |
弘化 2 |
1845 |
今井祇園祭、例年6月15日本宮揃いは、金屋、今井西、今井東、今井中須、真菰(鉾)元永(鉾)の
出車、沓尾の傘、金屋・今井西・今井東・今井中須の「八撥」。この年、本宮揃いのあと大潮のため、
今井西、中洲、金屋の出車が帰れず、翌16日に帰村 |
明治21 |
1888 |
今井祇園の出車、これまで本宮まで進んでいたのを、この年より「浜小路」までとする。 |
昭和43 |
1968 |
今井祇園祭の出車、今井西だけとなる。 |