19年1月31日(水)曇り
新年明けましておめでとうございます。久々の更新となります。
今回は苅田町郷土史会の依頼で無各社の資料調査を再度調べなおす事になりました。
その中で尾倉村内笹尾山に鎮座していた八幡神社の事について書きたいと思います。
調査はもっとも古い資料とされている京都郡志と苅田町町誌を参考にしています。
寛永二乙丑年(1625)祈雨の祈りとして氏子十ヶ村は氏神宮へ寄合、籠の節大口論となり南原村、與原村、尾倉村味方にて大喧嘩の末に宮は分れ、・・・省略(苅田町誌P320) 寛永六己已年(1629)御神託によって、尾倉村の
内笹尾山に御鎮座なし奉る・・・このように町誌には書かれています。
京都郡誌の無各社の調べたページには文安二年三月(1445年)宇佐宮の分霊を勧請せりと書かれてある。
ここで疑問になるのは八幡神社に宇佐八幡宮から1445年に勧請去れと書かれているが宮分れした(1625)の
後、寛永六年(1629)に御神託によって内笠尾山に鎮座し奉られている。1629年に宮分れし1629年に神社を造り
鎮座させたのではないだろうか?京都郡誌の宇佐宮から1445年に勧請していたら話がおかしくなってくる・・・?
宇原神社の宮司さんに聞いても八幡神社が今の貴船神社と合併したと言ってましたが京都郡誌の中には無各社で
尾倉村には他の神社で名前が載ってなかった・・・郷土史会の詳しい方に聞いてもコンビニの裏にある森のように
なってる敷地に貴船神社があって、それが今の県道の上にある場所に移動したと言っていました。
喧嘩が治まって八幡神社の名前から貴船神社に変更したのだろう。その時に宇佐から勧請した八幡さんを何処に
移動したのかが分かっていない。今の貴船神社の境内の中にあるのか?それとも宇原神社に持っていたのかが
分かっていない状態なんで今度、尾倉区の年寄りに質問してみる事にします。
宇原神社の緑記には年号を結構、古く書いている物がある。それは神社の歴史を古く見せるために昔、そのように
書いたと思われる。もっとも県内で古いと言われている「大宰管内志」とも年号の合わないところもある。
19年2月20日(火)晴れ
ここ最近はホットな話題が無かったんだけど立志会の方からカキ棒を確保したと聞いた。
熊本県の小国町に18日の日曜日に切り倒しに行ったそうで昨日、写真も見せていただいたんですけど
物凄く大きな木でした。今年の秋には加工に入って20年度には装着できるそうですけど原木のサイズは
なんと16メートル!!これはBIGだ!でもヤマも巨大化してカキ棒も巨大化して行ってるが祭りに若者が
増えてくれないと、この先どんどん若者が減るので怖いことになりそうです。