西部劇を見ていると、胸に六芒星をつけたシェリフと呼ばれる司法官憲が出てきます。ダッジシティのワイアット・アープはシェリフの代表格です。これに対してアメリカには“刑事コロンボ”のコロンボ刑事のような警察組織もあります。
このうち警察官は、日本のものと同じものをイメージしてもらえば十分でしょう。ひとことで言うなら“治安を守るお役人”といったところでしょうか。
これに対して保安官をひとことで言うなら、“公営の自警団”です。したがって、警察官と違って採用試験というものはありません。通常は代議士と同様選挙で選ばれます。また、職務も警官の職務のほかに、拘置所を管理したり、副保安官や監守の任免権もあります。さらに、陪審員を呼び出したり判決を執行するといった廷吏のような仕事のもあります。
このような保安官制度は、西部開拓時代においては、地方まで中央の管理が届かなかったため、“間に合わせ”としての意味がありました。また、アメリカという国は、もともとイギリスのお上に愛想をつかしてメイフラワー号に乗ったという経緯があり、そもそも日本のようなお上に対する信用がありません。そのため、「自分の仲間は自分で裁く」という風潮があります。裁判のときに素人市民が参加する陪審制度もこのような考えにもとづいています。
これが日本だったら、捜査から裁判まで名奉行が全部一人でやって桜吹雪にびっくりしてめでたしめでたしとか、世捨て人のくせに世俗権力を笠に威張り散らすいっちょかみのじじいが突然印籠出してへへぇー、というのが良しとされるわけです。
さらに、FBIは警察とは違い、連邦法に違反する事件を担当する連邦組織です。周知のようにアメリカは50の州とひとつの特別区からなっていますが、アメリカの州は、日本の都道府県とは違い、一定の主権を持つ国家のようになっています。そのため、州法については州警察が、連邦法についてはFBIがという分業体制になっているのです。