どっちも仏様、には違いないですが、仏教では明確に異なります。仏教諸派の究極の目的は何かというと、要するに「悟りをひらくこと」にあります。そして、悟りをひらいた者を如来、悟りのために修行中の者を菩薩といいます。
ただし、観音菩薩と地蔵菩薩は菩薩であっても既に悟りを開いているとされており、弥勒菩薩も現在は菩薩であるけれども将来必ず如来となることが約束されており、現世に現れるときには如来となっているので弥勒如来ともいいます。
また、如来と菩薩は外見からも異なります。如来は通常、法衣のみを纏ったシンプルな姿で表現され、菩薩は宝冠や装身具を纏った姿で表現されます。これは、釈迦がかつては王子の身分であり、悟りをひらいた頃は法衣のみの姿であったことに由来するとされています。
しかし、これにも例外はあり、例えば密教の最高神である大日如来に限っては諸仏の王という意味で装身具を纏った姿で表されます。