現物合せという技


 工業製品は、設計者が図面を描き、製造部門がその通りに作って完成するものだと普通は考える。自動車や家電製品などは、そのようにして生産されるのだと思う。そういう生産システムに於いては、正しく設計図を描き、それに基づいて正確に加工するということが、技術的なポイントとなる。加工精度が悪くて、部品一つひとつを現物合せで手直しをしなければならないようでは、困ったことになる。作業員が目で見て、頭で判断し、手先で調整をする「現物合せ」という工程は、大量生産方式を導入するに当って、まっ先に駆逐されなければならないものであろう。

 一方、木工には現物合せがつきものである。建築現場では、大工が角材の端を建物の一部に突き当て、鉛筆で印を付けて寸法を写し、ノコギリで切るという仕草をよく目にする。理科系の学生なら、それを見て「いい加減なものだ」と批判的に思うかも知れない。私も昔はそういう価値基準を持っていた。物を作る場合には、予め全てのことが計画され、決定されていなければならない、と考えていたのである。途中まで出来上がっている物の寸法を取り、その寸法で後の部材を加工するなどというのは、無計画から生じる恥ずべき行為だと思っていた。

 木工に携わるようになった当初は、まだ昔の考えから抜け出せずに、予め全てを計画してから製作を開始するのが正しいやり方だと信じていた。ところが、次第に考えが変わってきた。現物合せという技が、実は馬鹿にできないものだと気付いたのである。そして実際に現物合せを仕事の中に取り込むようになった。

 米国にサム・マルーフという木工家具作家がいる。椅子作りが得意で、その作品はたいへん人気がある。驚くほど高い値段の椅子が、何年も待たなければ手に入らないほど、評判が高い。ホワイトハウスに椅子を納入したことでも知られている。そのマル−フ氏が椅子を製作する過程を記録したビデオを見たことがある。

 冒頭で「このビデオは木工技術の指導を目的としたものではない。自己流で家具を作って来た作家の仕事を紹介するだけである。このビデオの内容を真似して事故を起こすことがあってはならない」との注意書きが現れる。そこらへんがいかにもアメリカ的なのだが、このビデオを見て、私はギョッとしたのを覚えている。現物合せの技を、とても大胆に使っていたからである。

 例えば椅子の座を板で作る工程のこと。世の中の一般的なやり方は、座の大きさの板を準備し、その表面を刃物で掘り下げて座面の曲面を作る。座が原木から切り出した一枚板であろうと、何枚かの板を矧ぎ合わせたものであろうと、普通はそのようにする。ところがビデオの中のマルーフ氏は、五枚の板を矧いで座を作るのだが、まずまん中の一枚を取り上げ、座面の凹みの形を切り抜いてしまう。バンドソーという曲線切りのできる機械を使えば、いとも簡単な作業である。そしてその板の両端に現れる曲線を両隣りの板にエンピツで写す。そして今度は、そのエンピツの線を目印にして、バンドソーで切るのである。このときは、バンドソ−の台盤を少し傾けて、切った面がスロープになるようにする。このようなことを繰り返して五枚の板の荒加工を行なうと、矧ぎ合わせたときに座面は凹面となっている。それをディスクサンダーのような工具で丸く滑らかに仕上げれば、座のえぐり加工は終了となる。

 座面のえぐりをやるのに、たいへん合理的な方法である。最初の板の加工で生まれた曲線を隣の板に写すところが現物合せであるが、それ自体はたいしたことでないように見えるかも知れない。最初の板を切り抜くときには、型紙を使って目印の線を引くはずだから、同じ型紙を使って隣の板のマーキングもすれば良いではないかと考える人もいるだろう。しかし、手作業でやる場合に、加工の誤差はつきものである。だから、予め用意された型紙を使うより、出来上がった部材の形を写し取る方が、合理的である。また現物を使った方が、勘違いによるミスも少なくなる。

 木は自然素材であるから、寸法が安定しにくい。気温、湿度により膨れたり縮んだり、曲ったり反ったり捩じれたりする。切ったときは真直ぐでも、しばらくしたら曲っていたりする。加工中に変形することもある。

 一方、手を使った作業は、どんなに正確にやろうとしても限度がある。同じ部材を十ケ作れば、それぞれが微妙に違って来る。その日の気分や体調によっても精度が変わってくる。午前と午後では出来具合いが違ったりする。どんなに慣れた作業でも、一つとして同じことはないのである。

 寸法が狂い易い木という素材を、人の手で加工するのだから、図面通りに加工するということが所詮無理なのである。いや、図面を描いたとしても、そこに表現しきれない要素がたくさんあるとも言える。「ここの寸法は○○センチだが、加工後に気温、湿度が変化した場合はその限りでない」とか、「作業者の気分が乗らない場合は、0.5ミリの誤差が生じる確率は8割である」などという情報は、図面には表せない。一つひとつの工程で発生する精度の誤差を調整して、最終的な製品の品質としては一切問題の無いようにするには、その瞬間ごとの判断が必要なのである。その行為を現物合せと呼ぶならば、これは木工に於いて必然的に採用されるべき技ではないか。

 ある大工さんからこんに話を聞いたことがある。

 最近は、プレカット工法などと称して、建物の部材をコンピューター制御の工作機械で加工するものがある。柱や梁のホゾやホゾ穴、複雑な仕口などを、予め用意されたデータに基づいて、自動的に加工してしまうのである。一つの工場で、普通の住宅に使う全ての部材の二〜三件分を一日で仕上げてしまうというのだから、ものすごいスピードである。
これが今までのやり方だと、大工の棟梁が部材に墨付けをし、電動工具を使うにしろ、職人が一つひとつ加工していくのである。この作業工程を「刻み」という。刻みだけで数カ月かかることもある。職人の作業場で刻まれた部材は、全てが揃った段階で建築現場に運ばれ、建前を迎える。

 「プレカットで作られた部材は、組んだときに緩い」とその大工さんは言った。職人が手で加工するときは、部材の一つひとつを見て性質を読み、「ここはきつめにしておこう」とか、「ここは緩めにしておかないと後で入らなくなる」とか判断をする。全てを合計すれば数百にも上る接合部の各々に、現物に即した合わせが行なわれるのである。ところがプレカット工法はコンピューターによる自動制御であるから、そんな判断の介在する余地は無い。となると、建築現場で組めない、組み上がらないという最悪の事態を避けるために、全ての接合部が緩めに仕上がるようにデータ処理される。ホゾ穴なら、大きめに掘るようなデータが使われる。そうするとどうなるか。昔は建前のときに職人が梁の上を飛び回って、木槌のお化けのような掛矢を振るって、大汗をかきながら組み立てていく光景を見たものである。現代のプレカットの世界では、現場で柱の上に梁を組み込むとき、柱のてっぺんのホゾに梁のホゾ穴を合わせ、手を離せば梁がストンと落ちてはまり、地下足袋でペンと踏めばピッタリとくっ付くのが当たり前だと。つまり、それだけ緩く作られているのである。「建前のときに大工が汗をかかないような家は、後でガタが出て施主が泣くことになる」とはその大工の弁。

 「現物合せ」を「その場しのぎのやっつけ仕事」と低く見るのは、再現性が無いということが一つの理由かも知れない。やる度に違ってくるような仕事は、当てにならないということだろう。しかし良く考えてみれば、それは生産者側の論理であって、使う側にとってみれば関係ないとも言える。同じものが二つとして世の中に無くても、自分が使うそのもの一つが、正しく機能すれば良いのである。むしろ何も考えずにお決まりのラインで作られた物よりも、一つひとつ吟味された作業で作られた物の方が、品質が良いこともありうるだろう。

 私は以前化学プラントを建設する会社に勤めていた。所属は設計部門であったが、建設現場も何度か経験した。現場では現物合せがそこら中で行なわれていた。それを見て、大学の工学部を卒業したてで頭の硬かった私は、驚いたり呆れたりした。現場の作業員の判断で、配管や電気、制御システムがどんどん変更されていく。そんなことで良いのかと思ったものである。しかし、建設部門のベテランに言わせれば「機械に命を吹き込むのは、最終的には現場の人間なんだよ」であった。

 木工の世界の「現物合せ」には、素材の性質の個体差による違いや、加工精度の誤差を吸収するための調整という意味があることを先に述べた。そういうのを「消極的現物合せ」と呼ぶならば、予見できないことを現物で処理するという「積極的現物合せ」と呼べるものもある。その一例を、私の工房に於ける作業の中から紹介しよう。

 アームチェアCATの、背板の組み込みの際に行なわれる現物合せがそれである。背板は椅子の組み立ての最終段階で、二本の後脚の上端に挟まるようにして取り付けられる。背板と後脚は、面と面でピタリと接着される。接合面には溝が掘ってあり、スプラインと呼ぶ木片がはめ込まれて、見えないところで接着剤による接合強度を高めている。しかし、基本的に面と面の接合であることに変わりはない。隙間がなく、ピタリと合わなければ、この組み立ては成功しない。ところが、脚上端の面は、傾いている。三次元の傾斜となっているのである。その角度を設計段階で計算することは可能だが、それが現物と一致する確率は極めて低い。というのは、椅子を構成する部材のそれぞれが、加工される過程で微妙に曲ったり捩じれたりする。また、下部を組み立てる段階で、角度や距離が微妙に設計図面からずれてくる。椅子として完成した時点では全く問題が無い程度の曲りや捩じれでも、正確な組み立てには障害となる。ここで現物合せの登場であるが、それは調整としての作業というよりは、全面的に現物に頼り切った、他に替わる手段のない、現物主導型の作業である。

 背板となる角材の両端を、丸ノコ盤で斜め切りをして、少しづつ合わせていくのである。切り過ぎたら一巻の終わりだから、この作業は慎重に行なわなければならない。複雑な角度で傾斜している二つの向かい合う面の間に、角材をピタリと納めるのは、容易なことではない。少し切ったら相手側の接続面にあてがい、微妙な修正を施してまた切るということを、何度も繰り返す。試行錯誤の末に獲得したノウハウと、勘とを駆使して行なわれるこの作業は、アームチェアCATの全ての製作工程におけるハイライトと言える。難しくて緊張させられる作業であるが、終わったときの安堵感はひとしおである。実際にこの作業を行なってみると、一脚ごとにかなり差があることが分かる。やはり設計段階で予測することは出来ないのである。

 大量生産社会では嫌われ者に成り下がった現物合せであるが、見直されて良い部分もあるのではないかと思う。物を測るのに物指しを使うのは、モノ作りの標準化の第一歩であろうが、物を測るのに物を使うということにも、それなりの意味が見出せると思う。現物合せという行為は、なんとなく大らかで、楽しい気分をもたらす。それは人間の記憶の底から呼び覚まされる、ある種のノスタルジアかも知れない。能率効率社会、あるいは電脳社会の対局として位置付けられるものでもあるだろう。

 少々唐突ではあるが、現物合わせという概念は、モノ作りの分野に限定されるものでは無いとも言える。この世の人間関係は全て現物合せによって成り立っていると言えるのではなかろうか。
 


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