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「バベルの謎〜ヤハウィストの冒険」 長谷川三千子 (中公文庫 2007)

素直に面白いです。仮名遣いは現代仮名になっているのが若干残念ですが。直接授業やゼミを受けることがなかったことが本当に残念。

 旧約聖書の神・ヤハウェの行動は本当に理解しがたく、よく「きまぐれ」とか「嫉妬深い」と形容されています。例えばカインは真心をこめて捧げものをしたのに、なぜヤハウェに無視されなければならないのか。そして、自暴自棄になったカインは弟アベルを殺害するのですが、その罪から追放される段になって、ヤハウェによって「カインを殴り殺すものは誰であれ7倍の復讐」を保障されます。これは私には全く理解できないエピソードでした。そもそも弟殺し~人類最初の殺人~の原因を作ったのはヤハウェではないか。また、罪人の安全を過激なまでに保障しつつ追放するなんてどういうことだろう。全くもって全能の神様らしくない、と。

 本書においては、きまぐれで嫉妬深いと見える神の真意は実は全く別のところにあります。神は、神と対等に向き合える人間を熱望し、そのため人間を土から創られた被造物としての物質性から脱出させ、同等の(おそらくは高度で抽象的な)精神として「対話」しようとしている。旧約聖書の作者・ヤハウィストは、神をそのようなものとして描き、ことばの象徴たるバベルの塔において挫折した。ことばとは、そのチャンネルを通してしか神と対話できないものであり(ヤハウィストが旧約聖書を執筆する行為そのものが神との対話であった筈です)、同時に土地土地に固有のもの、物質性の裏打ちがなければ存在しないものだからなのです。しかし、挫折することがまさに、ヤハウェへの信仰を温存させることとなり、ユダヤ民族の運命を指し示すこととなりました。

 私は旧約聖書をベースとする3つの宗教の歴史や教義には全く詳しくないのですが、人格神・唯一神というのは、本当はきっとこういう、対等の精神としての対話を求める神のことなのだろうと思います。そうでなければ、ある宗教が千年を超えて存続することがいまひとつ理解できないのです。但し、その神を真剣に信仰し続けることは、常に自らの足元を問い続けることとなり、安住できる場所はどこにもありません。しかし普通の人はその過酷さに耐えられない。そこに、教義や教会の存在意義が生まれるのだろうなと感じました。

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