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おはん」 宇野 千代  (新潮文庫 (中央公論1957年))

 優しさと弱さ、肉親愛とエロスのまぜこぜが、美しい文章で見事に描き出されている。

 2人の対照的な女性の間で、どちらにもいい顔をしたがる、優柔不断で愚かしい男性が主人公。いわゆる江戸文学に出てくる「色男」なんだろうな。見目形よく、優しく女扱いにおいて行き届いているが、生活力の面ではからきし無力。

 「女に愛される男」を無意識的に演じることでどうにか世を渡るのだが、同じその性質があだとなり、思わぬ悲劇を引き起こしてしまう。

 現代風にすると、芸奴で加納屋を奪った(・・・というとひどいみたいだが、要は芸者遊びをする金が加納屋にはなかった、でも恋仲になってしまった、ということでしょう。)おかよは、仕事も恋愛も子育てももすべてに主体的に取り組み、意欲的に理想を実現していくキャリアウーマン、本来正妻のおはんは、ごく平凡で目立たない古風な女性で、かえって疲れ、自信を喪失している男性が不倫相手に選ぶ女性のように見える。

 おはんは自己犠牲に徹する美しき聖女になっているので、やっぱりおかよのほうに共感を感じてしまうよ・・・

 だっておはんは繁盛している米屋のお嬢さん。両親も親戚もしっかりしていて、嫁入り先の婿が芸者に入れ揚げているという話で---となるとそもそも稼ぎのない加納屋に嫁入りしたおはんは食べていけなくなる---娘を引き取った訳だしね。出戻らせてからの7年間というもの他所に嫁入らせていないことからも、娘の意思をあるていど尊重するよいご両親だと思う。つまりおはんはバックグラウンドがしっかりしていて、おっとりと生真面目に生い育った。

 一方、おかよは芸者やるくらいだから、貧乏人の娘。しかも姉が讃岐にいるとかいう話だから、田舎出身の。めちゃめちゃ苦労しているはず。それでも自分の手一本で小さい芸者屋を経営し、一生懸命お金をためて好きな男といっしょに暮らす為の座敷を小さな持ち家に増築する。たとえそれがおかよ1人の夢であったとしても、なんと健気なんだろうと感動してしまうよ。

悟の事故死という悲劇により加納屋の裏切りが発覚してからも、加納屋を受け入れ、養い、「あては男がいるのや、男がほしいのや、」と「はばかり気もなく」いえるおかよこそ、Great!!!といいたいけどもね。

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経済力という角度から見直すと・・・、

物語世界には、1)おかよワールド=色町 2)おはんの実家ワールド=かたぎ商売 があり、それぞれ経済の原理で動いている。そこからあぶれた加納屋とおはんが、LoveAffairをする。

加納屋はいちど、2)から1)へと移動する。そのときはおかよに純粋に恋したのろうし、稼ぎがない故に自分は高く評価してもらえない1)の世界が面白くなかったろう。もちろん、稼ぎがあれば、1)の世界にいるまま、おはんとも別れることのなく 2)の世界で遊べる、あるいはおかよを妾として囲える。それが1)の世界ではあたりまえの男の姿。

あっけなく実家にしりぞいたおはんにしても、本当には夫を恋してなかったのかもしれない。ただ1)の世界ではあたりまえの、親同士がきめた夫婦関係。ただもくもくと従順に「人にもの問われても、ろくに返答もでけんような穏当な」妻をつとめていた。

「1)の世界のあたりまえ」から外れたところに恋の甘い蜜があるのね。おはんはおそらく加納屋との逢引のなかではじめて恋を知った。だから加納屋がびっくりするほどうきうきとはしゃいで見たり、「しやんしやんときさくにいうてのけたり」する。

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ちょっときになるのが、語り手の加納屋にはさいごまで名前がない。ぼっかりあいた中心の空白。

2004.05.05
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