富本憲吉語録 Ⅱ
 

            ふるさと大和
 
         遠き大和アルプスに雪ありて
         行く人なき十字路、

         絵をつくる仕事に追われ
         うちふるう心をいだき歩みよる
         さみしき光る十字路、

         やせたる砂丘なれば人々は桑を植えたり、

         低き丘なれど
         人々は丘を廻りて道をつけたり、

         竹と雑木に囲まる小村
         丘を廻る此の道によりて通ず、

         群がり飛ぶ雀
         野を越えて山あり
         此処に半ばくちたる小屋 人なく風なく、

         われこの道を好む。

 




陶器の鑑賞

 
陶器は工藝の中でもその技法古く複雑し、その見方その種類、名称の説明だけで
もこの短文の書す處でない。例へば古來より有名である楽焼の如きは焼成法からす

れば土焼と異なつた釉を持つ全然別種のものであつて、彩を使う方法上からいへば
赤繪に似て居り、重厚な酸に堪へない釉、随つて實用には遠い、遠いが又別種の土

焼にも石焼にもない味を有つ點がある。分類も實に複雑であつて六ヶしい。
 
 陶器を楽しむ者は實用を無視して單にその形だけを見、模様だけを見、また釉だけ
を玩ぶ可きでない。譬喩を用ゐて陶器の美しさを見る上での考えをかくなら、形は樹

姿であり、釉はその樹の枝であり、模様は葉である。焼しめと称して釉なく形だけを
楽しむ者は、冬枯木の幹を見、枝を見て楽しむに似てゐる。備前焼のやうな種類に

當らうか。樹と葉とを楽しむもの、常盤木の松とか杉とかは丁度無地の青磁や白磁の
壺を楽しむに似る。花のさく牡丹を見るのは赤繪の美しい皿をみるやうなもので、花

だけ又は模様だけあつて枝や幹又は形のあるものが無いのと理は同しではなかろ
うか。併し牡丹をみるものは花を第一として枝や葉を第二とする。丁度赤繪の皿では

模様を第一として釉や形を第二とすることに似て居る。

 陶器をしり陶器を楽しみそれを思ふように造り得る人には、又その初めに受けた困
難に數倍した喜びがあるであらう。



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