「行殺(はぁと)新選組りふれっしゅ『近藤ゆーこEX』」

第4幕『伊東甲子謀殺事件顛末』


 元治元年十月某日、朝礼。

 「新しく仲間入りしてくれた伊東甲子さんです。みなさん仲良くしてあげて下さい」

 局長の近藤が、隣に座った切れ長の美女を紹介する。一見すると手弱女たおやめのようだが、その自信に満ちた表情と、知性をたたえた鋭い眼付きのせいで冷たい印象を与える女性ひとだ。

 「みなさん、よろしゅうに」 伊東が静かに挨拶する。

 「江戸からスカウトしてきたの。塾の先生をしてたり、名門道場に通ってたんだって。 
  それでね、それでね、甲子ちゃんには参謀をやってもらおうと思うの」

 近藤が一人ではしゃいでいる。まるでアイドルを前にした女学生みたいだ。

 「島田、どう思う?」 隣の斎藤はじめが話しかけてくる。

 「うーむ、95点」 と俺。

 「は?」 どうやらこの答えは斎藤の予想外だったようだ。俺の勝ち。

 「何言ってんのよ、あんたは」 これは反対隣の原田沙乃だ。あきれた様な表情で俺の方を見ている。 

 「沙乃、5点」

 「は?」 沙乃も疑問形だ。

 「女の子を胸で判断したら切腹ですよ?」

 背後からじりじりと殺気が迫る。この氷のような冷たい殺気は沖田鈴音のものだ。
どうやらそーじには意味が分かったらしい。

 「そーじ、45点」

 ちゃり…。背後で鯉口の鳴る音がする。振り向かなくても分かる。きっとそーじのメガネが光っているに違いない。
更に悪いことに沙乃も脇差を音もなく抜いて、切先でこっちを突っ突いてくる。やはり5点はまずかったか。

 「え、えーと、斎藤0点。俺も0点」 と、いちおーフォローを入れてみる。

 「僕達は男なんだから当たり前だろ、島田」 あきれ顔でそう言う斎藤。うう、友が助けてくれない。



 と、いつものように馬鹿をやっていたのだが、その時、こちらをじっと見つめる伊東甲子の視線に気付いた。
他人の心を見透かすような、そういう冷たい目だ。そしてその時、いつもの頭痛が俺を襲った。
 ズキンッ、後頭部にきりを突き刺されたような鋭い痛みだ。あまりの痛みに頭が真っ白になる。
ズキン、ズキンと心拍に合わせて痛みが走る度に脳裏に赤い閃光が走る。それと同時に切れ切れの記憶が
蘇ってくる。近藤さんが伊東に襲われている・・・・? 山南さんが切腹・・・・? そして・・・新選組同士の抗争、
血みどろの地獄絵図・・・・

 「ううっ!」

 俺は痛みにのたうちまわる。頭の痛みもさることながら、強制的に見せられるこれは・・・・未来の記憶?

 「そこ、うるさいぞ」 土方の叱責が飛ぶ。

 「えーと、トシさん、すいません。ほら、島田!」 沙乃が俺の体を揺さぶる。

 「ううう・・・」 俺は頭を抱えてうずくまるだけだ。

 「どうやら仮病でもなさそうですよ、僕が連れて行きます」

 「ううう・・・」

 俺は、半ば斎藤に引きずられながら会所を後にした。





 「大丈夫かい?」 斎藤が心配そうに覗きこんでくる。

 「ああ、何とかな」 俺は後頭部に湿らした手拭を当てながら答える。

 「また・・・・いつもの、かい」

 「ああ」

 俺が突然頭痛に見舞われると、何か良くないことの予兆であることは、もうみんな知っている。
そして頭痛と一緒に予知をすることも親友の斎藤には話してある。ほかの連中なら一笑に付す所だが、
斎藤は信じてくれている。

 「今回は、どうだった?」

 「最悪だ。山南さんが切腹。新選組同士の大規模な内乱!新選組が終わるかもしれない」

 近藤さんが伊東甲子に襲われるのは伏せておいた。

 「大変じゃないか!」

 「ああ、大変だ」

 「早く、副長か、局長に相談して・・・」

 「無駄だと思うぞ。そんな話誰も信じない。怯懦、切腹と言われるのがオチだ」

 「そうだけど!」

 「多分、何とかなるよ、今度も。これまでだって切り抜けて来たんだ」

 「・・・ああ、そうだね。僕と島田が力を合わせれば乗り切れないことはないよ!」

 斎藤の俺を見る目が熱い!なんだか、男の友情とはちょっと違うような・・・まあ、いいか。







 伊東参謀がやって来て数カ月が過ぎた。取り立てて大きな事件もなく、新選組は戦力の維持、拡充をすべく活動中だ。そして俺はといえば、日当たりのいい南向きの部屋で、山南さんと将棋を指している。
 伊東甲子の能力は素晴らしく、その経歴は伊達ではなかった。参謀としての腕を振るうかたわら、文学師範として
隊士の学問向上にも尽力した。以前は山南さんがこの任にあったのだが、役目を奪われ、哀れ山南さんはリストラ寸前の窓際族になってしまった。そして俺も同じく、近藤さんが伊東にべったりなので、近習の職を追われたのである。何せ伊東は北辰一刀流の達人。俺なんかより遥かに強くて頼りになる。

 「王手飛車取り」

 「あーっ、ちょ、ちょっと待って下さいよ、山南さん」

 「いーや、待てない。実戦では待ったはない」

 山南さんは将棋も碁も麻雀も、およそ知的ゲームでは無敵である。少なくとも俺は全然勝てない。
さすがは総長である。

 「うーん、王を逃がさなければならないが、ここで飛車を奪われると・・・・
  山南さんやっぱり待ってもらえません?」

 「だめ」

 「うーん!」


「貴様ら!何をやっとるかあ!」

 いきなり将棋盤が引っ繰り返された。駒が板張りに散らばる。

 「歳江さん」

 「副長、酔っ払った親父みたいな事をしないで下さいよ」

 「昼間っから、将棋何ぞにうつつを抜かして、士道不覚悟!」

 「島田くんに戦術の伝授をおこなっていたのです」 さすがは山南さん、言い訳の達人だ。

 「そーですよ、土方さん。戦術訓練です」 俺も相槌を打つ。

 「ほほぉ、では次は剣術の訓練でもしてみるか?」 土方さんが腰の物に手を伸ばす。

 「わ、分かりました。我々の負けです。すいませんでした」

 「分かればよろしい。だいたい、山南!」

 「はっ」

 「お前がしっかりしないから、文学師範の座を追われたりするのだ!ますます伊東が増長するではないか!」

 「しかし、伊東君は水戸学の大家ですからなあ」 顎の不精髭を撫でながら答える山南。

 「お前もだ、島田!」

 「じ、自分もですか?」

 「お前がしっかり近藤を見張っていないから、こういう事になるのだ」

 「これは土方さんの陰謀ではなかったのですか?」

 「どういう事だ」

 「俺と近藤さんがラブラブなのでわざと遠ざけるために・・・・」 土方さんの背中から怒りのオーラが立ちのぼる。

 「山南敬介、市中見回りの任につきます!」 そう言うなり脱兎のごとく駆け出す。天下一品の逃げ足だ。

 「島田誠、同上です」

 俺も山南さんに続く。背後で、がしゃーんと音がした。おそらく土方さんが将棋盤に八つ当たりしたのだろう。





 「いやはや、どうにも、土方さんには参りましたね」

 現在二人は団子屋で市中見回り中である。決してさぼっているわけではない。

 「あれは、余計なことを言った君が悪い」

 「だからこうして団子をおごっているじゃないですか」

 「しかし、こう毎日八つ当たりされては、たまったもんじゃないな。どうだろう、島田くん、一つ局長に、伊東君を
  重用するのをやめるように掛け合ってもらえないかな?」

 「で、あなたはどうするんです、山南さん」

 「陰ながら応援している」

 こ、この親父は・・・・。しかし、近藤さんに話すというのはナイスなアイデアだ。早速今夜にでも出掛けて行って、夜だから、ふふふ、ふふふのふ、そちもワルよのう。

 「島田くん、よだれがでてるぞ。何か良からぬことを考えているな?」

 「え?あ、いや別に、そんな事はないですよ」



 「島田たちも巡回かい?」 不意に斎藤の声がした。

 「これはサボッてるって言うのよ」 これは沙乃である。いつの間にか2人が俺たちの前に立っていた。

 「やあ、沙乃に、斎藤君じゃないか。君たちもお茶にしないかい?」

 「山南さん、呑気でいいわね」

 「とは言っても池田屋以来、大きな事件もないし、世の中が平和なのはいいことだよ」

 「そうそう」 俺も相槌を打つ。

 「馬鹿は黙ってなさいよ。いいこと、今世間が静かなのは水面下でキンノーの準備が着々と進んでいるということ
  なのよ。沙乃たちは、事件が起こる前に未然にその芽を潰さなくちゃ駄目なの」

 「で、具体的にはどうすんだ?」

 「それが分からないから調べてんじゃないのよ」

 「うーむ、そりゃそうだ。しかし、キンノーに備えて新選組も伊東参謀を加えて、近代化を推し進めているんじゃ
  ないか?」

 「そしたら、キンノーと全面戦争になるでしょ。そうなったら京の町のみんなが迷惑するわ。だから、今のうちにカタ
  をつけとくのよ」

 「うーむ、それも一理あるね」 と山南さん。


 こうして議論している間に、沙乃と斎藤も隣に座ってお茶を始めた。
これは、サボっているとは言わないのだろうか?


 「島田・・・・」 反対側に座った斎藤が小声で俺に話しかけてくる。

 山南さんと沙乃は、キンノーのテロ戦略とその防衛に関する、俺には意味不明の議論を熱心に展開中だ。

 「なんだ。斎藤」

 「例の頭痛はどうなったんだい?」

 「ああ、山南さんの件はどうやら防いだようだよ」

 山南さんが土方副長の謀略に嵌められ切腹させられるのは未然に防ぐことができた。あの頭痛の際に垣間見えた『無断外出→脱走→切腹』という流れを俺が断ち切った。山南さんが外出した際(やっぱり無断外出で、周到にも偽の置き手紙まで用意してあった)、偽の置き手紙は、そーじと2人で破棄し、外出の理由に関しても『そーじの薬を買いに行った』と屯所内で俺と永倉で触れ回ったため土方さんも動けなかったようだ。で、山南さんは今ここで無事に団子を食ってるわけだ。


 「そう、あとは問題の件だね」

 「うーん、伊東参謀が怪しいと思うんだが、今一つ確信がなくて・・・」

 それと山南さんを救ったことでイベントの流れが変わったのかもしれないとの考えもあった。

 「伊東を斬るかい」 無表情に斎藤が訊く。こういう時の斎藤は怖い。

 「そんな、あっさりと恐ろしい事を言うなよ」

 俺の頭ではもう一つ、近藤さんの件もあったのでそちらも心配だった。伊東を斬れば近藤さんの心配はなくなるわけだが、せっかく近藤さんが江戸からスカウトして来たわけだし・・・・。

 「今のところ、目立った動きもないしなあ。まあ、もうちょっと様子を見てみよう」

 「島田がそう言うなら。だけど斬るときは一人で行っちゃだめだよ。伊東は北辰一刀流の達人だからね。
  僕も一緒に行く」

 ああ、斎藤っていい奴だなあ。俺は不覚にも胸にジンときてしまう。

 「こらーっ、いつまでさぼってる気!さっさと巡回に行くわよ、斎藤!」

 山南さんと沙乃がお茶を終わり、表に出ている。

 「あ、はい。すぐ行きます」 あわてて団子をお茶で流し込み、駆け出す斎藤。

 おや、ということは、沙乃と斎藤の分も俺が払うことになるのか?

 「お勘定どす」 見た目キンノーの女将が俺のところへ勘定を持ってくる。

 「・・・・」 大路を見ても、みんなもういない。

 「何という奴らだ!」

 「お勘定どす」

 憤慨してみてもどうにもならない。やはり予想通り俺の財布が軽くなったのであった。






 結局、山南さんのアイデアの他にこれといって良い考えの浮かばなかった俺は、その夜、局長の近藤さんの部屋へと出掛けて行った。

 “うーむ、しかし、何と言って切り出そうか。近藤さんは伊東参謀にべったりだからなあ。逆に俺がきらわれでもしたらいやだしなあ、うう、さすが山南さん。損な役回りをちゃんと俺に押し付けてくる”

 などというような事を考えながら近藤さんの部屋の前で逡巡していると、部屋の中から、押し殺した悲鳴の様な、どちらかというと女性の歓喜の声というか、まあ、そんな声が漏れ聞こえて来た。

 どうも悪い時に来てしまったらしい。近藤さんも好きだからなあ。『また、出直すか』という思いとは裏腹に、
体が勝手に障子の方へ向かい、手が勝手に障子に伸びる。男とは、げに悲しき生き物だ。

 細心の注意を払い、音を立てずに、障子をほんの少しだけ開く。そして片目を当てて中の様子をうかがう。
だが、部屋の中は俺の予想とは大きくことなっていた。驚愕で目が丸くなる。

 その光景は、かつて見た未来の記憶、それが現実と重なり合う。

 部屋の中には、近藤さんと、そして伊東参謀がいた。そして・・・・・

 突然伊東が顔を上げた。そしてこちらを向き目を細めた。

 「おや、島田はん。なんぞ、御用ですやろか?」

 その声は俺に聞かせるというよりむしろ、近藤さんに聞かせるためのものだった。彼女の羞恥心を煽るために。

 「え、し、島田くん、いや、いやぁ! 見ないで、見ないでぇ〜」

 我に帰った近藤さんが悲鳴を上げる。近藤さんの悲鳴にたまれなくなった俺は脱兎のごとく駆け出した。





 「はあ、はあ」

 必死に逃げて来た。分かっていたのに、近藤さんを守れなかった。守れなかった!慚愧の念に、ギリギリと
歯がみする。悔しさに涙があふれてきた。

 近藤さんを・・・・守れなかった・・・・

 「どうした、島田」 不意に声がかかる。そちらの方を振り向いた。

 「土方さん!なんでここに?」

 「なんでも何も、ここは私の部屋の前だ」

 デタラメに走った結果、いつの間にか土方さんの部屋の前に来ていたらしい。土方さんに招き入れられるまま、彼女の部屋に入る。

 「どうした、島田。男は簡単に泣くものではないぞ」

そう言うと、土方さんは俺の頭を自分の胸に抱きしめた。意外にもふくよかなその感触に、一瞬我を忘れてしまう。

 「あ・・・・あの・・・・土方さん・・・・」

 「落ち着いたか、島田」 優しい声が頭上から聞こえる

 「はい」

 「では、落ち着いて何があったか、話してみろ」

 「近藤さんが・・・・近藤さんが・・・・」 後は言葉にならない。

 「近藤が!近藤がどうかしたのか!」

 『近藤』という単語に反応してか、さっきまでの優しさは嘘のようにガクンガクンと肩を揺さぶられる。

 「さっさと、話せ!」 土方さんの目が血走っている。

 「近藤さんが・・・・」 俺はぽつりぽつりと、さきほど見た出来事を話始めた。
              
 「おのれ伊東!」

 話終えた途端、土方さんの形相が夜叉さながらに変化した。刀架かたなかけから兼定かねさだを取り、部屋を飛び出
そうとする。

 「待って下さい!土方さん!」

 「止めるな、島田!伊東を斬る!」

 「待って下さい。伊東は、俺が斬ります」 静かにそう土方に告げる。不思議なほどに心は静まっていた。

 「伊東は俺が斬ります」 その静かな気迫に押されたか、土方さんが動きを止める。

 「伊東は北辰一刀流の使い手だ。お前ごときでは返り討ちに会うだけだ」

 土方さんにそう言われても俺の心は揺らがなかった。そして静かに繰り返す。

 「俺が斬ります」

 「・・・・分かった、好きにしろ。だが、お前がしくじったら次は私が伊東を斬る。構わんな?」

 「はい」





 俺は、伊東甲子の部屋の前にいた。

 「伊東参謀、よろしいでしょうか?」

 「入りや」

 「は、失礼致します」

 「それで、何の御用ですやろ、島田はん?」

 伊東の格好は薄物を1枚羽織っただけだ。近藤さんとの情事の直後だったらしい。

 「どういうおつもりですか、参謀」

 「近藤はんの事やね」

 無言で頷く。

 「ふふ、近藤はんも意外に堅いお人やわあ。島田はんが出て行きはった後、土方はんの腹を切きらせたってって
  お願いしたんやけど」

 涼しい表情かおで恐ろしい言葉を紡ぐ伊東。

 「・・・・・!!」

 「断られてしもうたわ。あの女さえいなくなれば、近藤はんを操って新選組を意のままにできるものを」

 「参謀・・・・・」
  
 「天子様をお守りするのがまことの武士というもんや。そうですやろ?新選組がそのまま『御陵衛士』になれば、
  鬼に金棒・・・・」

 「きさま、キンノーだったのか!」

 「どうやろ、島田はん、あんた、なかなか見所のある男はんやで、うちと一緒に行かへんか?」

 妖艶な流し目をくれる伊東。だが、俺はこみあげる怒りに肩を震わせている。

 「新選組参謀、伊東甲子、あなたを斬ります」静かにそう告げ、刀を抜く。

 「おやおや、残念やねえ。だけど、そう簡単に斬られてやるわけにもいかなくてねえ」

 言い終わると同時に伊東も抜いた。だが速すぎて抜いたのが見えなかった。

“抜刀術!”

 俺は、即座に跳び退すさる。羽織りの襟がはらりと分かれた。居合の抜き打ちだ。
逆袈裟に切り上げられた。一瞬遅かったら体まで切られていたはずだ。

 「ほう、避けるかい。じゃあ、島田はん、少し遊んであげましょか」

 ヒュン。伊東の刀が閃いた。体をひねって躱すが、今度は袖がバッサリとやられる。

 「くっ」

 今のも全く見えなかった。恐ろしいまでの剣の速さだ。北辰一刀流とは以前にやりあっている。あの馬鹿野郎の坂本龍馬もそうだった。だが、しかし桁外れに速い!

 「さあ、どこまで避けれるかしら」

 次々と銀光が舞う度に、俺の着衣が刻まれていく。そして徐々に体のあちこちから血が滲み始めた。
徐々に逃げ場がなくなっていく。“このままでは殺られる・・・・”

 俺は障子を蹴倒し、屯所の中庭へと逃げ出した。

 「うちを斬るんやなかったのかい?」

 刺突が来た。切りかかるのよりも速い。避け切れずに脇腹をかすめた。鮮血がほとばしる。

 「ほらほら、うちを斬るんやないのかい?」

 笑いながら刀を振るう伊東。だが、負傷のせいで、こちらの速度は目に見えて落ちている。肩を、胴を、足を、
頬を、次々と斬りつけられる。血が、自分の血が、浅葱色の隊服を赤く染めてゆく。

「ええ、どうなんや!」

 ザシュッ、肉のえぐれるいやな音が響いた。袈裟懸けさがけに斬られた。右胸から左脇にかけて斜めに傷口が開く。

 がはっ。吐血した。血の塊を吐いた。そのまま膝を折る。もはや立てなかった。右手に握った刀がとても重い。

 伊東が八双に構えた。とどめを刺される

 ・・・・防がなければ・・・・
 
 ・・・・攻撃を防がなければ・・・・

 ・・・・どうした俺の腕は・・・・なぜ、動かない?

 ・・・・逃げなければ・・・・足も・・・・動かない・・・・のか・・・・?

 ・・・・体が・・・・うご・・・・かない・・・・

 「とどめ。心配せえひんでも、一太刀で楽に」




 「そこまでだ!」

 凜とした声が中庭に響いた。いつの間にか完全武装した新選組が中庭を囲んでいる。
先頭に立つのは土方だ。

 「島田ぁ!」 沙乃の声が悲痛に響く。



 「あら、いややわあ。土方はん、そないなおっかない顔をして」

 「黙れ、伊東。よくも島田を!新選組、抜刀!」

 土方の号令で、隊員たちが一斉に刀を抜き、得物を構える。

 「勘違いしてもろたら困るわあ、島田はんが、うちを襲いに来たんやえ、これは正当防衛や」

 今の伊東の格好は、薄物1枚。確かに島田が伊東を襲いに来て返り討ちに会ったと見えなくもない。

 「口だけは達者なようだな。 沖田!新選組法度、第五条!」

 「一つ、私の闘争を許さず」 土方の問いに沖田が静かに答える。

 「伊東甲子、局中法度にのっとり、きさまを斬る!」



 「斬る?ふん、おもろいやないの」

 伊東が左手を上げた。それを合図に、隊士の半分が伊東の背後に回る。
そしてあろうことか伊東ではなく、土方たちに対して切先を向ける。

 「血迷ったか!」

 「武士の本義をちょこっとお話ししたら、ありがたいことにうちに賛同してくれはる方が多くて・・・・」

 「きさま・・・!」

 ギリギリと歯軋りする土方。すぐにでも切り捨てたいが、しかし、隊の半分が敵に回ってしまったので不用意に
動けない。

 「甲子ちゃん!それにトシちゃんも、みんな、何してるの! ・・・・島田くん!」

 近藤が遅れて到着した。そして島田の惨状に口元に手を当て信じられないというふうに首を振った。

 「遅いぞ、近藤!」

 「ごめんなさい。トシちゃん、これは一体?」

 「伊東甲子が裏切った。止めようと独断で動いていた島田が切られた」

 「いややわあ。人聞きの悪い。うちはうちの信じる道を行くだけや」

 「では、お前以外の隊士は置いていけ。お前は切腹で許してやる」

 「みなさん、自分の意志でうちについてくるとおっしゃってるんや。
  それとも何かい、土方、ここで一戦やらかすかい?」

 「くっ」

 「甲子ちゃんやめて、それにみんなどうして、みんな仲良くしようよ」

 裏切ったとはいえ、近藤には人望がある。伊東の後ろの平隊士たちも近藤の視線を避けて目を伏せる。

 「ね、みんな、仲良くしようよ」

 近藤の哀願に、裏切った隊士たちの心も揺れる。これはまずいと見て取った伊東はすぐさま、次の手に出た。

 「近藤はん、さきほどは失礼しましたな」

 「えっ?甲子ちゃん何を」

 「さきほどの近藤はんの様子をみなさんにお話ししてもよろしおますやろか?」

 伊東の言葉に近藤がさっと青ざめる。

 「おのれ、卑怯者め!」 土方も唸る。島田から近藤がどうだったのか話に聞いているからだ。

 「みなさんの尊敬する局長はんが、あないな・・・・」 そこまで言って伺うように上目使いで近藤を見る伊東。

 「や、やめて」 おびえたように後ずさる近藤。

 「じゃあ、土方に剣をひかせてや」

 「・・・トシちゃん、お願い」

 「くっ」

 「おや、局長はんの命令が聞けんのかい、土方、いいんやで、うちは。ここで洗いざらい話して、最後の一人まで
  こちらにいただいても、しかし近藤はんも、やらしいなあ。あないに乱れはるとは・・・・」

 「いや、お願い、やめて・・・」 近藤が哀願する。だが、伊東は高笑いするだけだ。





 「・・・・るのだ」

 「えっ?」 沖田の耳に小さな声が聞こえた。

 「・・・守る・・・のだ」

 今度は確かに聞こえた。地の底から響くような声だ。皆も聞こえたらしく、あたりをキョロキョロ見回している。



 「・・・・・守るのだ! 近藤さんを・・・・守る・・・のだ!」

 俺はゆっくりと立ち上がった。また血を吐いた。肺に血が溜まっていて呼吸するたびに上がってくる。
傷口から流れ出た鮮血がポタポタと裾から垂れる。骨が軋み、傷口が焼けるように熱い。だが、それが何ほどの事があろう。
 目の前で近藤さんが辱められているのだ。
 この程度の痛み近藤さんの心の痛みに比べれば何ほどの物でもない。

 「ぐううっ」 痛みに耐えながら俺は立ち上がった。そして剣を伊東に向ける。

 「伊東甲子・・・・新選組に対する・・・・謀反・・・・局長に対する無礼な振る舞い・・・・許すわけにはいかない」

 息も絶え絶えにそれだけ言ってのける。だが、伊東は哄笑した。

 「そないな傷だらけの体で何ができるっていうんや?切先が震えてるやないの」

 伊東の指摘通り、負傷した右手は剣を向けるのがやっとだ。切先はガタガタと震えている。

 「近藤さんを守る、新選組を、守る。敵はキンノー、容赦なく叩き切る、それが俺たち新選組だ」

 目がかすみ、伊東の体が二重三重にブレて見える。体もフラついている。だめだ、こんなことでは、こんなんじゃ、近藤さんを守れない。


 「うぐぉおおおおおおおおお!」 俺は吠えた。野獣の咆哮だ。

 「近藤さんを守る!新選組を守る!裏切り者の貴様はキンノー!

   敵はキンノー!容赦なく叩き斬る!それが俺たち新選組だ!


 俺の魂の叫びに裏切り隊士たちに動揺が広がる。

 「死にたいのかい!馬鹿が。じゃあ、楽にしてあげるよ!」 伊東が飛んだ。

 「新選組局長付、島田誠、参る!」 俺も飛んだ。

 「だめえ〜〜〜〜〜!」 近藤さんの悲鳴が聞こえた。



 2つの影が交差した。

 息を呑む間があり、そして俺は倒れた。

 「島田!」「島田くん!」「島田ぁ〜!」 それぞれの悲鳴が響き渡る。だが、


 伊東の胸元に剣の柄が生えていた。鍔元まで刺し貫かれている。

 「お、おのれ!」

 振り向きざま伊東が剣を振り上げた。さすがに今のが最後の乾坤けんこんの一撃だった。もう避けるすべがない。
俺は倒れたまま動けない。

 「島田っ」 斎藤が俺の前に出て、伊東の刀をはじき返す。

 刀を斎藤に弾かれた伊東が後方によろける。そこには土方たちがいた。

 「成敗!」 土方さんが軽やかに舞う。沙乃の槍が唸る。永倉のハンマーが炸裂する。


 「う、うわあああああああ・・・」 魂消たまげる悲鳴が闇夜をつんざき、伊東甲子は絶命した。



 「島田、島田ぁ」

 斎藤が涙目で俺を覗きこんでくる。うーん、最期の最期ぐらい近藤さんに見取られて死にたいのに
何が悲しくて男のお前に見取られねばならんのだ?

 「島田くん!」

 近藤さんが斎藤を突き飛ばした。そのまま俺の上に覆いかぶさって来る。

 「島田くん!島田くん!死んじゃだめ、約束したじゃない、ずっと一緒にいるって約束したじゃない!」

 「近藤・・・さん・・・すいません・・・俺、先に・・・・」

 最期に近藤さんに会えて良かった。彼女を守れて良かった。

 段々とまぶたが重くなる。手足の感覚がなくなっていく。そして俺は・・・・



 「いやあああああああ・・・・」



 気も遠くなっていく。近藤さんの悲鳴が遠くなる。もう、何も見えない・・・・何もきこえ・・・・ない・・・・・。























 「島田の具合はどうだ、山崎」

 土方が監察方の山崎雀に尋ねた。山崎は医師の娘であり、医学の心得もある。伊東甲子に斬られて死にかけていた島田誠は、すぐさま屯所内の薬師所に運ばれ彼女の手当を受けたのである。
 なお、泣きじゃくった近藤が島田にすがりついて離れず、止むを得ず永倉ハンマーで気絶させられるという一場面があったことも記しておく。

 「胸の一太刀が肺の臓に達していますが、それ以外は急所を外してます。骨にも異常はありません。
  失血がひどいですが、傷口は全て縫いましたので、たぶん大丈夫でしょう」

 「うむ、伊東が手加減してくれて助かったな。島田の腕前がもうちょっとマシだったら一刀の元に切り捨てられてい
  ただろうから、まあ、何とも皮肉なものだな」

 土方は肩をすくめた。土方の言葉どおり、伊東は島田を見くびり、なぶように体中を斬り刻んだものの、致命傷となるような傷を与えていなかった。獲物をじわじわと苦しめに苦しめてから殺す蛇の様な彼女の性格が結果的に島田の命を救ったのだ。

 「失礼します」 斎藤はじめ以下の新選組隊士が薬師所に入ってきた。

 「島田は大丈夫ですか?」 心配そうに島田をのぞき込む斎藤。

 「ああ、ほんのかすり傷だそうだ。出血多量で気を失っているが、なに、こいつは元々血の気が多い方だ。
  すぐに元どおりになるだろう」

 要らぬ心配をせぬよう、あえて軽く答える土方。

 「ところで、皆の様子はどうだ?」

 「ええ。山南さんと井上さんが説得してるけど、みんな伊東に騙されていた事に気付いたみたい」

 と原田沙乃が答える。

 「うむ、それは何よりだ」 これで新選組分裂の危機は避けられた。

 「みんな、島田のおとこに魂を揺さぶられたのです」

 「お、おとこ?」

 「体中から血を流し、死にかけてなお、近藤さんを、新選組を守ろうと立ち上がる不屈の闘志、その心意気、
  みなが島田の漢に心打たれたのです」

 ずいっと一歩前に出て力説する斎藤。

 「そ、そうか、それは何よりだ」 その斎藤の見幕に押されてわずかに下がる土方。

 「かーっ、漢か、いい響きだな。うん。努力に根性、そして漢。燃えるぜ!アタイも漢を目指すぞー」 と、永倉。

 「あんたは女でしょーが」 とあきれ顔の沙乃。

 「しっかし、あの伊東さんに勝っちゃうなんて島田も意外とやるわね」

 「漢です、漢」 まだ言ってる斎藤。よっぽど感激したようだ。

 「うむ、島田の戦法も見事だった。とっさに左手に刀を持ち替えての踏み込み。体さばきが逆になるから自然と
  伊東の太刀筋を躱し、更に島田の長身と、国包(刀の銘)の長さがあいまって、伊東は自ら島田の刀の前に身
  をさらす結果になったのだ。島田の太刀筋を全て読み切ったという油断から自滅したのだな」

 「島田って左利きだったのか〜」と永倉。

 「でも、お箸も右だし、刀も普段は右で使ってたよね」 と沙乃。

 左利きの人間は右手は不器用なものである。島田も箸を使うのが下手だし、剣術も田舎道場の名もない流派で同期の斎藤らと比べると今二つであった。

 「うむ、だが、島田は左手の方が格段にうまい」 と一人頷く土方。

 「何が?トシさん」

 「え、いや、その・・・・」 顔がトマトになる土方。

 「トシさん何で赤くなるんだよ〜」

 「島田くんは、将棋は左手で指してたよ」 ひょっこりと薬師所に入って来た山南が助っ人に入る。

 「そ、そうだ。島田は左で将棋を指した方がうまい、とそう言いたかったのだ」

 「んなの関係あるのかよ」

 「と、とにかくそういうことなのだ!」

 土方が強引に話を締めようとしたその時、寝ている島田がうめいた。

 「うう・・・」

 「島田!」 斎藤の顔がぱあっと明るくなる。

 「うう・・・・、近藤さんを・・・・守る・・・・守る・・・・うわああっ」

 「島田偉いね、夢の中でまだ、ゆーこさんを守って戦ってるんだね。ちょっと見直しちゃったな」

 と沙乃。少し涙ぐんでいる。
  
 「漢です!」 と斎藤。

 「うああああっ、土方さん、すんません。俺は何も見てないです。見てないですぅ〜」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「前言撤回。何の夢を見てるのよ、コイツは」

 「ところで、肝心の近藤はどうした」

 「局長は自分の部屋で落ち込んでいるよ」 と山南。

 「島田、近藤の様子を・・・・・島田が近藤係なのだが、この状況では無理か。仕方がない。私が行こう」





 「近藤、入るぞ」

 土方が近藤の部屋の障子を引いた。

 「あ、トシちゃん、島田くんは、島田くんは?」 泣き腫らしたかのような赤い目で土方を見上げる近藤。

 「心配なら、自分で見に行くことだ」

 「だって、だって・・・・あたしのせいで、あたしのせいで、」

 「おまえのせいではない、近藤。島田の馬鹿が勝手に暴走して勝手にケガしただけだ」

 「だって、だって」 思わず泣き声になる。

 「そんなに気になるなら、さっさと島田の元に行くことだ。生きてるうちにな」

 「・・・・! 島田くん、そんなにひどいの?」 近藤が青ざめる。

 「実際、死にかけてたからな。体中を斬られて出血多量。縫合はしたものの傷口は熱を帯びてるし、まあ、持って
 今晩だな。今のうちに最期の挨拶をしておいた方がいいぞ」

 「そ、そんな・・・島田くん!」 近藤が駆け出した。



 「やれやれ、私は嘘つきだな」 主のいなくなった部屋で土方は、ふっ、とうそぶいた。





 「島田くん!」 近藤が薬師所に駆け込んで来た。

 「あ、ゆーちゃん」

 「ゆーこさん」

 「島田くんは?」

 「大丈夫です、局長。まだ目は覚まさないですけど」 答えるのは山崎雀だ。

 「それって二度と目を覚まさないとか・・・・?」

 「縁起でもない。そのうち覚めますよ。ただし、目覚めたら痛さでのたうちまわるかもしれませんがね」

 「薬とかないの?」
                                         
 「傷口は縫って薬を塗っときましたんで、あとは、目が覚めたらこの蘆薈ろかい(アロエの事)の煎じ薬を飲ませれば、
  増血剤や抗炎症剤としての働きがありますので、あ、ちょっと」

 茶碗に入った煎じ薬をコクコクと飲み始める近藤。

 「ゆーこさんが飲んでどーするのよ」

 だが、近藤はそのまま島田に顔を近づけ、そして口づけした。

 「わきゅー、ちょっと、ゆーこさん、ストップ、ストップ」

 ゴクリと島田の喉が鳴った。口移しで移された薬を飲み下したのだ。ようやく近藤が何をしたかったのか理解する
一同。しかし、皆の前で大胆である。

 「えーと、じゃ、後は若い二人に任せて」 と、山南。

 「そ、そうね。このままじゃ、お邪魔なようだし」 と沙乃

 「局長、薬はいっぺんに飲ませちゃだめですからね」 と山崎。

 みなそろって退散する。後には近藤と島田が残された。

 「島田くん・・・・」

 心なしか島田の表情が笑顔になったような気がする。


 「でも、このお薬って不味まずーい」







 目の前に四角いものがある。あれは座布団か?いや違う。八橋か?いや、八橋は三角だ。四角いのが整然と
たくさん並んでいる。最初はぼやけていたが、だんだんと焦点が合わさっていき、それは天井の桟であることが
分かる。仰向けに寝ていた。

 「うーむ」 唸ってみる。自分の声が聞こえる。してみると、どうやら俺は生きているのか?

 「島田くん!」

 近くから近藤さんの嬉しそうな声がする。痛む首を横に向けてみるとそこには笑顔の近藤さんのアップがあった。

 「あ、近藤さん、おはようございます」 死の境地から生還したにしては、我ながら実に間抜けな挨拶だと思った。

 「良かった、島田くん、良かった・・・・」
 
 そう言って近藤さんが抱きついてくる。

 「いて、いてて・・・」

 痛みに一気に現実に引き戻される。そう、俺は昨夜伊東参謀と斬り合をして、情けないことに一方的にやられ、何とか勝ったものの、結局相打ちに終わったのだった。

 「あ、ごめんなさい」

 「えーと、いや、大丈夫です。ところで俺は助かったんですか?」

 「うん、雀ちゃんが、傷口を縫ってくれて、それで助かったのよ。でも・・・・」 口ごもる近藤。

 「でも何なんですか、実は長くないとか!」

 「いえ、目覚めたらすごく痛がるだろうって」

 「あう・・・・いてて」

 そう言われたら痛くなってきた。そういや全身を斬られたから、そりゃ痛いよなあ。

 「でも、良かった。島田くんが無事で」

 「この状態を無事と言ってよければですがね」

 気付いたが体中包帯でぐるぐる巻きにされている。ミイラ男みたいである。

 「島田くんなら、すぐに良くなるよ。はい、お薬」

 俺は近藤さんに手伝ってもらって上半身を起こした。
 そして近藤さんは湯飲みに得体のしれない液体を注いでくれる。

 「これは?」
 
 「蘆薈ろかいの煎じ薬だって。血が増えて、傷が早く治るんだって」

 “血か、そういえばたくさん血を流したからなあ。よく生きてたなあ、俺”

 近藤さんの注いでくれた薬を飲む。手も包帯でぐるぐる巻きなので、近藤さんに手伝ってもらう。

 「まずー」

 「でしょー、あたしもまずいと思ったんだー」

 「どーして、近藤さんが薬を飲んだんです?」

 「えっとお、それはぁ、そのぅ」

 近藤さんが顔を赤らめる。どうやら訊いてはならない事だったらしい。

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 会話が途切れてしまった。


 「入るぞ」

 障子が開けられ土方さんが入って来た。

 「無事なようだな。何よりだ」

 「伊東は・・・・・どうなりました・・・・・?」

 俺は遠慮がちに土方さんに訊いてみた。近藤さんには、やはり訊き難かったのだ。

 「あの世に行ってしまった。馬鹿な女だ」

 「トシちゃん、死んだ人をそんなふうに悪く言っちゃダメ。甲子ちゃんは、甲子ちゃんのやり方でこの国を良くしよう
  と考えてただけなんだから」

 「違うぞ、近藤。奴は己の栄達の為にお前を利用しようとしたに過ぎん」

 「そうかなあ・・・・」

 「近藤、お前は人が良すぎるのだ。だから利用される」

 「でも副長みたいに人が悪くなるのも、ぐわっ」

 台詞の途中で土方さんに踏まれた。刀傷のあるところだ。

 「何か言ったか?島田」

 そのまま、ぐりぐりと足で踏み付ける土方。実に楽しそうなサディスティックな表情だ。

 「いいえ、何でもございません」


 「島田、良くなったんだね!」

 今度は斎藤が入って来た。顔が輝いている。

 「ああ、斎藤が伊東の刀を弾いてくれなかったら、確実にあの世に行ってたよ。ありがとう」

 「と、友達じゃないか。それに僕が一番島田の近くにいたしね」俺の謝辞に顔を赤らめる斎藤。

 「まったく、お前は世話の焼ける奴だ。裏切り者一人処分するのに隊が総出で支援したのだからな。
  これからも生き延びたければ、剣の腕を磨くことだ。斎藤、巡回に出るぞ」

 「はい。じゃあね、島田、早く元気になってね」

 2人が部屋を出て行く。



 「トシちゃんも言葉はきついけど島田くんのこと、心配してるんだよ」

 「ええ。それは分かります。あの人はああいう優しさに不器用な人なんです」

 「島田くんもわかるんだね」

 「伊達だてにあの人の下で長年監察をやっちゃいませんよ」

 「あれ、島田くん、監察やったことがあるの?」

 「おや、そういえば俺はずっと近藤局長の近習だけど・・・変だな。土方さんの下で監察をやってたよーな」

 「きっと夢でも見てたんだよ。夢の中で『土方さん、すいません』ってうわ言を言ってたそうだから」

 「うーん、そうかもしれません」

 確かに監察をやってたような記憶はあるんだが、死にかけたので記憶が混乱してるのかもしれない。
時々こういうことがあるのでちょっと考えてしまう。


 俺が黙っているので、近藤さんが話題を変えた。

 「トシちゃんに聞いたんだけど、甲子ちゃんは隊を乗っ取ろうとしてたんだって」

 「ええ、俺も伊東参謀に聞きました。近藤さんに副長を斬るようにお願いしたけど聞き入れてもらえなかったって」

 「いつ聞いたの?」

 「俺が参謀にめった切りにされる直前です」

 「そっか、島田くん、見てたもんね・・・・」

 「えーと、その、あれは。見たくて見たわけでは・・・いやその」

 「ごめんなさい。あたしはダメな女の子なの・・・甲子ちゃんが・・・無理やりじゃなかったんだけど、何だか成り行き
  でああなったというか・・・その、言い訳なんだけど・・・」

 「分かります。俺は殺されかけましたから。あの冷たい目で見られると体が凍りつくというか、
  蛇に睨まれた蛙というか」

 「ごめんね。あたしが甲子ちゃんを連れて来たばっかりに・・・あたし、いつもドジばっかりで、今度も島田くんに
  大ケガさせて・・・トシちゃんにも迷惑かけて・・・」

 「近藤さんは局長として、剣だけでなく隊の学問や戦術の向上のために伊東をスカウトしてきたんですから、
  謝る事はないです。俺が死にかけたのは俺の剣が未熟だったからです」

 「でも、でも・・・・」 近藤さんが泣きそうになる。俺は慌てて続けた。

 「泣くな!」

 俺の一喝に近藤さんがびくっと肩をすくませる。

 「近藤さんが俺を殺そうとして伊東さんをスカウトして来たんなら、そりゃあ、俺は怒るでしょう。新選組を分裂させ
  ようとしてスカウトして来たんなら土方さんも怒るでしょう。でも、そうじゃない。そうじゃないことをみんな知ってる。
  たまには失敗もありますよ。俺なんかいつも失敗して、『島田、腹を切るか?』っていっつも土方さんから脅されて
  るのに。結局、みんな無事だったんです。それでいいじゃないですか」

 「島田くん・・・・ぐすっ、ありがとう。そうだ、島田くん、早く治って一緒にお散歩にいこうね」

 「はい」






 山崎からは一週間は絶対安静と言われていたのだが、近藤さんの手厚い看護もあり、俺は3日で起き上がれるうになり、1週間目には包帯を外していた。土方さんには『お前は血の気が多いからだ』と言われ、みんなからツ
ギハギと、からかわれたが、まあ、それは善しとする。京には今、不穏な空気が流れている。いつまでも寝ている訳にはいかない。今日も俺は、近藤さんのお供として、散歩、もとい、巡回に出発するのであった。



                                                   <第五幕へ続く・・・・予定>


<あとがき>

はじめまして、そうでない人には、こんにちは。かわぴょんです。『ゆーこさん幸せ化計画』の一環としてサクッと
伊東甲子を斬ってみました。伊東ファンの皆様ごめんなさいです。


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