《登場人物紹介》

 とかくこの世は悪ばかり
 天は弱きを助けてくれず
 この世も弱きを助けてくれぬ
 晴らせぬ恨みを金で買い
 この世にはびこる悪人どもを
 闇に裁いて仕置する
 口外法度の仕置人

 慶応三年九月の初め。
 いつもと同じ、龍の会である。
 そう誰もが思っていた。あの名前を告げられるまでは。
「それでは、挙句を頂戴致しまして、本日の興行を終わりたいと存じます」
 同じ服を着た集団が、集団が一斉に雷蔵の顔を見た。雷蔵は、句が書かれた紙を辰蔵から渡され、
「…京の月 これが見納め 龍馬かな」
 そう詠いあげると、周囲の者たちは、ぎょっ、という顔をした。雷蔵はそれと対照的に顔色を変えず、
「依頼は…五百両でございます」
 半分は龍の会に入っているから、依頼人は千両を出している計算になる。
 いや、それよりも。龍馬とは、あのキンノーの首魁と噂される、坂本龍馬の事に相違ないだろう。こんな不思議な名前は、彼以外にいない。
 そう、烈が懸命に頭を働かせている最中、
「待った!」
 そう、大きな声が上がった。叫んだのは、烈のちょうど目の前に居た、のっぺりとした爬虫類顔の中年男である。男は辰蔵の許しも得ずに立ち上がると、辰蔵の方を見て、何か言いたそうだ。
「おいてめえ!元締めの前で立ったまま話すってのは失礼だろ!?」
 思わず烈はそう叫んでいた。しかし辰蔵は首を振る。男はその反応ににやりと笑ってみせると、話し始めた。
「俺ぁ、始末屋『百鬼』の頭領、参次ってもんだが…。元締め、今回の依頼に、俺は不満がある」
「不満ってのは何だ?」
「龍の会は、“政治にできるだけ干渉しない…”それが掟だったはずだ。それが、キンノーの大ボス、坂本龍馬を仕置するってのはどういう事だ?」
「依頼があったからだ。いけねえか?」
「なんだと…?」
 つかつかと、辰蔵の下に参次が歩み寄ろうとするのを止めようと、辰蔵の背後に居た赤目がすぐさま、辰蔵の前に飛び出す。さすがに赤目が怖いのだろう、参次は歩みを止めた。
「だったら、もういい。元締め自ら掟を破ってやがる…俺は脱会するぜ」
 参次はそのまますたすたと歩いていき、烈とすれ違ったところで、凶暴な瞳で烈を睨みつけると、そのまま歩き去ってしまった。
「元締め!」
 烈は思わず叫ぶ。
「いいんですか!?あんな横暴を許して…」
「まあ待て。それよりもだ…どうなんだ?龍馬をやるのか、やらねえのか」
 他の仕置人たちがしり込みする中、烈はしっかりと手を挙げた。

第六話 維新無用

「そういう事だ」
 烈が、渡された三枚の小判を目の前に置き、先ほどの一部始終を、如月と山崎に話すと、二人とも深刻そうな顔で押し黙った。烈は置いてある茶碗に湯を注ごうとしたが、なぜか触れても居ないのに、茶碗が目の前で割れてしまった。おかしいな、と思いつつ、烈は茶碗を片付ける。
 さすがに五百両というのは大金すぎる、と烈は元締めに提案し、とりあえず前金で三両貰っていた。仕置が終わったら改めてもらいに行くという。
 先ほども書いたとおり、坂本龍馬はキンノーの首魁であり、キンノーたちの犯罪活動の先頭に立っているという話もある。そうであれば、今まで依頼が出されなかったのが不思議な話である。辰蔵がそれを断ってきたのかもしれない。が、さすがに依頼人から千両という途方も無い大金を出されては、辰蔵も断りきれなかったのだろうか。それほどまでの大金を出せる依頼人というのも不思議であった。
「烈。…お前、この依頼がどんだけ危険か…分かって引き受けたんだな」
「…たりめぇよ」
「…じゃあ、俺や山崎の立場も分かっていて、引き受けたんだな」
 その如月の言葉に、烈はその大きな瞳をぎょろりと動かし、唇を閉じた。如月は烈を睨みつけたままだ。如月の言いたいことは、山崎にとって痛いほど分かった。龍馬は現在、幕府のお尋ね者である。つまり、二人の所属する新選組も見廻組も、彼を追っているということだ。坂本を仕置するとなれば、確かに我々の懐は暖かくなるが、もしかしたら、龍馬を捕縛もしくは暗殺出来なかったという、仲間たちの気持ちを考えると、居た堪れない気分になる。
「烈…俺も山崎も、一人じゃねえ。一つの組織が後ろにある。だから、俺たちはその組織での立場ってもんがある。分かるだろ?」
「…」
「無謀すぎるぜ」
 烈は、まるで貝のように口を閉じて黙っていたが、我慢が出来なくなったのだろう。がたん、と、音を立てて、烈は立ち上がり、隠れ家の出口まで歩いてゆく。
「分かった、分かったよ!俺は一人で龍馬を殺る。その代わりお前たちにはびた一文やんねえからな!」
「…よせ!」
「けっ!もうてめえらと一緒はごめんだよ!解散、解散だ!」
 がたがたと足音を立てて、烈は家へと通じる階段を駆け上っていった。如月はむすっとした顔のまま、山崎に、一緒に出るよう無言で示した。
 如月はこの後仕事があるらしく、途中まで山崎はついてゆくことにした。
「くだらねえ喧嘩しちまったが…やっぱり心配だ」
 少し足早に歩きながら、如月は後ろに居る山崎に呟く。
「烈のこと?あいつはだいじょぶやないの?だって、今までだって難しい仕置こなしてきたし…」
「どうもな。今回の一件、どうも怪しい」
「…?」
「俺の取り越し苦労じゃなきゃいいがな…」
 如月は山崎に別れを告げると、これまた足早にその場を去っていった。山崎も、この後は自分の部屋に戻らなくてはならない。

 門のところまで行くと、門の辺りでうろうろしていた島田が、山崎を見かけると笑顔となり、手を振っている。まったくあの阿呆は、と思いながら、しかたなしに山崎は島田に近づいていった。
「やまざきさーん!」
「阿呆」
「ちょ、いきなりそれはないでしょう!?」
「阿呆やから阿呆言うたんやないか。…何か用やの?」
「そんな、つれないこと言わんといてくださいよ。せっかく、山崎さんと夫婦漫才でデビューしようと思ってるのに…」
「…六〇点。まあまあやな」
「えへへ、まあ」
「お前も成長したな…」
「師匠…!」
 周囲に花柄のスクリーントーンが貼られ、二人とも笑顔のまま、数秒の沈黙があった。その後、山崎は冷静な顔に戻り、
「…で?」
「いや、山崎さんに会いたいって人が…」
「え?」
「伊勢のほうからはるばる来たっていうんで、とりあえず応接間に通してますけど…」
「え、応接間なんて、そんなハイカラなもんがあったんか?」
「死語ですよ死語」
「う、うるさいなあもう」
「ほら、屯所が変わったときに、山崎さんが土方さんに渡したんでしょう?副業で小金が入ったから、とか言って…」
「あ、そうやったっけ…」
 そういえば、少し前に香具師の大物を殺したときに、多めに頼み金を貰ったのだった。そうやったそうやった、と、納得して一人で頷く山崎に、島田は変な顔をする。
「お会いになりますか?妙なじいさんですけど…」
「じじい!?」
 山崎はぎょっとして、島田をその場に残して一目散に駆けて行った。ますます島田は変な顔をしながら、
「山崎さんってそういう趣味だったのか…?」

 慌てて応接間の扉を開けると、その老人は居た。その老人を一言で言えば、言葉が重複するが、寿老人のような年寄りである。背は低く、それと対照的に頭が縦長。顔はひげで隠れてほとんど見えないが、その奥から優しそうな瞳が覗いていた。そして、仙人が持つような杖を傍らに置いている。本当に寿老人そっくりである。
 老人は山崎に視線を向けると、山崎が息を切らしているのを確認し、にやりと笑った。そして、側に置いてある茶をすすると、
「すず、久しぶりじゃの」
 とだけ呟いた。山崎は扉を閉め、その場に正座し、頭を下げる。
「果心居士はん…お久しゅうございます」
「まあまあ頭ぁ上げ。わしもな、久しぶりに伊賀を出て、気分転換になっとるんじゃ」
 山崎は驚きの顔を隠せない。
 果心居士は筑後の生まれで、興福寺で修行をしていたが、幻術の使い手であったために興福寺を破門された。その後、伊賀・鍔隠れの里の最高顧問という立場について、常に、当主の補助をしている、鍔隠れの知恵袋といった存在である。人呼んで『伊賀の最終兵器』。
 恐ろしい事に、自らが生まれた年はいつか知れぬという。織田信長や松永久秀、そして豊臣秀吉を幻術で騙した話、そして関ヶ原の合戦の話を、まるで見てきたかのように話すので、おそらく数百歳であろうと噂されている。当時の当主から、何か技をほどこされたのかもしれない。あのマンガのように。
 前置きが長くなったが、つまり、こうである。
 果心居士が鍔隠れから出てくるということは、よほどの大事件が起きたに違いないのだ。
「大坂も楽しかったの。夫婦善哉、自由軒のカレー…」
「船場カリーも美味いですよ…って、本当に観光にいらっしゃったんじゃないですよね」
「ほっほっほ、冗談じゃ」
 にやにやと笑っていた果心居士は、急に真面目な表情となる。
「どうも、キンノーが怪しい動きをしておる。調べてみたんじゃが、きゃつら、どうやら始末屋と関係しておるらしいという話なんじゃ」
「始末屋と…?」
 京都で始末屋業を開いている者たちは、全員、龍の会の息がかかっているといっていい。とすれば、果心居士の話は、こういう事になる。
「始末屋の中に、キンノーとつながってる奴がいるとすれば…龍の会に裏切り者がいるっちゅうことか…?」
「キンノーは、始末屋の存在を嫌っておる。始末屋組織を崩壊させなければ、京都の裏社会は支配できんからな。奴ら、どんな汚い手を使っても、龍の会を狙ってくるぞ」
 どんな汚い手…
 どんな…
 山崎は、ごくり、と唾を飲み込んだ。
 不安がどんどん増幅していく。
 とりあえず、如月に相談してみよう、と思った。

 時間は少し戻って。
 陣屋に戻ってきた如月を、上役の一人である清水左近が出迎えた。
 痩せこけた顔の、どこか陰のある中年男で、鏡心明智流の使い手。くわえて、彼の剣術は独特の癖があり、達人でも見極めるのは難しい、と言われる。そして、見廻組の中でも、切れ者として知られている危なっかしい人物である。
「へへ…ずいぶん遅いご帰還じゃねえか…?」
 清水は少し咳き込むと、そう呟いた。
「ええ、まあ…」
「まあ、何してたって別にいいけどな。…ところで」
「何です?」
「いや、仕置人の話だ」
 以前も、如月は何度も仕置人の話を清水からされていた。しかし、当然ながら如月はまったく意に介さなかった。今回も、
「また、その話ですか。あれはただの噂で…」
 と言い、話題をすぐさま変えるつもりであった。しかし清水は食い下がった。
「いや、だからてめえにまず伝えたかったんだよ。とうとう、俺は尻尾を掴んだ」
「え…」
「使える手を全て使ってな。俺はどうしても、連中を捕まえたかったからな」
 如月の背中が、汗でじっとりと濡れている。鼓動が激しくなっていた。如月は顔つきをそのままにして微動だにしなかった。
「そうそう、あとは坂本龍馬の話だ」
「居場所が分かったんですか」
「相模屋とかいう料亭に入り浸ってるって話聞いたな」
 その後、話題はたわいも無い世間話へと変わり、清水が去った後、如月は自分の予定表を確認した。
 市中見廻りの時間である。
 とりあえず、山崎に会おう。

 そして、お互いに相手の下へと行こうとした二人は、偶然道端で出会った。「あ」と声を上げてから、思わず周囲を見渡し、物陰へと隠れる。「実は」と、また、同時に声を上げて、お互いに、言いたい事を吐露した。その内容に、二人とも仰天する。
「こりゃ…やばい事になりそうだ。山崎」
「分かってるわ。清水左近を調べぇ、言うんやろ」
「話を総合するにだな…参次と清水、そしてキンノーはつながってるとしか思えねえ。このままじゃあ、あっという間に龍の会は崩壊だ…」
 山崎は頷くと、一人で駆けていった。

 それから三日間、山崎は屯所に戻らなかった。いつもはどっしりと構えている土方が、さすがに三日間も山崎が屯所に戻らないとなると、落ち着かないのだろう。両手を組み、不安そうな顔をしながら、屯所内をうろうろしていた。
「山崎のことだから、脱走なんてことはないだろうが…」
 そう呟いて、周囲をきょろきょろと見渡している土方を見て、伊東がくすくすと笑いながら、
「土方はん、心配しすぎると白髪が増えるで」
「私に白髪は無いっ!」
 笑いかけようとした伊東だったが、目の前に白刃が突きつけられ、慌てて、
「ちょ、ちょいまち、冗談や。落ち着き落ち着き」
「まったく…」
 睨んだまま、刀を収める土方を見て、伊東はにっこりと笑った。
「山崎はんのことや。またキンノーの居場所でも掴んで、張り込んでるんやろ…」
 そう、口では言ってみたが、伊東も内心では山崎のことが心配だった。冷静な態度をとるかのように、伊東は煙管を吸ってみせる。頭の中は明晰になったが、まだ不安は消えなかった。

 夜、山崎は行きつけの店でうどんをすすっていた。いかにも、途中で立ち寄ったかのように如月が姿を現し、これまた自然に山崎の隣に座る。しばらくしてうどんが運ばれてくると、だしを一口すすって、
「つかめたのか」
 とだけ言った。山崎は、はああ、という奇妙なため息をつく。
「どうかしたのか?」
「いや…ずっと張り込みっぱなしやったからな。ろくに飯も喰うてへんから」
「…一杯おごってやる」
「おおきに」
 にやり、と山崎は笑った後で、清水の一件を話し始める。話すうち、深刻そうな如月の顔が、一気に驚愕へと変わった。
「烈が危ねえ…いや、これは全体の危機だ…」
 しかし、烈が居ないことには何も行動を起こせない、ということは、二人とも理解していた。とりあえず、二人とも烈の家へ向かおうと思った。

 慌てたように駆ける烈の姿が暗闇にかすかに見える。これほどまでに慌てる烈の姿は珍しい、と言っても過言ではないかもしれない。なぜか、烈は胸騒ぎを覚えていた。くだらないと言うかも知れないが、自分の目の前で茶碗が割れたことに烈は恐怖していた。虫の知らせという奴である。
 それに、三日間龍馬の行方を探し回ったが、相手はキンノーの首魁、そう簡単に見つかるわけが無い。山崎たちに謝ろうと思ったが、自分が「解散だ!」と言った手前そんなことも出来ない。とりあえず元締めに会おう、と思ったのである。
「妙だな」
 烈は、門の前に来た瞬間そう呟いた。門の内側からは殺気が感じられない。まさか、と思い烈は門を叩こうとする。しかし、まったく手ごたえがなく、門は、ぎいい、といういびつな音を立てて開いた。烈は慌てて屋敷の中に入る。遅かったのか。烈は中に入ってため息をついた。あちこちが荒らされ、また、血で汚されている。
「元締め!元締め!どこですか!?」
 烈は血眼になって、元締めの名を呼んだ。居るとしたら奥の方にある辰蔵の部屋、これしかない。障子を開け、明かりをつける。果たして元締め、骨唐傘の辰蔵はそこに倒れていた。隣には雷蔵も居る。雷蔵はもうぐったりとし、息は無いようだ。烈は辰蔵の体をさすってみた。「うう」とうめき声が聞こえる。
「元締め!」
「れ…烈か…?」
「どうしたんですかい、これはっ…!」
「さ、参次…あの野郎、キンノーと組んでやがった…」
「なんですって…!?」
「あ、赤目…赤目が奥に居る…」
 辰蔵は震える手で、懐から三枚の小判を出し、烈の前に落とす。
「烈…これで、あのきたねぇ奴らを…」
「元締め…元締め!元締めぇぇぇ!」
 ゆっくりと、その手の力が無くなる頃、辰蔵の命もまたゆっくりと消えていった。なぜか、それと同時に、赤目が居ると告げられた部屋で、がたん!という音がする。思わず烈は身構え、間合いを詰めながら、赤目が居るという部屋の襖を開けた。赤目はうつ伏せになって倒れている。不意打ちを受けたのだろう、後頭部から血が流れていた。烈は赤目の被っている笠を取る。思わず、烈は目を見開いた。
「女だったのか…」
 赤い髪をした、若い女がそこに居た。烈はとりあえず赤目を抱きかかえ、ゆっくりと歩き出す。あちこちに、まだ敵が忍び込んでいる可能性があるが、このまま居てもしょうがない。屋敷を出ると一気に駆けると、敵の気配が無い事を確認して、自らの家の隠れ家へと向かった。

 どどど、という足音とともに烈が、何者かを抱きかかえ、走ってくるのを如月と山崎は見た。
「龍馬はどうしたんや!」
「どうしたその女は!」
「ちょっと待て!その前に…」
 烈は戸を開けると明かりをつけ、
「こいつ、なんとかならねえか。人命第一って言うじゃねえか…後で話す」
 山崎は烈と協力して、別の部屋に寝かせると襖を閉める。烈は襖にもたれると、少しずつ話し始めた。
「元締めと雷蔵さんが…!?」
 烈の言葉に、如月も山崎も思わず言葉を失った。烈と如月の目からは涙が出ている。
「他の仕置人たちがどうなったか分からねえが…あの参次って奴が裏切って、キンノーに場所を教えたんだ…」
「おそらく、京の闇社会を支配するためだろうな。龍馬の依頼も、恐らく罠だ。あれで、仕置人をおびき出して捕らえようとしたんだろう」
「捕らえるつったって…」
「山崎が調べてくれた。見廻組…清水左近って奴が、キンノーとつながってやがった…。見回組を通じて奉行所にも伝わってる可能性があるな。…烈。てめぇの面がな」
 烈はそれに何も言わず、持っていた三両の小判を如月の目の前に置いた。
「最後に元締めから依頼を受けた。…これできたねえ奴らを、と言ってな」
「清水、そして参次か…?」
「龍馬もだ。キンノーの親玉…あいつだけは、仕置しなきゃ気がすまねえ」
 さて、山崎は治療が一段落し、煙管を楽しんでいた。
(一度屯所に戻らな…)
 山崎の心のように、煙管から出る紫煙が揺らいで消える。
 最悪の状況だ。最後の挨拶になるだろう、と、山崎は思う。
(もしかしたら、組を抜ける日が来たのかもしれんな…)
 そう思い目を閉じると、頭の中に仲間たちの顔が浮かぶ。
 近藤局長。
 土方副長。
 伊東参謀。
 …島田。
 ん?
(いや、あいつはいらん)
 山崎は思わず頭をぶるぶると振った。

 赤目が目を覚ましたのは次の日の朝だった。がばっ、と起き上がり、「痛っ」と呟いて頭をさする。
「気ぃついたようやな…」
 山崎が、鏡に向かって櫛で髪の毛をなでながらそう呟いた。目の前にあった大きな簪を差し込むと、山崎は赤目の方に顔を向ける。
「ここは…」
「烈がここまで連れてきたんや」
 襖ひとつ隔てて、烈が朝食を猛然と口に運びながら、「気がついたか」とだけ言う。赤目の瞳から涙がこぼれた。それが何を意味しているのか、山崎は瞬時に理解した。辰蔵と雷蔵を救えなかったという悔し涙だ。うちらが居なければここで彼女は自害していたやろな、と、山崎は勝手に思った。
「…私はあそこで死ぬべき人間だ。…なぜ、私を助けた?」
 その問いに、烈は無言である。山崎は、嫌な沈黙が続くのは嫌いなので、とりあえず烈が言いたいであろうことを言ってみた。
「ほっとけなかったんやろ」
「何…?」
「あいつの個人的な感情が…」
 山崎はそう冗談で呟いてみたが、奥から「うるせえ!」と大声が聞こえたので、慌てて本題に戻す。
「うちやってもそうする思うで。元締めが死んだ、雷蔵はんも死んだ。確かに龍の会は解散した思うけど…あんた、間違っとる」
「間違ってる…だと?」
「無様に生き残ったうちらやからこそ、出来ることがある。分かるやろ?」
 赤目は何か考え込んでいる風である。
 山崎は立ち上がった。
「ちょっと、用事があるさかい、あんた、あの子のこと守ってや」
「…なんだと?」
「地下に潜りゃ奉行所も追っても気づかんやろ」
 ふらり、という感じで、山崎は出ていった。烈は頭を掻きながら、
「…そういうことだ。今から隠れ家に行くから、ちょっと服着とけ」
「分かった」
 山崎は今頃にやにや笑っているだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしながら、烈は台所に向かい、水で顔を洗った。

 如月は、道場で一人素振りの稽古をしている佐々木只三郎を見つけると、周囲に人が居ないことを確認し、これ幸いとばかりに、佐々木に近寄っていった。
「なんだ、如月か。どうした」
「は。坂本龍馬の件で…」
「なんだ、お前はまだ聞かされてないのか?」
「は?」
 佐々木は、むすっとした表情で如月の顔を見る。
「相模屋に龍馬が入り浸っている、という話、あれはどうやら、偽りであるらしい」
「偽り…?というのは、意図的に噂が流されたと…?」
「うむ。優秀な草のお陰でようやく分かった」
「…龍馬は」
「地下に潜っているようだが…五日後、近江屋という料亭で、キンノーの幹部、中岡しずかと会談をするらしい。拙者は、それに今井信郎君、清水左近君を伴って襲撃に向かうつもりだ」
「佐々木様。ぜひ私めもお願いします」
「なに…?」
 佐々木は内心驚いていた。調査は得意だが、あまり剣術は上手くないように感じるこの男が、龍馬の暗殺などという荒事に手を出すなどとは。しかし彼も京都に来てから成長したのだろう、と思いつつ、佐々木は二度ほど首を縦に振った。如月の顔がほころぶ。
「別に良いだろう」
「ありがとうございます」

 屯所に戻ると、ちょうど市中見廻りの時間で、ほとんどの隊士は屯所に居なかった。「失礼します」と呟いて土方の部屋を覗いてみると、土方は茶を飲みつつ黙々と報告書に目を通している。その隣には、なぜか伊東がおり、これまた同じ作業をしていた。明日は雨降るな、と思い山崎はにやにやと笑っていたが、
「どうした?」
 そう土方に問いかけられると山崎は口ごもり、障子を閉めてから土方の前に正座した。
「…何かあったのか?」
 土方はそう呟いてから、ちらり、と伊東を見る。伊東はその意味が分かったのか、ゆっくりとため息をつき、山崎の方に向き直った。
「山崎はん…あっちで何かあったんやな?」
「“あっち”だと…?」
 土方は伊東を一瞬睨んだが、とりあえず山崎の方を向いた。
「…新選組を抜けさせてもらお思いまして」
「そうか、そういうことか…」
 土方は目を閉じる。そのまま、黙った。
 裏のことで、自分に何かあった時は、組を抜ける…入隊時、山崎は土方にそう言っていた。もちろん、新選組に被害が及ぶのを恐れてのことだ。
 土方は黙ったままだ。頭の中でどれだけの葛藤があるのだろう、と思いながら、山崎は土方の顔を見つめていた。
「…ふっ」
 突然、土方の口から息が漏れた。そのまま土方は笑い始めた。これには、山崎も、そして伊東も驚いてしまった。葛藤しすぎて頭がおかしくなったのかと、山崎は呆然と口を開けたまま、土方が笑うのを見つめる。
「…山崎。池田屋を忘れたか?」
「え…?」
 土方は、山崎に顔を近づけ、
「新選組は数々の修羅場を潜り抜けた…あの時よりも、強くなっているはずだ」
「…」
「少しは仲間を信頼しろ」
 なぜか、土方はその後何も言わず立ち上がって、山崎の顔も見ずに部屋から出て行った。あっけに取られている山崎に、伊東が声をかける。
「相変わらずの口下手やなあ、あの人は」
「はぁ…」
 しかし、土方が言いたいことはなんとなく分かった気がする、と、山崎は思った。
 山崎が屯所を出ようとする頃、突然、上から何者かに呼び止められた。
「山崎、わしじゃ」
 何者かと書いたが、こんな台詞を吐く人は一人しかおらん、と、山崎は思っている。例のじじいである。門の上のほうに、果心居士が大きな赤い玉に乗って、ぷかぷか浮かんでいた。山崎には見慣れている光景である。じじいお得意の幻術であろう。
「果心居士はん。おられたんですか」
「ほっほっほ。山崎、覚悟を決めたようじゃな?」
「宣戦布告されたんです。オトシマエつけとかなあかんでしょ」
「わしも仲間に入れてもらおうかの」
 突然、果心居士が乗っていた玉が、ぽん!とはじけ、果心居士の体はゆっくりと、まるで、木の葉が舞い落ちるようにして着地する。果心居士は、禿げ上がった細長い頭を撫でながら、
「近江屋で、坂本龍馬と中岡しずかの会談がある。この日を決起の日としよう。どうじゃ」
「そ、そんな勝手な」
 それが勝手ではなかった、というのを知ったのは、山崎が果心居士を連れて烈のアジトに行き、如月と会った時であった。

 決起の日の夜。
 ひっそりとしていて静かな夜であった、と記録にはある。
「上手い具合に事は運んでるぜよ」
 龍馬は、目の前の刺身をつまみに熱燗を飲みながら、目の前の奇妙な服装をした女を見つめていた。その女…中岡しずかは、その言葉に嬉しそうに微笑んでいる。
「闇社会を先に支配するってゆーのは良いアイデアだと思います。仕置人とかいうのが居る、という噂は土佐まで届いてましたし」
「ひっ…所詮欲望にゃ勝てないということやき。あの参次いう男、ちっくと話をしたら尻尾を振ってついてきたのやき…」
 自分の思い描いたように事が運ぶということが、楽しくて仕方が無いのだろう、龍馬は時折肩をわなわなと震わせて笑ってみせた。笑うたび周囲の景色がゆがんで見える。相当酔っているのだろう。
 愛想笑いをしていた中岡の体が、ふと、止まった。持っていた銚子が音を立てて落ちる。中岡の体はそのまま静止していた。龍馬は奇妙に思い、立ち上がろうとしたその刹那、中岡しずかの体が前のめりに倒れ、がちゃん、と食器を壊した。
「なに…?」
 障子の奥に人の影が見える。新選組か、見廻組か。それとも別の幕府の連中か。どっちにしろ敵であることに変わりは無い。龍馬は手元にあるピストルを抜き影と対峙した。障子がゆっくりと開かれていく。そこには、黒子の服装をした一人の女が居た。女は、右手に持っていた少し太い針を口に咥える。
「中岡を殺ったのは…おまんか」
 龍馬は連続してピストルを発射した。しかし龍馬は泥酔していたのと、山崎の身の素早さで、弾はかすりもしない。弾が無くなった頃、龍馬はようやく刀を抜いた。
「新選組か?見廻組か?いったい誰だ!」
 そう叫びながら龍馬は突進してくる。突きかかって来た刀を左に避けると、龍馬はその方向に薙いで来た。山崎は頭につけていた簪でそれを受け止め、口に咥えていた針を吐き出した。
「新選組、監察…山崎雀」
 山崎は、受けた刀をゆっくりと持ち上げつつ、そう呻いた。
「やが、今は仕置人や」
「仕置人…だと!?馬鹿な!」
 龍馬は刀を返し、今度は振り下ろした。しかしその瞬間、その位置に山崎はいない。と、何者かに首を背後から絞められる。当然誰かは分かっていた。
「ちぃ…っ!何故だ…!」
「あんたを殺してくれっちゅう、頼みが来てたんや。…それだけのことや」
 山崎は左腕で龍馬の首を絞めつつ、右手に持っていた簪を持ち直した。そのまま龍馬の延髄を簪で突き刺す。龍馬は呻いたが、急所を突かれてはもう反撃は不可能であった。持っていた刀を落とし、龍馬はその場に倒れた。
「見廻組が来る。どっちみち、あんたは死ぬ運命にあったんや…」
 山崎は、簪についていた血を拭うとまた頭に戻し、窓から屋根伝いにその場を去った。これで、自分の最初の役目は終わりだ。あの場所に向かわなくては…。

 数刻後、見廻組が慌しく近江屋に到着した。彼らは今井信郎を先頭に階段を上っていったが、倒れている二人を見て仰天する。
「二人とも…死んでいる。どういうことだ…」
 その、とても理解できない状況に、佐々木は呆然として口を開けたままだ。清水は中岡と坂本の死体を検分していたが、
「龍馬はわずかに格闘した痕跡、そして首の後ろに傷がありますが…」
「中岡はどうだ」
「分かりません。心臓発作ではないかと…」
 さすが山崎だな、と、如月は一人影でほくそえむ。
「佐々木様。ここは、我々が暗殺したということにしませんか」
 そう、如月は自信満々で呟いた。その言葉に佐々木は我に返り、
「ば、馬鹿を言うな」
「しかし、この状況で、“坂本は何者かに暗殺、中岡は心臓発作”なんて報告書は…」
 佐々木は生真面目な男なのだろう、両手を組んだままうんうん唸っていたが、やがて、目を瞑り、堪忍したように頷いた。しかし、佐々木はやりきれない顔をしたまま足早に近江屋を出て行く。残った死体に、今井と清水が多少の刀傷をつけた。それから階段を下りると佐々木はもう近江屋から離れている。今井も慌てて佐々木の後を追っていった。如月と清水、二人だけとなった。
「当てが外れたみたいですね」
 如月は清水の前に出ると立ち止まり、そう静かに呟いた。清水はため息をついて、
「ああ、まったくだ」
「…私の方は、上手くいったんですが」
「…何?」
 清水は如月をぎろりと睨みつける。
「おめぇ…何を知ってやがる…?」
「あんたのお陰で、昔からの仲間が死んだ…」
「貴様…まさか…」
 清水の瞳がだんだん、獲物を捕らえるような目つきに変わってきていることに、如月は気づいていた。清水の手がゆっくりと刀へ寄る。鏡心明智流の使い手とはいえ、自分の抜刀の素早さには勝てまい。そう如月は自負していた。
「あんたの命もらうぜ」
「きさまぁ!」
 如月は抜刀した。清水の体は真っ二つになっているはずだった。だが、キィン、という、刀と刀がぶつかった音がする。思わず如月は離れた。
「てめえがそうだったのかい…こいつぁ面白え」
 薄ら笑いを浮かべ、そう呟きながら清水は一撃、また一撃を加える。辛うじて刀でそれを受けながら、如月はゆっくりと後退していった。癖があるとは聞いていたが、清水の技は鏡心明智流のそれとは、かなり違っている。もはや我流といっていい。
(元締め…)
 如月は、心の中でそう呟き、刀を元に収めた。清水が上段に構え振り下ろそうとする頃、如月は一気に刀を抜き放つ。またもや、キィン、という短い音がした。如月の抜刀術に、清水が持っていた刀が耐えられず、折れたのだ。そのスキを如月は見逃さなかった。抜いた刀をそのまま向きを変えて、清水の腹部に突き刺す。清水は信じられないという表情のまま、断末魔のうめき声をあげた。
「ドブネズミが…ッ!」
 如月は激高して、それを抜いた後、一撃、また一撃。鬼神のように如月は刀を振り下ろした。これでもか、これでもか、と言うかのように。やがて、ボロ雑巾のようになった清水が、如月の目の前に崩れ落ちる。
「よし、後は…」
 如月はそう呟くと、足早にその場を立ち去っていった。

「敵は何人いるんだっけか…?」
 烈は時折首を左右に振りながら、隣に居る赤目に呟く。
「さあな。見当もつかん…外道、キンノー合わせて十人はいるだろうな」
 赤目は、二人で見張っている目の前の屋敷を指差した。烈は嫌なため息をついた。実際にはもっと居るに違いない。二人だけで、キンノーのアジトを攻めようというのだ。やっぱり、いくらなんでも二人でここを襲うというのは失敗だった。一応、山崎と如月に、終わったら戻ってくるよう指示したが…。しかし、赤目はやる気である。一番守るべき元締めと雷蔵を守れなかった、という悔いが彼女の中を駆け巡っているのだろう。
「嫌だったら帰ってもいいぞ」
 不意に、赤目が呟いた。
「私はここで死んでもいいと思っている」
「馬鹿だなおめぇは…」
「馬鹿だと?」
「…そのままにして居られっかよ」
 そう呟くと烈は、赤目に「行くぜ」と指示した。もう少ししたら仲間たちが来てくれるはずだ。もし来なかったら…いや、もともと、自分たちの仕事はいつも死と隣り合わせだった。いつ、どこでどんな死に方をしても文句の言えない仕事である。烈は走りつつ、今までのことを回想していた。別にここで死んでもいい。そう思いながら。
 ずいぶん広そうな屋敷だ。彼らを天誅の名の下に殺し、金品を奪い屋敷まで取り上げたのだろう。烈が屋敷の扉を叩くと、扉が開けられ手下らしき男が顔を出す。男は烈の顔を知らないのだろう、変な顔をして、
「誰だ?」
「ああ。参次に伝えてくれ。龍の会は裏切り者を許さねえ、ってな」
「なに!?」
 男がそう叫ぶ前に、赤目がすぐさま鎌で男の首筋を薙ぐ。二人は血飛沫に塗れながら、扉を荒々しく開け、男の死体をどかすと、屋敷の中に入っていった。案の定、あちこちから匕首や刀を持った男たちが現れる。想像はしていたがこれほどとは。思わず、烈と赤目はお互いの背中をくっつけた。こうすれば背後から襲われる事はないはずだ。
「このまま死ぬかもな」
 戯れに、烈はそう呟いた。
「そうかもしれない。しかし…それも良い気がする」
「何?」
「何故だか知らないが…お前と一緒ならどこまでも行けそうだ」
「…勝手にしろ」
 烈がそう呟いた瞬間、赤目の目の前にある地面の土が、少し動いたかと思うと、そこから突然何者かが飛び出した。その人物は飛び上がると赤目の隣に着地する。
「山崎!」
「遅うなったな」
 山崎はそう呟いて、口に針を含む。それと同時に、烈たちが入ってきた扉から、如月が息を切らせながら現れた。近くに居た者たちが襲い掛かったが、すぐさま切り捨て、如月は烈の隣まで歩くと、息をぜえぜえ言わせながら、
「さすがにここまで走るのは骨だな…」
「…馬鹿野郎」
「いいか。お前は参次だけを狙えよ」
「分かってるって…行くぞ!」
「おう!」
 烈の声に、周囲の三人が呼応した。四人は一塊になって奥の部屋まで行く。慌てたキンノーたちは匕首や刀を持って襲い掛かったが、赤目の鎌、山崎の針、如月の刀に悉く倒された。迫りくる槍、刀、ミサイルなどを回避し、やがて屋敷の中が屍の山になった頃、烈が奥の襖を開けると、余裕で煙管を吸う参次の姿があった。
「烈、てめぇか…」
 参次は煙管を投げ捨てると、懐から鋭く尖った竹串を出し、烈と対峙する。烈は他の三人に目配せすると、参次にゆっくりと近づいていった。右手を自らの顔の近くへともっていき、何かをなぜるように右手を握ると、べきべき、という音がする。烈が臨戦態勢に入ったという合図である。
「あの辰の日の前から…てめえ、仕組んでやがったのか…?」
「外からじゃ難しいが…中から壊すのは、赤子の手をひねるよりも簡単だ」
「それ以上喋るな」
「見せたかったぜ、あの時の辰蔵の顔はよ」
「喋りすぎだてめえ!」
 烈は猛然と参次に向かっていく。参次の竹串が空を切った。たかが竹串とはいえ、急所を突かれれば針と同じ威力である。烈は参次の右手を掴むと、持っていた竹串を指でへし折り、彼を蹴倒すと背後から押さえつけようと、近づいていった。
「…っつ」
 胸部に鈍い痛みが走った。烈が胸を触ると、細長い針が胸に突き刺さっている。烈の目の前には、口に吹き矢を咥えた参次がにやりと笑っていた。参次は跳ね上がると、
「毒だ。てめぇの右手は怖ぇからな…」
 烈はその針を抜いたが、参次の言葉に答えたかのように、全身に汗をかきながらぶるぶると体を震わせ、仰向けにばったりと倒れた。後ろの三人は思わず息を飲む。少し歩いて匕首を手に取った参次は、にやりと微笑みながら、匕首を烈の胸に突き立てようとした。その匕首が途中で止まる。烈が振り返って、匕首を真剣白羽取りしたのだ。
「なにっ…!?てめえどうして…!」
 参次の問いには答えず、烈は震えながらゆっくりと上体を起こしていく。烈の両手から血が流れ始めた。それにも構わず、烈は両手を右に振り、左に振り、そしてついに、匕首を奪い取った。烈は肩で大きく息を吐きながら参次の目の前に堂々と立ち、参次の首をがしりと捕まえる。右手をゆらりと動かし、烈は、渾身の骨外しを参次に決めた。参次の断末魔の叫び声が聞こえ、烈が指を抜くと参次は仰向けに倒れた。しかし、それと同時に烈もまた、仰向けに、どう、と倒れたのである。
 山崎、如月、そして赤目が烈の周囲に駆けつけた。烈は青い顔をして、荒い息を吐きながら体をがたがたと震わせている。もう、毒が全身に回っているのだろうか。
「…出てきいや」
 その山崎の声に反応してか、天井から赤い玉が降りてくると、ぼん、と音を立てて割れ、その中から果心居士が姿を現した。
「これはいかん」
「うちでもいかんいうのは分かっとるわ!なんとかするのがあんたの仕事やろが!」
 思わず激高する山崎を、果心居士は、まあまあと呟きながら、赤目を指差すと、こちらに来いというジェスチャーをしてみせる。
「鍔隠れの里へ来んか。お主や烈を助け、しばらく匿うぐらいは出来る」
「何故…ですか」
「…このまま、京は戦場と化すじゃろう。既に烈の手配書は奉行所とキンノーに回っている…いつ見つかるか分からんのでな」
「しかし…」
「お前さん、抜け忍じゃろ?」
「!」
「わしが話をつけてやってもいい。とにかく、烈とあんたを助けるのが先決じゃ」
 覚悟を決めたのだろう。赤目は頷いた。彼女は立ち上がって、山崎、そして如月の方を向くと深々と頭を下げる。
「また…解散…だな…」
 はぁはぁ、と息を吐きながら、烈は小さく呟いた。
「…まあな」
 如月は寂しく笑った。思えばこの烈、そして辰蔵と付き合ってきて何年になるだろうか。こうして山崎に再び出会ったのも、何か運命めいたものを感じてならない。しかし月日は流れ、こうしてまた、ばらばらになる。いつもそうだった。出会った時からこうなるのは分かっていた。しかし、分かっているのになぜこうも虚しいのか。
 山崎は黙ったまま烈の顔を見、烈に少し笑いかけた。
「また…いや。今度会うのは地獄やな…」
「…そう願ってるぜ」
 山崎の問いかけに、苦しいながらも、烈がにやりと微笑みかける。その問いに果心居士は頷くと、唇を尖らせて口笛を吹いた。どこからともなく竜巻が現れ、果心居士、赤目、烈を包むと、そのまま夜の空に飛び上がっていった。
「相変わらず派手な技やな」
「山風の小説に出てきそうな技だ」
 如月は少し微笑んだが、またいつもの冷静な顔に戻って、
「俺は戻るぜ。いろいろやる事があるからな」
「…うちも屯所に戻らなあかんな」
「もう二度と…会わねぇのを願うぜ」
 如月もまた、山崎に微笑みかけるとそう呟く。廃墟となった屋敷に、山崎は一人残った。

 何も無い中空に、ぷかり、ぷかり、と、輪になった煙が浮く。囲炉裏では鍋が沸騰しかけていた。煙管を置くとふたを取って味噌をくわえ、ゆっくりとかき混ぜていく。
「山崎さん、邪魔しますよ」
 表から声が上がった。山崎はその者をじろり、と睨みつける。現れた老人は山崎に頭を下げると、部屋の中へと入っていった。
「ちょうど鍋が出来たんで、宜しかったら」
「ああ、どうも…」
 老人は渡された器に口をつけ、ずずっとすする。
「こいつはうまい」
「どうも」
 そして、少しの沈黙。ただ鍋を食べていた老人は、山崎の顔を真っ直ぐ見つめて、そのまま動かない。
「天満屋はん…」
「せめて話だけでも聞いていただけないでしょうか」
 天満屋光右衛門は、まるで物欲しそうな子犬のような目で山崎を見つめる。はじめは難しい顔をしていた山崎は、額を掻きながら頷いた。
 山崎が仕置きの依頼を了承し、前金十両を受け取ると、天満屋は安心して話を雑談へと戻した。
「しかし、山崎さんがここで、名を変えて開業していたとは驚きましたよ。私はてっきり、鳥羽伏見で死んだものと…」
「いろいろありましてね」
 山崎は天満屋の言葉を遮ってそう言った。天満屋は山崎が何を言いたいのか察し、それ以上、そのことについて触れることはなかった。


(おまけのSS by若竹)
【島田】 山崎さん、お茶が入りましたよ。
【山崎】 おおきに・・・って、何であんたがうちにおるんや!
【島田】 やだなあ。『2人は結婚して幸せに暮らしました』て書いてあったじゃないですか。
【山崎】 そないな事、どこにも書いてへんわ!
【島田】 あ、そーか第2稿ではエンディングがすっぱりとカットされたんでしたね。
【山崎】 第1稿にも、そないな事は書いてへんかったはずや! 第1稿を見てみい!
【原田】 あ、上書き保存されてるわ。
【永倉】 ファイル名が同じだからなあ。
【島田】 そういうわけで、第1稿では2人は結婚してたんですよ。
【山崎】 ウソやあぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!
【近藤】 ちなみにプロポーズの言葉はどんなだったの?
【島田】 『あんたがどうしても言うんやったら一緒になってやってもええで』でした。
【近藤】 え〜、雀ちゃんからプロポーズしたんだ。
【島田】 めでたし、めでたし。
【山崎】 意味不明な締めをするなぁぁぁ!


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